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榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる』を読んで、ジム・グリフィンと『デジタル音楽の行方』の蹉跌に思いを馳せる

yamdas.hatenablog.com

遅ればせながら、榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』を読了した。ワタシが読んだのは紙版だが、全体で600ページ超のずっしりくる、読み応えのある本だった。それだけの分量なので索引が割愛されているのだろうが、これはよくない傾向だと思うし、できれば DU BOOKS のサイトで PDF ファイルでもよいので提供してほしいところ。

著者の文章の面白さについてはワタシは何度も書いているが、とにかくストーリーテリングが強力で、歴史話を生き生きと読ませるし、その面白さが著者が思い描く「ポスト・サブスク」モデルにおける音楽産業の復活の話に結実する構成に力強さを感じる。

本書は1920年代、それこそエジソンの時代から現在までのおよそ100年間における音楽産業の隆盛と凋落の歴史を辿る。これを「〈危機〉を〈好機〉に変えた賢者の歴史」と読むこともできるだろうが、注目なのはその歴史に何人もの日本人、日本企業が名前を連ねているところで、これには著者の明確な意思を感じる。

つまり本書は「いやぁ、海外に比べて日本は遅れてますねぇ」的なイヤミを垂れ流すような本ではなくて、日本企業は音楽産業においてイノベーションに貢献してきたし、それは今も可能だという意思というかアジテーションが本書の最終章にあるわけだ。

アジテーション」という言葉を使ってしまったが、著者の現状認識は冷静だし、例えば「「ウェブ1.0はブラウザ中心の閲覧の時代、2.0はSNS中心のコミュニケーションの時代、3.0はブロックチェーンで中央集権解体と個人情報保護の時代」という論は、願望的予測のきらいがある。(p.589)」といった分析にもそれが伝わる。

著者がアジテートする「ポスト・サブスク」のフレームワーク、具体的には「定額制配信+都度課金」がどんなものかは、本書を読んでその真価をご判断くださいとしか言いようがないのだけど、やはりワタシを含め多くの人は、自分が若いときになじんだビジネスモデルこそが「正統(正当)」とどうしても思いがちなのに、ワタシと同世代の著者はその陥穽に落ちていない。

さて以下は、本書の内容から少し離れたワタシ個人の繰り言みたいなものである。

 「インターネットが普及すれば、音源のコピーを販売するビジネスモデルは崩壊する。だからダウンロード販売も上手くいかない」
 かつて定額制配信を提唱したジム・グリフィンはそう予言した。デジタルデータが無数の端末に複写されていくのがインターネットの技術的な本質だからだ。iTunesもCDも、実は根本的なビジネスモデルに変わりはなかった。楽曲のデジタルコピーを売ることでは同じだったからだ。iTunesが救世主とならなかった本当の理由は、まさにそれだった。
 iTunesミュージックストアが起こした革命は、音楽会社の流通を物流から通信に変えたことであり、エジソンが創始したビジネスモデルの根本は変わってなかったのだ。ダウンロード配信の失敗を予言したグリフィン。定額制ストリーミングの失敗を予言したジョブズ。まずジョブズの予言が当たり、やがてグリフィンの予言が当たるというのが、この二十年間だった。(pp.333-334)

このあたりにグッときてしまった。ワタシは2005年に『デジタル音楽の行方』を訳しているのだけど、ゲフィンレコードの CTO、ワーナーミュージックグループの社長など音楽業界の要職を歴任した、米レコード産業で思想的リーダーだった(『デジタル音楽の行方』では、当時 CEO を務めていた社名とともに「チェリー・レーン・デジタルの音楽未来思想家」と紹介されている)ジム・グリフィンは、『デジタル音楽の行方』にも謝辞に名前を挙げられており、その内容にも当然影響を与えている。そもそも『デジタル音楽の行方』が実現を訴える「水のような音楽」モデルは、端的にいえば定額制音楽配信サブスクリプションモデルとも言えるわけだ(が、それは現在の Spotify と同じではない。詳しくは後述)。

www.musicbusinessworldwide.com

そのジム・グリフィンは今年デジタルライツのテクノロジープラットフォーム Pex のデジタルライツ部門の VP に就任している。まだまだ現役ですね。

『デジタル音楽の行方』の本文にジム・グリフィンは2回登場しており、第1章の最初でアメリカのテレビ放送システムが広告収入に完全に依存しながら「資金プール」を作り出していることを指摘する彼の発言が引用されており、そして第7章でもその「資金プール」に関して彼の名前が再び引き合いに出される。

 デジタルネットワークの音楽に適用する自発的集合ライセンスが特に注意深く立案されれば、オンラインのファイル交換により生まれる大きな「資金プール」を作り出し、その後資金を分配する公平な手段を決めるだけで前述の問題を解決するかもしれない。レコード会社や出版社には自発的にそうした許諾システムを整備し、消費者がデジタル形式で欲しい音楽を容易に入手できるようにするチャンスが十分にあったことを考えると、彼らが自発的に行動するとはとても思えない。今となってはおなじみの理由からである。つまり、そうすると自分達がコントロールできないからというわけだ。しかし、ジム・グリフィンが非常に簡潔に延べる通りなのだ。「統制を行なう度に我々は敗北している。そのままにしておけば、必ずかつて戦った相手が我々に利益を与えてくれるようになる。我々には無秩序をお金に結びつける手段が必要だ」。(『デジタル音楽の行方』pp.200-201)

最初はサブスクリプションモデル、定額制ストリーミング配信を推すジム・グリフィンの予言は外れ、そのかわりにスティーブ・ジョブズiTunes ミュージックストアにおけるダウンロード販売が(海外では)成功した。そのまっただなかである2005年に(原書、邦訳とも)刊行された『デジタル音楽の行方』は、サブスクリプションどころかその前の iPod+iTunes モデルにすら乗り遅れまくっていた日本でまったく売れなかったのも仕方ない、と今更ながら自分をなぐさめたくなる。

しかし、である。iPodiTunes モデルに乗り遅れたことそのものを悪と短絡できないということは『音楽が未来を連れてくる』にも書かれており、問題の「資金プール」を作り出す手法において『デジタル音楽の行方』(とジム・グリフィン)は外していたことは正直に認めなくてはならない。『デジタル音楽の行方』が訴えた「水のような音楽」モデルは、イコール Spotify(や Apple Music)ではないのだ。

『デジタル音楽の行方』において、ジム・グリフィンの名前は自発的集合ライセンスによる「資金プール」の創出の文脈で名前が出てくる。もう一つ「資金プール」の創出法として『デジタル音楽の行方』には(機械的に徴収する)強制ライセンスも提案されており、ジム・グリフィンは「ISP 税」としてこの方式もアリなのではないかと提案し、電子フロンティア財団に批判されている。しかし、現実には「自発的集合ライセンス」とも「強制ライセンス」とも違った形で現在のサブスクリプションモデルは実現している。

だから、『デジタル音楽の行方』が「水のような音楽」で想定したほど安価ではないが、Spotify をはじめ(有料版は)各社月1000円前後という現実的な線で定額制音楽配信が実現している……が、それを「現実的」な値ごろ感と思うのはワタシが主に洋楽リスナーだからであって、日本の音楽産業ではまた話が違うというのは『音楽が未来を連れてくる』でも丁寧に説明されていることであり、そうした意味でワタシはこの本を読まれることをお勧めします。

wirelesswire.jp

ここからまた繰り言になるが、初代 iPhone が発売される2年以上前の段階で、2015年時点の「スマートフォン」の在り方を「ユニバーサル・モバイル・デバイスUMD)」としてかなりな精度で予測し、「水のような音楽」モデルを提唱した『デジタル音楽の行方』の売り上げがとても低調だったのは、訳者として残念でならない。もっと早くに安価な Kindle 版でも出ていれば少しは再評価が……とか未練がましいことを思ってしまう。

数年前、故郷の行きつけのバーで飲んでいて、何かの流れで佐野元春の話になり、うっかり「好きだし、恩義もある」と口走ったらすかさずマスターに聞きとがめられ、「恩義ってなんだよ。友達かよwww」と笑われてしまった。これは実生活で会う人でワタシが yomoyomo なことを知る人はほぼいないため起きる現象なのだが、ここでの「恩義」とは『デジタル音楽の行方』の表紙に佐野元春さんがコメントを寄せてくださったことに対するものである。佐野元春さんに限らず、この本に関してお世話になった方々に対する感謝の気持ちは、刊行から15年以上経った今も変わらない。

前回の更新時に『ウェブログ・ハンドブック』を久しぶりに取り上げて懐かしくなった流れで、『デジタル音楽の行方』も成仏(?)させたくて、取り上げさせてもらった。

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