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WirelessWire News連載更新(ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ)

WirelessWire News で「ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ」を公開。

今回は Walled Culture 並びにグリン・ムーディをフィーチャーしている。昨年秋に PDF ファイルをダウンロードしてままになっていた書籍版『Walled Culture』を年明け読み、よしこれをネタにしようと決めたのだが、そのうちP2Pとかその辺のお話Rheatwave_p2p さん(通称、熱波ちゃん)による Walled Culture のエントリの日本語訳がばんばん続いたため、これ幸いと文中で執拗にリンクさせてもらった。

熱波ちゃん、ありがとう!

Amazon では Kindle 版も99円で売っているが、Walled Culture のサイトで PDF、ePub、mobi 形式で無料でダウンロードできるので、紙版がほしい人でなければ、公式サイトから入手しましょう。

さて、昨年夏に WirelessWire News 連載を再開させ、今回で10回書いたことになる。実は、昨年のうちに10回分の原稿料を前払いでいただいていたのだが、今回でノルマを果たし、これで借りがなくなったことになる。

ここで300回分くらい原稿料を前払いしていただき、プレッシャーでワタシを押しつぶしていただきたいですな!(冗談です)

カオスエンジニアリングの情報セキュリティへの適用がテーマの本が夏に出る

カオスエンジニアリングとは何か? ご本尊にある定義は以下の通り。

カオスエンジニアリングは、システムが本番環境における不安定な状態に耐える能力へ自信を持つためにシステム上で実験を行う訓練方法です。

カオスエンジニアリングの原則 - Principles of chaos engineering

もう少しかみ砕いた定義は以下のあたりか。

カオスエンジニアリングはわざと本番システムの一部に障害(サーバーダウンや応答遅延)を起こしてすぐ自動復旧させることを繰り返し、本当の障害発生に備える運用方法である。

3分でわかる カオスエンジニアリング | 日経クロステック(xTECH)

現実の事例で言えば、Netflix がこの手法で Amazon Web ServicesAWS)の大規模障害を乗り切ったことで知られる。これについては「AWS大規模障害を乗り越えたNetflixが語る「障害発生ツールは変化に対応できる勇気を与えてくれる」」を参照いただきたい。

本番システムで実際に障害を起こして自動復旧を繰り返すという手法は、常に攻撃にさらされた中で安全なシステムを設計、構築、運用することを求められる情報セキュリティ分野にこそ有用ではないかと以前からぼんやり思っていた。ワタシの他にもそう考える人が多かったのか、オライリー本家から Security Chaos Engineering という本が今夏に刊行予定なのを知る。

円安は昨日今日に始まった話ではないが、これの価格には言葉を失った……。

オライリー・ジャパンからは昨年『カオスエンジニアリング』というズバリな本が出ているが、来年には上記の本の邦訳『セキュリティ・カオスエンジニアリング』が出てほしいところ。

アンリ・ベルクソンは熱狂的な女性ファンを集めた最初の哲学者だった?

aeon.co

20世紀のはじめ、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンは世界的な有名人だった。彼の名声は著書『創造的進化』で一気に高まり、世界的なベストセラーになったのだが、彼がパリのコレージュ・ド・フランスで講義を行うたびに大変な騒動になったらしい。講義室には収容人数のおよそ倍の700人もの人が押し寄せたとのこと。

彼の名声は世界的で、ロンドンで行った講義も大入り満員の大歓声で迎えられ、ニューヨークを訪れた際にはブロードウェイで初の交通渋滞を引き起こした……ってマジかよ!

ベルクソンがそんな「セレブリティ」だったとは知らなかったな。さらに驚くのは、彼の聴衆のほとんどが女性だったこと。ベルクソンの講演会場は大変な熱気で、何人もの若い女性が体調を崩して会場外に連れ出されたそうだが、まるでアイドルのライブの話みたい。フランスの新聞は、ベルクソンの哲学講義の厳粛さとそのファンの女性たちの軽薄さを対比させ、ベルクソンの女性ファンを「カイエット」(小鳥の一種、軽薄なおしゃべり女の意味)とか「スノビネット」(哲学を学ぶより流行りの場に行くのに関心がある無知な社交家の意味)とか呼んで面白おかしく書きたてたそうな。

そうして、ベルクソンの哲学自体だけでなく、「なんでベルクソンはそんなに女性に人気なのか?」「ベルクソンの哲学は女性的なのか?」も当時議論されたようだが、ワタシに哲学に関する知識が欠けているため、このあたり正しく説明できる自信がないのではしょらせてもらう。

このあたりベルクソンに対する反ユダヤ主義的な攻撃もあいまって、「女々しい」「女性的ロマン主義」などとベルクソン自身、そして女性の信奉者ともども攻撃されたとのこと。

彼の名声が高まったのは、女性参政権が議論された時期とも重なる。1913年、ベルクソンは欧州や米国でのフェミニズム運動について見解を問われた。彼は男性と女性にレベルの違いはないと述べたが、同時にすべての女性に一気に選挙権を与えることへの懸念も表明した。

結局、なんでベルクソンは特に女性に人気があったのか? 彼の講義のスタイルなどいろんな要素があったに違いないが、彼の講義が堅苦しいソルボンヌ大学の外で行われたこと、そして後のフランスでサルトルボーヴォワールの哲学が受けたのと同じく、大きな変化が可能だと信じる人たちのシンボルだったということのようだ。

ネタ元は kottke.org

今では英語圏でも映画鑑賞に字幕が必要な理由

www.openculture.com

この記事で紹介されている Vox の動画が面白い。

今では我々皆、映画鑑賞には字幕が必要だよねという内容なのだが、その理由としてなんとも皮肉な状況が浮かび上がる。

映画制作における録音や編集の技術はかつてより大きく向上しているのに、いや、むしろその結果、映画やテレビドラマの台詞は明瞭さが低下しているという現実である。

そう、この話題については、ワタシも一年以上前にエントリを書いている。

yamdas.hatenablog.com

かつてのように俳優はセットに隠されたマイクに向かって台詞を明瞭に叫ばなくても、音を拾ってもらえる。しかし、それにより「より自然な演技」も可能になり、その結果俳優がなんと言っているか分かりにくくもなっちゃった。

Vox の動画でもやり玉にあがっているのが、俳優ではトム・ハーディ、監督ではクリストファー・ノーランというのがワタシのエントリと共通するが、考えることは皆同じなんだろうね。

Dolby Atmos など新しい立体音響技術が開発される一方で、動画コンテンツの視聴は映画館にとどまらず、テレビ、パソコン、タブレットスマートフォンと多様化しているのも問題である。

この動画で最後に挙げられるアドバイスは以下の3点。

  1. 良いスピーカーを買う(さもなくば、音の良い映画館に行く)
  2. 鎮静剤を飲む
  3. 字幕を常にオンにする

というのがオチになってるわけだが、この映画鑑賞に字幕が求められることの副次的な効果として、アメリカ人が外国語映画を字幕で観ることへの抵抗感が減ったことがあるのではないか。

『パラサイト 半地下の家族』で非英語作品で初めてアカデミー賞作品賞を受賞したポン・ジュノが言うところの「字幕という1インチの壁」アメリカ人が乗り越えるのに結果的に貢献していると思うのだが、どうだろう。

「オールナイトニッポンPremium~高橋幸宏さんを偲んで」が楽しみだ

www.allnightnippon.com

高橋幸宏さんの訃報は、新年早々のとても悲しいニュースだったが、これは嬉しいなぁ。

YMO が音楽の原体験のひとつであるワタシにとって、オールナイトニッポンと言えば、「高橋幸宏のオールナイトニッポン」だったりする。

もっともこれを放送していたおよそ40年前、ワタシは夜にはめっぽう弱く、リアルタイムではなく兄がカセットテープに録音した音源を聞いていたんだけど。

YMO とお笑いというとスネークマンショーがまず浮かび、また「高橋幸宏オールナイトニッポン」でも出演していた大久保林清(景山民夫)との比較で、ワタシの周りでスーパー・エキセントリック・シアターのことをほめる人は見たことないのだが、当時小学校低学年、中学年だったワタシは、割と素直に笑っていました。

高橋幸宏オールナイトニッポン」の最終回である散開ライブスペシャルは、それこそカセットテープが擦り切れるほど聞いて、これも随分昔になるがミヤノさんに MD に落としてもらい感動してまた聞いたものである。

その散開ライブスペシャルだが、日本武道館での散開ライブでの録音はもちろん、坂本龍一細野晴臣矢野顕子鈴木慶一立花ハジメといった豪華メンバーが(電話)出演していたが、開演前、武道館の楽屋にいたピーター・バラカン高橋幸宏が「おかまのピーターさん」と呼びかけたり、坂本龍一がインクスティックで立花ハジメをぶん殴った話を高橋幸宏が暴露して、立花ハジメにその時の感想を聞いたり(立花ハジメ曰く、「痛かったですよ……」)、今ではありえないような内容のですね――(昔話が続く)

幸宏さんの追悼番組は他にもあるが、「高橋幸宏オールナイトニッポン」がまた聞けるのは特に嬉しい。大久保林清のトークもフィーチャーしてくれると特に嬉しいのだが。

ギャル電、山崎雅夫、秋田純一、鈴木涼太、高須正和『感電上等! ガジェット分解のススメ HYPER』を恵贈いただいた

高須正和さんより『感電上等! ガジェット分解のススメ HYPER』を恵贈いただいた。

表紙に著者5名のイラストが躍っているが、本の中でもキャラ化している著者たちが暴れまくっており(と表現したくなる)、楽しく読める。以下、引用部にはその部分が誰の文章かをカッコ書きする(敬称略)。

本書はガジェットの「分解」についての本であり、メイカームーブメントの範疇に分類されるだろう。「分解」と聞いてワタシが連想するのは「修理する権利」だが、本書が扱う「分解」は「修理」に限定されるものではまったくない。

分解のゴールは修理だけじゃなくて、単純にケースを開けて中身を見て「なんか思ったよりも部品が全然入ってないなー」とか、逆に「なんでこんな部品入ってるの?」って、正解じゃなかったとしても、仕組みを自分で考えてみるのは超楽しい。(ギャル電)

大事なのは、「正気に戻る前に作り終える」こと。「これって何の役に立つのかな」とか「将来に対する漠然とした不安」とか考え出す前に「これとこれくっつけたら最高楽しそう!いえーい!!」って気持ちのまま作り上げるのがポイントだよ。(ギャル電)

「将来に対する漠然とした不安」という表現がイイな。芥川龍之介みたいで(あちらは「将来に対する唯ぼんやりした不安」でした)。

とにかく分解は楽しいから始めようよ、その結果をシェアしようよという姿勢に本書は貫かれており、本の構成的にも分解を始める敷居を下げる配慮がされている。「100円ショップのコスメコーナーは宝の山(秋田純一)」といったお役立ちな情報に事欠かないし、それには本書に盛り込まれている危険なポイントを察知する話、大げさではない失敗談も含まれる。

そうして「「仕組みがわかる快感」「自分の力で答えを見つける快感」こそが、分解のバイブス(高須正和)」とか「分解は人生を楽しむための自然な方法(アンドリュー・"バニー"・ファン)」といった名言の境地までたどり着いているわけだが、それは読者も到達可能なのだ。

本書は何より実用的な本だが、それだけではなくて、「世界の電気街探検」みたいな話までぶち込んでいるところは、巻末の付録「中国語技術用語集」なども含め、高須さんの面目躍如というべきか。

前記の通り、本書では5人の著者が一種の戦隊もののようにキャラ化されているが、その中でもっとも常識人の真人間のよう描かれている秋田純一金沢大学教授が、チップの中まで油で揚げてバーナーで炙って攻めまくる話を別にしても、時にもっとも発言がクレイジーだったりするのも面白いところである。

今もっともブレイク中の歴史学者ティモシー・スナイダーが説く「世界にウクライナの勝利が必要な15の理由」

snyder.substack.com

イェール大学教授の歴史学者ティモシー・スナイダーが単刀直入に「世界にウクライナの勝利が必要な理由」を15個挙げている。

この期に及んで「ロシアが負けることは考えられない」とのたまう人もいるが、なんでウクライナがロシアに勝利しなければならないのか、その基本に立ち返るのによいかと思うので、ざっと要約しておく。気になる人は原文を読んでくだされ。

  1. ロシアが占領下で行う大量虐殺の残虐行為と止めるため
  2. ある国が他国を侵略して、領土を併合してはならないという国際的な法秩序を維持するため
  3. 帝国の時代を終わらせるため。その転機はロシアが敗北してはじめて起こる
  4. 欧州諸国が平和的に協力できるという欧州連合の平和事業を守るため
  5. 抑圧的な国内政治に囚われているロシアで法の支配を行うチャンスを与えるため
  6. 専制君主の威信を弱めるため。プーチンをモデルに権威主義に向かうトレンドは、民主主義国家によって逆転可能
  7. 我々全員が民主主義を守るために行動することで、民主主義がより良いシステムであることを我々に思い出させるため
  8. ヨーロッパにおける大規模戦争の脅威を消すため
  9. ウクライナの勝利が、中国に台湾進攻が失敗に終わる可能性が高いことを教え、アジアにおける大規模な戦争の脅威を消すため
  10. 核兵器の拡散を防ぐため。核兵器を放棄したウクライナが負ければ、核兵器を作れる国はそうしなければならないと思うようになる
  11. 核戦争のリスクを減らすため
  12. 将来の資源戦争を回避するため。戦争犯罪に関係なく、ロシアのワグネルグループ(民間軍事会社)は暴力的に鉱物資源を押収している
  13. 食糧供給を保証して将来の飢餓を防ぐため、ウクライナは食料供給国である
  14. 化石燃料からの移行を加速させるため
  15. 自由の価値を確かめるため。ウクライナの人たちは、我々にそれを思い出させてくれる

ティモシー・スナイダーというと、少し前に「西欧諸国はロシア同様、ウクライナの存在を認めていなかった」クーリエ・ジャポンに掲載されているが、彼の歴史家としての近年の仕事が、ウクライナ情勢を考えるのに見事にヒットして注目を集めている。

2020年代に邦訳が刊行された仕事に限っても、まずはロシアのクリミア侵攻をテーマとする『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』は、これの原書を塹壕でウクライナ兵が読んでいる写真が話題になったばかり。

そして2021年には、新型コロナウイルスによるパンデミックからアメリカの危機を解き明かす『アメリカの病 パンデミックが暴く自由と連帯の危機』と20世紀東欧史を描きだす『秘密の戦争 共産主義と東欧の20世紀』が出ている。

そして、2022年には『ウクライナ危機後の世界』における語り手の一人として選ばれているが、当然の人選といえるだろう。

そしてとどめは、ウクライナポーランドベラルーシバルト三国ヒトラースターリンにより蹂躙された大量虐殺をテーマとする出世作『ブラッドランド』の文庫版が昨年秋に出ている。

これだけ現在のウクライナ情勢にクリティカルヒットする著書を出している歴史学者も珍しいのではないか。

ネタ元は Boing Boing

『AIには何ができないか』のメレディス・ブルサードの新刊は、アルゴリズムに内在する人種/性/能力差別がテーマ

thestoryexchange.org

ChatGPT のような AI プログラムには隠れた人種差別、性差別があるよという記事だが、その中で『AIには何ができないか データジャーナリストが現場で考える』の邦訳があるニューヨーク大学准教授でデータサイエンティストのメレディス・ブルサード(Meredith Broussard)のコメントが引用されている。

そういえばこの人今何してるんだろうと調べたら、3月に More than a Glitch という新刊が出るのを知る。

書名にある「Glitch」とは誤作動を指す言葉である。ならば、「誤作動以上」というタイトルは何を指すのか。それはちょっとしたバグが原因ではない、アルゴリズムにシステム的に組み込まれた人種差別、性差別、能力差別であり、それによりテクノロジーが不平等を助長することがテーマなようだ。

このテーマでは、Safiya Umoja Noble の『抑圧のアルゴリズム』を思い出すが、思えば彼女もメレディス・ブルサードも『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』に出演しており、そういう本を出すのは意外ではなく、今どきな主題なのだろう。

やはり、『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』に出演している『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』のキャシー・オニールが推薦の言葉を寄せている。

果たしてこの新刊は邦訳出ますかね。

あなたが知らないスタンリー・キューブリック『シャイニング』の舞台裏の秘密

i-d.vice.com

こうした映画にまつわるトリビアみたいな記事はどうしても読んでしまうのだが、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』といえば、ワタシも以前「あなたが『シャイニング』について知らないかもしれない25のこと」というエントリを書いており、それと中身が丸かぶりだったらイヤだなと思ったら、原作では217号室だった部屋が映画では(ホテルに存在しない)237号室に変更された話だけだった。

個人的に知らなかったのは以下のあたり。

これらの話は来月刊行される Stanley Kubrick's The Shining という本に収録されているらしいが、Amazon にはページができていなかった。

そういえば、精神疾患のため長らく俳優業を休業していたシェリー・デュヴァルは、『The Forest Hills』というホラースリラー映画でおよそ20年ぶりに復帰らしい。エドワード・ファーロング(!)と共演とな。

ネタ元は Boing Boing

イニシェリン島の精霊

マーティン・マクドナーは、前作『スリー・ビルボード』映画テン年代ベストテンの1位に選ぶほど評価しており、新作が出ればもちろん観に行くつもりだったが、この地味な(?)タイトルのため、危うく逃すところだった。

ワタシはマクドナーの上質なブラックコメディの作風が好きなのだけど、彼のルーツであるアイルランドの孤島を舞台とする本作も、トラジコメディに分類されるのだろうが、それこそバンバン銃撃がある『セブン・サイコパス』よりある意味遥かに陰惨で、とても心を揺さぶられるものがあった。

それには個人的な事情があり、ワタシ自身、長年の親友に一方的に絶縁されるという本作の主人公と同じ体験をしたことがあるからだ。とても平静に観ることができなかった。

狭いコミュニティに生きる田舎者同士のトラブルが思いもしないところまで転がってしまい、果たして俺らいったい何やってんだろねという地点にいたるところは『スリー・ビルボード』とも共通するが、およそ100年前の内戦中のアイルランドを舞台とする本作は、主人公二人の問題はこの内戦自体の(無益さの)象徴でもあるんでしょう。

主人公の友達だったコルムも筋を通しているようで、主人公の妹に一言でその浅さを指摘されているが、その彼女が図書館の職のため島を出るのは、この島を出るということ、読書により知を求めることが救いとなっていることのあらわれなのだろう。ただ、島を出た彼女が手紙にただ良いことばかり書いてたのは、前述の内戦の構図を考えると疑問を感じた。

思えば、マクドナーって意外にも悲惨な状況での親切を描くのがうまいのな。それは例えば『スリー・ビルボード』で火炎瓶で病院送りになったディクソンが、自分が病院送りにしたレッドと隣同士になり、そのレッドの行為に涙する場面がそうだが、本作でも絶交を言い渡しながらも、警官に手ひどく殴られた主人公をコルムが馬車に乗せてあげる場面がある。しかし、主人公の立場からすれば、あれはなお辛いものだったのではないか。

そうしたあたり、あとマイルスが受ける仕打ちを含め、本作はシビアなのだけど、見応えのある映画だった。

追悼ジェフ・ベック――1989年インタビューに見る中年の危機からの脱出

nme-jp.com

ジェフ・ベックの訃報には驚いた。昨年もジョニー・デップとの共演アルバムを出し、元気にツアーをやってたし、何より若い頃からほとんど変わらない佇まい、要はハゲもせず、太りもせず、精悍さをずっと維持していた人だから。三大ギタリスト(日本のみで流通している呼称)では絶対彼が一番長く現役でいると思い込んでいた。

それにしても自分にとって大事な人の訃報が続く。ジェフ・ベックの後には高橋幸宏の訃報に接し、個人的にはやはり幸宏さんのほうがショックが大きかったのだけど、ここはジェフ・ベック追悼をやりたいと思う。

1989年からおよそ15年読者だった雑誌 rockin' on の過去記事をとりあげる「ロック問はず語り」、今回は1989年11月号に掲載されたジェフ・ベックのインタビュー(元は Musician 誌掲載)を紹介する。なお、この号の表紙もジェフ・ベックで、彼が rockin' on の表紙を単独で飾ったのはこれが最後だと思う。

インタビューの紹介の前に少し文脈というか時代背景を説明しておきたい。

ジェフ・ベックに限らず、1960年代から活躍していた人たちは、1980年代ではっきりキャリアが下降線をたどる。ザ・フーレッド・ツェッペリンのようにメンバーの死があり解散したバンドもあるし、ストーンズも解散の危機を迎えたり、ジョージ・ハリスンのように音楽業界から一度離れてしまった人、ニール・ヤングのように「意図的に売れないアルバムを出している」とレコード会社に訴えられた人、80年代のコマーシャリズムについていけず、作品の評価もセールスも低調になった人が多かった。

ポール・サイモンの『Graceland』あたりが嚆矢だと思うが、1980年代後半になると、ルー・リードの『New York』など、吹っ切れてその人らしさを取り戻したアルバムを出すのだけど、1985年にナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、彼なりに売れ線を狙ったが外してしまった『Flash』を出したジェフ・ベックにとって、1989年に発表した『Jeff Beck's Guitar Shop』もそうした「復活」の一つに位置づけられるだろう。

新作が前作とガラッと雰囲気が変わり、また1970年代のフュージョン系とも違う印象があるが、その方向転換の理由を聞かれたジェフの言葉はとても率直である。

はっきり言ってもうあれしか手がなかったんだよ。というのは俺が弾けるような作品や、興味をそそられるものを他の誰も書いてないわけだからね。俺、結構、この何年かは現場のシーンの音を漁っててさ、クラブにも足を運んだりしてたんだよね。それでロサンジェルスで探りを入れてみて、それから遥々ニュー・ヨークくんだりまで行ってもう本当にガッカリしちゃったよ。結局、この俺が自宅で書いてるものの方がまだいいんだからさ。

明らかにコマーシャリズムを意識した前作『Flash』についてもやはり率直に語っている。この人は正直だ。

あのアルバムの時は、俺、あのまま成功へまっしぐらに進んでいくものと信じて疑わなかったよ。ナイル・ロジャースと超バカ売れLPを作って、その後には今回のようなものをやると、もう心に決めてたんだ。でも、実はナイルが俺に用意してくれた作品は全然、俺に向いてなかったわけ。材料が全て間違ってたんだね。

ただ続けて、ヤン・ハマーが書いた曲とロッド・スチュワートとの久しぶりの共演となった "People Get Ready" は例外としている。

このインタビューではロッド・スチュワートを讃えていて、「レコード1、2枚程度なら俺とまた組んでみたいといつだって感じてるはずさ」と語っているが、それは実現しなかった。

ただ、後にこうした共演は実現している。

その後でジェフが語る、80年代の音楽シーンに対する失望の話は、当時彼が感じていた孤立感をよく伝えている。

ただね、あの当時俺は音楽業界で起ってしまったことに絶望してしまったんだ。猛烈な勢いで進行するこの、終ることを知らない、凄絶な、企業集団による蹂躙を目の当りにしてもう希望も何も失ってしまっていたんだ。しかも俺のような人間には全く居場所がなかったわけだし。単に時間の無駄なんじゃねえかって思ったもんだよ。俺と繋りを持ってるような奴なんてもう誰も業界では力を失っていたし、大体、俺のレコード会社なんてニュー・ヨークを本拠地にしているのに俺はイギリスの奥地の彼方に住んでるわけだから自分がこの業界の一員だなんて実感さえ失くなっちゃってさ。

悶々としながら、彼は80年代の大半の時間を車いじりに費やしていたようだ。

俺なりにそういうことを考えながら座り込んでしまう様な時期があったんだよ。切磋琢磨を重ねながら、一日八時間も練習するだけの価値が果してあるんだろうか。実は俺もそろそろギターをケースにしまい込む時期なんじゃないかってね。

そんな時期を経て、トニー・ハイマスとテリー・ボジオとアルバム制作に入るのだが、以下のくだりは当時読んでて「オヤジくせえな」と思ったのを覚えている。

それなのに八ヶ月もかかっちゃったのは、そう、途中でチェスなんかやり始めたからだろうなあ。トニーの馬鹿がチェス盤を買ってきやがってさ。昼くらいに起きるだろう? それから二時くらいまでは脂がのらないからチェスをやるんだ。その内、何だかじじいの寄り合いみたいになっちまって。

今ではこの感覚はよくわかる。というか、今では自分は、当時の彼よりも年上になってるんだよね。

オヤジの与太話ついでに、『Jeff Beck's Guitar Shop』のレコーディングを行ったのが、ジミー・ペイジが所有するスタジオであることを聞かれてのジェフの答えがおかしいので引用しておく。

「そりゃ、やっぱり、気分良くなかった。俺が黙々と仕事をするだけであいつは懐を暖かくしていくんだぜ。それに作品を完成させて引き上げる時、俺のバイクだけ置いてきちゃったから、あいつはスタジオ代の儲けの上にバイクも一台分儲かったんだ」

●(笑)そんなの取り戻しに行きゃあ、それで済むことじゃないですか。

「いやあ、あいつのことだからもう売っ払っちまってるよォ」

そういえば『Jeff Beck's Guitar Shop』には、クイーンのブライアン・メイが「これまでレコーディングされたギター・ミュージックで最も美しいもの」と評した “Where Were You”が入っているが、この曲についてはジェフ自身は以下のように語っている。

そう、俺がアームを使って演奏をするのはかなり画期的なことだよね。ただ、弾く時の加減が凄く難しいんだ。まあ細かいことは俺の手首に訊いてくれよ(笑)

このインタビューで重要なのは、インタビュアーがジェフの自分への厳しさ、過去の作品をことさらに過小評価するところを指摘しているところ。それに対して、ジェフも率直に認めている。

いやあ、ひどいもんだよ。その辺、とてつもないんだよな、俺って。実際、その癖を直せば俺にはもっと方向性や一貫性が見えてくると思うんだけど。何か、創り上げたものをすぐにブッ壊しちゃうんだよ。

かつて「アルバムを2枚作ったらバンドをぶっ壊す病」とその悪癖をファンは嘆いたものだが、エリック・クラプトンの後釜としてバンドをブルース一辺倒から変えたヤードバーズ時代、ハードロックの先駆けとなった第一期ジェフ・ベック・グループ、よりソウルやファンクに接近した第二期ジェフ・ベック・グループ、クリーム後の最強のロックトリオだったベック・ボガート&アピス、ギターインストの頂点と言える『Blow By Blow』と『Wired』、いずれもジェフの仕事は革新的だったが、だいたいアルバム2枚出したあたりで自分の成した仕事に飽きてしまい、人間関係を含め壊してしまう。

そうして渋谷陽一も指摘するように「残した仕事は多い。ただ、その仕事に連続した物語性はなく、印象的な短編がたくさんある感じ」になったわけだが、でも、そのキャリアを通してギターの斬新さは一貫している。

Jeff Beck's Guitar Shop』で復活を遂げ、グラミー賞を受賞し、1990年代も快進撃が続いた……らよかったのだけど、現実はそうはいかず、ジェフが次に充実したアルバムを作るのは、1999年の『Who Else!』まで10年待たねばならない。その年行った来日公演はとても素晴らしかったな。

21世紀に入ってもその充実は続いたし、うすら寒い「ルーツ回帰」や「原点回帰」などせずに、エレクトロだったりハードロックだったりする音は若々しかった。

その印象が続いていたので、彼の訃報が信じられなかったわけだが、「ロック・ギタリストには2種類しかいない。ジェフ・ベックとそれ以外だ」と改めて言っておきましょう。

Guitar Shop

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  • アーティスト:Jeff Beck
  • Sbme Special Mkts.
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TikTokの「秘伝のタレ」はAIではなくデザインにあり

knightcolumbia.org

先日書いた「インチキAIに騙されないために」でフィーチャーしたプリンストン大学教授のアーヴィンド・ナラヤナンについて、コロンビア大学のナイト研究所にて「アルゴリズムによる増幅」研究を行っていることを最後に紹介したが、ナイト研究所のブログで既に TikTok について書いている。

昨年は「ソーシャルネットワークの黄昏」話とともに、どこもかしこも TikTok に追従する話が伝えられるが、なぜ TikTok はそれほどまでに成功しているのか?

利用者が見たいものを選び出して表示する AI(アルゴリズム)が素晴らしいからと考える人は多いが、TikTokアルゴリズムが同業他社より優れているとは言えないし、TikTok のエンジニアが誰も知らないようなブレークスルーを成し遂げたというのはありえない、とナラヤナンは指摘する。

実は TikTok の強みは AI(アルゴリズム)ではなくデザインだ、というのがこの記事の趣旨である。

具体的にそのデザインのポイントとして挙げるのは以下の4点。

  1. 動画を上にスワイプして次の動画に移るのが使いやすく、推薦エンジンのまずさを覆い隠している
  2. YouTube などショート動画後追い勢と異なり)最初からスマートフォンの縦型フォーマットに適したデザイン
  3. クリエイターのフォロワーの数よりも個々の動画のバイラルの可能性を評価し、動画消費者をクリエイターに変えるクリエイター向けのツールの優秀さと参入障壁の低さ
  4. 安全重視の搾取(exploitation)型レコメンデーションよりも、リスクはあるが見返りも大きい探検(exploration)型レコメンデーションがクリエイターとニッチな視聴者を結びつける

以上を踏まえてナラヤナンは、レコメンデーションシステムは魔法のようにみなされがちだが、TikTok のレコメンデーションシステムは秘密ではなく、デザインが優れているのだと強調している。TikTok のデザインのイノベーションも周知ではあるが、他のアプリがそれを真似するのが難しいのは、それらはもともとは異なるユーザ体験のためにデザインされたアプリであり、ユーザーやクリエイターの好みによってロックオンされてしまうからで、クレイトン・クリステンセン言うところの「イノベーションのジレンマ(イノベーターのジレンマ)」だと分析している。

しかし、「ロングテール」という言葉が真面目な分析で使われるのを久しぶりに目にしたが、TikTok はそれを実現してるとな。

介護ロボットは日本の高齢者介護問題を救わない?

note.com

MIT Tech Review に掲載された「高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験」は、原文が公開された時にこれは興味深いと読んだのだが、ワタシ自身はロボット業界に通じていないので、現役のロボット開発者である安藤健氏の解説というかツッコミを読めるのはありがたかった。

高齢化が進み続ける日本において、介護を必要とする高齢者が増え続け、一方で介護職の従事者が十分な給与を得ていないことは大きな問題であり、そこで高齢者の介護をロボットに置き換えられれば、というのは多くの人が考える解決策に思える。

アラン・チューリング研究所の研究員であるジェームス・ライトの文章は、その期待に冷水をぶっかけるものである。

要するに、機械は労働を省くことができなかった。介護ロボット自体も世話をしなければならなかった。移動、メンテナンス、清掃、起動、操作、居住者への説明の繰り返し、使用中の常時監視、使用中の保管が必要だった。実際、他の研究においても、結局、ロボットは介護者の仕事をさらに増やす傾向があるというエビデンスが増えている

MIT Tech Review: 高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験

介護ロボットはどのような未来を指し示し、介護危機の「解決策」となるには何が必要なのだろうか。コストの抑制が不可欠なことを考えれば、在宅介護においてロボットを大規模に利用するための最も可能性の高いシナリオの1つは、残念ながら、よりスキルの低い人を、できるだけ安い給料で、よりたくさん雇うことなのかもしれない。

MIT Tech Review: 高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験

かなり皮肉な結論と言えるし、アラン・ウィンフィールドの「現実に、AIはすでに多くの仕事を生み出しています。これは良いニュースです。悪いニュースは、それらがほとんどくだらない仕事だということです。(中略)21世紀に人間がロボットやAIのアシスタントとして働くことは、退屈で、身体的にも心理的にも、そのどちらかだけでも危険なことは今や明らかです。(中略)そのような人々は、実際、ロボットであるかのように振る舞うことを要求されるのですから」というコメントがダメを押している(し、またしても「ゴーストワーク」の話を思い出した)。

これに対して安藤健氏は「ロボットありきで考える必要は全くないが、全体最適で考えたときにロボット技術が役に立つシーンは存在する」と反論しており、「介護の自動化」に対する違和感はワタシにも理解できる。何より介護分野へのロボットの導入はまだまだこれからである。

ただ本件と直接は関係ないが、少し前に O'Reilly Radar で Automating the Automators: Shift Change in the Robot Factory という文章を読んだときも思ったが、欧米人にとってはロボットといえばオートメーションという固定観念があるのかもなと思ったりする。

いずれにしても、介護問題においてロボットが「銀の弾丸」にはならないし、そのように語る人は信用してはならないのだろうな。

ともあれ Robots Won't Save Japan というズバリなタイトルの本が来月出るようなので楽しみだし、この題名自体、MIT Tech Review の記事にも触れている通り、日本で『ロボットが日本を救う』という本が複数刊行されているのに冷水をぶっかける英国人らしさの発露……などと書くと怒られそうだが、これは間違いなく邦訳が望まれる本でしょう。

ランドール・マンロー『ホワット・イフ?』の続編『もっとホワット・イフ』が来月出るぞ

yamdas.hatenablog.com

昨年秋にとりあげたランドール・マンロー『ホワット・イフ?』続編の話だが、今年に入って調べてみたら、『もっとホワット・イフ?──地球の1日が1秒になったらどうなるか』という邦題で来月刊行されるのを知った。

原書のサポートページを見ると、英語圏以外では、ドイツ語、オランダ語スウェーデン語に続く翻訳刊行のようだ。

さすが早川書房、仕事が早い。

モリコーネ 映画が恋した音楽家

2023年に生きる人間として、やはり『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を観に行くべきだよなと思いながらも、どうしても3時間超の上映時間に嫌気がさしてこちらに行った……って、おい、こっちも2時間半超の上映時間だぞ!

ワタシがエンニオ・モリコーネの音楽を知ったのは、1980年代後半の『アンタッチャブル』や『ニュー・シネマ・パラダイス』あたりだったため、彼の名前を聞くとまずその美しいメロディーが浮かぶのだけど、特に映画音楽のキャリアを始めた1960年代は、セルジオ・レオーネマカロニウエスタンをはじめとして、楽器でないものを楽器にするなど実験性も強かったんですね。

本作はモリコーネの映画音楽以前のキャリアにもしっかり時間をとっているが、正式に作曲の教育を受けた人間として、映画音楽の仕事を屈辱と感じ、また彼の師匠をはじめイタリアの音楽界も明らかに彼を正当に遇していなかったのな(成功した彼に対する嫉妬もあったろう)。

モリコーネ自身、何度も映画音楽から離れたいと願うが、本作の邦題ではないが、映画のほうが決してモリコーネを離さなかった。本作では日本未公開の映画もかなり多く引用されるが、本当にものすごい数の音楽をてがけたものである。それは映画にとって素晴らしいことであり、レオーネの遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でようやく音楽界も彼の仕事を認め、そして『ミッション』以降はアカデミー賞にノミネートされるようになり、しかしなかなか受賞できなかったが、2006年にアカデミー名誉賞を受賞し、『ヘイトフル・エイト』にして6度目のノミネートで念願の受賞を果たすというサクセスストーリーになっている。

スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』の音楽をモリコーネに依頼したくてセルジオ・レオーネの許可をとろうとするも彼がウソをついてまだこっちで仕事中と言ったために実現せず、モリコーネも「できなかったのを後悔している仕事はあれだけ」と語っているのはまったく知らなかったな。彼が『時計じかけのオレンジ』の音楽だったら、あの映画はどんな感じになったのだろうな。

本当に映画に愛された音楽家であり、彼のコンサートの映像がふんだんに使われ、その音楽の魅力を堪能できる作品である。本国の音楽家をはじめとして多くの人のインタビューが使われており、ブルース・スプリングスティーンをはじめとするロック畑の人も何人も登場するが、ポール・シムノンのインタビューが本当に少しだけ使われているのがちょっと謎だった(ちゃんと「音楽家(元ザ・クラッシュ)」と字幕が入っていた)。

本作の最後は、そうした人たちによるモリコーネを讃えるコメントが怒涛の如き続いて、これをカットしたら映画は10分は短くできたのではともちらと思ったが、エンニオ・モリコーネがその賞賛に値する音楽家なのは間違いなく、90歳にしてまだまだ元気だったモリコーネ自身のしっかりした証言を元に本作が作れたのは、映画にとっても素晴らしいことに違いない。

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