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公開初日一回目の上映を吹き替え版で観てきた。個人的にはハーバード流の早口を生の音で堪能したかったが、それを聞いて理解できるかはかなり怪しいものだし、字幕が取りこぼす情報もあるだろうし、まぁそれはよいとする。

結論を書くと、新年一発目の劇場鑑賞をこんな良い映画から始められて嬉しい。

本作は現在世界最大の SNS である Facebook の創業期を、創業者であるマーク・ザッカーバーグエドゥアルド・サベリンを中心に描く映画で、事実を基にしたフィクションである(以下は純粋に映画についての感想で、現実との相違は考慮しない)。

脚本はアーロン・ソーキンで、彼自身はテッキーではないが、MySpace など有力な SNS が既にいくつもあったところに何故 Facebook がここまでユーザを惹きつけることができたかその力学をうまく描いていてさすがだと思った。そうでなくても、wget という単語がハリウッドメジャーの映画に登場する日が来るとは思わなかったな!

本作は二件の訴訟の被告となったマーク・ザッカーバーグが回想する形でストーリーが展開するが、これをみてザッカーバーグと友達になろうという人間はあまりいないだろう(金目当ては別として)。しかし、彼がウィンクルボス兄弟のアイデアを盗み、共同創業者の友人をまんまと会社から追い出した人間であったとしても、彼をただ罵る気になれなかった。

Facebook と他の SNS(例えば MySpace)のユーザ層の違いについては danah boyd の研究がよく知られており、小山エミ「Facebookの普及に見る米国の社会階層性と、『米国=実名文化論』の間違い」が参考になるが、ハーバード大学の社交クラブの排他性と特権意識が Facebook が生まれた背景にあり、マーク・ザッカーバーグはそのハーバード大学の学生の行動原理、彼らが真に欲しいものを認識していた。そこが Facebook は他の SNS の焼き直しでなかった。

ザッカーバーグはその傲慢さでハーバード大学生らしさを体現するが、紳士性でハーバード大学生らしくありたいと考えるウィンクルボス兄弟がすがったものが学生ハンドブックだったというしょぼさ、そしてすがった先のローレンス・サマーズ学長がザッカーバーグとも相通じる傲慢さで二人をあしらう場面は良くできている。

ザッカーバーグNapster の共同創業者だったショーン・パーカー(ジャスティン・ティンバーレイクが好演)に惹かれ、彼の手引きで投資を受ける一方で、早くから Facebook の収益化に心を砕きながら、東海岸でその道を見出せずにもがくエドゥアルド・サベリンとの対比も、Facebook が西海岸に本拠地を移した理由をスマートに表現している。

本作を『市民ケーン』になぞらえるのは言いすぎかもしれない。しかし、成功の道半ばにあるマーク・ザッカーバーグという『市民ケーン』におけるウィリアム・ランドルフ・ハースト以上にトリッキーな題材を、登場人物たちの気概や傲慢さとその裏腹の虚ろさを含め、見事に映画にしていると思う。

デヴィッド・フィンチャーが監督ということで、予告編の印象からもっと冷たく無機質な映像を予想していたのだが意外にそうでもなくて、凝った映像処理はそれほどないが、双子のウィンクルボス兄弟を一人二役でごく自然に画面に出しているようにワタシなんかが気付いてないところであったのかも。トレント・レズナーの音楽も、以前坂本龍一が映画音楽について書いていた「画が弱いところに音楽をつける」を思い起こさせるベーシックな感じだった。

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