少し前に鈴木芳樹さんが当方の読書記録について触れられていて、胸いっぱいになったものだが、それはともかくウェブログや Wiki について文章を書く当方と、読書記録を書く当方が俄かに結びつかなかったというのは良いことだと思う。そうした謎、意外性、混乱……どう言ってもらってもよいが、そうしたものがないということは、その書き手に面白みがないということにもつながるからだ。
さて、せっかくの機会なのでyomoyomoの読書記録の立ち位置について書いておくと、これは文字通りワタシの「読書記録」である。「書評」ではない。例えば『フェルマーの最終定理』のように立派な文章になる場合もあるが(自分で言うか!)、それは結果的にそうなっただけである。
飽くまでこれを読んだ、という記録であり、また読み、いろいろ思うところはあったものの結局読書記録も書かず(書けず)に終わった本というのも結構ある。例えば、橋本治の『宗教なんかこわくない!』とかポール・オースターの『孤独の発明』とか。