以前からここで何度も紹介しているが、『CONTROL』と『JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン』というジョイ・ディヴィジョンの映画が二本公開された。
ジョイ・ディヴィジョンを語る上で、当初彼らのために存在したと言ってもよいファクトリーというレーベル、そしてその社長トニー・ウィルソンの証言は欠かせない。
今回の「ロック問はず語り」は rockin' on 1992年1月号のトニー・ウィルソンのインタビューから引用する。
まずはジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスとの出会い。
会ったって言うよりもいきなりインネンつけられたと言ったほうが当ってるな(笑)。小汚い人相の悪い男がつかつかと寄ってきて『このくそジジイ! 俺達みたいないいバンドを何でお前の番組に出さないんだよ』ってのが彼の自己紹介だったんだ。一瞬『失礼な奴め!』と思って無視しようと思ったんだけど彼の眼を見たら足が萎えちゃってさ(笑)。その後マネージメントに関わるどころかレーベルを創立する羽目にまでなったんだ。
あと誰もが知りたいと思うのが、何故ファクトリーは、マンチェスターが生んだ80年代最大のギターロックバンドであるスミスと契約しなかったかということ。
これについて、スミス側がファクトリーを嫌ったという言い分、一方でトニーのビジネスパートナーであるロブ・グレットンがスミスのデモテープを却下したという言い分が伝えられてきた。
しかし、実はもう一つの逸話があるという。
ある日スティーヴンっていうサウス・マンチェスター一帯に名の知れた変わり者から電話があった。『相談したい事があるから会って欲しい』ってさ。彼とは以前から顔見知りだったし、ごく軽い気持で家に出向いたんだけど開口一番『トニー、僕は将来ポップ・スターになる決心をした』って言うんだよ。『だから協力して欲しい』って。あの時ばかりはさすがの僕も面食らったね。だって彼はどこから見てもポップ・スターってタイプじゃないものねぇ。だから『君はそんなに文才があるんだから作家になるべきだよ。悪い事は言わないから何か筆で身を立てる職業になさい』って説得したんだけど…結果的には後世に残るような大ポップ・スターになってしまった(笑)
そのスティーヴンが、スティーヴン・パトリック・モリッシーなのは言うまでもない。でも、ワタシがトニーでも同じことを言うだろうな(笑)
- 作者: トニーウィルソン,Tony Wilson,江口研一
- 出版社/メーカー: ソニーマガジンズ
- 発売日: 2003/02
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 4回
- この商品を含むブログ (14件) を見る
えーっと、まったく偶然なのだが、昨日はイアン・カーティスの命日だったのね……
あと YouTube で見つけたトニー・ウィルソンによる『Meet Is Murder』期のスミスのメンバーへのインタビュー動画。