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TAR/ター

いやぁ、すごい映画だった。恥ずかしながら、トッド・フィールドの監督作を観るのはこれが初めてなのだが、映画としての格からして違う感じだった。

ケイト・ブランシェットという人は、身もふたもなく言えば、現在の映画界でもっとも演技が上手い俳優である。その彼女が、天才女性指揮者、作曲家を演じ、全編にわたりほぼ出ずっぱりの本作は、「ケイト・ブランシェット史上最高傑作」(EMPIRE)としか言いようがない。

そして彼女は、アカデミー賞主演女優賞をとった『ブルージャスミン』もそうだったが、観客に感情移入を安易にさせない、感じの悪い主人公を演じるのが好きな人なのだけど、本作はその点で『ブルージャスミン』をも超えている。

映画は事前情報はあまり入れずに観るワタシにしても、本作については、主人公の役柄やキャンセルカルチャーとの兼ね合いといった話はどうしても耳に入っていた。本作にもハラスメント描写はあるが、それよりも主に登場人物の微妙な視線や、主人公の不安を喚起する音、そして「時間のコントロール」を強調する主人公がコントロールを失っていく姿の表現が勝っている。

主人公の妻が言うように、その妻にしろ秘書役にしろ、彼女たちと主人公の関係は利害関係だけに依っていたのが主人公が陥る苦境ともにあらわになり、クライマックスの決定的な破綻の場面で「!!」となるわけだが、ここで映画は終わらない。

主人公は故郷の家に戻り(そこで彼女の出自が明らかになる)、レナード・バーンスタインが音楽について語る古い映像に涙する。ここで終われば、『ブルージャスミン』ではないが、『カイロの紫のバラ』のようなウディ・アレン作品にも似た感触をもって終わったかもしれない。

しかし、ここでもこの映画は終わらない。そこが実はすごい。明らかにかつてよりも格下のキャリアアドバイザーからの表層的な言葉を受け、東南アジアというこれまで彼女が上り詰めてきた西欧エスタブリッシュメントの世界とまったく別のステージに向かう。

ここで余談になるが、昔「エンディングに砂浜が出てくる映画は大体名作(大ざっぱすぎ)」という痴れ言を書いたことがあり、その後、第二弾として「主にエンディングだけに日本が出てくる洋画は大体名作」というネタを考えたことがある。これだけでピンときた人もいるだろうが、『スパイナル・タップ』『アンヴィル! 夢を諦めきれない男たち』からの連想なのだが、あとはタワーレコードについてのドキュメンタリー映画『オール・シングス・マスト・パス』くらいしか浮かばずに断念した(他にご存じの方は教えてください)。

本作のエンディングは、普通に観れば上記の構図の逆パターン、主人公の転落のダメ押しと解釈してもよいだろうが、主人公は飽くまで「作曲家の意図の解釈」という姿勢を崩さず、「時間のコントロール」の権限を失いながらもタクトを振り続けることで、映画自体として破綻しながらも、主人公は新しいステージに立ったとも言えるのではないか。

さて、ここまで書いたので、ようやくこの映画についての文章を読むことができる。まずは、トッド・フィールド監督のインタビューから読ませてもらおう。

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