かつてはハリウッド映画の台詞の99%が理解できた。しかし、この10年ほどの間に、その割合は著しく低下しているのに気づいた。映画館で映画を観てて、台詞がまったく分からないことすらある。家で映画を観るときには、ストーリーの重要な部分を逃さないように、字幕をつけるのが習慣になっていると嘆くこの記者は、この原因を知ろうとハリウッド大作を手がけ、オスカーを受賞したことのある音響関係者に連絡をとったが、オフレコですらコメントを拒否する人もいた。
そこで、その謎を解くべくアマゾンのジャングルに向かった……というのはウソだが、ここまで読んだ時点でワタシの頭に浮かんだのは――
ハンス・ジマーの音楽の圧が強すぎるから!
さすがにそれが一番の理由に挙げられてはなかったが、映画音響のミキシングは簡単な仕事ではなく、これは単純な問題ではないというエチケットペーパーを敷いた上で、最初にやり玉にあがっているのがクリストファー・ノーランで笑ってしまった。だいたい合ってるじゃん(言い過ぎです)。
つまり、当代最高の映画監督の一人であるクリストファー・ノーランは、そのパワーを行使して意図的にサウンドデザインの限界に挑戦しているという。意図的にやっているのだから、ノーランはその件で苦情を言われようが(実際、言われているらしい)意に介していないと思われる。
次に理由として挙げられているのは役者の演技の問題。具体的には時に台詞が解読不能なトム・ハーディがやり玉にあがっているが、『ダークナイト ライジング』で台詞が聞き取りずらかったのはマスクのせい、というかこれもクリストファー・ノーランのせいだが、自然な演技スタイルを追求する役者が増えたのは、後始末をする音響関係者には地獄らしい。
その次には、映画がより視覚的にエキサイティングになりカメラチームが大事にされる一方で、音響チームが映画の撮影現場で十分リスペクトされていないのが挙げられている。音より画が重視され、(予算の関係もあるが)音が理由の撮り直しは許されず、後処理でなんとかする、となりがちとな。
そして最後に挙げられているのは、テクノロジーの進化。昔の映画にあった音響の問題は忘れられ、デジタル技術が進化した今ではサウンドエディターに期待されるものも多くなってしまった。また、昔よりも現在は映画の中での音楽の量が増えており、監督が音楽に頼りすぎて、結果音楽と台詞のせめぎ合いが起きていると見る音響関係者もいる。
この4つの原因は撮影現場の問題だが、それに隠れた問題もあり、それは慣れの問題。映画製作にはとても時間がかかるので、撮影の繰り返しのうちに台詞の不明瞭さが現場で分からなくなってしまう。
そして、この記者が今回の取材でもっとも興味深いかったこととして挙げるのは、ミキシングの段階での映画の音と、シネコンで上映されるときの音は品質の差が生じるということ。これは別に今始まった話ではないが、フィルムからデジタルへの移行と、シネコンなどの映画館にサウンドに熟知した従業員がいなくなったことがあいまって、シネコンで上映される音響の質が低下したという話も出てくる。
さらには、劇場用のサウンドミキシングも大変だが、ストリーミング配信用のサウンドミキシングにも苦労があるという話が出てくる。データ圧縮の問題があるのは想像がつく。やはり音響にこだわるなら、ストリーミングよりも物理ディスクというのは分かるが、ストリーミング用のオーディオを測定する方法には業界標準がないらしいのは困ったものだ。
そして、ストリーミング全盛、そしてコロナ禍もあり、映画が映画館で観るものから家のホームシアターで観るものに変われば、求められる音響も変わるところがあるのは間違いないが、少なくとも現状ではそれに最適化されたミキシングは行われていない。
それならどうやって現状を正すことができるかという話になるが、この文章では明快な解決策は示されていないというのがワタシが感想である。
ネタ元は Slashdot。