先日長崎県美術館に足を運ぶ機会があった。中に入るのはこれが初めて。
元々、県の美術館は当方の実家近辺にあって、それを大波止に移すと聞いたときは、美術館を海の間近に移すとはアホかねと思ったし、それについては未だ疑問があるのだが、それなりに考えて作られているようだ。
ロバート・キャパ その生涯と作品
今回のお目当てはなんといってもロバート・キャパ展である。
はてなダイアリーでざっと検索しても琥珀色の戯言ぐらいしか感想が見当たらないのが悲しいが……
ロバート・キャパについては当方は、Wikipedia のページに書いているぐらいの通り一遍の知識しか持ってない。展内の椅子に置いてあった冊子を手に取り、有名な「崩れ落ちる兵士」の演出問題についても時間をとって一通り読んだが、それについてここに書いても意味がないだろう。
キャパについては、伝記が文春文庫から出ているし(asin:4167651394、asin:4167651408、asin:4167651416)、キャパら7人による世界最高峰の報道写真家集団マグナム・フォトの創設60周年を記念した大著『MUGNUM MUGNUM』(asin:4861521130)がまもなく刊行される(翻訳は小林美香(id:mika_kobayashi)さん)。
ロバート・キャパ展の感想を一言でいえば、キャパの写真に大変なエネルギーを感じ、こちらも大層エネルギーを得ることができた。当たり前のことを言われそうだが、優れたアートのエネルギーに触れれば、こちらも元気になる、わけではワタシの場合必ずしもない。逆に落ち込んだり、不安になったりすることも実はよくある。
ただ写真に関しては当方の場合そのまま元気を得ることが多いようで、キャパの写真もそうだった。キャパが母親に書いた手紙の一節が心に残った。
僕にとって大事なことは、ただ生きていることではなく、前に進むことです
彼による写真はもちろん被写体としてもキャパは魅力的であったが、それは生来のものだけではなく、彼の進取の姿勢があったからに違いない。
あとキャパ展に含める形で「焼き場に立つ少年」の写真も展示してあった。昭和29年、キャパが当初の予定通り長崎に来ていたら、果たして何を写していたのだろう。
ハエの楽園あるいはヴァルター・ベンヤミンのポル・ボウでの最期
せっかくなので常設展も一通りみさせてもらった。
正直あまり期待してなくて、実際大方そんなものだったが、最後のスペイン近現代美術コーナーにきて、個人的にツボに入る絵が目に飛び込んできた。
エドゥアルド・アロージョの「ハエの楽園あるいはヴァルター・ベンヤミンのポル・ボウでの最期」である。
拡大画像でも分かりにくいが、絵の一番外枠のハエ、これが実際のオブジェなんである。最初それが目に留まり、おえっと顔をあげたら、カート・ヴォネガットの文庫本の表紙を飾る和田誠の画を詳細に書き込んだような作風がなんだか受けた。
ハエオブジェにしろ画風にしろ、ガキの思いつきの発展みたいで(マジメにこれらを研究されている方すいません)見ていて笑い出しそうになってしまった。
自画像 「私は七月に犬の頭蓋骨を描いている」
美術館で笑い出すのはちょっとアレなので視線を逸らせたのだが、そこで画の中の人物と目があい、そのエドゥアルド・ナランホの自画像「私は七月に犬の頭蓋骨を描いている」に凍り付いてしまった。
確かに題名通り、画家が自画像を描いているように見える。
しかし……フルチンである。
画を見ているとどうしても、この画家と目が合ってしまう。なんか「お前、何見てんだよー」と言いたげに見える。
しかし……お前フルチンやん。
前景に置かれている犬の頭蓋骨は死の気配を醸し出しているそうだ。
しかし……それを描いてる奴はフルチンである。
見ているうちに、お前、自分からチンコ晒しておいて何で俺を咎めるような目で見てんだコノヤロと腹が立ってきて、真剣に画を眺めているのを他の女性客に見られて恥ずかしくなりまたフルチンに腹が立ち、女性客をやりすごした後改めてチンコを凝視している自分がおかしくなり、笑いをこらえられなくなり、常設展を後にした。
結論としてすごく楽しかった。今度帰省したら企画展も変わっていることだしまた見に行こうと思う。