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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が国会図書館に納本された

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、以前矢吹太朗さんに国会図書館への納本を勧められ、ワタシもその旨を書いたのだが、例によってワタシが病的にものぐさなため、実行できてなかった(申し訳なし)。

それに業を煮やして、というわけではないようだが、達人出版会高橋征義さんが国会図書館に納本くださった。ありがたい!

いずれ、国立国会図書館オンラインで検索したら、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の情報も出てくるようになるはずだ。

ところで高橋征義さんというと、技術系同人誌即売会技術書典について語る講演動画が日本電子出版協会のサイトにおいて、プレゼン資料とあわせて公開されているので紹介しておく。

この講演動画を見ながら、ふと高橋征義さんについて思ったことを書いておく。

これは確か昔小林よしのりが書いていたが、漫画家はヒットを2作飛ばして初めて本物と認められ、3作ヒットを出せれば大家と認められる(手元に出典がないのでうろおぼえ)。

ここで「ヒット」を「インパクトのある仕事」に置き換えて考えるとして、それを高橋征義さんに当てはめた場合、日本Rubyの会会長としての Ruby コミュニティに関する仕事全般が大きな「ヒット」だろう。そして、それに付随する形ではあるが、高橋メソッドという個人の「ヒット」も高橋さんは飛ばしている。

そして、(『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の版元である電子書籍専門出版社の)達人出版会も……と書きたいのだが、現状「ヒット」とまでは言えないだろう。例えば、ワタシの電子書籍が100万部売れていたら言えるかもしれないが、それは著者の力不足などあり現実になっていない。

しかし、技術書典はもうこれは「ヒット」と言って差し支えあるまい。つまりは、技術書典の成功をもって、高橋征義さんはこの世界における「大家」の域に達したのではないか。

だからどうしたというのではないし、ワタシの高橋さんへの対応が変わるわけではないのだが、そうした人と仕事ができることを素晴らしい幸運だと思っている。

さて、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』については、もう少し後に、ワタシ自身もそれはまずないと思い込んでいたことをアナウンスできるかもしれない。それまでしばしのお待ちを。

Maker Mediaの操業停止とメイカームーブメントのこれから

週末、Maker Faire勧進元であり、雑誌 Make の版元である Maker Madia が22名の全従業員を解雇し、すべての業務を停止したニュースがかけめぐった。

ベイエリアMaker Faire が資金面の問題で今年が最後になるらしいという話は高須正和さんの Medium で読んでいたが、正直、へー、苦しいんだと思ったくらいで、Maker Madia 自体が業務停止するなんてまったく考えもしなかった。

創業者であり CEO の Dale Dougherty は、何らかの形での復活を諦めていないとのことだが、少なくとも雑誌は終わりだろうし、8月の Maker Faire Tokyo 2019 には影響はないと願いたいが、今後の各地での Maker Faire 開催にも当然ながら影響が出てくるだろう。おいおい Make: Japan などにおいて、そのあたりに関するアナウンスも出ると思う。

ワタシ自身はメイカーではないが、『Make: Technology on Your Time』日本版には翻訳者としてずっと携わり、先月の Maker Faire Kyoto 2019 が実はかなり久しぶりではあったが、日本の Maker イベントにもこれまで何度も足を運んできた。そうした人間として、やはり残念に思うのは間違いない。

ワタシが「メイカームーブメントの幼年期の終わり」と書いたのは3年前だが、まだメイカームーブメントにはのびしろがあると思っている。

上にも書いたようにワタシ自身はメイカーではなく、「インサイダー」ではないので詳しい事情は分からない。だから、何か知ったようなことは書けない。かつて雑誌 Make の Editorial Director だった Gareth Branwyn が寄稿している文章から少しだけ訳して、とりあえず気持ちの整理をつけたい。

Make:』や Maker Faire で関わったほとんど全員を代表して、これまでやった仕事の中で、あれがもっとも創造的で、満足のいく、やりがいのある仕事だったと確信をもっていえる。あれは仕事だった。大変な仕事だった。時に、とてつもなく大変な仕事だった。それでもあれを「現実の」仕事みたいに感じたことはほとんどない。いつだって、世界に素晴らしいシュートを放つような感じだったんだ。

今明らかな問題は、「社内報」とコミュニティの年次集会を失って、メイカームーブメントはどうなる? ということだ。メイカーの友人である John Graziano と私はこの問題について昨夜メッセージを交わしたのだが、メイカーはハッカーであり、問題解決屋(problem-solvers)なのだと彼は指摘した。メイカーのコミュニティは長寿と繁栄を続けるに違いないと彼は語った。私も彼が正しいと願っている。なぜなら、今ほどイノベーション、魔法、斬新性、古き良きマッドマックスのサバイバルスキルが重要な時はおそらくないのだから。

Make: Tips and Tales from the Workshop: A Handy Reference for Makers (Make: Technology on Your Time)

Make: Tips and Tales from the Workshop: A Handy Reference for Makers (Make: Technology on Your Time)

Make: Technology on Your Time Volume 01

Make: Technology on Your Time Volume 01

[2019年6月10日追記]:Make: Japan | Maker Media社の現状とMaker Faire Tokyo 2019について

[2019年6月11日追記]:Makeの親会社がスタッフ22人全員レイオフ、運営停止の悲劇 | TechCrunch Japan

近年あまり名前を聞かなくなったエリック・レイモンドについての話題

エリック・レイモンドといえば、言わずと知れた「伽藍とバザール」三部作に代表されるオープンソース運動の顔だった人だが、近年はあまり話題にならないというか、フォローしたくない話題でしか話題にならない印象があるのだが、たまたま短いスパンで Slashdot で2回名前を見かけた。

エリック・レイモンドが SaaS は独占ソフトウェアよりもずっと危険だと吠えた話だが、Saleforce が顧客に軍隊仕様のライフルを販売することを禁じる発表をしたことに対する非難である。彼は強硬な銃所持擁護派だからね。

今は2019年であり、こんな分かり切ったことをまた言いたくないんだけど、自分のビジネスをしっかりコントロールしたいなら、頼るべきソフトウェアはオープンソースであるべきである。それがすべてだ。しかも、たとえそのソフトウェア自体が普通のオープンソースであっても、サービス提供者に拘束されてはいけない。

まぁ、それはそうなんだけど、今さら SaaS の危険性とか言いますかーという感じもするんだよね。


今日、私は妻の車から家まで――文字通り――這わなければならなかった。歩けなかったからだ。人生というものは、何か予定があるときに他のことが起きるものだ。

とのことで、健康的な問題も話題になっている。きっかけは半年前にカンフーのクラスでくるぶしを痛めたことに端を発するようだが、そういえば彼は空手もやってたんだよね。

某氏は esr のことを「どう見ても通信教育で学んだとしか思えない空手で徒手空拳リバタリアンの夢を追う男」と書いていたが、やはり還暦過ぎるといろいろ身体にガタが出だすんだろうな。彼の世代のハッカーもそういう年頃なのを再確認したりした。

ワタシは esr の政治性には賛同できないが、それでもできるだけ達者に過ごしてほしいとは思う。

The Art of UNIX Programming

The Art of UNIX Programming

パティ・スミスの『ジャスト・キッズ』に続く回顧録が出るのだが……

2010年度の全米図書賞も受賞したパティ・スミス『ジャスト・キッズ』に続く回顧録が今年の秋に出るとのこと。

Year of the Monkey

Year of the Monkey

Year of the Monkey (English Edition)

Year of the Monkey (English Edition)

『ジャスト・キッズ』は、彼女とルームメイトだったロバート・メイプルソープとの関係を中心に据えた、彼女のキャリア初期について書いたものであり、それに続く本となれば、彼女がニューヨークパンクシーンのスターとなり、その後フレッド・スミスとの結婚の後引退状態となり、そして――という話になると思ったのだが、新作で書かれるのは、2016年という特定の年にフォーカスするものらしい。

うーん、ファンが期待しているものとは違う気がするが、出来がよければ邦訳が出るでしょう。

そういえば、彼女は Soundwalk Collective とのアートっぽいコラボアルバムを発表したばかりで、未だ現役で活動しているのはすごいことである。

The Peyote Dance

The Peyote Dance

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

『GODZILLA ゴジラ』は5年前になるのか。この前作が良かったので、本作もはじめから観に行くつもりだったが、よかったですねー。以下、映画の内容に触れるので、ネタバレが気になる人はご注意ください。

正直登場人物たちの行動は、お前なんでそんな無防備に怪獣に対峙できるんだと呆れるレベルに始まり、ワタシが好きな役者が何やってんだよお前はと言いたくなる行動をとったりして、ガバガバとしか言いようがない……けど、この映画にそれを言っても仕方ないか。マイケル・ドハティという明らかに波長がおかしい、しかし、ゴジラがなんたるか分かったオタクが監督してくれてよかった。

本作では、ゴジラ古代文明の関わりというか、巨神としてのゴジラなど怪獣たちが描かれ、こういう方向性からきたかと思った。ゴジラキングギドラが暴れる怪獣祭りであり(ラドンモスラはさほどでも……)、戦闘は夜や風雨の暗い場面が多いという『パシフィック・リム』のパターンだが、本作の場合ストーリーとして違和感はあまりなかったのでよしとする。

前作に続き、渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士が登場し、まさかの男泣きな展開を迎える。オリジナルの『ゴジラ』で芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーでゴジラを殺すために自らを犠牲にしたのに対し、本作の芹沢博士は初めて人間がゴジラに「触れ」、オキシジェン・デストロイヤーで一度死んだゴジラを生き返らせるために核兵器を使い自らが犠牲になる。これは、広島の原爆で父親を亡くし、その形見である8時15分で止まった時計を持ち続ける芹沢博士の一種の献身と赦しの物語である。

その上で、人間と怪獣たちの共存、共生がそんな人間に都合のよいものでないこともちゃんと描いている。ワタシは『 キングコング: 髑髏島の巨神』は観てないし、モンスターバースシリーズとしての今後はどうなるかは知らないが、本作が芹沢博士をその一種の狂信性を含めしっかり描いてくれたことに感謝したい気持ちになる。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その22

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』については、目を皿のようにしてエゴサーチで感想を集めて回っているのだが、この7か月前に作成され、最終更新が3か月前という Scrapbox のページを見逃していた。申し訳ないことである。

  • 主に欧米における情報技術の流行とその上に成り立つ社会・文化動向に目を向けたエッセイ集
  • 著者自身の思索を宛てにして買う、というよりは情報社会の動向に詳しい著者によるリポートが読みたい人向け
  • 技術的には知っていたとしても人物や組織の活動や情報インフラ上における文化・思想に関する書籍がバンバン引用されるので新鮮な話が多い
  • 技術は比較的詳しくとも社会・文化的な流れを知らないプログラマが読むと教養に良さそう

との感想で、ありがたいの一言。

あとセレンディピティというワードをワタシの文章で知り、「それこそ私がこの書籍を買ったこともセレンディピティの賜物である」とのコメントは本当に嬉しい。こんななんとなくな感じで読んでいただき、何かしら新たな概念に出会ってもらえるなら素晴らしいことである。

そうそう、前回この電子書籍の可搬性についての言及を取り上げたが、それに関連して、ずっと前にも鷹野凌さんがそのあたりについて言及してたのを、たまたま調べものをしていて思い出した。

なんでこれを当時取り上げ損ねていたのか分からないが、「ファイルのコピー移動は自由」というのを宣伝する意味で、今さらだが取り上げさせてもらう。

劉慈欣の話題の『三体』と「暗い森」になりつつあるインターネット

kottke.org 経由で知った文章だが、面白かった。

Kickstarter の共同創業者の Yancey Strickler が、Medium が今年になって開始したテクノロジーと科学をテーマにした OneZero に寄稿した文章だが、彼がそこで最初に持ち出すのは、中国本国でベストセラーになっただけに留まらず、アジア人初のヒューゴー賞受賞となるなど欧米でも高く評価されている劉慈欣『三体』である。

そう、7月に大森望さんらの翻訳で訳書が出る、今から話題の本だ!(別にステマじゃないよ)

三体

三体

正確に言えば、『三体』三部作で披露される「宇宙の暗い森理論(the dark forest theory of the universe)」なのだが、それは地球から宇宙を見れば、他の生命体を見出すことができず、我々が唯一の存在に思えるが、なんで宇宙に他の生命体がいたら姿を現さないのだろう、という疑問に対する答えである。

それは夜の森を想像してみればよい。夜の森では何も動くものは見えないが、だからといって、その森に生き物がいないことはもちろんない。暗い森にも生命は満ちている。なぜ動かないかといえば捕食者(predator、そうプレデター)がいるからだ。生き残るために、動物は静かにしているのだ(参考:オバマ大統領の宇宙観に影響を与えたSF作家が語る「中国が地球外生命体と最初に接触したら何が起こるのか?」 - GIGAZINE)。

それを宇宙に当てはめてみるとどうだろう。それはいわば「暗い森」なのだ。地球の他に生命体がいないように見えるのは、地球以外が生き残るために静かにしておくだけの分別があるからなのだ。

そして Yancey Strickler は、インターネットもこの「暗い森」になりつつあるのではないか、と問う。

実はこの文章自体がその実例だと言う。この文章は、最初 Strickler の知り合いや厳選した500人がメンバーのプライベートチャンネルに流されたのだが、このプライベートチャンネルを Strickler は、もっとも安全に感じ、もっとも「本当の自分」であれるオンライン環境だと言う。

彼のプライベートチャンネルはメールのニュースレターだが、ポッドキャストの再興もその好例だという。ポッドキャストの復活については、アメリカの車社会と、車とつながるようになったスマートフォンが理由に挙げられるが、単に文字情報でないだけでなく、抑揚ややりとりがあるので文脈が伝わりやすいという指摘は興味深い。あと日本では、メールのニュースレターは「有料メルマガ」として一定のプライベート性を担保しているともいえるが、一時期の勢いはない。

ニュースレターやポッドキャストだけでなく、「暗い森」は Slack のチャンネル、プライベートモードの Instagram、招待制の掲示板、Snapchat、WeChat(日本なら LINE ですね)などにも広がるという。そして、「未来はプライベート」とぬけぬけと宣言するマーク・ザッカーバーグがもくろむ Facebook のピボット(と「プライバシー」という言葉の夜郎自大な再定義)の背景にもこの流れがあるという。

ここまできて、ワタシは「この話前にもどこか読んだような……」と思い当たったのだが、調べてみて、TechCrunch に「テクノロジーの「暗い森」(Dark Forest)」というかなり近い分析がなされてますね。

話を Strickler の「インターネットの暗い森理論」に戻すと、上にあげた場は、いずれも検索エンジンにインデックスされず、最適化されず、ゲーム化されない環境だからこそリラックスした対話が可能なのだという。そうした場での文化は、他のインターネットよりも現実社会に近いという。

Strickler から見て、現在のインターネットは戦場である。90年代のウェブにあった理想は消え去った。Web 2.0 に夢見たユートピアは、我々に力を与えることしかしないと思っていたネットのツールが兵器になりえたのを学んだ2016年の大統領選挙で終わった。我々がアイデンティティを発展させ、コミュニティを育て、知識を得るために作ったパブリックな場は、その力を市場やら政治やらに利用するのにとってかわられた。

この容赦ない権力闘争こそが、現在のウェブにおいて主流をなす空気である。この権力闘争が規模や凶暴性を増すにつれ、その争いを避けるべく「暗い森」に逃げ込む人の数は増える。つまり、我々は同時にいくつもの異なるインターネットで生きており、そのインターネットの数は絶え間なく増えており、「暗い森」は成長し続けている。

このあたりの記述は、多元宇宙論マルチバース論)を想起させる。たまたま Netflix『OA』第2シーズンを見終えたからというのもあるが、最近このマルチバース論を取り込んだフィクションが多いのも、2016年の大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利の後遺症なんだろうか。

インターネットにおける「暗い森」の広がりは、それが心理的評価経済における逃げ場を提供からだと Strickler は見る。場にいる他の人が誰かを把握できるからで、主流である自由市場におけるコミュニケーションスタイルと比べ、社会的、感情的な安全がある。

この「場にいる他の人が誰かを把握できる」という感覚について、ワタシは少し前に読んだ東浩紀さんのインタビューを思い出した(し、以下引用するところ以外にも符合するところがあるように思う)。

はてなダイアリーは、なぜだったかわからないですが、意見が違ってもみんな「はてな」に所属しているという独特の感じがありました。いまでも「はてな村」ってよく言いますけど、あれは別に蔑称で使うべきものではなくて、「俺たち同じ村に所属してるんだ」という感覚があったからこそ、実は議論もできていた。それがみんなバラバラにいて、みんなで爆弾を投げあうような感じになってしまうと、ただ相手を潰せばいいということになってしまう。

「ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている」批評家・東浩紀が振り返る ネットコミュニティの10年 (1/2)

ゆるく考える

ゆるく考える

次に Strickler が語るのは、自身の体験である。彼は数年前インターネットから「消えた」という。スマホからソーシャルアプリを削除し、全員をアンフォローしたのだ。これは間違いなく良い決断だったと Strickler は書く。それでよりハッピーになったし、自分の時間のコントロールを取り戻した、と。

しかし、彼個人が健康になるにつれ、この変化のリスクも見えてきた。

メインストリームの場から切り離されてしまうことだ。当然ながら、(TwitterFacebook も削除したんだから)対話が行われているプラットフォームで主張を伝えることができない。

そこで Strickler が唱えるのは「インターネットのボーリング場理論(The Bowling Alley Theory of the Internet)」である。

ボーリング大会に参加する皆がボーリングが好きなわけではない。多くの人にとっては、他の人と一緒にいるのが一番であり、ボーリング自体は二番手以下だったりする。一緒にいる、という感覚こそが重要なのだ。これをインターネットに当てはめるなら、人々は純粋にお互いとオンラインで顔を合わせることが重要なのであって、長期的に見れば、我々が集まる場は、そこで行われるやりとり自体に比べれば重要ではない。それがあるときは MySpace であり……日本のネットでは、かつてそのボーリング場が mixi だった時代もあったわけだ。

Strickler は個人的な健康や生産性を理由にネットから消え、同時に「ボーリング場」に行かなくなったわけだが、最近になって、彼はその決断が正しかったか疑い始めたという。

インターネットの主流から撤退し、暗い森にシフトすると、主流での影響力を失ってしまう。ある意味、それはテレビ放送に対するインターネットの影響の話でもある。未だにテレビがどれだけ力があるか我々は忘れがちである。同じように、暗い森を築いたところで、インターネットの主流にどれだけ力があるか痛感することにもなる。

孤独に耐える余裕がある人はいいが、多くの人は(FOMOなどの言葉で表現される)「取り残される」という感覚に恐怖を覚える。

Facebook にしろ Twitter にしろ、未だ巨大であり、消えそうではない。だからこそロシアは、世論を操作しようと思ったときにこれらのプラットフォームに目をつけたわけで、実際それは大きな影響力があった。

この後の Strickler の文章の締めはちょっとワタシにはよく分からないところがあるのだが、それはともかくパブリックとプライベートの揺り戻しというのも過去何度かインターネットで話題になったことである。例えば、上で名前を挙げた mixi が流行ったときには、mixi にはパソコン通信時代を思わせるものがある、なんて論調があったのだから。

こういうのを見ると、「歴史は繰り返さず、韻を踏む(History doesn’t repeat itself, but it does rhyme.)」というマーク・トウェインの言葉を思い出してしまう。ただ反復しているわけではないんですね。

確かに「暗い森」の広がりは実感できる。「暗い森」と書くと何か印象が悪いウラミがあるが、上で名前を挙げた東浩紀さんがやっているゲンロンだってその一つに含まれるかもしれない。これも上で書いた Facebook のピボットは間違いなくこの動きを踏まえている。個人的には Facebookティム・ウーが主張するように分割すべきだと思うが、おそらくはピボットをうまくやりおおせるのではないだろうか。

あと、この文章の著者の Yancey Strickler は、今年秋に初めての本を出すんだね。

This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World

This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World

This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World (English Edition)

This Could Be Our Future: A Manifesto for a More Generous World (English Edition)

ニューヨーク公共図書館の最高の「穴場」オンラインサービス10選

ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』が公開されたことで、ニューヨーク公共図書館の懐の深さやそれが体現する民主主義に注目が集まっているが、NYPL は公式 YouTube チャンネルで興味をそそる講演(インタビュー)動画を公開しているのもあり、当ブログでも何度も取り上げている。

さて、そんなニューヨーク公共図書館だが、あまり知られていない最高の「穴場」といえるオンラインサービスを10個紹介している。

  1. 機密扱いでなくなったアメリカ合衆国の文書データベース
  2. アメリカ映画の脚本をオンライン公開
  3. アメリカにおける標準テストに関するデータベース
  4. ファッションに関する書籍や写真のデータベース
  5. AP 通信社配信の記事、写真、動画データベース
  6. 1350年以降のアメリカの歴史に関するデータベース
  7. 世界地名大辞典
  8. 71もの言語が学べるデータベース
  9. サンボーン社製火災保険地図
  10. 1475年から1700年までの英語で書かれた印刷物のコレクション

いやはや、これはすごいね。NYPL はオンラインデータベースサービスもすごいんだな。まさに知の殿堂である。これを実現するスタッフにもちゃんとお金を出しているのだろう。

ネタ元は Boing Boing

BANANA FISH 復刻版BOX (vol.1-4)

BANANA FISH 復刻版BOX (vol.1-4)

現代貨幣理論(MMT)の教科書となる本は何か?

最近、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスグリーン・ニューディール政策を支えるバックボーンの理論として引き合いに出したことなどで何かと話題の現代貨幣理論アベノミクスはMMTの実験だったなんて声もあるが、個人的には「政府支出はじゃんじゃんやって問題ない」という要約のされ方にどうしてもおののいてしまうところがある。またこれをリフレ政策全般と同一視するのは間違いでしょうね。

それはともかく、そろそろこの理論を本格的に解説する本が待たれるところである。

Macroeconomics

Macroeconomics

今出ているものはこれになるみたいだが、こんな結構な価格の本が完売するのだから、MMT への関心の高さは相当なもののようだ。

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People (English Edition)

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People (English Edition)

こちらの発売予定はおよそ一年後で、おそらくその間に日本では MMT を書名に冠した新書が出るんじゃないですかね。

アベンジャーズ/エンドゲーム

公開から大分経ってようやく観た。

ワタシは MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)が嫌いと公言してきた奇特な人間なので、アベンジャーズは完全スルーを決め込むつもりだった。のだが、周りの熱にだんだんと気持ち変わりして、一応はこの祭りに乗っておこうかとなった。

MCU の映画で既に観ていたのは、『アイアンマン』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『スパイダーマン:ホームカミング』くらい(あとテレビ放映時などの断片的にいくつか)。

そこでテレビ放送を録画した『アベンジャーズ』と『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』を観つつ、『ドクター・ストレンジ』と『ブラックパンサー』をレンタルしたところで時間切れになって、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を観てから本作に挑んだ。

つまり、ワタシが観たのは MCU の全21作の3分の1くらいということになり、とてもじゃないが本作についても批評はおろか、感想すらまともには書けるレベルじゃない。

それでも書くが、楽しめた。戦闘ばかりだった前作と違ってストーリーが楽しめたので、「膀胱がエンドゲーム」と危惧された3時間の上映時間にも耐えられた。ただハルクの扱い、前作ではハルクに変身できなかったのが、本作でははじめからハルクなんです、という設定がなんじゃそりゃだった。あと、キャプテン・マーベルが強すぎて、彼女を出ずっぱりにできない事情をひしひしと感じるのはご愛敬。

ヒーロー総結集を存分に楽しませてくれたのは間違いない。各作の主役が勢ぞろいし、加えて各ヒーローのまつわる脇役としてレネ・ルッソティルダ・スウィントンナタリー・ポートマンマイケル・ダグラスロバート・レッドフォード(!)といった豪華な面々までが登場するのを見ると、なんか「笑っていいとも」の最終回特番について言われた「地上波テレビの終わり」というのに似た、「アメリカ映画の終わり」というフレーズが頭に浮かんだりもしたくらいである。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その21

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、ありがたいことにゴールデンウィークを前に買ったという声をいくつか聞けた。

あと達人出版会から出してよかったと思うのは、読む環境の選択肢があることについての言及があったときですね。

ゴールデンウィーク中に読んだ人の感想がそろそろ読めるかと期待したら、小関悠さんから感想をいただけた!

そうそう、今年3月の更新で電子書籍版にも収録された書き下ろし技術コラム「インターネット、プラットフォーマー、政府、 ネット原住民」が新たに追加されており、これがかなり力の入った長文なので、以前にも書いているが、既に買った方でも最新版に更新してない人は達人出版会のマイページからアップデートをお願いします。

小関悠さんが「自分の発言が出てきてびっくりした」と書くのはまさにこの「インターネット、プラットフォーマー、政府、 ネット原住民」のことだが、この追加コンテンツへの感想を読んだのは初めてかもしれない。「すごいまとめになってるので、定期的に書いて欲しいなあ」と書いていただけたのはありがたいことである。

あと小関さんが「八田先生ディス集」と書いているヤツだが、どう読んでも八田真行氏への賛辞じゃないですか!

そういうわけで、感想をいただけるとこのブログはしつこく更新されるので、ワタシのブログを読みたい人は、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の感想をブログやツイッターに書くとよいでしょう(笑)。

スティーブ・ジョブズやラリー・ペイジなどIT業界の錚々たる著名人たちのコーチングを行った伝説のコーチの教えを伝える本をエリック・シュミットらが書いていた

なんということだ。こんな面白い本が出ていたのに知らなんだ。知っていたら、邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2019年版)に入れていたはずである。

Trillion Dollar Coach: The Leadership Playbook of Silicon Valley's Bill Campbell

Trillion Dollar Coach: The Leadership Playbook of Silicon Valley's Bill Campbell

Trillion Dollar Coach: The Leadership Playbook of Silicon Valley's Bill Campbell (English Edition)

Trillion Dollar Coach: The Leadership Playbook of Silicon Valley's Bill Campbell (English Edition)

書名になっている「1兆ドルのコーチ」ことビル・キャンベルのことは、スティーブン・レヴィ『グーグル ネット覇者の真実 追われる立場から追う立場へ』で知ったが、彼がコーチングを行ったメンツがすごい。Appleスティーブ・ジョブズをはじめ、Google では創業者のラリー・ペイジセルゲイ・ブリンをはじめ、長らく CEO を務めたエリック・シュミットや後に Yahoo! の CEO になるマリッサ・メイヤー、後に Facebook の COO になるシェリル・サンドバーグといった錚々たる面々のメンターだったわけである。

今回『Trillion Dollar Coach』(書籍の公式サイト)を書いたのは、エリック・シュミット、ジョナサン・ローゼンバーグ、アラン・イーグルという『How Google Works 私たちの働き方とマネジメント』(asin:4532198348)の著者陣ですね。

山崎富美さんが内容をまとめているポッドキャストも、その著者陣に加え、マリッサ・メイヤーが司会役を務めるという超豪華さだが、Google 初期の若く傲慢な俊英たちをどのようにビル・キャンベルがコーチングしたか、その当事者たちが語るのだからとても面白い。

それにしても、エリック・シュミットから報酬はなんでもいいからと懇願されても頑として取締役の申し出を断ったというのはすごい話だ。

Computer History Museum の YouTube 公式チャンネルに、エリック・シュミットら著者陣がこの本について語る動画が公開されている。ここでの司会役は YouTube の CEO であるスーザン・ウォシッキーで、やはり豪華やね。

次世代のプログラミングツール、未来のプログラミング言語の方向性について

Quara における「コンピュータプログラミングにおける最後のブレイクスルーってなんでしょう?」という質問に対するアラン・ケイの回答に触発された文章である(アラン・ケイって Quara で精力的に回答してんだね)。

アラン・ケイは上記の質問に対して、プログラミングツールの現状について嘆いている。他分野の工学分野、例えばコンピュータを使ったデザインやシミュレーションやテストであったり製造業であれば、それ用のモダンなツールがあるのに、プログラミングは1970年代から大きく進化していない。我々プログラマは他人のために素晴らしいツールを作ってきたが、自分たちのためのツールはそうでない。靴屋の子供の靴に穴が空いてるようなものだ、というわけだ。

この文章の著者であるマイク・ルキダス(O'Reilly Mediaのコンテンツ戦略担当副社長)は、ケイの回答に完全に同意はしてないようだが、我々は未だ「パンチカード」を使ってるようなものではないかと書く。確かにモニタは高解像になったが、未だ英数字の文字セットを使って一行一行書いてる時点で実質パンチカードじゃないかというわけ。使っているプログラミング言語も大方 C や LISP 由来で、プログラミングのコミュニティで一番議論になるのは、それらの古来からあるパラダイムのどれがより優れてるかということに終始しているし。

確かに IDE はこの「パンチカード」の作成をいくらか簡単にはしれくれるが、根本的な変化をもたらすものではない。ユニットテストにしても、バージョン管理にしても、継続的インテグレーションや継続的デプロイやコンテナオーケストレーションのツールにしても、どれも「パンチカード」を増やすことでプログラミングされるものに変わりはない。

SQL のような手続き型でない言語で視覚的なプログラミングを実現しているデータベース分野が参考になりそうである。つまり、真の次世代のプログラミング言語は、LISP や C や Smalltalk の構文の焼き直しじゃなくて、もはや文字自体使わないような視覚的なものになるとマイク・ルキダスは考えている。タイピングではなくて、欲しいものを描くわけだ。

マイク・ルキダスの見立てでは、それを実現している言語はまだなく、Alice や Scratch は面白い試みだけど、既にあるプログラミング言語パラダイムに視覚的メタファーを適用しているだけで、真の次世代からはまだずっと遠い。

そこでマイク・ルキダスは、プログラミングの未来を考える助けとなる二つのトレンドを挙げる。

まず一つ目として、プログラマには二種類のタイプがあるという話から始める。具体的には、いくつかのものを組み合わせてものを作る「ブルーカラー」タイプと、他の人が組み合わせに使うものそのものを作る「アカデミック」タイプの二種類というわけだが、どっちのほうが価値があるとか重要というのを言いたいわけではなくて、両方のタイプの存在とも必要なのだが、数でいえば前者のほうが、後者よりも多いはずだ。つまり、ウェブアプリケーションを作るプログラマのほうが、ウェブフレームワークを作ったり、新しいアルゴリズムを考案したり、基礎研究をやるプログラマより数が多いということ。

そこでマイク・ルキダスは、コンピュータ分野の配管工はアルゴリズムのデザイナーと同じツールを使うべきだろうか? と問う。そうじゃないと彼は考えており、この既存のものを組み合わせて目的を達する、コンピュータ分野の配管工向けのプログラミング言語は視覚的にできるのではないかというのが彼の主張である。

次にマイク・ルキダスは、人工知能におけるもっとも面白い研究分野の一つにコード作成機能があることを指摘する。将来、AI がコードを書けるようになれば、人間はどんな種類のコードで書いてほしいだろうか。それはループや条件節とか関数とかを手順を一行ずつ書くものじゃないだろう。

既存のプログラミング言語を使わず機械学習のアプリケーションを作るシステムとして、Jeremy Howard が platform.ai でやってるプロジェクトなどがあるし、マイクロソフトが既存のプログラミングを行わずに訓練データをドラッグ&ドロップで組み立てて機械学習のモデルを作るグラフィカルツールを提供しているのも参考になる。

つまりは、昔堅気のプログラマなら、そんなの「本物のプログラミング」じゃない、と言いたくなるような方向性だろうが、ここでマイク・ルキダスは「アカデミック」タイプを対象としていないし、ビルドツール、(Chef や Puppet から CFengine にいたる)設定の自動化、Nagios 以降のネットワーク監視、継続的インテグレーション、そしてコンテナオーケストレーションにおける Kubernetes にいたる歴史がある。

上でも指摘されている通り、残念なことにこれらのツールは実質的に未だ XMLJSON といったテキストの「パンチカード」で設定するわけだが、それは乗り越えなくてはならない問題だし、プログラミング用の視覚的な言語を作るよりは、こうしたツール向けの視覚的な言語を作るほうがずっと容易なはずだとマイク・ルキダスは主張する。

プログラマはひどいツールに慣れており、それを使うのが通過儀礼というか「俺たちはこのクソに耐えたんだから、本物のプログラマになりたいならお前もそうしろ」的な一種のしごきなのかもしれない。この状態に甘んじてはいけないという点でアラン・ケイは正しいとマイク・ルキダスは書くが、彼が示唆する視覚的な方向性にケイが同意するかは分かりませんね。

個人的には、「ブルーカラー」タイプのプログラマ向けの視覚的な言語が人間向けの大きな需要があると思うが、本格的に AI がコードを生産するようになれば、そんなの凌駕されてしまうのではないかという気もする。

プログラミング言語図鑑

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ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの新ドキュメンタリー映画をトッド・ヘインズが手がけたとな

ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドキュメンタリーというと、ボックスセットと同名の Peel Slowly and See というのがあったが、やはり監督がトッド・ヘインズというのに前のめりになるね。

というのも、トッド・ヘインズという人は、『ベルベット・ゴールドマイン』や『アイム・ノット・ゼア』といった一癖あるミュージシャンの伝記的な映画をいくつもてがけているから。

しかし、80年代にニコ、90年代にはスターリング・モリソン、そして2013年にはルー・リードが亡くなっており、存命メンバーとなるとジョン・ケイルの他はダグ・ユールとモーリン・タッカーか。もうアンディ・ウォーホルの「スーパースター」も、生き残りはジョー・ダレッサンドロなど少なくなってるだろうし。

ニコの晩年を描く映画『Nico, 1988』もそうだけど、これも日本でも公開されるといいのだが。

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アイム・ノット・ゼア [DVD]

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一度映画館で観ることを諦めかけた映画だが、近場のシネコンで一度外れたレイトショー枠に戻ったおかげで観れた。

例によってクリスチャン・ベールの肉体改造を経た役作りはすごかった。『マシニスト』とは逆だけど、本当にこれは心臓に悪い感がひしひしと伝わってきた。クリスチャン・ベールは、もうこの手の役作りは金輪際止めてほしい。見ているほうの心臓に悪い。

主演のベールと監督のアダム・マッケイのコンビの前作『マネー・ショート』は、邦題が気に入らないのもあって未見だった。でも、このコンビなら面白いコメディだろうなと思っていたが、確かによくできてましたね。役者陣もディック・チェイニー役のベール、ドナルド・ラムズフェルド役のスティーヴ・カレルジョージ・W・ブッシュ役のサム・ロックウェルの主要三人が実に達者だった。

必然的にブラックな政治風刺劇としてよくできているのだけど、それにムラがあって、いったん途中で映画が終わりかけるところとか、ナレーター役のカートはいったい何者かというところなど(途中でだいたい読めるけど)よかったが、一方でチェイニー夫妻の間でどういう会話があったか分からないのでシェイクスピア劇にしちゃいましょう、のところは、『マクベス』への目配りは分かるけれども、アメリカ人のお芸術コンプレックスが垣間見られてクソ詰まんなかった。

あと本作において、ディック・チェイニーの成り上がる背景に、妻であるリン・チェイニーがいたという筋立てで、彼女の優秀さと上昇志向にスポットを当てているのも納得感があった。

本作は主役のディック・チェイニーをはじめとして主要登場人物がほぼ全員存命なわけで、それでこれだけの風刺劇にしてしまうところがなかなかエグいのだけど、それを許容する社会の度量というものを感じる。一方で、チェイニーがアメリカの行政の長である大統領の権限を無条件のものとし(大統領執行特権理論)、副大統領である自身がそれを傀儡としてホワイトハウスを乗っ取り、どれだけ好き放題やったかということを描いているわけで、観ていてとても怖くなるし、チェイニーが行った情報の隠匿や歪曲が、今現在のアメリカ政治に与えた後遺症をどうして考えてしまう。

そうした意味で、本作は60年代末以降のアメリカ現代政治史とメディア(要は Fox News の勃興)を考える上で面白い作品だと思うし、ここでチェイニーがやったことを日本の今の政治状況に重ねて考えてもいささか暗澹たる気持ちにもなった。日本では本作のような政治を題材として優れたコメディ作品は求められていないのかな。

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