スライ・ストーン、ブライアン・ウィルソンとポップミュージックの世界で偉大な仕事をなした人の訃報が続いたが、二人とも82歳、自分たちが知る音楽界の偉人が寿命で亡くなるようになったのだなという感慨があった。
ビーチ・ボーイズは必ずしも得意ではないが、ブライアン・ウィルソンのソロ作は、アルバム『Imagination』あたりからリアルタイムで楽しむことができて良かった。
Facebook でブライアン・ウィルソンが出ているある動画を見て、ああ、これが昔、渋谷陽一の本で読んだやつか、と記憶がよみがえった。
そういうわけで今回は、渋谷陽一が浜田省吾、山下達郎、忌野清志郎、大貫妙子、仲井戸麗市、遠藤ミチロウと行った対談を収録した『ロックは語れない』(新潮文庫)における、浜田省吾との対談からかなり長くなるが引用したい(pp.33-34)。
渋谷 前に桑田(佳祐)が言ってたんだけどさ、なんで世の中の連中ってのはポップ・ソングっていうと明るく楽しく元気よくって思うのか、あんな哀しいものはない、ってね。ポップ・ミュージック作るやつはみんな、自分を含めて、性格が暗くてイジケてて可哀想な連中ばっかなんだって。で、考えてみるとビートルズのジョン・レノンとかさ、ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンとかさ、ほんとにみんなそうだよね。
浜田 カーペンターズの歌にいい詞があって、すぐれたラブ・ソングっていうのはいつもいつも雨の心で書かれているっていうの。
渋谷 なんか、悲しいよね。
浜田 うん。その後ろにいる、作った人たちっていうのは悲しい人が多いかもしれないよね。
渋谷 ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンも、そういう中で作ったんだろうなァって気がしますね。僕がビーチ・ボーイズのビデオ・クリップでいちばん好きなのは、ブライアン・ウィルソンがビーチ・ボーイズでいながらサーフィンが大っ嫌いってのを主題にしたやつでさ、ブライアン・ウィルソンがホテルの部屋かなんかに暗ーくひとりでいるわけ。そこにブルース・ブラザーズの二人――そのころはまだマイナーだったんだけど、二人が警官のかっこして来てドンドンドンッて部屋の戸を叩くわけ。「なんだ」って、ブライアン・ウィルソンが出てくと、「おまえはまだ、カリフォルニアの新しい法律を知らないのか、カリフォルニアの住人は、一日に一回ビーチ・ボーイズを聴いてサーフィンをしなくちゃいけないんだ」って(笑)。そうじゃないと追放されるって、そう言うわけ。ブライアンが「そんなのやだ、俺、サーフィンも嫌いだし、ビーチ・ボーイズも大嫌いだ」って言うとね、「なに言ってんだ、バッキャロー」って、ヘッドホーンでむりやりビーチ・ボーイズを聴かされてさ、サーフ・ボード持たされて、ズルズルッと浜辺へ連れていかれるわけ。「俺はイヤだ、俺はイヤだ!」って言いながら、海に放り込まれるっていうね……(笑)
浜田 そんなのあるんですか!? 見たいなァ。
渋谷 それ山下達郎に話したんだよ、コレハオマエダって(笑)。コレガオマエナンダ、って。
浜田 彼もそうなんでしょ。スポーツとかは一切ダメなんでしょ。
渋谷 そ。それで考えこんじゃって、「それは優れたビデオだ……」って(笑)。笑わないんだよあいつ、感心して。だけどさ、ビーチ・ボーイズの美しさというのをあのブライアン・ウィルソンの病いが作っていたというね……。
渋谷陽一が語る「ビーチ・ボーイズのビデオ・クリップでいちばん好きなの」、観たくないですか? それではみてみましょう。
こうして本物を見ると、上で引用した渋谷の発言にいくつも事実誤認があることが分かるが、なによりこれ、「ビーチ・ボーイズのビデオ・クリップ」ではなく、テレビ番組『Saturday Night Live』のコントである。そんなの1980年代当時だってレコード会社なりに確認すれば分かる話だと思うのだが、そういうのが許される時代だったのだろう。
これは1976年のもので、当時ブライアン・ウィルソンはビーチ・ボーイズのツアーに復帰し、その年リリースされたアルバム『15 Big Ones』は、「ブライアン・イズ・バック」のキャッチフレーズで大々的に宣伝されていた。SNL への出演もそのプロモーションの一環だったと思われる。
しかし、それが本当の「ブライアン・イズ・バック」ではなかったのを我々は知っている。
というか、その後のブライアン・ウィルソンは、例えばファーストソロアルバム発表時などずっと「ブライアン・ウィルソン復活!」と言われながら低空飛行を繰り返した歴史でもあった。
そのあたりについては映画『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』にも一部描かれている通りである。
それでもブライアン・ウィルソンは素晴らしい作品をいくつも遺した。素敵じゃないか。