なんとも物騒なタイトルに思えるが、これを書いているジョン・ガンツの著書 When the Clock Broke にひっかけたものなので怒らないでいただきたい。
といっても実はこの本(邦訳は出ていないはず)が扱っている1989年から1993年まで、つまり冷戦終結、ソ連崩壊、湾岸戦争を経てビル・クリントン大統領誕生あたり、この頃に不平等、産業空洞化、公共圏の分断、移民問題への不安、貿易問題、アメリカの国際的地位の揺らぎなど新自由主義秩序の最初の亀裂が表れていたとガンツは指摘する。
で、ドナルド・トランプもこの頃に囚われているとガンツは見ているわけですね。
そしてガンツは、トランプがサンクトペテルブルクをレニングラードと呼んだことを挙げ、これは別にトランプがクレムリンの工作員だからではなく、トランプの頭の中では今でもあるレベルでソ連と取引をしていると信じているのではないか? そして、冷戦の終盤期がトランプの最初の絶頂期と合致するのは偶然ではない、ガンツは書く。1987年にミハイル・ゴルバチョフと会談しているトランプの中では、ロシアはかつてのソ連のような「大国」なのだ。
ご存じのようにトランプは関税に執着しているが、この執着が最初に公に現れたのは、ニューヨーク・タイムズ紙に全面広告を掲載して、「何十年もの間、日本やその他の国は米国を搾取してきた」「日本は米国を騙しており、代償を払わせるべき」と訴えた1987年だ。当時、世論へのアピールにジャパン・バッシングを利用したのはトランプだけではないし、バブル経済崩壊後、何十年と低迷を続けた結果の今の日本を見れば、すべてが滑稽にうつるとガンツは書くが、重要なのはトランプの対外貿易についての姿勢が、アメリカの衰退への不安が渦巻いた当時に固まったことである。
そして、トランプは制御不能な犯罪の蔓延を口実に、米国内の都市に連邦軍を投入するよう指示したが、ニューヨークの殺人事件がピークに達し、本当に暴力犯罪が制御不能に見えた80年代末から90年代初頭を彼は今も生きているのかもしれない、とガンツは書く。軍隊がアメリカの都市を「奪還」するイメージは、1992年の共和党全国大会でパット・ブキャナンが行った悪名高い「文化戦争」演説でも使われていた。
特に X 世代がこれほどトランプに魅了されるのかという疑問について、かつてナポレオンがフランスの農民にとってそうであったように、トランプはアメリカのプチブルジョワジーにとっての偉大さの記憶を体現しているからではないかとガンツは書く。
そして彼は、バルザックの『従妹ベット』における、自らの模範像を築きあげるのは幼少期や社会生活の初期であって、銀行家が自宅に飾りたいと思うのは、今流行している豪華さではなく、ずっと昔に魅了されたとっくに時代遅れの豪華さなのだ、というくだりを引用する。トランプがホワイトハウスを偽のロココ様式に改装するのもまさにそれである。彼は1980年代の露骨な物質主義だけでなく、軽率な同性愛嫌悪、女性蔑視、人種差別までも再現しようとしているとガンツは断じる。
この過ぎ去った社会状況を再び押し付けようとする「反動的」な欲望は、トランプの事業が崩壊する前、イヴァナ・トランプとの醜い離婚がタブロイド紙を賑わす前の時代に戻りたいという願望に基づくものだとガンツは分析する。しかし、始末が悪いのは、トランプに自分が反動主義者である自覚がないこと、つまり、彼にとって1980年代末から1990年代はじめが過ぎ去っていないと信じているように見えること。
タイトルの「ドナルド・トランプの脳が壊れたのはいつか?」という問いについて、ガンツは1989年あたりと見ているが、これには当然異論があるでしょう。
ネタ元は Pluralistic。
さて、『トランプ自伝 アメリカを変える男』は1987年に原書が刊行されているので、90年代に入って巨額の債務を抱え、イヴァナとの離婚する前の、トランプの世界観が固まったあたりが読めるんじゃないですかね。

