コロナ禍において、観に行きたくても諸事情により行けない映画が出てくる。『アメリカン・ユートピア』がそうで都合がつかず、フラストレーションが溜まっていたこともあり、都合がついた本作を観に行った。終映近く一日一回の上映になっており、客は少ないかと思いきや、座席が一つ空けとはいえほぼ埋まっていた。
ワタシはアメリカのコメディ番組には特に詳しくないので、ボブ・オデンカークのことをちゃんと認知したのは『ブレイキング・バッド』になるが、今ではそのスピンオフ『ベター・コール・ソウル』が、史上最高のドラマと言われた『ブレイキング・バッド』より自分の中で上になっており、果たして次シーズンで有終の美を見せてくれるかが楽しみであり、怖くもある。
そうした意味でオデンカークは、50台にキャリアの頂点に達した珍しい存在であり、『ブレイキング・バッド』でのブレイク後、『ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』など映画でも彼を観る機会が増えたが、主演作を観るのは初めてである。
『ジョン・ウィック』の制作スタッフによる映画ということで、あの映画のシリアスだけどその実ちょっとバカというか、少し抜けた感覚がオデンカークのとぼけた佇まいと合っていた。監督は Hagex さんが好きだったイリヤ・ナイシュラーで、彼が撮るのだからアクションも十分見ごたえがあり、ワタシの感じていたフラストレーションも少しは晴れた。
『ジョン・ウィック』がそうだったように、本作の悪役も近年ハリウッド映画で遠慮容赦なく悪く描いてオッケーなロシア人(マフィア)なわけだが、そのあたりやはりロシア人であるイリヤ・ナイシュラーは思うところはなかったのだろうか。
本作は、自宅に侵入した空き巣犯に抵抗せず、周りからも家族からも弱腰と失望された主人公が暴力性を解き放つ話だが、ワタシ自身は主人公が実は(中略)ではなく、本当に平凡な中年男が爆発する映画のほうを見たかった。それでも本作のアクション(肉弾戦が特に良かった)と、それとともに強まるコメディ感覚は楽しめた。
本作の設定自体が「男性性」をあくまで映画のなかのファンタジーとして閉じ込めておくアイデア、と見る伊藤聡さんの評を読んで、なるほどと思うとともにタイヘンなものだとも思ったが、そのファンタジーにクリストファー・ロイドが貢献しているのも面白かった。
正直、本作に「気晴らし」以上のものを求めるのは違うと思うが、暴力のエキサイティングさがちゃんと描けており、これはこれで十分だった。