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ロスト・キング 500年越しの運命

自分でも理由が分からないのだが、映画館で映画を観ていて、ずっと泣いてしまう映画がある。以前では、『パレードへようこそ』がそうだった。そして、本作もワタシにとってそういう映画だった。大好きなサリー・ホーキンスが出てきただけでもう泣いていた。最後までほぼ泣いていた。

本作は、アマチュア歴史家のフィリッパ・ラングレーが指揮を執り、500年以上行方不明だったリチャード三世の遺骨をある駐車場で発掘した驚きの実話を基にしているが、本作はその最後で主人公が語るように、人生で正当な評価を得られず、真価を発揮できずにいた人の物語である。それはリチャード三世だけでなく、主人公も指している。

物語は、慢性疲労症候群(字幕では「筋痛性脳脊髄炎」になっており、それが正式な学名なのだろうが、こちらのほうが伝わりやすくないか)を患い、職場で正当な評価を与えられず、夫と別居しながら2人の息子の子育てをする主人公が、舞台『リチャード三世』を観劇し、そこで描かれる甥殺しの冷酷非情な王に疑問を感じるところから動き出す。

本作が驚きの実話を基にしているのは間違いないのだけど、主人公が「主婦」であることを強調するのは少し違うように思う。これについては、「『主婦』ということで私のステイタスを上げようとしているのなら、主婦でない人にも主婦にも失礼ではないか」という小林カツ代の言葉をどうしても思い出してしまう。

それでも彼女がアマチュア歴史家だから、女性だから軽んじられたのは間違いなく、後者については感情を出すなとアドバイスされるあたりによく出ている。一方で彼女は自身の直感と信念を捨てず、強情さを貫いたからこその発見であったことも描かれているが、最終的には信じる心となると共依存陰謀論につながる話になり、難しいところもある。

ワタシが本作を観に行ったのは、主演がサリー・ホーキンスだからというのもあるが、製作、脚本、助演がスティーヴ・クーガンだからなのが大きい。つまり、本作は『あなたを抱きしめる日まで』と同じ体制で作られた映画なのだが、いずれも芯の強い女性を描いて成功している。

かつて『24アワー・パーティ・ピープル』トニー・ウィルソン役がクーガンと知ったピーター・フックが、「マンチャスターいちのうつけ者を、マンチェスターで二番目のうつけ者が演じる」と軽口を叩いたが、クーガンは素晴らしい映画人になった。

主人公が大発見をすると、すかさずレスター大学がしゃしゃり出てきて、あからさまに手柄を彼女から奪い去る。そのあたりをちゃんと描き、単純なハッピーエンドにしなかったのも良かったと思う。最後に主人公が語る、この文章の最初で引用した苦みのある言葉は、主人公の揺るがなかった信念を浮き上がらせている。

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