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アス

いやー、途中まで怖くて怖くてどうなるかと思った。以下、内容に踏み込むので、未見の人は観た後に読むのがよいです。

ジョーダン・ピールの監督デビュー作『ゲット・アウト』は、人種問題を非常にユニークな切り口で描いたホラー映画だったが、本作は持てる者と持たざる者の格差を背景として、持たざる者の復讐が文句なしのホラーとなって主人公家族(と観客)をいたぶる映画である。

本作では旧約聖書のエレミア書11章11節が何度も引き合いに出される。手元の新共同訳の聖書から該当部分を引用しておく。

 それゆえ、主はこう言われる。
「見よ、わたしは彼らに災いをくだす。彼らはこれを逃れることはできない。わたしに助けを求めて叫んでも、わたしはそれを聞き入れない。

この言葉の通り、本作は無慈悲な災いの話である。

とにかく観ている側の不安を喚起する演出がうまい。いやーな感じを増幅させていくところに『ヘレディタリー/継承』を思い出したくらい。主人公家族から遠慮なく収奪しようとする主人公家族の「影」たちという設定も現在的である。

最終的に主人公は自らの「影」と対決するのだが、実はここに至ってワタシの緊張感は切れてしまった。悪役が長々と自分の身の上を話すような演出はもはやクリシェであり、端的に詰まらないと感じるからだ。主人公もそんな話をいちいち最後まで聞いてないで、背中を向けてる相手にさっさとかかっていけよと思うし。

それに、そこで語られる「影」たちの存在理由というか設定が、あまりに荒唐無稽でクールダウンしてしまったところもある。『ゲット・アウト』のときは楳図かずおの『洗礼』を連想して想像力で補えたが、本作の場合、これだったら種明かしなんてしなくていいから、赤服の「影」たちがずーっと手をつないで並ぶ禍々しい画だけ見せてくれたほうがどんだけよかったかと思ったくらいである。

でも、本作は最後にヒネリがある。これも勘の良い人なら読める話だろうし蛇足と見る人もいるが、ワタシはここで、主人公が自らの「影」と対峙するまで、あの印象的な片側だけのエスカレーターをはじめ、地下の長い距離を迷いなくずんずん突き進めた理由、主人公の「影」である女性が「特別」だとみなされた理由などいろいろ一気に合点がいったし、本作の「持たざる者の持てる者に対する復讐」というテーマが再度浮かび上がり、これはうまいと唸った。

ただ上に書いたようにその時点でワタシ的にクールダウンしていたので、最終的にはちょうどよいくらいの感じだった(?)。

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