佐々木俊尚さんの「毎朝の思考」で面白そうな本を知った。
ニュースクール大学の人類学の教授である Shannon Mattern の新刊『A City Is Not a Computer(都市はコンピュータではない)』である。
この本は、彼女が2017年はじめに寄稿した同名の文章を発展する形で書かれたものだろう。
この本について調べていて、少し前にこの本を扱った Wired の日本語記事を既に読んでいたのに気づいた。
わたし自身もそうだが、都市について書く人々もまた、現在の科学に組織的なメタファーを探す傾向がある。都市は機械であり、動物であり、エコシステムである。あるいは都市はコンピューターのようなものかもしれない。都市計画の専門家でありメディア研究者の作家シャノン・マターンは、これを危険な発想だと考える。
都市はコンピューターではない:スマートシティ、危険なメタファー、よりよい都市の未来 | WIRED.jp
シャノン・マターンが批判するのは、Google がトロントで失敗した「未来都市」構想に代表される、シリコンバレー企業による、多分にパノプティコン式展望監視システムな「スマートシティ」である。
Google は今年になって、サンノゼのブラウンフィールドの都市開発に再挑戦しているが、「人間中心のスマートシティ」を謳うあたり、マターンらによる批判も考慮しているのかもしれない。
先月マターンと話した際、いまのところどの都市もスマート化に失敗しているように見える理由を尋ねてみた。彼女はその理由を、都市づくりの最も重要な部分を見逃しているからだと考えている。「膨大な計算やデータを駆使するやり方で都市というものを考えると、全知全能という誤った感覚をもってしまいます」とマターンは言う。
都市はコンピューターではない:スマートシティ、危険なメタファー、よりよい都市の未来 | WIRED.jp
マターンの考察には、災害に対する都市の機能も射程範囲に入っており、コロナ禍に都市がどういう役割を果たしたか考えるのも面白いだろう。
都市のメタファーに関するマターンの巧みな分析は、都市が誤った方向に進んだ場合、想像力の欠如だけでなく、(災害に対する防波堤としての)都市の主要な機能が果たせないことを示している。人間は、経済破綻、自然災害、人間の悪意や臆病さなど、失敗に対抗する要塞として都市を建設し、都市が機能している間は、城壁がそうしたものを排除してくれる。建築家ミース・ファン・デル・ローエが述べたように、家が「生きるための機械」であるなら、都市はそれらの機械が社会に連結される場所である。都市とは、協力して生き延びるための機械なのだ。
都市はコンピューターではない:スマートシティ、危険なメタファー、よりよい都市の未来 | WIRED.jp
マターンが、「住民が資源、教育、仕事、インフラについての情報を学び、つながることのできる場としての公共図書館」に特に期待しているのは示唆的だ。
この記事を読んで、ワタシが連想した自分の文章が二つある。
上で引用した Wired の記事にもあるが、我々は人間自体、特にその脳を CPU や記憶媒体の組み合わせになるコンピュータにたとえがちだ。人間の脳にしろ、都市にしろ、コンピュータよりもインターネットに近いと考えると面白いね。
「スマートシティ」という概念に対する批判的考察では、スーザン・クロフォードの仕事も共通する。
つまり、「スマートシティ」という言葉にポストヒューマニスト的な、過度に単純化され非人間的なイメージがあることに批判的なわけです。これはかつてのニュータウンなどの都市計画にあったトップダウンで非人間的な感じにつながる感じが個人的にするのですが、クロフォードはそれよりも responsive という単語を採用することで、都市住民の意見に耳を傾けて変化する柔軟性を重視しているのだと思います。
反応が良い都市と市民のテクノロジー - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)
クロフォードは「スマート」よりも「responsive(反応が良い)」ほうが都市を考える上で相応しい形容詞だと考えているわけだが、もう少し我々の人種になじみのある形容詞に置き換えるなら、それは「アジャイル」ではないだろうか。
そういえば、ズバリ Agile City という取り組みがあるが、ここ2年くらいあまり動きはないみたいで残念。
また、ここまできてワタシが連想したのは、都市に必要な多様性の問題である。
東京都でもお世話になっている東大の吉村有司先生の研究。同じタイプの小売店・飲食店だけが集積している街区よりも、様々な種類の店舗がモザイク状に集積している街区のほうがより稼げる。つまり店舗の多様性が大事だと。データで街づくりが実証されていくのってすごい。https://t.co/4DHWCV7vQA
— 宮坂学 Manabu Miyasaka (@miyasaka) December 14, 2021
「ビッグデータを用いた都市多様性の定量分析手法の提案~デジタルテクノロジーでジェイン・ジェイコブズを読み替える~」だが、ジェイン・ジェイコブズが唱えた都市多様性の概念が、定量的に示されたということか。
「都市はコンピューターではなく、インターネットだ」と佐々木俊尚さんは書くが、シャノン・マターンのスマートシティ批判を、ジェイン・ジェイコブズの近代都市計画への強烈な批判に接続し、その上での都市とインターネットの相似性を考えるのは面白そうである。