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追悼:デヴィッド・ボウイのインタビュー発掘――十代の視点と過激で狂信的なあの情熱を失ってしまった時どうあるべきか

先週末デヴィッド・ボウイの新譜が Amazon から届いたのだが、用事が立て込んで一度しか聴けず、早くじっくり聴きたいと思っていたところで彼の訃報が飛び込んできて、びっくりした。

最初何かの冗談だと思ったし、ボウイの公式アカウントから発表されたアナウンスがソースだと知っても、誰かにアカウントを乗っ取られたんじゃないかと俄かに信じることができなかった。

今でも、実はウソでした、とご本人登場となればと思うのだが、どうやら本当らしい。地球に落ちてきた男が、天に召されたわけだ。

ワタシにとって、デヴィッド・ボウイという人が、とても大きな存在だったのは言うまでもない。このブログにおいて、彼について取り上げた、リリース情報などを除いた代表的なエントリを挙げておく。ちょっと横道的な話が多いのはご愛嬌。

かつて「ワタシが愛する洋楽アルバム100選」を選んだとき、ワタシは『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』、『Low』、『"Heroes"』の3枚を選んだ。

3枚というのは一つのグループ/ソロ名義の作品としては最多タイなのだが、個人的には『Station to Station』も入れたくて、しかし一人のアルバムに集中するのはよくないと泣く泣く外したのを覚えている。

ほとんどアルバムごとにスタイルを変え、華麗に変容を続けた彼の1970年代のアルバムが不滅なのは言うまでもない。

しかし、ワタシが彼の存在をリアルタイムに知った80年代中盤以降は、『Let's Dance』によるポピュラリティの高まりと反比例して、批判する声も強まった。当時、インタビューでボウイのことを引き合いに出されたモリッシーは、「それはかつての生きてるボウイのことかな? それとも今の死んでるボウイのことかな?」と皮肉を飛ばしたし、キュアのロバート・スミスのように「ボウイは『Low』を出した直後に交通事故で死ねばよかった」と吐き捨てる人もいた。

今ではそのあたりはうやむやになっていて、宇野維正氏が指摘するように、かつてレオス・カラックス『汚れた血』『ポンヌフの恋人』で、一番カッコ悪い時代のボウイのイメージを反転させようとしたことを知らない人も多いだろう(『フランシス・ハ』でのあの曲の使用は、飽くまで『汚れた血』への目配りであり、ボウイに対してではない)。

1980年後半から、インタビューでのボウイの発言には自己批判が目立つようになる。1989年から2004年まで読者だった雑誌 rockin' on の記事を引っ張りだす「ロック問はず語り」だが、今回はそのボウイが1990年にキャリアを回顧する Sound+Vision ツアー開始を受けてのインタビュー(1990年6月号掲載)からの発言を引用したい。

インタビュアーから40代になってまだ活動を続けているなんて想像してなかったのでは? という問いに対し、若者の音楽としてのロックについてひとしきり喋った後、ボウイは以下のように語っている。

それだからもう一回、もがき苦しんでみようっていう気持ちにもなれるんだ。しかも、僕達が携わっているこのロックンロールという音楽にとって、もがき苦しむってことは非常に大切なことだからね。ブライアン・イーノが何と言おうと、もがくとか苦悩などといった、イーノが軽蔑する感情的な側面は非常に大切なことなんだ。全てのものごとは解析できることであるから、結局、問題となるのは恣意的な選択なんだとイーノは言うだろうし、そういう見方も僕は嫌いじゃないけど、でも、切れ味を保つためには折をみて自分の魂を痛めつける必要もあるんだ。十代の時に抱えるような悩みを失ってしまった時、十代の視点と過激で狂信的なあの情熱を失ってしまった時、あのアドレナリンが働いてくれない時、そうした時には自分からそういうものを作り上げなきゃならないんだ。

要は、僕達に新しい領域を設定できるだけの能力があるかどうかということなんだよ。で、それさえもが絶望的になって、自分の活動が上っ面だけのものになってしまったなら、その時こそは残りの少ない威厳を尊重して退場するしかないだろうね。でも、僕にはまだ冒険してみるだけの余地はあると思う。遅かれ早かれ、僕達の中の誰かがとっかかりを掴むことになるはずだと思うんだ。で、それが僕であるようにと、僕は神にもすがりつきたい気持なんだ。

これを語ったのは1990年、ボウイが42歳のときである。今のワタシと同じである。

当時、ボウイの活動は明らかに低調だったし、その懐疑的な評価には、知性的な彼自身が気づき、傷ついていたに違いない。そのとき彼は、もはや自分が十代の狂気や情熱を持っていないことを素直に認め、なおかつ自分を痛めつけてでもチャレンジをやめるつもりはないし、自分にまた価値のある新しい仕事ができる可能性にすがろうとしていたのだ。

恥ずかしい話だが、上の発言を久しぶりに読み直し、訃報に際しても泣かなかったワタシの目から涙がこぼれた。なんのことはない、彼のようなポップスターでも、我々40男が感じるような悩みを抱えていたのだ。

その42歳のときにはじめ、結局あまり評価されなかったティン・マシーン、失敗に終わった Sound+Vision ツアー、ツアー開始時の「このツアーをもって過去の曲は演奏しない」という威勢の良い宣言をあっさり覆すなど泥にまみれる苦闘を経て、確かにボウイはその後、70年代のような圧倒的とは言えないものの評価を取り戻した。その後、2004年以降は沈黙期間が続いたが、2013年に10年ぶりのアルバムで再度の復活を遂げた。

そして、その彼が発表した新譜が『Blackstar』である。今となっては、この新譜が「白鳥の歌」になることをボウイ自身意識していたことを知るわけだが、彼の病状を知らない我々からすると、何より進取の姿勢を感じるアルバムであった。

小野島大氏が書くように、自分の昔なじみのミュージシャンを使った回顧的な作品を作ったって誰も文句言わないのに(そういう点では、ベルリン時代を振り返る曲があったり、"Five Years" のリズムパターンが聴ける前作のほうがそれに近かった)、ほとんど縁のなかった若手を起用した実験作をぶっこんできたところにデヴィッド・ボウイの矜持を感じる。

今回起用したのが新世代のジャズ系の人たちというところに新しいもの好きのポップミュージシャンであるこの人のミーハーさを感じて微笑ましいが、しかし、作品としては単純にジャズになってるわけがなく、飽くまでボウイの作品である。彼は、その人生の最期を完璧なまでにコントロールし、我々に遺すべきものを遺し逝った。こんな有終の美を飾ったミュージシャンなど後にも先にもいないのではないか。

ワタシ的には、メロウさを増す6曲目以降が好きなんだけど、まだちゃんと分かってないじゃないかという気持ちにさせる奥行きのある作品なので、まだまだ聞き返すことになるだろう。

ワタシのような凡人が自分をボウイに重ねるのはおこがましいにもほどがあるが、それでもワタシももがき苦しんでみようという気持ちになるのだ。

Blackstar

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