注意:以下、犯罪行為の話など不愉快な内容を含みます。
ハッピー・マンデーズの伝記映画が作られるとのことである。Kingink さんは「ショーン・ライダーの伝記映画って…世も末だ」と吐き捨てていたが、「マッドチェスターのパーティーシーンの重要人物になるまでのライダーの軌跡」を描くそうである。映画『24アワー・パーティ・ピープル』において、曲者ぞろいの登場人物の中でも完全に単なるゴロツキ扱いだったショーン・ライダーのロクデナシぶりをどこまで描けるのだろうかという不安がある。
そういうわけで、1989年から2004年までの15年間読者だった(実際には2008年ぐらいまで不定期で買っていた)雑誌 rockin' on から引用するコーナー「ロック問はず語り」を久しぶりにやることにする。
今回紹介するのは1996年9月号(表紙はセックス・ピストルズ)で、そこの通常のインタビュー記事ではなく、なぜか海外情報のページに掲載されていたショーン・ライダーのインタビューである。この当時はハッピー・マンデーズは解散しており、ショーン・ライダーがその後結成したブラック・グレープのファーストアルバムが大ヒットしていた。
そのインタビューは、ショーン・ライダーがハッピー・マンデーズのキャリア初期においてもガンガン犯罪行為をやっていた話を堂々と開陳するものである。およそ20年ぶりに読んだが、やはり時代を感じる。今これをやったら炎上間違いなしだろう。作品とクリエイターの人格は分けて考えるべき主義の強硬な支持者であるワタシもひるんでしまうくらいだ。
ケン・ローチの『天使の分け前』など、イギリスの映画を観て引いてしまうときがあって、そういえば『T2 トレインスポッティング』を観たとき、そうだこいつらひっでぇ奴らだったなと思ったものだが、ショーン・ライダーの話はそうした感覚を理解する助けになる……のかな?
とにかく、二百ポンドの給金をもらいながらバスでドイツ中走りまくって、荒しまくりのギッパリまくりってもんよ。あの時点じゃさ、ツアーなんて表向きのもんで、革ジャンだろうが靴だろうがもう何でもかんでも盗みまくりってもんだった。つまり、俺たちの稼ぎはせしめたものの合計ってなわけだ。特にスイスなんかに行くとアホみたいにせっせと万引きだとかクレジット・カードを細工する必要もなくて、ただレストランに入って玄関のところにかけてあるどっかのうすらばかのコートを持ちだしちゃえばそのコートだけで七百ポンドにはなるし、懐をみりゃお大事にその馬鹿の財布まで入ってるわけよ。俺たちなんてさ、そんなもんだったんだ。そうやって食ってたわけだ。
言っておくが、この前後にもドラッグ絡みの話などこってりしていて、そのあたりは割愛させてもらった。ここでの話は、かつての悪行自慢のため、いわゆる「ふかし」込みの可能性があることはご留意いただきたい……ってなんでワタシがフォローしてるんだよ。
さて、『24アワー・パーティ・ピープル』におけるショーン・ライダー登場場面の描写に関係する話もしている。あの話は実話だったんですね……。
おれとある連れとで、鼠退治用の劇薬を持ち歩いてマンチェスターをうろついていたことがあってさ。で、俺たち、鳩がとんでもなく嫌いだったんだ。ピカデリー・ガーデンじゃどこらじゅう鳩だらけで、バタバタしていて落ち着いて飯のチキンも食えないんだからさ。ま、今はさすがに俺もそこまで悪いことはしないけど、若かった頃はさあ……。あそこの鳩ときたら俺の食いもんまでひきちぎってくんだからよ! それで鳩に毒入りのパンを食わせたんだ。そうしたら、翌日には「デイリー・ミラー」紙にまで載ってたよ。"変質者、鳩に毒盛り!"とかね。空から鳩が落っこちてくるっていう。
そうそうチキンと言えば、『24アワー・パーティ・ピープル』でメジャーレーベルと契約の話をしているときにショーン・ライダーがバックレてしまう場面があったと思う。あのとき彼は「ケンタ行ってくるわ」と言って席を立ったのだが、彼の言うケンタとは KFC ではなくヘロインの隠語なのをスタッフは皆知っていたので、「もうこれはダメだ。帰ってこない」と分かっていたそうな。
このインタビューの最後、犯罪歴を持っていることが音楽業界に入って役に立ったと思うかという問いに対する回答は最高である。
わかんないなぁ。でも、業界にカモられる以上に俺たちの方がカモにしてやったとは思うよ。
果たして、「荒しまくりのギッパリまくり」だったキャリア初期をどう映画化するんでしょうか。