記事タイトルだけで笑ってしまったが、これはあるねー。ワタシも何度かそういうことを書いている。
チャールズ・ストロスは、彼が「魔法の杖テクノロジー」と呼ぶ、物理法則を無視するものを取り除いてしまったらほとんど残らんし、むしろ SF は目指すべき目的地でなく警告の役割を果たすことが多く、『スノウ・クラッシュ』(asin:4150123543、asin:4150123551)や『侍女の物語』(asin:4151200118)みたいな未来は実現できるけど、あれはディストピアであって絶対目指すべきものじゃないからね、という答えもそうですねぇ。
SFが未来を方向づけるのか? 当代の人気SF作家が答える - YAMDAS現更新履歴
ジョージ・ワシントン大学准教授のデヴィッド・カープは、スティーヴンスンの小説には「これは架空のディストピアであって、取扱説明書ではありません」という警告ラベルが必要と冗談めかして書いていますが、どうしてもシリコンバレーにおけるSF脳の弊害を考えてしまいます。
有害な「創業者らしさ」 – WirelessWire & Schrödinger's
なんでテック業界は、暗い風刺やサイバーパンク物語のアイデアを、暗い警告ではなく刺激的な可能性であるかのように製品化してしまうのか、とこの記事では問うている。
この記事では Sora2 の話に始まり、今テック業界の連中が映画『ガタカ』を観たら、23andMe とチャータースクールの協業のアイデアを本気で検討し出すんじゃないかと心配している。
他にもテスラのサイバートラックのデザインが「1980年代や1990年代のディストピア的なSF小説から着想を得た」話や、Meta の AI グラス、サム・アルトマンの『her/世界でひとつの彼女』への執着などを例に挙げ、以下のように書いている。
シリコンバレーは、模倣する SF 作品の深いメッセージを見落としているとずっと批判されてきたが、最近ではサブテキストという概念すら消え失せ、ディストピアそのものを暗に目指しているようにみえる。
つまり、過去のディストピア作品が描いた警告が、無批判に解決策として採用されているように見える状況というわけで、これは一種の退廃よね。
ネタ元は Slashdot。
