帰省時に少し時間ができ、映画に出向いたのだが、『花束みたいな恋をした』と『ノマドランド』のどちらを観ようか悩むこととなった。実は前者にしたかったのだが、その日の後の用事に影響が出るのを恐れ、終映時間が早い後者を選んだ。
本作は、2008年のリーマンショック以降に顕著になった、自家用車で寝泊まりし、全米各地を移動しながら働き続けざるをえない高齢者たちの姿を描いたものである。
上の概要を聞いただけだと悲惨で救いのない話に思えるが、そのように描いていないのが興味深い。例えば、本作には主人公たちの働き先としてアマゾンが何度も登場するが、何かしらの告発のトーンはほぼ皆無である。ケン・ローチのような映画を期待すると肩透かしにあう。
「自分はハウスレスだけどホームレスではない」という主人公の台詞もあるが、同じ境遇の人たちとの互助精神とアメリカ人らしい DIY 精神が先に来ていて、見ていて暗くはならない。出演者の多くが、原作にも登場している「ノマド」の人たちなのもその裏付けになっている(その中の一人がタトゥーに書き込んでいるスミス/モリッシーの歌詞が本作によく合っていた)。
そしてやはり、主人公を演じるフランシス・マクドーマンドの演技の力も大きい。ワタシは彼女のことを昔から当代きっての名女優と評価しているが、『スリー・ビルボード』に続いて、本作の演技も見事だった。
もちろん、本作でも彼らの暮らしのしんどさはちゃんと描かれていて、ただ主人公の生き方を肯定するだけではない。前述の通り、主人公は「自分はハウスレスだけどホームレスではない」と言い切るが、ノマドな生き方は昔の開拓者のようでアメリカの伝統だという彼女の妹の気遣いの言葉に、主人公はいら立ちの表情を隠せない。
日本に住むワタシから見れば、高齢者にもなって定住もできず、就寝も排泄にも苦労がある車上暮らしはとてもではないが憧れの対象にはならない。互助精神を発揮して一種の共同体を構成する主人公の仲間たちは意外にも女性が多い。これをホワイトトラッシュの女性版と考えるのは間違っていて、その証拠に本作に登場するノマドたちは主人公をはじめとして貧困層出身でない人も多く、それなりの学歴を感じさせる人が多い。
さらに書けば、主人公の仲間たちは明らかに白人が多い。これは「『ノマドランド』が男女格差を描いた女性映画でもある理由」にもあるように、有色人種(の女性)であれば車上生活すらままならず、警察に睨まれるというアメリカ社会の分断、なによりセーフ―ティーネットの底が抜けた社会の闇を感じずにはいられない。
本作は映し出されるアメリカの自然風景は、マジックアワーを活かした撮影もあり、微妙な美しさを湛えている。しかし、とてもではないがワタシはそれにうっとりとなる心持ちにはなれなかった。