当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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プログラミングをする必要がなくなった後に人間に何が残るのか?

あらかじめお断りしておくが、以下、ほぼ妄想に基づくポエムである。

note.com

先月話題になったブログエントリであり、ワタシも読んでいて、自分が書いた「次世代のプログラミングツール、未来のプログラミング言語の方向性について」「未来のプログラミングについて再考(機械学習とソフトウェア2.0、配管工プログラマ、オープンソースでは十分でない?)」との議論の近さを感じていたら、ちゃんと引き合いに出されていてありがたく思った。

たまたまだが、これが公開された数日後に AWS のノーコードツール Amazon Honeycode が発表され、俄かに「ノーコード」が話題になった。

aws.amazon.com

jp.techcrunch.com

jp.techcrunch.com

個人的には、このプロジェクトの紹介動画にでてきたのが、VA Linux の創業者にして、オープンソースバブル期(佐渡秀治さんの文章に詳しい)の象徴の一人であるラリー・オーガスティン(Larry Augustin)なのに驚いた。彼は今 AWS の VP なんだね。

余談はさておき……と書きかけて、いや、これは余談ではないのかもしれないと思い直した。

オープンソースソフトウェア」だからといって、それに関わる人間全員がソースコードの読み書きができなければならないという理屈はない。しかし、突き詰めれば、プログラミングができれば、ソフトウェアを通じて世界を変える自由が誰にもあるというのがオープンソースフリーソフトウェアの意義と言えるだろう。

その「オープンソース」という言葉の誕生に関わり、その界隈の中心人物だったラリー・オーガスティンがノーコードツールのアナウンスを行うというのが、象徴的なことに思えるのである。

それで思い出すのは、卜部昌平さん(GeekOutRubyist Hotlinks)の一連のツイートである(最初の2016年のツイートを除き、Amazon Honeycode の発表を受けたものだろう)。

これが印象的だったのは、「コードを書かなくなる未来」を卜部昌平さんのような本物のプログラマは否定的に考えているのでは、という勝手な思い込みがあったからだ。しかし、卜部昌平さんは「プログラミングなんてものは人間がやるべき作業ではない」とまで言い切っている。その代わりに「専門性の発揮されるポイントが変わ」るべきだ、と。

しかし、そうなって、卜部昌平さんが書かれるように「LinusがOS書いてるから俺はOS作らなくていいや」とならずに「誰もがOSを作れてしかるべき」というように専門性の発揮されるポイントが変わるかというと、ワタシは少し懐疑的だったりする。

mizchi.dev

そのあたりを考える上で、mizchi さんのエントリにあるように、ノーコードをきちんと分類してみるのは有用だし、その上での「ノーコードはプログラミングをしないことではない」「ノーコードは形を変えた現代のRPGツクール」という結論は分かるように思う。やはり確実に限界はある。

「ビジュアルプログラミングに未来はあるか」という点については、「次世代のプログラミングツール、未来のプログラミング言語の方向性について」で書いたように、既存のプログラミング言語パラダイムに視覚的メタファーを適用しているだけのビジュアルプログラミングの未来は明るくないだろう。「パンチカード」から脱却できたとき、「ブルーカラー」「配管工」タイプのプログラマーはノーコードに移行できるのかもしれない。

さて、mizchi さんのエントリにおける分類にかけているものが一つあるとワタシは思っていて、それは「未来のプログラミングについて再考(機械学習とソフトウェア2.0、配管工プログラマ、オープンソースでは十分でない?)」でも触れた、機械学習を付加した新しいソフト工学の体系である Software 2.0 の文脈である。

そこではソフトウェアはニューラルネットワークの重み付けとして記述され、プログラマの仕事は(コードを書くことではなく)データを集めることなどになっていくという見立てだが、機械学習周りを中心とした様々な取り組みはあるものの、現実はまだ人工知能にコード作成を任せるところまでは至っていない。が、こちらが本格的な成果をあげる段になったら、「ブルーカラー」「配管工」タイプに留まらず、「ホワイトカラー」「アカデミック」タイプのプログラマの仕事もそちらに移るのではないかという予感がある。

そうなったとき、プログラマにどんな仕事が残されているのだろう。その残された仕事はクリエイティブなものだろうか。

もちろんクリエイティブな仕事が残されている、と自信をもって答える人も多いだろう。ここからはワタシの妄想になるのだけど、ワタシがここで連想するのは、経済学者のポール・クルーグマンがかつて行った未来予測である。

 経済学者ポール・クルーグマンは、いつもながらのちょっと嫌みな調子でこう語る。「“高度”な知的作業は、エキスパートシステムやAIで代替されるかもしれないが、オートメ化した機械の掃除は、機械で代替できまい。人間がそうした“非熟練労働”に専念し、しかも高い賃金を(機械から)もらうことは可能なはずだ」。だがいずれ、そうなるだろう。

山形道場 連載6-10回

 クルーグマンのもっと気軽な文章ってのはいろいろあって、とっても楽しい。主なとこは『クルーグマンのよい経済学 悪い経済学』(日本経済新聞社)や最新作Accidental Theorist(1998, W. W. Norton. どこが版権とったのかな)で読める。なかでも注目したいのが、『よい経済学 悪い経済学』に入ってる「技術の復讐」ってやつ。この文でこの人は、人間が世界の主役でなくなる日を本気で考えている。「『知的』な仕事なんてコンピュータでもじゅうぶんにできる。人間にしかできない仕事ってのは、実は掃除とかメンテナンスとかの肉体労働的な雑用だ!」半分はホラ話としてだけど、半分以上はまじめに。スタニスワフ・レムウィリアム・ギブスンが直感でつかんだのと同じ未来を、かれは経済学者としての視点で見通してる。

P. Krugman "The Age of Diminished Expectations" Translator's Note

ノーコードが実用に足るかとか議論しているレベルをこえ、人間がプログラミングを行う必要がなくなったとき、人間には「掃除とかメンテナンスとかの肉体労働的な雑用」しか残っていないのではないかという恐怖があるのだ。

それでも「高い賃金を(機械から)もらうことは可能」ならよいのかもしれない。でも、本当にそう都合よくいくだろうか?

yamdas.hatenablog.com

ここで取り上げられている、膨大な量の学習データをひたすらラベル付けする安月給の人間のホワイトカラー非正規労働者の仕事を指す「ゴーストワーク」は、既にそのコンピュータのための露払いである「雑用」の未来を一部先取りしていると言えなくないだろうか。彼らは日常的にサービス残業を強いられ、労働条件に対する要求が繰り返し退けられており、とてもではないが恵まれた仕事環境には思えない。

ワタシの未来予測が暗いのは、もちろんひとつにはワタシが性格が暗い厭世家だからというのもあるが、人間観が古いのもあるだろう。ニコラス・カーが『オートメーション・バカ』において、ロバート・フロストの詩「草刈り」を引いた上で宣言する、労働とは物事を成し遂げる手段以上のものであり、それは思索の一形態であり、ガラスを通さず世界を直接見ることであって、「われわれをわれわれにしているのは労働なのである」という考えをワタシも支持しているのだ。バカにされるでしょうけど。

そうした意味で、プログラミングという労働が人間の手に残された未来のほうが、それがなくなった未来より良いのではないかとワタシは信じたいのである。

創業理念と現実の乖離から巨大テック企業を批判するラナ・フォルーハー『邪悪に堕ちたGAFA』が今月出る

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2019年版)を公開して当然ながら一年以上経ち、そこで紹介したものの邦訳もぼちぼち出ているのだが(エントリの最後にそれを紹介するエントリを並べています)、個人的には真っ先に邦訳が出るに違いないと踏んでいたセラノス本と監視資本主義本が未だ出ていないというのは不思議である。なんで?

その一方で、正直邦訳は難しいかなと思っていたラナ・フォルーハー(Rana Foroohar)の Don't Be Evil の邦訳が『邪悪に堕ちたGAFA ビッグテックは素晴らしい理念と私たちを裏切った』として7月に刊行される。

彼女が Financial Times に書いたコラムの一部は日本経済新聞のサイトで読めるが、この邦訳もやはり日経BPから出る。

副題は原題とほぼ同じで、本書の性質を正しく伝えている。プラットフォーマー和製英語)と呼ばれる、GAFA(これまた日本で特に多い括り方だけど)に代表される巨大テック企業を批判する本はここでもいくつも紹介してきたが、本書はその創業理念と現実の乖離に特に焦点をあてている。

こないだもティム・ブレイがGoogle の解体について書いていたが日本語訳)、Facebook を含め巨大テック企業への逆風はまだ吹き止まない、といった感じである。

しかしなぁ、本書に推薦の言葉を寄せているショシャナ・ズボフの『監視資本主義の時代』はいつ出るんでしょうなぁ。

「外国人のための妖怪サバイバルガイド/忍者常識マニュアル/幽霊ふれあいガイド」の著者による本格的な日本のポップカルチャー論『Pure Invention』

www.facebook.com

ピーター・バラカンが珍しく本を勧めていた。ざっと訳してみる。

恥ずかしながら、日本に46年住みながら、自分がこの国のポップカルチャーと最小限の関わりしかもたなかったのを認めざるを得ない。私はファイナルファンタジーをプレイしたこともないし、実質まったくアニメを見たこともないし(まぁ、トトロのファンだったけど)、ウォークマンすら持ったこともない。それにゆるキャラの類は総じてゾッとするし……
しかし、そうした諸々にも関わらず、マット・アルトの新刊『Pure Invention』は素晴らしい。彼は第二次世界大戦から現在にいたるまでの主要なブームを網羅し、それらすべてを結び付けているので、日本がメジャーな文化的プレイヤーになぜなったか、いかにしてなったか得心が行く。日本に興味のある人に特にお薦めである。

マット・アルトって、外国人のための妖怪サバイバルガイド外国人のための忍者常識マニュアルや外国人のための幽霊ふれあいガイドを書いてた人か!

正直、今さらなクールジャパン論な気にするのだけど、Penguin Random House のような大出版社から本を出すとなると、これくらいのタイミングになるのかな。

著者のマット・アルトの宣伝動画も参考まで。

これは邦訳も出るんじゃないですかね。

Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World

Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World

  • 作者:Alt, Matt
  • 発売日: 2020/06/23
  • メディア: ペーパーバック

今から65年前、ディズニーランド開園当日の夢の国の写真がまぶしすぎる……

www.oricon.co.jp

ワタシは Disney+ の加入者でないため、『イマジニアリング~夢を形にする人々』は見ることができないのだが、そういえば昨年、ディズニーランド開園当日の写真を集めた記事を読んだ覚えがあるな……と記憶を辿ったら、kottke.org で知った The Atlantic の記事だった。

www.theatlantic.com

もちろん当時存命だったウォルト・ディズニーの写真もあるし、少し前に Twitter でバズったミッキーとミニーよりもさらに不格好な写真などとにかく貴重な写真ばかりである。

なのだけど、記事の最初にある、開園と同時に(多分)ランドの中に走りこむ子供たちの期待に満ちた顔がまぶしすぎて、めまいがしてしまう。これを見ると、「夢の国」という言葉を信じそうになってしまうな。

公開40周年を迎えた映画『ブルース・ブラザーズ』に関する15の事実

www.mentalfloss.com

映画『ブルース・ブラザーズ』についてはだいぶ前に取り上げたことがあるが、この映画も本国アメリカでの公開から40年になるんだな。

ワタシはゴシップ的な雑学には詳しくないので知らない話が多かったが、個人的におっとなったのは以下のあたり。

何度も書くように、アレサ・フランクリンの場面は、ワタシが子供の頃テレビで観た映画でもっとも衝撃を受けたものなのだが、出演時間は10分にも満たないはずで、それでアカデミー助演女優賞にノミネートされていたら、後の『恋におちたシェイクスピア』におけるジュディ・デンチよりも短いことになり、まぁ、ありえんわな。

少しだけお手伝いした矢吹太朗『Webのしくみ Webをいかすための12の道具』(サイエンス社)が来月刊行される

サイエンス社から矢吹太朗さんの『Webのしくみ Webをいかすための12の道具』が来月刊行される(Amazon のページはまだみたい)。

www.saiensu.co.jp

『Webのしくみ』はサイエンス社から出ている「Computer and Web Sciences Library」シリーズの最新刊になる。

実は、著者の矢吹太朗さんからの依頼を受け、ワタシは『Webのしくみ』の査読を行っている。という意味でワタシは、本書の関係者でもある。

矢吹太朗さんからは以前、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』について国会図書館への納本を勧めていただいたことがあり、それが契機となって達人出版会の高橋征義さんによる納本が実現した経緯がある。

基本的にワタシは2016年末以降、原稿執筆や翻訳の依頼をすべて断っているのだが、その矢吹さんからの依頼ということで喜んで参加させていただくことにした。

そうして『Webのしくみ Webをいかすための12の道具』の草稿を読ませていただいたのだが、既にとても優れた内容であり、ワタシの指摘がその改善のお役に立てたかは疑わしかったりする。

そして、これを自分で書くのは恥ずかしいところもあるが、参考文献にワタシの『情報共有の未来』、並びに『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が挙げられており、正直感激もした。

本書は Web の入門書でありながら、著者ならではの目線をしっかり保った本であり、それは目次に並ぶ章タイトルを見るだけでも伝わるのではないか。

『Webのしくみ』、というか「Computer and Web Sciences Library」シリーズ全体が、例えば小中学校で子供にコンピュータを教える教師といった、コンピュータやウェブについて理解する必要のある大人を対象読者としているのだが、コロナ時代において、コンピュータ並びにインターネットを教育分野でこれまで以上に活用する必要のあるお子さんをお持ちの親御さん全般に広くお勧めできる本である。ワタシからもよろしくお願いします。

ようやく出るデヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』邦訳、そして「ゴーストワーク」はテック先端分野における「ケア階級」なのか?

2018年5月に原書を取り上げて以来、ここでも何度か話題にしてきたが、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ』邦訳が来月出る。ワオ!

「ブルシット・ジョブ」とは邦訳の副題にもあるように、無駄で無意味なクソどうでもいい仕事の総称であるが、グレーバーはそれと対極にあたる、医療、教育、介護、保育、あとゴミ収集など地域社会においてとても大事な仕事なのに、その多くは必ずしも経済的に恵まれてない層を「ケア階級」という言葉で表現している。

これについてはブレイディみかこさんが朝日新聞に寄稿した文章が参考になるが、この「ケア階級」が新型コロナウイルスが猛威をふるう世界で、危険の矢面に立つ大変な役割を担ったのは言うまでもない。

www.technologyreview.jp

さて、最近読んだ MIT Technology Review のこの記事における「ゴーストワーク」って、テック先端分野における「ケア階級」なのではないかと連想してしまった。

もちろん両者に相違点もあるが、どちらもとても大事な役割なのに報酬面で日の目が当たらないところなど近いと思ってしまうのだ。

特に「ゴーストワーク」の場合、いわゆる GAFA に代表される巨大テック企業の人工知能の「魔法」のような機能を実現する裏で、膨大な量の学習データをひたすらラベル付けする安月給の人間のホワイトカラー非正規労働者が、日常的にサービス残業を強いられ、労働条件に対する要求が繰り返し退けられてきたというのはなんとも皮肉ではないか。

この記事で紹介されている『ゴーストワーク』という本は一年以上前に出ていたのね。知らなかった。

書籍の公式サイトを見ると、マーティン・フォードダグラス・ラシュコフVirginia Eubanksティム・オライリーヘンリー・ジェンキンスといったこのブログでもおなじみの錚々たる面々が推薦の言葉を寄せている。

人種差別に抗議を表明するGoogleは、その検索エンジンで人種差別を強化している?

ご存知の通り、欧米では多くの企業が Black Lives Matter 運動を支持しており、テック企業(のトップたち)も例外ではない。

しかし、テック企業は「権力の横暴」を助長しているという矛盾を抱えていないか? と疑問を投げかけている記事で、ここで問題となっているのは主に顔認識技術に代表される監視(にも利用されうる)技術で、この記事で Google は警察に位置データを提供していることが触れられている。

さて、Google の金看板は、未だその検索サービスである。しかし、その検索エンジンこそが人種差別を強化していると批判する本が2年前に出ているのだ。Safiya Umoja Noble の『抑圧のアルゴリズム:いかに検索エンジンが人種差別を強化しているか(Algorithms of Oppression: How Search Engines Reinforce Racism)』である。

Algorithms of Oppression: How Search Engines Reinforce Racism

Algorithms of Oppression: How Search Engines Reinforce Racism

  • 作者:Noble, Safiya
  • 発売日: 2018/02/20
  • メディア: ペーパーバック

表紙を見ればお分かりなように、著者の標的はズバリ Google である。

何しろ2年前に出た本なので、この本のことを知ったのはそれなりに前のはずだが、このブログで取り上げる文脈みたいなものをうまくつかめずに紹介する機会を逸していた。しかし、今回の一件を受けて改めて著者の名前で検索をかけたところ、ちゃんと WIRED.jp の記事で彼女の主張が紹介されているのに今さらながら気づいた。

少し長くなるが、以下引用しておく。

ここで思い出したのが、サフィヤ・ウモジャ・ノーブルが著書『Algorithms of Oppression: How Search Engines Reinforce Racism』(抑圧のアルゴリズム検索エンジンがどのように人種差別を強化するか)で取り上げた話である。彼女はこの本のなかでインパクトの大きい例を用いて、Googleの検索結果が誤解を生み出したことを紹介している。

その例とは、ディラン・ルーフによる銃撃事件だ。ルーフは15年、サウスカロライナ州チャールストン市内のエマニュエル・アフリカン・メソジスト・エピスコパル教会に押し入り、礼拝中の9人のアフリカ系米国人を射殺した。彼は動機について、12年のトレイボン・マーティン射殺事件をきっかけに「目を覚ました」と話している。

ルーフの犯行声明によると、彼はGoogleで「black on white crime(白人に対する黒人の犯罪)」というキーワードを検索したという。こんな記述もあった。「最初にたどり着いたのは、極右団体のひとつCouncil of Conservative Citizens(CCC)のウェブサイトだった。黒人が白人の命を残忍に奪った事件について書かれたページがいくつもあり、信じられなかった。そして、このとき何かが大きく間違っていることに気づいた」

政治的対立を生むGoogle検索、そのアルゴリズムが抱える根深い問題 | WIRED.jp

検索エンジンは誰をユーザーとして想定すべきかという問題が、ネットの世界には存在する。ブラジルのミナス・ジェライス連邦大学の研究者たちは、GoogleとBingで「美しい女性(beautiful woman)」を検索すると、結果の上位80パーセントは白人女性の画像になることを発見した。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)でインフォマティクスを研究するサフィヤ・ウモジャ・ノーブルは、Googleで「黒人の女の子(black girls)」と入力すると、検索結果はほとんどがポルノ関連になるという事実に気づいてから、本を書き始めた。そして出版されたのが、『Algorithms of Oppression: How Search Engines Reinforce Racism』だ。

Pinterestは検索結果に、静かに「ダイヴァーシティ」を融合しようとしている | WIRED.jp

Google のサービスと人種問題というと、その画像認識システムが「ゴリラ問題」を解決できなかったことがよく言われるが、その金看板である検索サービスも中立ではないと糾弾されているわけだ。

「黒人コミュニティを支持する」という声明文を出したスンダー・ピチャイ CEO は、著者の主張に反論できるだろうか。

サルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の岩波文庫入りに驚く

サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』というと、20世紀文学を代表する作品とされており、いわゆる名作リスト入りの常連である。ワタシのブログでも取り上げた以下のリストに入っている。

日本ではその単行本が長らく絶版状態だったのだが、岩波文庫入りしている。

ワタシはこれに実はかなりビックリした。岩波文庫に入る本って、既に亡くなった著者のものだけだと思い込んでいたためである。

実際にはそんなこともないみたいだが、文庫本になってアクセスしやすくなり、新しい読者を獲得するのではないか……などと他人事のように書いているが、ワタシ自身これまでは手が伸びなかった人間なので、これを機に読んでみたほうがよいのだろうな。

ジョン・クリーズ『フォルティ・タワーズ』の(一時的な)取り下げにポリコレの行き過ぎを憂う

rockinon.com

モンティ・パイソンの「空飛ぶモンティ・パイソン」は、実は21世紀になってから本国の BBC で一度も再放送されていないという話がある。最近では「リトル・ブリテン」の配信中止もニュースになったが、ブラックユーモアには厳しい時代なのは間違いない。

しかし、Black Lives Matter 抗議デモの影響で、そのパイソンのジョン・クリーズの代表作である「フォルティ・タワーズ」がストリーミング・サービスから取り下げられるってギャグにしか思えない。この言葉を使うと反発もくらうだろうが、こんな取り下げは「文化大革命」に擬せられても仕方ないんじゃないか?

ワタシも Black Lives Matter の重要性は十分に認めるし、その意義に異論はない。しかし、ワタシはコリン・ジョイスが書くような違和感も理解できるのだ。

フロイド殺害(それ自体が衝撃的な事件だ)が明らかに、憂慮すべき事態の一端として起こったアメリカで、激しい怒りが生じて当然だということは、僕も異論はない。でも、これはイギリスでは起こっていないし、イギリスの警察はミネアポリス市警ともニューヨーク市警とも違う。同様の事件が国内で起こっていない以上、イギリスの抗議運動は、許し難い状況に対して怒りが爆発した、というより世界的な流行に乗ってみた、というように見える。

イギリス版「人種差別抗議デモ」への疑問 | コリン・ジョイス | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

2つ目に、反人種差別運動に対して少しでも煩わしさを感じることは、すなわち人種差別主義者と共犯である、とみなされてしまうだけに、反対意見は表明しにくい。イギリス人の大多数がこの抗議運動にギョッとしていることはほぼ間違いないと思うが、「隠れ人種差別主義者だ」とか「白人の特権に安住している」などと見られるのが嫌で、多くの人が意見を口にできずにいる。当局が抗議運動を禁止せず、社会的距離の順守や大規模集会の禁止といった規制に大幅に違反しても警察が黙認した理由も、ここにある。彼らは人種差別主義者との汚名を着せられるのを恐れていたのだ。

イギリス版「人種差別抗議デモ」への疑問 | コリン・ジョイス | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

このコリン・ジョイスの文章については、イギリスの黒人の歴史を正しく反映していないという批判もあるかもしれない。それでも、この「反対意見の表明しにくさ」を背景にポリティカルコレクトネスが行き過ぎるのをどうしてもワタシは恐れてしまう。

しかし、この調子だと、ほとんどの歴史的偉人の銅像が引きずりおろされてしまうんじゃないか?

今回問題となった The Germans については、ワタシも以前ブログで触れている。

この回は、頭を打って波長がおかしくなった(ジョン・クリーズ演じる)主人公のホテルオーナーのバジル・フォルティーが、ドイツ人の客を迎えるにあたり、従業員に「戦争の話はするな!」と言いながら、ナチスの侵略行為についてどうしても言及してしまい、ドイツ人客を泣かせるは怒らせるは、しまいにはアドルフ・ヒトラーの真似をやらかし(ジョン・クリーズは「空飛ぶモンティ・パイソン」でも一度ヒトラーに扮している)、そのまま「ばか歩き」を披露するというメチャクチャな展開で、これを見ると今でもイギリスの年輩者は死ぬほど笑うのである。

英国のEU離脱とモンティ・パイソン(ジョン・クリーズ) - YAMDAS現更新履歴

これは英国が EU 離脱を決めたときに書いたもので、もう4年になるんやね……。前述のような事情もあり、モンティ・パイソンのブラックな笑いには逆風が吹くこともあり、現在までジョン・クリーズテリー・ギリアムの発言はときどき炎上してきた。しかし、まさか「フォルティ・タワーズ」で取り下げ騒動が起こるとは。

variety.com

結局、ジョン・クリーズの抗議もあってか、問題の回の取り下げは撤回されたようである。

それでは、問題の The Germans のクライマックスのシーンの動画を今回もはっておこう。言っておくが、これは BBCBBC Comedy Greats チャンネルで公開しているものなので、堂々と紹介できるのである。

なお、そのジョン・クリーズは、新しいツアーをずばり「私が死ぬ前に会える最後のチャンス(Last Time To See Me Before I Die)」と銘打っていて笑ってしまった。背景の山は天使の羽を模してるだろ、これ。


この人、三度目の離婚で財産分与をがっぽりやられた後、「離婚手当ツアー」と銘打ったショーをやっており、このパイソンらしい身も蓋もないブラックさは健在とは言える。

フォルティ・タワーズ DVD-BOX  [DVD]

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  • 発売日: 2008/03/19
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ルース・エドガー

ルース・エドガー [Blu-ray]

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  • 発売日: 2020/12/02
  • メディア: Blu-ray

昔、ワタシは映画館を女性を誘って行く場所だとなんとなく思い込んでいて、なので映画館に行く機会は当然のように多くなかった。2008年くらいだったと思うが、そんなわけないじゃん、という当たり前のことに突然気づき、また当時仕事がひどく忙しくて頭にきて、意地で金曜夜に車を飛ばしてシネコンに一人でレイトショーを観に行くようになった。

それからの10年あまり、だいたい年20本台映画を映画館で観ている。平均すれば月1、2本くらいで大したレベルではないのだけど、それでもとにかくコンスタントに映画館に足を運んだわけだ。

しかし、ご存知の通りの事情で、長らく映画館に行けなかった。最後が2月末に観た『ミッドサマー』だから、もう3か月以上映画館に足を運ばなかったことになる。この10年あまり、体調を崩したり、仕事が忙しかったりで月単位で間が空くことはあったが、3か月以上というのは一度もなかった。

緊急事態宣言明けでワタシの住んでるところの近くにあるシネコンも営業を再開していたが、旧作ばかりの上映だったので行く気になれなかった。それがこの週末あたりから新作も入ってきたので、久方ぶりに映画館に出向いた。未だ映画館は金曜夜にレイトショーを観に行くというスタイルがワタシの基本なのだけど、さすがに今はそれは望めない。

元々はジム・ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』を考えていたのだが、評判を小耳に挟んだ『ルース・エドガー』を(客としての)復帰第一作とさせてもらった。

2019年に本国アメリカで公開された本作が、ミネアポリスアフリカ系アメリカ人のジョージ・フロイドが警察官に首を膝で押さえつけられ死亡した事件を発端とした Black Lives Matter 抗議活動の盛り上がりとそれに伴う騒動が報じられるこの2020年6月の日本で公開されたのは偶然なのだが、期せずして時宜にかなった作品になっている。

ただ本作の主人公のルース・エドガーは、窃盗や薬物所持で逮捕歴があり、強盗容疑で起訴されたこともあったジョージ・フロイドとは真逆とも言える、弁舌に優れ、学業もスポーツもこなし、周りの信望も厚い出木杉君な優等生の高校生だ。

その彼に疑惑の影を、やはりアフリカ系アメリカ人である世界史の教師ハリエットが見出すところから本作は動き出すのだが、ケルヴィン・ハリソン・Jr のイヤミのない優等生である主人公の演技が醸し出す不穏さが巧みで、観客も彼は本当はどうなんだという緊張が途切れない。本作はとにかくスリラーとして優れている。

彼の周りで、主人公への疑いをぬぐえない世界史の教師と問題を抱えるその従姉妹、アフリカの紛争地帯から幼い主人公を養子に迎えこれまで愛情を注いできた夫婦のそれぞれの問題も描かれていて、彼らが人間として抱える後ろ暗さが、単なる優等生でもない、だからといって仮面で周りをだます悪人でもない主人公の造形とともに物語に厚みを加えている。

なんといってもナオミ・ワッツ演じる母親と対する場面で主人公が訴える、期待の重圧に窒息しそうなこと(そういえば、エリック・ガーナーもジョージ・フロイドも、「息ができない」と訴えて死んでいった)、自分は聖人でなければ怪物扱いなのかというフラストレーション、そして最後に対峙するオクタヴィア・スペンサーが演じるハリエットと主人公の議論、特に自分もお前も同じ箱に入れられており、その箱に光が差し込むことはまれで、光がまったく届かない人だっているというハリエットの言葉は(劇中黒人らしくない名前と言われる主人公のルースという名前は「光」という意味の皮肉)、まさに今問題となっている軋みと黒人が日常的に抱える圧力を理解する助けになるだろう。

さて、アメリカでの抗議デモにおいて、3人の黒人男性のやりとりが話題になったが、この3人の男性の年齢は45歳、31歳、16歳で、年長者はジョージ・フロイドと同年代、そして若年者は本作の主人公と同年代にあたる。というか、ジョージ・フロイドはワタシと同い年で、上で彼の前科について触れたが、これは彼を貶めたいのではなく、例えばワタシにしても生まれる環境が違えば、今の年齢になるまでにそれがつく可能性があるということだ。そして、本作の主人公くらいの歳の子供がワタシにいてもおかしくないのである。

本作のエンディングの主人公の表情を見る限り、彼を窒息させる重圧が続くことが分かり、そのモヤモヤを観客も共有することになるのだけど、とにかくスリリングな秀作であった。

2020年においてもオープンソースの持続可能性、そしてビジネスモデルは一筋縄にはいかない

www.techrepublic.com

Slashdot で知った記事だが、タイトルの通り、オープンソースの持続可能性、そしてはそれは単純ではないという話である。

この記事の執筆者は Matt Asay で、彼はおよそ10年前に Canonical の COO を退任しているが、現在は AmazonAWS 部門で働いているのね。

その彼は最近、オープンソースプロジェクトのメンテナに何人もインタビューしたそうだが、そのインタビューイの大半はプロジェクトのサポートでお金を得ていないという。企業から開発に専念できるよう資金援助の申し出がある人もいるがそれは例外的な存在である。

オープンソースの開発やメンテナンスを無償でやってるのは悪い話か? というと話はそう単純ではない。

Linux Foundation の要職にある Chris Aniszczyk は、寄付でオープンソースプロジェクトを維持するモデルを「オープンソースのギグエコノミー、チップ入れ」と呼び、それはスケールしないと否定的な立場をとる。仲間と会社を立ち上げてそれをビジネスにするべきというのが彼の考えである。

しかし、オープンソースとのかかわりを9時5時の会社仕事にしたくないと考える開発者が多いことも予想できるわけで、そういうわけで「オープンソースの持続可能性」に唯一の正答は存在せず、一筋縄にはいかない。

Matt Asay がインタビューしたオープンソースプロジェクトのメンテナたちの大半は、空き時間を費やす「楽しみ」としてオープンソースに関わりだしており(Just for Fun ですね)、その対価を受けることは期待してなかった。

Chris Aniszczyk の考えは、ここでオープンソース開発者の現実とぶつかる。(会社を作って)給料をもらうことこそもっとも持続可能性のある収入源であるという彼の考えは合理的ではあるが、そもそも開発者の多くはそれを必ずしも望んではいない。

ならば企業はどうすればよいのか? オープンソースプロジェクトを支援したい企業は今では多いが、その支援方法は必ずしも明白ではない。この文章では musl libc(Linux 向け標準 C ライブラリ)の Rich Felker などの事例、PowerDNS や(Wireshark の作者 Gerald Combs を抱える)Riverbed の事例が企業がオープンソースプロジェクトを独占せずに折り合いをつけている事例が紹介されているが、やはりオープンソースの持続可能性の答えは一つではなく、プロジェクトごと、コミュニティごとに考える必要があるというところに立ち戻ることになる。

www.oreilly.com

続いては、Chef の共同創始者にして CTO だった Adam Jacob やマイク・ルキダスなどが著者に名前を連ねる「オープンソースのビジネス」についての文章である。

基本的には Adam Jacob による Chef のライセンスの「オープンコア」モデルから「Red Hat」モデルへの変更についてのコメントとそれに対する Nat Torkington の反応が中心なのだが、その前提として(これは上でリンクしたマイク・ルキダスの文章でも問題になっている)Amazon などの主要なクラウド企業が、オープンソースを都合よく利用しながら(そのオープンソースソフトウェアのライセンスはそれを妨げることができない)、オープンソース企業への不安と恐怖を煽っている問題である。

Stephen O'Grady はこれを「クラウドとオープンソースの火薬庫」という言葉で表現しているが、クラウド企業の動きに対して、オープンソース企業の多くはライセンスと配布モデルを変えて対抗している。その変更とはすなわち、ソフトウェアが少しオープンではなくなるということだ。

フリーソフトウェアの ElasticSearch に独占的なコンポーネントを付けて配布する Elastic がその一例だが、Chef はそれとは違う方向性を模索している。Chef は2019年4月にオープンソース宣言を行っているが、それは一つ落とし穴(という表現は悪いが)がある。Chef は商標登録されており、そのソフトウェアを再配布するのは可能だが、その際それを Chef と呼んではならない。このやり方は Red Hat のモデルに倣ったものである。

で、持続可能性のあるオープンソースコミュニティについて The Sustainable Free and Open Source Communities Book という本を執筆している Adam Jacob は、この決定時点で彼は Chef を離れていたにも関わらず、彼はその決定を支持しているんですね。

つまり、彼はその決定がオープンソースソフトウェアで健全なビジネスをやるのに重要だとみているわけなのだが、その根拠については(特に Nat Torkington とのやりとり)原文を読んでくだされ。

それを受けてこの文章の著者(多分、マイク・ルキダス)は以下のように書いている。

数年前、オライリーOSCon のテーマは「オープンソースは勝利した」だった。確かに、新しいプログラミング言語にしろ、新しいウェブのフレームワークにしろ、新しいデプロイメントツールにしろ、機械学習の新しいライブラリなどにしろ、それがオープンソースでなくて成功すると考えるのは難しい。我々の考え方は変わったのだ。しかし、いつにしろ早まった勝利宣言は危険だし、この30年オープンソースは異端の運動から主流に変わってきたとはいえ、オープンソースのビジネスモデルは未だ課題だらけである。Chef から Elastic まで多様な企業が新しいモデルを試みている。Chef のモデルはオープンで、明快で、なおかつ強力なコミュニティを作ることを目指している。

というわけで、オープンソースの持続可能性にしろビジネスモデルにしろ、全方位的に歯切れのよい話はそうそうないわけである。両者についての話は今になって持ち上がったものではなく、それこそこの20年、何度も議論されてきたことである。後者について最初に本格的に論じられたのはエリック・レイモンドの「魔法のおなべ」だと思うが、それ以降これを刷新する決定版となるオープンソースのビジネスモデルについての論考はあるのだろうか。

伽藍とバザール

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  • 作者:E.S.Raymond
  • 発売日: 2010/07/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

バーチャルリアリティー環境のパソコンでDOSを動かす……ってなんじゃそりゃ!

少し前になるが、Four short linksVirtual Reality DOS というプロジェクトを知る。「バーチャルリアリティーDOS」ってなんだ?

sonictruth.github.io

……と思ったら、これが実際に稼働しているサイトを見て驚いた。これは本当に「バーチャルリアリティーDOS」である。つまり、バーチャルリアリティー環境で、DOS が動作するパソコンのエミュレータなのだ。

これにどんな現代的な意義があるのかワタシには正直分からんのだが、世の中面白いことを考える人もいるもんだ、と昨今のコロナ禍ですさんだ世相に欠けたバカバカしい楽しさ(失礼)があるように思ったので取り上げさせてもらった。

一応、テトリスもできるぞ!

ところでこのプロジェクトのソースコードのライセンスは何なんだろう?

ロサンゼルスで日本の家庭料理を広めるために活動する酒井園子さんの講演動画

Talks at Google に久方ぶりに日本人と思しき方の講演があがっているのを知った。

完全に英語で講演をされているこの方はどなたと調べたら、酒井園子(Sonoko Sakai)という、日本の家庭料理を広める活動をされてる方なのね。

ニューヨークで生まれ、東京、サンフランシスコ、メキシコで育った方で、映画プロデューサーをしていたが、リーマンショック時の挫折を経て、料理講師/フードライター/日本食プロデューサーに転じたとのこと。すごい転身やね。

アフターコロナ時代となったとき、国際的な日本料理の受容に変化はあるのかなと思ったりする。

Japanese Home Cooking: Simple Meals, Authentic Flavors

Japanese Home Cooking: Simple Meals, Authentic Flavors

  • 作者:Sakai, Sonoko
  • 発売日: 2019/11/19
  • メディア: ハードカバー

史上最高のスポーツドキュメンタリー50選

kottke.org 経由で知った Axios のページだが、史上最高のスポーツドキュメンタリーを50本選んでいる。

もちろんアメリカ視点であり、スポーツドキュメンタリーとなると日本ではなじみのない作品も多いが、トップ10ともなるとさすがに知った作品が多い。

  1. ティーブ・ジェームズ『フープ・ドリームス』(asin:B000K7VIOU
  2. エズラ・エデルマン『O.J.: Made in America』
  3. ジェイソン・ヘーヒル『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』
  4. レオン・ギャスト『モハメド・アリ かけがえのない日々』(asin:B000A16QIE
  5. ブライアン・フォーゲル『イカロス』
  6. アシフ・カパディア『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』(asin:B006QJT578
  7. ケン・バーンズ『シリーズ:野球』
  8. ダニエル・ゴードン『ヒルズボロの悲劇
  9. ブルース・ブラウン『エンドレス・サマー』(asin:B00J7XXXIC
  10. エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ『フリーソロ』(asin:B07YXZXF4Y

ここでも Netflix 配信作品が2本入っている。ワタシはいずれも観れてないんだよなー。2位の O.J. のは WIRED.jp の記事を読んで観たくなったが、日本で放映されたっけ?(というか、これスポーツドキュメンタリーなのか?) この中でちゃんと観たことがあるのは、ワタシの場合『モハメド・アリ かけがえのない日々』だけである。

そうそう、今月15日に BS プレミアムで『フリーソロ』が放送されるので、録画して観よう。

日本に関する作品となると、20位に市川崑東京オリンピック』が入っている。4K リマスター版 Blu-ray が来月発売になりますね。

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