Google が無料電子メールサービス Gmailの 開始を告知したのが2004年4月1日、つまりちょうど20年前なんですな。4月1日の告知、また個人に無料で 1GB のストレージを提供するのが当時は衝撃的だったため、当初エイプリルフールの冗談ネタすら疑われた Gmail は確かに世界を変えた。
しかし、20年経ち、Gmail を開きたくてたまらないという人を私は知らない。受信箱の管理は往々にして面倒で、Slack や WhatsApp といった他のメッセージングアプリが、我々のオンラインコミュニケーションを支配している。かつてゲームチェンジャーだった Gmail は、今では脇に追いやられてしまった感がある。これからの20年も Gmail は我々の生活の中心にあるのだろうか? それとも、Gmail――そして電子メール――は過去の遺物になるのだろうか?
この20年間、Google は Gmail を少しずつ変更してきたが、変化よりも安定や信頼を重んじてきた(とはいえ、20年前の Gmail の画面を見たら、随分今と違うと驚くことは間違いない)。それは電子メールがオンラインコミュニケーションの主役でなくなり、メッセージングアプリがその座にとってかわった反映でもある。
しかし、アーカイブ機能と検索機能だけは、Gmail がメッセージングアプリに対して絶対的に持つ優位性である。本名と yomoyomo というオンラインペルソナを分けているワタシの場合は少し事情が異なるのだが、Gmail にこの20年の人生のメタ情報が大方蓄積されているという人も多いだろう。
Gmail はインターネットのパスポートのようなものだ。何かサイトやサービスで新しいアカウントを作るたびに、それは私の Gmail に紐づいている。多くの場合、それは私のユーザ名も兼ねている。Gmailは、あらゆる私のアプリ、ヘルスケア、税金、銀行口座――つまり、私のデジタルライフのすべて――へのチケットなのだ。それが必要になれば、私は Gmail に立ち戻る。もはや Gmail を開くのに興奮することはないかもしれないが、Gmail のパスワードは、今でも私の人生でもっとも重要なものだ。
この記事ではニュースレターの隆盛に触れ、毎日くるニュースレターの多さにときどきそれをすべて燃やしたくなるけど、ソーシャルメディアでのアカウント削除は聞くが、メールをやめると宣言する人はいないと書いていて、それもそうよなと思う。
20年後に Slack や TikTok が存在しているかは分からないが、Gmail はずっと存続することが求められているのは間違いない。Google もそれを承知しており、信頼性を維持しながらも、メールを手間のかからないものにする努力も地道にやっているようだ。
ネタ元は Slashdot。