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60年前の「新潮」と坂口安吾

火曜日の朝日新聞夕刊に島田雅彦文芸時評が載っていたのだが、それに面白い話があった。

昨年創刊百周年を迎えた文芸誌の老舗「新潮」の百年の歴史において、唯一黒字だった時期があるのだが、それはいつかということ。

答えは終戦間もない頃だそうで、戦争に負け食糧の配給もままならない時期に日本人が文学を求めたことの意外さとその意義について考えてしまった。文学は飢えた子どもに何の力も持たない。当たり前だ。しかし、飢えた大人を奮い立たせることはできる。

戦後間もない頃の「新潮」と聞いて真っ先に浮かんだのは(例によって)坂口安吾である。彼は昭和21年の4月号に「堕落論」、6月号に「白痴」を発表している。戦前「風博士」で注目を集めたものの、その後伸び悩んでいた安吾に目をつけていた具眼の士(著名な人だったと思うが名前は失念)が安吾を推挙し、安吾のほうも編集者の依頼に「新潮」に書けるというので奮起したことは知られているが、期待を遥かに超える傑作で応えたわけである。

奥野健男は角川文庫の『白痴・二流の人』の解説の中で「堕落論」と「白痴」について、

この二作は、敗戦の混迷の中にいた日本人、特に青年たちに雷のごとき衝撃を与えた。ぼくたちはこの二作によって、敗戦の虚脱から目ざめ、生きる力を得たといっても過言ではない。

とものすごい勢いで書いているが、この二作を読んだ人の多くが、それが大げさでないことに同意するだろう。ワタシもリアルタイムでこの二作を読んでいたら、絶対にそう思ったに違いない。

特に「白痴」の畳み掛けるような書き出しを阪急京都線の電車の中で読んだときの驚きは生々しく覚えているし、大学時代は「白痴」の最後あたり(「女の眠りこけているうちに女を置いて立ち去りたいと思ったが」以降)を暗誦できるくらい読んだものだ。バカですな。

もちろん当時の「新潮」を坂口安吾一人で語れるわけはないのだが、彼の存在は大きかったのではないか。

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