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テリー・ギリアムのドン・キホーテ

公式サイトによると、「構想30年、企画頓挫9回」を乗り越えて完成された執念の一作である。その苦闘の一端は『ロスト・イン・ラ・マンチャ』で観ることができるが、ワタシのようなギリアムのファンも、もうこれは呪われた企画なんだから止めておけばとずっと思っていたというのが正直なところである。つまり、「テリー・ギリアムドン・キホーテ」というより「テリー・ギリアムドン・キホーテ」が正しい。

本作はジャン・ロシュフォールジョン・ハートに捧げられているが、エンドロールの Special Thanks の筆頭に名前があがるマイケル・ペイリンを含め、何人もドン・キホーテ役をキャスティングされながら製作が果たせなかったのが結局は『未来世紀ブラジル』をはじめ、『バロン』や『ブラザーズ・グリム』でもギリアム作品にはおなじみであるジョナサン・プライスが収まっている。彼がこの役に相応しいところまで歳をとるまで時間がかかってしまったとも言えるだろう。元々はジョニー・デップだった役はアダム・ドライバーが務めており、大層ひどい目にあうのだが、彼らしい実に安定感のある演技を見せている。思えば、プライスとドライバーは、それぞれ『2人のローマ教皇』と『マリッジ・ストーリー』で今年のアカデミー賞主演男優賞にノミネートされているのは面白い偶然である。

はっきりいって、当初の企画とはまったく違ったものに脚本は変質してしまっただろう。アダム・ドライバー役など行き詰った CM 監督役で、『The Man Who Killed Don Quixote』は彼が卒業制作のために撮った映画であり、それによって人生が狂わされた人たちが本作の登場人物だったりする。映画の脚本自体が、完全にこの呪われた企画に取り込まれている。

正直に書くと、『ゼロの未来』がクソつまんなくて、ワタシはテリー・ギリアムはもう終わったと思っていた。しかし、本作においてジョナサン・プライスは確かにドン・キホーテだし、本作は確かに「ドン・キホーテを殺した男」になっているし、何よりテリー・ギリアム映画の興奮を感じさせてくれる。

テリー・ギリアム映画の興奮」とは何か? それは「夢、ファンタジーの力」である。企画自体が災難続きの呪われた映画という枠組みに完全に取り込まれ、ストーリーは端的に荒唐無稽と言ってよい。それでも本作には、ドン・キホーテ(それはすなわちギリアム自身)という狂った老人のファンタジーが現実に対してみっともなくもあがいてみせる、ギリアムの代表作であり、ファンタジーが現実と真っ向勝負をする『未来世紀ブラジル』や『バロン』、完全な請負監督なのに「これをやったらテリー・ギリアムの映画になってしまう」と思いついてグランド・セントラル駅を行き交う人々にワルツを踊らせる『フィッシャー・キング』と同等とはワタシも言わないが、確かにそれに通じる想像力の力を感じるのだ。それで十分である。

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