脚本がよく練られた緻密な人間ドラマが好きだ。回収される伏線も好きだ。あっと驚くどんでん返し、もちろん好きだ。そういうのが見られる映画が好きだ。しかし、ワタシは映画に何を求めているのか? 何が観たくて、安くない金を払い映画館に出向くのか?
それは映画の種類による、というのが無難な回答だが、本当はそうではない。夢のような、魔法のような時間ではないのか? そうした意味で、トム・ヒドルストンらのダンスの場面だけで、本作は100点満点の映画なのである。
Netflix のドラマ『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』に衝撃を受けて以来、マイク・フラナガンをフォローしているが、本作は『ジェラルドのゲーム』、『ドクター・スリープ』に続くスティーヴン・キング原作の映画化にして、ようやく彼はこれぞ映画という傑作を作ってくれた(ただ、『ミスト』の再映画化はちょっと心配……)。
彼の作品には「フラナガン組」というべき常連の演者が何人も登場し、本作も例外ではないが(ダンス・モンスター!)、その一人に加わったと言ってよいであろうマーク・ハミルが素晴らしい。
本作は三幕構成で、第三幕から第一幕まで時間を遡るという変わった構成になっているが、第一幕まで見ると、最初の第三幕で描かれる世界の終わりが、チャールズ・クランツという人物の「宇宙」の終わり、つまりその死の表現なのが分かる仕掛けになっている。
人間ひとりひとりが「宇宙」であるという考え方は、チャップリンがそうしたことを言っていたので初めて知ったっけ、いや、これは一次情報ではなく、誰かが書いていたので知ったので、本当はチャップリンはそんなこと言ってないかもしれない。
ともかく、ホィットマンの詩における「私の中には多数の人間がいる」というフレーズが印象的だが、「チャック」に限らず、誰もがが一人一人特別な生を送り、それぞれ「宇宙」であるという感覚は、個人的に落ち込むことが続いているワタシにとって胸にくるものがあった。
本作の主人公は39歳で亡くなっており、ワタシよりも10歳以上年少になる。しかし、その終わりの半年前のはずの第二幕も、チャックと踊る女性の服装などの構成要素に微妙にレトロな感触があり、そのあたりどこまで意識的だったのかは気になった。
