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陽一の空手いきあたりばったり――渋谷陽一が空手をやっていた頃

理由は聞かないでいただきたいが、これからたまに渋谷陽一の著書からの引用をお届けしたい。

今回は渋谷陽一『ロック微分法』ロッキング・オン)の「陽一の空手いきあたりばったり」と題された章から引用する。渋谷陽一は、1982年から1983年にかけて、雑誌「月刊空手道」で連載をやっていた。

しかし、なんで渋谷陽一は空手をやりだしたのか? この連載の初回も、「本格的なスポーツ体験もない僕が、何で三十になってから空手なのか?」という文章から始まる。

彼は三つの理由を挙げる。まず、とにかくスポーツを始めたかった。第二の理由の理由として、何か自分を追い込んでみたいマゾヒスティックな衝動があった。そして、三番目の理由が少し面白い。

 第三の理由としては、最終的には相手を具体的に倒せなければ、という論争好きの売文屋としての本音である。ケンカというのはやった事ないし、なぐられた経験もない。ただ講演中にビールをひっかけられたり、殺してやるなんて投書をもらう事は日常茶飯事である。空手も評論家の教養のひとつなのではないか、などと思ったりもした。(p.94)

そういう教養は必要ない方向でお願いしたいが、空手は彼の気質に合っていたようだ。

 とにかく、そんな動機で始めた空手だが、やってみてまず思ったのは、非常に論理的であるという事だ。個人教授をしてくださっている前田先生(六十五kg級世界チャンプ・全空連五段のあの、前田利明なのだ)の指導がよいのか、一動作、一動作が、常に論理的な裏付けを持っている事がわかる。最もロスの少ない方法で、相手を的確に倒す、それが見事に空手の形として完成されている。理屈に合わない動作はなく、無駄もないのだ。(p.94)

ここで名前が出される前田利明氏は、明空義塾塾長と同一人物と思われる。

続けて渋谷陽一は、空手には(彼が恐れていた)不毛な精神主義がなくきわめて合理的であり、そして有段者の形が美しいことを指摘している。もっとも後半については、読者からたしなめられている。

 そう言えば、この本の読者の中にもロック・ファンが居るらしく、僕がNHKでやってる番組へ投書をくれた人が居る。
 毎月読んでいるこの本をパラパラとめくっていると、どこか見た事のある顔が奇妙なスタイルで空手をやってる写真がある。記事のタイトルを見ると、渋谷陽一の空手いきあたりばったりとあり、思わず椅子からずり落ちたそうである。
 それはそうだろう、空手と渋谷陽一という取り合わせは、手術台の上におけるミシンとコウモリ傘の出合い以上にシュールである。第一回目の原稿についての感想も書いてくれて、入門者のくせに形について云々しない方がいいと忠告してくれた。(pp.96-97)

最後の忠告に笑ってしまったが、そういえば「ミシンとコウモリ傘の~」というフレーズ、最近あまり聞きませんね(参考:デペイズマン)。

ロックミュージシャンで空手をやっている人として、EL&Pカール・パーマーについて、レコード会社の担当ディレクター氏の話として、「限りなくて下手で、結局昇段できなかったらしい」と書いている。これがどういう経緯か本人に伝わり、抗議とともに「来日の際にはお手合わせを」みたいなメッセージがきて焦った、という話を後の著書(渋松対談の本かな?)で読んだ覚えがある。

空手とロックといえばこの人、ストラングラーズのジャン・ジャック・バーネルにももちろん触れられる。

 ヨーロッパ支部で黒帯を取っているので自信満々に日本にやって来た。とにかく体はデカいし、力にも自信がある。意気ようようと極真の道場へやって来て、あっという間にアバラを折られてしまった。
 その後、僕は彼にインタビューをしたが、極真の道場でコテンパンにやられた事によって人生観が変ったそうである。それまで力で負けた経験がなかっただけに、人生観が一八十度、転換してしまったのだそうだ。
(中略)
 以来、彼は暴力は無効だというイデオロギーに転向したようだが、やはり本当に強くなるには暴力の無効性を学習しなければならないのかもしれない。(pp.98-99)

それにしても、腹筋百回、足あげ腹筋五十回、側筋六十回、背筋五十回、拳立て二十回、それに柔軟体操が「準備体操」というのはハードである。渋谷陽一も最初の頃はこれをこなすだけでボロボロになったようだが、それも最初の数回だけで、急速に体が順応していったというのに驚く。

 家に帰ってからも、整理体操だとか言って腹筋をやって見せ、カミさんを不気味がらせたりする。(p.100)

渋谷陽一はこの連載で、空手のイメージを向上させ、もっと多くの人に空手をやってもらい、空手仲間を増やすにはどうしたらよいかというのを考えて書いており、連載当時公開された映画『少林寺』のヒットに期待しているのに時代を感じる。

そのように空手の形の美しさ、指導の論理性に感服しても、現実には思うように上達しないのを嘆いているあたり、共感できる情けなさがある。

 前田空手塾において僕はかなり出席率のいい生徒である。週二回の練習に対し、六十%から七十%の率で出席している。一回の練習時間は二時間から二時間半。世間一般の常識からすれば立派なものだ。それを一年間やっているのだからそれなりの進歩があってしかるべきである。
 しかし、はっきり言って、それはほとんど進歩らしい進歩ではない。
「渋谷さんも十年やれば黒帯になれるよ。」という一緒にやってる有段者の言葉は、はげましというよりは、僕に早くやめた方がいいという忠告に聞こえる。(p.115)

ワタシはこの連載のリアルタイムの読者でないので正確には知らないが、この後、確か腰か背中を痛めて渋谷陽一は空手を止めていたはずである。

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