本作は何をどう書いてもネタバレの要素があるので、未見の人はご注意ください。警告しましたよ。
『ゲット・アウト』、『アス』を楽しんだ人間として、ジョーダン・ピール監督の新作とあれば、これは観に行くしかないのだけど、今回は IMAX カメラも撮影に使われたという話を小耳に挟んだので、公開初日に IMAX で観てきた。
例によって事前情報はあまり入れずに観たのだが、やはり小耳に挟んだ話で「も、もしかして……シャマラン?」とも思ったりして(いや、シャマランはシャマランで好きですよ!)、正直『サイン』みたいな映画なんかなと思ってたら、さすがにそれとは違うのだけど、ある程度は当たっていた。
しかし……これは意図的にかなりバカだよな(笑)。シャマランかと思ったらエヴァだったという。予想外のところから矢玉が飛んでくる感じ。
そんなバカ映画だが、映像スペクタクルだけでなく凝った音声演出を施しているので、できれば IMAX で観ていただきたい。
本作において主人公の妹が強調する「世界最初の映画(動画)」の話を引き合いに出すまでもなく、本作はエンターテイメント業界におけるアフリカ系の置かれた状況を反映したものになっている。
また本作はスティーヴン・ユァンが重要な役柄で出てくるが、彼演じる「ジュープ」が、子役時代に出演したシットコムの撮影現場での凄惨極まりない事件で彼一人が危害を加えられなかったのは、その「犯人」が彼と最後にやろうとしたポーズから想像できるが、やはり彼がマイノリティだからであり、本作はエンターテイメント業界におけるアジア系の状況も反映されている……けど、主人公たちとの連帯は感じられないんだよね。あと、あそこで靴が「立っている」意味が分からなかった。
前作に続き、本作も旧約聖書が最初に引用されるが、手元の新共同訳の聖書から該当部分(「ナホム書」第3章6節)を引用しておく。
わたしは、お前に憎むべきものを投げつけお前を辱め、見せ物にする。
これでワタシが連想したのは、安部公房の「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある」である。上記の撮影現場の場面もそうだが、本作の怪物も「見られる」ことに牙をむくわけですね。こっちからすれば、かなり理不尽に。
それにしても、本作における「怪物」のたたずまいからして荒唐無稽なのだけど、主人公たちが求める「オプラ映像」という言葉、TMZ 記者の登場に象徴されるなんともいえない浅さ、しかし、「オプラ映像」を求める以外、何ら有機的な選択肢を考えもつかない感じがむしろリアルだったりする。
しかし、正直本作の映画についての言及性はあまり有効に機能していないし、主人公が(やはりダニエル・カルーヤ演じる『ゲット・アウト』同様に)基本的に受け身というのはいいのだけど、彼について何ら深堀りできていないので、最後で馬に乗って登場する姿に気持ちが昂るものが正直なかった。