本作について書く前に、ボブ・ディランについて書いておきたい。
兄の影響で洋楽を聴き始めた1980年代、ワタシのボブ・ディランに対する印象がひどく悪かった。何より彼の声が受け付けなかったし、当時明らかに作品的に低迷していたのに、チャリティー企画で大御所的なポジションで優遇されるのも気に入らなかった。
そのように最悪な印象から接することになったが、90年代に彼が復調するのにともない、さすがにワタシも鑑賞力があがってきて、彼の作品が理解できるようになり、印象も変わるのだが、まさか2020年代まで彼が現役で優れた作品を作り、精力的にツアーをこなすとは思わなかったな。
本作はキューバ危機、公民権運動、ケネディ暗殺といった当時のアメリカの政治状況をしっかり組み込みながら、そのディランのキャリア初期を描くものだが、その時代に生み出された名曲の数々が、まさに生み出されたばかりのものとして歌われ、新曲として披露される瑞々しさとともに描かれている。
本作のエンドロールにおいて、ディラン、ジョーン・バエズ、ピート・シーガー、そしてジョニー・キャッシュの歌声が、すべてそれぞれを演じたティモシー・シャラメ、モニカ・バルバロ、エドワード・ノートン、ボイド・ホルブルックによるものであるクレジットがあるが、ホルブルック以外は素晴らしい域に達していた。やはり、ティモシー・シャラメは見事だったねぇ。
また本作は自由を貫くディランの才能に巻き込まれる他の人たちの哀しみが描かれているのも良かった。本作のクライマックスである1965年のニューポート・フォーク・フェスティバルの出番前のディランに、シーガー(エドワード・ノートンは偉大な俳優だ)が語るスプーンのたとえのいじましさ、そして「君はシャベルだ」というところにそれがよく出ている。そうした意味で、本作におけるバイクの排気音も気持ちいいというか、当時のディランの攻撃性を表現していると思った。
あと "Like a Rolling Stone" レコーディングのアル・クーパーの逸話(ギタリストとして呼ばれたのに、マイク・ブルームフィールドという天才がいたため出番がなくなり、しかし、なんとか参加したくて半ばもぐりこむ形で起動の仕方も知らないハモンドオルガンを弾いた)がちゃんと描かれているのも個人的には嬉しかったし、ニューポート・フォーク・フェスティバルの翌日、椅子を片付けるピート・シーガーの姿などちょっとした描写もよかったですね。
先週は木曜日に『ブルータリスト』を観て、その翌日には本作で、映画鑑賞的には2025年の頂点なんじゃないかな。