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「近藤淳也君、それは『スルー力』ではなく『選別』の問題だ」とポール・グレアムが言っている(わけはない)

近藤淳也さんが「スルー力なんて無くていい」というエントリを書いている。

はてなブックマークでの反応は大体好意的なようだ。その中の「言い出したのは梅田さんじゃないか」というアレなコメントを見てなんとも言えないわびしい気持ちになったりもするが、そういうのもひっくるめて造語提唱者の高林哲氏の狙い通りの展開なのだろうか。

その高林氏に敬意を表し、またスルー力の足らないワタシとしては権威に頼りたいので、ポール・グレアム論法を使わせてもらおう。

ポール・グレアムは、「知っておきたかったこと --- What You'll Wish You'd Known」注釈部でこう書いている。

二番目に大きな後悔は、重要でないことを気にしすぎていたことだ。特に、他の人にどう思われているかってことだね。

より正確に言えば、ランダムな人々にどう思われているかを気にするってことだ。大人だって人にどう思われるかを気にするけれど、誰に思われるかって点ではより選別していることが多い。

ぼくはだいたい30人くらい、意見を気にする友人がいる。残りの世界の意見はぼくにとってはどうでもいい。高校の問題は、まわりに居る人間が、自分の判断ではなくて年齢と地域がたまたま一緒だったというだけで決まることだ。

スルー力には二種類あるが、前者の「人」の話に絞ると、スルー力とは「ランダムな人々にどう思われているかを気に」しない力と言えそうだ。近藤さんがはじめに書いているミュージシャンの話もこれにあたるだろう。しかしそれに続けて「他の人に言われたことをとりあえず言われたままにやってみる」みたいな話を書かれると、違和感がある。

「他人が自分に対して意見を言うのは、他人が自分に対して興味を持っている証拠」だからといって、それを重んじる義理などないのに。だから何? ってなものだ。

そうではなく、ポール・グレアムが書く「だいたい30人くらい、意見を気にする友人」、近藤さんが書く「「その意見はくだらないよ」と言ってくれるような信頼できる人間」の「選別(フィルタリング)」、そしてその彼らと、何より自分自身による意見の「選別(フィルタリング)」の結果により、その指摘をスルーしない方向に倒れたというだけの話ではないか。

疲れたので寝ます。

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