渋谷陽一の訃報を受けての投稿をこのひと月ほどいろいろ見ては、こちらもいろいろ思い出すところがあった。
渋谷陽一語録
— 水上はるこ(終活中 I Sat Down And Wrote You a Long Letter) (@aoshi452) August 5, 2025
※「頭がいい人は字が奇麗ではない。頭脳を奇麗に字を書く、ということ以外に酷使しているから」
渋谷さんは字があまり奇麗ではなかった。
※「家族が食後、居間でロックを聴く、ということはないと思う。クラシックならいいステレオで家族が一緒に楽しむことはあるが」
うろ覚え
この水上はるこ氏の投稿をみて、渋谷陽一の悪筆を思い出した。
というわけで、雑誌『rockin'on』から引用する「ロック問はず語り」をまたやらせてもらおうと思う。
今回取り上げるのは、1993年2月号(表紙はプリンス)におけるロバート・フリップのインタビューだが、インタビュー前の渋谷陽一によるリード文を全文引用する。
今回、僕は北斎の画集をロバート・フリップにプレゼントすべくインタビューの時に持っていった。ジミー・ペイジの時さえサインしてもらうレコードを持っていっただけの僕が、何故そんな事をしたかは、当然理由がある。約10年前、彼の初来日のおり、僕がインタビューした時、何を思ったか僕の質問をメモした紙に彼は興味を持ち、持って帰ってしまったのである。何でも日本語を勉強中とかで、興味があったようだ。自慢ではないが僕は悪筆で、相当抵抗したのだが、結局は持っていかれてしまった。そんな訳で、画集とは言え、ほとんど北斎の文字によって構成されている本を、これが本当の日本文字の美しさなんだよ、と教えたかったわけである。
いい話だと思うが、この初来日時のインタビューって、当時『rockin'on』の表紙に掲げていた「21ST CENTURY SCHZOID MAGAZINE」を得意げに見せたら、ロバフリに鼻で笑われた時のことだろうか?
(今手元に『40過ぎてからのロック』がないため正確な引用ができないが)実はこの号の渋松対談で、ロバフリ先生は渡された画集をみながら、北斎なら知ってるぞとか言ってたが、画集を上下逆に持っており、それを指摘するのはマヌケだったとこのインタビューの裏話を渋谷陽一は披露していたっけ。
それはともかく、インタビューの冒頭、フリップ先生より驚きの事実が明かされる。
「――あの時の質問表、僕はまだ持っているんだよ」
●……(笑)本当かよ。
「うん、それに実を言えばね、この間、僕のさまざまな資料や記録を整理していた時にあれをまた見直す機会にも恵まれたんだよ。ベスト盤の『フレイム・バイ・フレイム』とライブの『ザ・グレイト・ディシーヴァー』につけた小冊子を編集するんでね」
●(笑)あんな悪筆を日本語の資料にするのはおやめなさい(笑)。(後略)
渋谷陽一の悪筆の質問表、ロバート・フリップは今もとっておいているのだろうか?
さて、インタビューはフリップ先生の独特の語りが存分に発揮されているのだが、インタビューの最後に渋谷は以下のように締めている。
インタビュー後「とても知的でシリアスないいインタビューだった」とロバート・フリップは上機嫌であった。御世辞とは無縁の人なので、厭味でなかったとしたら、本当にそう思ってくれたのだろう。観念的な質問をしても、すぐそらしてしまうか、質問そのものを批判するのが常の彼が、わりと正面から答えているのも、珍しい。ほとんどが批判的な質問だったにもかかわらず、こちらの真面目な意図を感じてくれたのだろう。僕個人としては「シニカルであることは死を意味する」という、まさにプログレを総括する一言をもらえただけで満足できるインタビューであった。
最初これを読んだときは、当人も認めている通り「ほとんどが批判的な質問」からなるインタビューだったわけで、「いやー、厭味かもしれませんよ……」と性格の暗いワタシは思ったものだが、今読み直すとただただほろりとくるというか、これもいい話に思える。



