大森望さん自身の tweet 経由で、1994年の SF マガジンの連載「SF翻訳講座」における電子出版、電子書籍に関する文章を読んだ。
16年前のハードウェアのスペックの話は隔世の感があるが、それでいて変わってない話もいろいろあってちょっと複雑な気分になる。
活字の本は、読むための機械も電力も必要ないし、携帯性も抜群。いってみればソフト/ハード一体型の読書専用機で、しかもその形態は数世紀にわたって磨き上げられ、極限までユーザー・フレンドリーなインターフェイスを実現しているわけだから、ソフト的にもハード的にも、とてもいまの電子本じゃ相手にならない。
にもかかわらず電子本をしつこく支援しつづけるのは、物理的な大きさを持つ「本」が量的にすでにパンク状態に達しているからにほかならない。流通がどうの、絶版がどうのといわなくたって、16本あるうちの本棚に入りきらずにあふれだし、廊下や畳に山積みになる本の量を見れば一目瞭然。空間の量は有限なのに本は無限に増殖する。要らないと思って古本屋にたたき売ったり段ボール単位でだれかにあげたり実家に送りつけたりした本があとで必要になって買い直すなんてのは日常茶飯事、さらには混沌の中からさがす努力を考えると買ったほうがはやいなんて状況もしばしば生じるわけで、こうなるともう開いたページからたちのぼるほのかな香りが……とか悠長なことをいってる場合ではないのである。
オンライン出版関連アーティクル抜粋(SF翻訳講座より)
長々と引用してしまったが、この最後に書かれていることは、当時も今もすごく重要なことである。ワタシにしても電子書籍に期待するポイントはいくつかあるが、これは間違いなく最も大きいし、この視点を忘れてはいけない。