当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』が文庫化されようとしている今、残された「最後の大物」は何か?

prtimes.jp

情報は昨年既に公になっていたが、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』が、彼の死去から10年になる今年、遂に新潮文庫より文庫化される。

いつからか「文庫化したら世界が滅びる?」などと一部で言われていたらしいが、6月26日にそれが本当か確かめられる。

やはり新潮社の純文学書下ろし特別作品はなかなか文庫化されなかったことで知られ、安部公房砂の女』、大江健三郎『個人的な体験』、遠藤周作『沈黙』といった昭和文学を代表する作品は、文庫化まで15年以上かかっている……が、それは随分前の話である。

生前の文庫化を拒否していた埴谷雄高小島信夫『別れる理由』のような一種の事故物件(失礼)といったレアケースはあるが、『百年の孤独』のように、1972年の刊行から50年以上を経ての文庫化というのは、海外文学であることを加味してもやはり格別である。

個人的には4年前のサルマン・ラシュディ『真夜中の子供たち』の岩波文庫入りも驚きだったが、これは単にワタシが存命著者の著書は岩波文庫に入らないと勘違いしていたせいである。

文庫化といえば、浅田彰『構造と力』の40年を経ての文庫化も昨年末に話題となった。ワタシなど、そうか、文庫化って小説だけじゃないんだ、と当たり前のことを再認識したが、そうした意味で、文庫化が残されている「最後の大物」はなんになるだろうか?

奇しくも今年、ウンベルト・エーコ薔薇の名前』の「完全版」が出ることが告知され、またジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイク』も復刊されるなどいろいろ動きがある。『フィネガンズ・ウェイク』は20年前に一度文庫化されているが、一方で『薔薇の名前』の文庫化はまだないことになる(「完全版」が文庫版でなければ)。

文庫化が待たれる「最後の大物」、これについては読書家であれば一家言あるだろうが、ワタシはリチャード・ドーキンス利己的な遺伝子』を推したい。1980年の邦訳刊行以降、増補新装版40周年記念版と新装版が何度か出ていることも『百年の孤独』と共通するし、そういう新版が出るということは、『利己的な遺伝子』が現役の影響力をもち、それなりに売れ続けた本だからだろう。

紀伊國屋書店様、原著刊行50周年の2026年あたり、いかがでしょうか?

さて、最後に『百年の孤独』の個人的な思い出話を書いておく。ガブリエル・ガルシア=マルケスの小説は、『エレンディア』、『族長の秋』『予告された殺人の記録』といった(要は文庫化された)作品を読んでおり、『百年の孤独』もさんざん躊躇した挙句、新装版が出たときに満を持して購入した。

しかし……今にいたるまで、まったく手をつけておらず、読んでいない。ダメダメじゃん。

というわけで、文庫版を買い直すことになると思うが、果たして生きている間に読破する時間をとれるだろうか?

AI界隈で「オープンソース」が最新のバズワードになっている……って何をいまさら

www.technologyreview.com

日本語版にはまだ翻訳があがってないので取り上げておく。

[追記]:日本語版に「誰もがオープンと言い出した ——AI業界で攻防、オープンソースの定義を巡り」が公開されている。

「テック業界はオープンソース AI のなんたるかで合意できない。それは問題だ――その答えが、このテクノロジーの未来を誰が形作るかを決めるかもしれない」という文章である。記事の冒頭を訳してみよう。

突如として、AI 界隈で「オープンソース」が最新のバズワードになっている。Meta はオープンソースの汎用人工知能を作ると宣言した。またイーロン・マスクは、AI モデルをオープンソースにしていないと OpenAI を訴えている。

時を同じくして、オープンソースの覇者として名乗りを上げるテックリーダーや企業も増えている。

しかし、根本的な問題がある――「オープンソース AI」が何を意味するのか、誰も同意できないのだ。

おいおい、これはまさにワタシが昨年前に既に書いた話ではないか……くらいは言っていいよね?

wirelesswire.jp

そして、この記事はこの問題への OSI の取り組み、そしてステファノ・マフリのコメントをとっているのだが、まぁ、そうでしょうね。

Meta の取り組みとその狙いについても、ワタシが二月前に書いた通りですな。

そして、Google は「オープン」とは言うが「オープンソース」とは言わない微妙な違いがあること、いずれにしてもユースケースに基づく制約を課すこれらの企業のモデルをオープンソースとは言えないことにちゃんと触れている。

そして、マフリが訓練データがオープンになってない点について触れているが、これがビッグテックの競争力の源泉である以上、これが簡単にオープンになるとは思えない。

記事では「ホワイトウォッシュ」ならぬ「オープンウォッシュ(open washing)」なんて言葉も出てくるが、オープンソースが企業の競争力の欠かさざるピースになっている現実に触れながら、こと「オープンソース AI」の定義についてはやはり合意が難しいようで、どこかで「現実路線」を見極める必要があるのではというコメントで記事は締められている。

ネタ元は O’Reilly Radar

データサイエンティストブームの立役者ネイト・シルバーの10年以上ぶりの新刊『On The Edge』が出る

www.natesilver.net

柏野雄太さんの投稿で知ったのだが、ネイト・シルバーの『シグナル&ノイズ』以来、実に10年以上ぶりになる新刊 On the Edge が8月に刊行される。

ネイト・シルバーといえば統計学者として知られ、FiveThirtyEight を立ち上げて選挙の予想を行い、2008年のアメリカ大統領選挙でほぼすべての州の勝者を予測したことで一躍名をあげ、翌年には TIME の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。そして、上記の『シグナル&ノイズ』を刊行したあたりでその名声は頂点を迎えた。

彼は、ゼロ年代後半以降にデータ・サイエンティストがもてはやされるようになった最大の立役者といえるだろう。

しかし、2016年の大統領選挙でドナルド・トランプの勝利を予測できず、威光に陰りを見せた。彼が立ち上げた FiveThirtyEight が New York Times ブランドに入ったあたりまでは追っていたが、2013年には ESPN に買収されてたのね。そして、2018年には ESPN から ABC のニュース部門に移ったが、2023年に行われたレイオフで、創始者の彼も追い出されてしまった。

その後はポーカーのセミプロとしてプレーしながら(ポーカー自体は昔からかなりやっていたとな)Substack を舞台に執筆をつづけているが、今回「すべてを賭ける技術」という副題の本を出すことになった。カジノからベンチャーキャピタリストまで、プロのリスクテイカーに取材した本であり、執筆に3年かけたそうな。

本の第一部はポーカーやギャンブル周りの話、第二部ではイーロン・マスクやピーター・ティール、そしてさきごろ7つの罪で禁錮25年の判決を受けたサム・バンクマン=フリードなどの話、そして第三部では OpenAI のサム・アルトマンの話が出てくるようで、ポーカーには興味ない人でもテック関係でいろいろ読みどころがありそうだ。

今週の来日公演の前にエルヴィス・コステロの全アルバムを辿る

nme-jp.com

今週、エルヴィス・コステロの来日公演が行われる。残念ながら、田舎暮らしのワタシは行けないのだが、先月より、彼についての日本語情報と言えばここというべき COSTELLOG において、来日カウントダウン企画として1日1枚ずつ行われる彼のアルバム紹介で彼のキャリアを辿らせてもらった。

  1. My Aim Is True (1977)
  2. This Year's Model (1978)
  3. Armed Forces (1979)
  4. Get Happy!! (1980)
  5. Trust (1981)
  6. Almost Blue (1981)
  7. Imperial Bedroom (1982)
  8. Punch The Clock (1983)
  9. Goodbye Cruel World (1984)
  10. King Of America (1986)
  11. Blood & Chocolate (1986)
  12. Spike (1989)
  13. Mighty Like A Rose (1991)
  14. The Juliet Letters (1993)
  15. Brutal Youth (1994)
  16. Kojak Variety (1995)
  17. All This Useless Beauty (1996)
  18. Painted From Memory (1998)
  19. For The Stars (2001)
  20. When I Was Cruel (2002)
  21. North (2003)
  22. The Delivery Man (2004)
  23. Il Sogno (2004)
  24. The River In Reverse (2006)
  25. Momofuku (2008)
  26. Secret, Profane & Sugarcane (1991)
  27. National Ransom (2010)
  28. Wise Up Ghost (2013)
  29. Look Now (2018)
  30. Hey Clockface (2020)
  31. The Boy Named If (2022)

実に30枚超! こういうリストを見ると、90年代以降は共演、共作アルバムが増えるとはいえ、コステロが本当に多作なのが分かる。健康問題があった時期をのぞき、アルバムリリースに3年以上空いたことがほとんどないというのは驚異的である。

ワタシ自身、コステロのことはずっと好きなのだけど、微妙に縁がなくて、CD を所有しているのは『My Aim Is True』とベスト盤だけだったりする。

彼のアルバムでベストとなると、一般的には『This Year's Model』が挙げられることが多いようだが、ワタシが一番好きなアルバムは……うーん、『Get Happy!!』かな。しかし、彼の場合、バックバンドのアトラクションズ(の主にブルース・トーマス)との労働争議、唐突にカントリーのカバーアルバムを作るなど振れ幅の大きさ、そして(特に80年代の)一部の旧作に対する厳しさなどあって、ずっと過渡期のイメージというか、どのアルバムもワタシの中で決定的と言えないところが正直ある。

しかし、現時点での最新作『The Boy Named If』が何の留保も言い訳もなく素晴らしくて、もはや大ベテランの域に達した彼の優れた新作を享受できる幸福をリリース時に感じたものだ。上記の紹介文を読み、自分がちゃんと聴いていないアルバムがいくつもあるのを再確認したし(しかし、彼ほどの人でもストリーミング配信されてないアルバムがあるのな)、あんまりピンとこなかったアルバムについても紹介文を読むことで再聴するよい機会を得られた。ありがたいことである。

超低予算の学生映画『ダーク・スター』がいかにSF映画を変えたか

www.bbc.com

ジョン・カーペンター(製作、監督、脚本、音楽など)とダン・オバノン(脚本、出演、編集など)がタッグを組み、卒業制作として6万ドルという超低予算で撮り、1974年に公開された映画『ダーク・スター』が、『エイリアン』などその後の SF 映画にいかに影響を与えたかについて、公開50周年を機にふりかえる記事である。

当時の SF 映画は、『サイレント・ランニング』や『THX-138』など殺伐としたディストピアものが多かったが、『ダーク・スター』にはその暗く絶望的な世界をさらに一歩進めた不条理なニヒリズムがある。

カーペンターとオバノンは、人類の本質を求めたキューブリックの『2001年宇宙の旅』の向こうをはり、人生に意味などないというある意味『2001年宇宙の旅』のパロディーを目指したというコメントが紹介されている。

何より超低予算なので、あらゆることに創意工夫が必要で、それは画面をみていても分かる。強い個性の持ち主であるカーペンターとオバノンが協力し合ってできた映画だが、映画制作のプロセスはやはり険悪にもなったようで、『ダーク・スター』の後に二人がタッグを組むことはなかった。

公開された『ダーク・スター』は商業的には成功しなかったが、VHS の普及によりこの映画が発見され、カルト映画の地位に押し上げられることになる。

その後のジョン・カーペンター映画にも『ダーク・スター』の影響はもちろん見ることができるが、その後の SF 映画への最大の影響といえば、なんといってもオバノン自身が脚本を手がけたリドリー・スコットの『エイリアン』に違いない。

カーペンターはその後ホラー映画の巨匠となり、オバノンも『バタリアン』の監督、脚本、『トータル・リコール』の脚本などを手がけたが、2009年に亡くなっている。カーペンターも、ほぼそのあたりで新作を監督することはなくなった。

ネタ元は Slashdot

オッペンハイマー

ようやく日本でも観れたわけだが、アカデミー賞7部門を受賞した本作が、下手すれば日本で公開されなかったかもしれないのはとんでもない話である。

クリストファー・ノーランの映画は IMAX というのがもはや周知されており、ワタシの住む田舎でも IMAX シアターは急速に座席が埋まっていた。難解という話を小耳に挟んでいたので、まずは初回は通常のスクリーンで鑑賞し、面白ければ2回目を少しは客の波が引いた IMAX で観ようと考えた。

本作も上映時間が3時間だが、シネコンに向かう前に大福を食べるという準備のおかげで問題なく乗り切れた。今後、2時間半超の映画を観る際には、餅か大福の摂取を心がけたい。

以下、遠慮なくストーリーに触れるので、未見の方はご注意ください。

本作は、1954年のロバート・オッペンハイマー聴聞会、そして1959年のルイス・ストローズの公聴会が交互に描かれ、そしてそれぞれでオッペンハイマー並びにストローズの回想が入るといういささか入り組んだ構成になっている。それを分かっていないと、時間軸としてもっとも後のストローズの公聴会が白黒で描かれるのに混乱するかもしれない。聴聞について作中、「これは法廷ではない」と何度も繰り返されるが、本作は一種の法廷劇でもある。

また、登場人物にキャプションなんてつかないので、うぃきっぺレベルでもオッペンハイマーをはじめとする主要登場人物について知っておいたほうが……と書いていて、芦田央さんの「映画『オッペンハイマー』の登場人物・歴史背景ガイド」を知った。少なくともこれを読んでおきましょう。

登場人物でいえば、ジョン・フォン・ノイマンが登場しないのが気になったが、個人的にはマシュー・モディーンがヴァネヴァー・ブッシュを演じているのにおっとなった。しかし、ボンゴを叩いている人物が出てくるだけで、それが誰か分かるというのもすごいよな(笑)。

少し前にアン・ハサウェイがクリストファー・ノーラン監督にキャリアを救われた話を語っていたが、ノーランはメールアドレスすら持ってない人なので、ネットに毒されることなくそうした「空気」を読まないところがある。少し前まで80年代に活躍したがその後停滞してるベテラン俳優を律儀に起用していた印象があるが(マシュー・モディーンもその一人)、本作におけるアーネスト・ローレンス役のジョシュ・ハートネットの起用もそうした意味で意外なキャスティングのひとつかもしれない。

あとベニー・サフディが、『リコリス・ピザ』に続き、「水爆の父」エドワード・テラーを好演している(そのテラーと最後に対峙するエミリー・ブラント演じるキティのすごい表情!)。

本作を観て、こんなことを思うのはワタシだけだと思うが、『ボーはおそれている』を連想してしまった。

なんだそれと思われるだろうが、この二作は意図せずいくつも共通点がある。まず3時間の上映時間、いずれもユダヤ人の受難の物語であること、そして何より、いずれも後半になって一種の陰謀劇になるところ。もちろん両者は映画としての質がまったく違うのだけど、ワタシがこれを連想したのは、本作の音響にもある。

最初の鑑賞を通常のスクリーンにしたのは、原子爆弾の場面をのぞけば、IMAX で観る必然性はそこまでなかろうとたかを括っていたところが正直ある。ところが、本作の音響はすさまじい。冒頭から音響や映像の効果がビシバシ入り、やはり、IMAX がふさわしいと思った次第。しかも、その音響効果がショックの役割を果たしている。それに加え、本作の時間軸を飛びまくる構成とその中で常に主人公が少し困惑しているように見えるところに少し『スローターハウス5』味があったこと、そして、オッペンハイマー聴聞会ではっきりホラーの文体で撮られている場面があり、そうした映画を想起したのかもしれない。

本作の日本公開がここまで遅れたのは、言うまでもないが、本作の主人公が「原爆の父」として知られる人物だからだ。ワタシ自身は、母親と父方の祖母が被爆者であり、伯父(父親の兄)が原爆で亡くなっている。ここまでは以前も書いたことがある。しかし、数年前に伯母(母親の姉)から、実は父親も被爆者だったのを教えられ、仰天したものである。その父親は、自身も被爆者なのに認定を受けてないことについて、生前一切子供らに語ることはなかった。

両親とも80代で他界しており、いずれも被爆の後遺症はほぼなかったと推測される。それでもワタシ自身、原爆については、とてもここで簡単に書ききれないくらいにはいろいろ思うところがある。本作に広島や長崎の描写がないことは既に報道されていたが、これについては朝長万左男氏の見解に近いと書いておいてよいだろう。しかし、クリストファー・ノーランの実写撮影のリアリティへの執着を知るにつけ、本作で象徴的に描かれる原爆の被害描写の浅さに、そこに何ら力点が置かれてないのが明確に伝わりもした(これはオッペンハイマーの想像力の限界を表現したものかもしれないが)。

本作を観れば、ユダヤ系である主人公が、ナチスだけには先を越されてはならぬと原爆の開発に突き進むのは理解できる(ように観客は誘導される)。しかし、そのドイツが降伏した後は、米国の力の誇示のためにとにかく原爆を落とすことが目的化し、日本がその対象になるのを誰も止めることができない。キリアン・マーフィー演じるオッペンハイマーは寡黙な人物として描かれているので、その内心について観客に想像の余地があるが、彼も日本への投下に加担していることが描かれる。そして、本作で語られるナラティブは、従来からアメリカで語られてきた主張から一歩も出るところはない。

マンハッタン計画より前の共産党や労働運動の関わりなど、オッペンハイマーは脇の甘い人物であり、腹立たしいような扇動的なことも口走ってしまう。それが終戦から10年近く経ち、聴聞会で責め立てられるのにつながるわけだが、ここでオッペンハイマーを悪辣に詰問するR・ロッブの問い、いつからオッペンハイマーは水爆に反対するようになったか、核兵器の開発についての心変わりがいつどのように起きたのかといったことは、(その聴聞会自体がルイス・ストローズによるオッペンハイマーを失墜させる陰謀であることを承知したうえで)本作におけるオッペンハイマーの言動のちぐはぐさと彼の責任を考えるうえで、実は重要なことなのである。

いや、そんなのは、物事の理解の深まりや状況の変化とともに変わるのは当然じゃないか、というのはもちろんワタシにも分かる。が、本作ではオッペンハイマーの天才性というか揺るぎのなさも描かれている。本作の主人公はオッペンハイマー、そしてルイス・ストローズなのだが、オッペンハイマーの回想においてストローズはまったく重要人物ではない。鼻にもかけていない。それはストローズの回想でも描かれており、その両者の回想が映画の後半で重なるところにストーリー理解の妙があるわけだが、本作で描かれる天才の倨傲とそれを追い落とす「卑しい靴売り」の嫉妬心、恨み心はオッペンハイマーとストローズの二人だけの問題ではない。

本作前半に描かれる何もないロスアラモスに急ピッチで科学者(一家)の街が作られる(一方で家にキッチンがなく、あっさりと「だったら作ればいい」と言い放たれる無茶苦茶さ加減)マンハッタン計画の興奮、ナチスドイツ降伏後に原爆開発の最終段階を迎え、危惧する声が増えながらもトリニティ実験で強制的にその偉大な破壊力を目の当たりにする恍惚、そして戦後になってから成果のしっぺ返しをオッペンハイマーがくらう聴聞会とともにストローズの陰謀劇が明らかになるわけだが、うまいと思ったのは、オッペンハイマーの成功と没落については、少なくともこの映画を観ようと思う人なら大枠知っているだろう。しかし、ストローズについてはアメリカ人観客の多くも事前知識はあまりないはずで、彼の公聴会が果たしてどうなるのかというスリルが本作の最後半に残される。

しかし、そこまでいかにもチョイ役っぽい、しかも二度までも主人公に邪険に扱われているラミ・マレック(演じるヒル)が一気にひっくり返すストーリーテリングのうまさに素直に唸らされた。それでも、ここまでで観客は、オッペンハイマーが主導したマンハッタン計画の興奮、そしてその後のしっぺ返しに十分な居心地の悪さを確かに覚えている。それを強く再確認させるアインシュタインオッペンハイマーの会話の中身が分かるエンディングも見事だった。

というわけで、日本人であるワタシから見れば本作にある種の空虚さを覚えるのは仕方ないのだが、映画としてまぎれもなく傑作なので、多くの人に観てほしい。ワタシも「追いオッペン」を今週末に IMAX シアターでできればと考えている。

Gmailがサービス開始から20年になる

www.theverge.com

Google が無料電子メールサービス Gmailの 開始を告知したのが2004年4月1日、つまりちょうど20年前なんですな。4月1日の告知、また個人に無料で 1GB のストレージを提供するのが当時は衝撃的だったため、当初エイプリルフールの冗談ネタすら疑われた Gmail は確かに世界を変えた。

しかし、20年経ち、Gmail を開きたくてたまらないという人を私は知らない。受信箱の管理は往々にして面倒で、Slack や WhatsApp といった他のメッセージングアプリが、我々のオンラインコミュニケーションを支配している。かつてゲームチェンジャーだった Gmail は、今では脇に追いやられてしまった感がある。これからの20年も Gmail は我々の生活の中心にあるのだろうか? それとも、Gmail――そして電子メール――は過去の遺物になるのだろうか?

この20年間、GoogleGmail を少しずつ変更してきたが、変化よりも安定や信頼を重んじてきた(とはいえ、20年前の Gmail の画面を見たら、随分今と違うと驚くことは間違いない)。それは電子メールがオンラインコミュニケーションの主役でなくなり、メッセージングアプリがその座にとってかわった反映でもある。

しかし、アーカイブ機能と検索機能だけは、Gmail がメッセージングアプリに対して絶対的に持つ優位性である。本名と yomoyomo というオンラインペルソナを分けているワタシの場合は少し事情が異なるのだが、Gmail にこの20年の人生のメタ情報が大方蓄積されているという人も多いだろう。

Gmail はインターネットのパスポートのようなものだ。何かサイトやサービスで新しいアカウントを作るたびに、それは私の Gmail に紐づいている。多くの場合、それは私のユーザ名も兼ねている。Gmailは、あらゆる私のアプリ、ヘルスケア、税金、銀行口座――つまり、私のデジタルライフのすべて――へのチケットなのだ。それが必要になれば、私は Gmail に立ち戻る。もはや Gmail を開くのに興奮することはないかもしれないが、Gmail のパスワードは、今でも私の人生でもっとも重要なものだ。

この記事ではニュースレターの隆盛に触れ、毎日くるニュースレターの多さにときどきそれをすべて燃やしたくなるけど、ソーシャルメディアでのアカウント削除は聞くが、メールをやめると宣言する人はいないと書いていて、それもそうよなと思う。

20年後に Slack や TikTok が存在しているかは分からないが、Gmail はずっと存続することが求められているのは間違いない。Google もそれを承知しており、信頼性を維持しながらも、メールを手間のかからないものにする努力も地道にやっているようだ。

ネタ元は Slashdot

自動車メーカーは顧客の運転動作を保険会社と共有している

www.nytimes.com

この記事は、シアトル近郊のソフトウェア会社のオーナーであるケン・ダール氏の話から始まる。いつも安全運転を心がけている65歳の彼は、2022年にリースしているシボレー・ボルトの保険料が2割以上も跳ね上がったのに驚いた。他の保険会社にも見積もりをとったが、どこも高い。なんでやと思ったら、世界的なデータブローカーの LexisNexis のレポートが原因らしい。

ダール氏が LexisNexis に要求したところ、258ページに及ぶ「消費者情報開示報告書」を送ってきた。そこには130ページにわたり、彼と妻が過去6か月間にシボレー・ボルトを運転した詳細(日付、運転の開始/終了の時刻、走行距離、スピード違反、急ブレーキ、急加速)が記されていた。

その走行内容は、シボレー・ボルトの製造元であるゼネラルモーターズから提供されており、LexisNexis はその運転データを分析し、リスクスコアを分析する。保険会社はどこもそのスコアを参照するので、どこで見積もりをとっても保険料が高く出たのだ。ダール氏は、そんな情報が共有されるなんて知らなかったので、裏切られた気持ちになった。

近年、自動車会社はインターネットに接続された自動車から直接詳細な運転情報を収集し、保険会社に提供している。そして、GM、ホンダ、起亜、ヒョンデなどのメーカーは、コネクテッド・カーのアプリのオプション機能で、ドライバーの運転を評価する機能を提供し出している。それが LexisNexis のようなデータブローカーに情報が渡ることを理解しないままこの機能をオンにするドライバーも多いのではないか。

問題なのは、GM車のドライバーには、そうした機能をオンにしていなくてもデータを追跡され、保険料があがった人がいるらしいこと。カリフォルニア州のプライバシー規制当局は、自動車メーカーのデータ収集慣行を調査しており、それが消費者に損害を与える不公正で欺瞞的な商習慣を禁止する連邦法である連邦取引委員会法第5条に違反する可能性があるとのこと。

その後もダール氏の受難の話が続くのだが、「スマート・ドライバー」機能には注意が必要ということですな。GM のマニュアルによると、この機能を顧客に登録させると営業担当者はボーナスを受け取るとのことで、自動車購入時によく分からないままオンにさせられる顧客も多いことがこの記事でも何度か示唆される。

昨年、自動車業界のプライバシーポリシーはあらゆる業種の中で最悪と訴えるレポートが Mozilla から出て、なんで Mozilla が? と思ったものだが、この記事でも Mozilla の研究者の Jen Caltrider が、以下のコメントを寄せている。

「自動車会社は、これらの機能を安全性と結び付け、すべては安全のためだと言うのが実にうまい。連中の目的は金儲けなのに」

この記事では GM の事例が主に扱われているが、運転行動を共有する自動車メーカーとして、他にも起亜、スバル、三菱も LexisNexis のサービスに参加していると書かれている。

ワタシも2022年に「車から収集したデータはどこに送られているのか?」というエントリを書いているが、「コネクテッドカー」購入時によく分からないままデータ収集を承知させられ、その結果、納得いかない基準で保険料が跳ね上がる可能性があることは承知しておいたほうがよさそうだ。

ネタ元は Pluralistic

フランク・パスカーレ『The Black Box Society』の邦訳が『ブラックボックス化する社会』として一昨年に出ていたのを今更知る

wirelesswire.jp

2015年に書いた文章だが、その中で紹介した Frank Pasquale『The Black Box Society』の邦訳が、『ブラックボックス化する社会』として一昨年に刊行されていたのを『The CODE シリコンバレー全史』を読んでて今更知る。

誰か教えてよー、とまたしても思ってしまった。この本の反応を見ようと書名を Google 検索したのだが、今そうして検索しても上位10~20くらいが Amazon をはじめとする商業サイトばかりで、なかなか個人の感想に行きつかない……という話は、少し前に誰かはてな匿名ダイアリーあたりに書いてなかったか。

これすごく萎えるのですね。こういうことをネットに書くと、「書評」も検索語に入れたらと教えてもらえるのだが、この本の場合、それをやってもやはりほとんど行きつかなかった。版元の青土社はこの現状に満足しているのだろうか?

これは以前にも書いた話だが、洋書の邦訳が出る際には、その原書を取り上げた人間(例えば、『The Black Box Society』に関して言えば、ブログで何度か名前を挙げているワタシ)に一本メール連絡だけでもくれないものか。ワタシだったら、喜んで発売時に邦訳を取り上げるブログ記事書くのにね。

2015年に原書が出た本の邦訳が出たのが7年後、もちろん出ないより遥かに良いことである。この本が扱う「ブラックボックス化する社会」の問題が今もあるのは、たまたま先週読んだ山中伸弥と羽生善治の対談記事でもAIがもたらす「ブラックボックス問題」として語られており……というか、この記事は2018年に出た本からの抜粋なのか。

それはともかく、フランク・パスカーレの本では、この後に出たロボット・AI時代にその危険性と人間の専門技能の擁護を説く『New Laws of Robotics』の邦訳も期待したいところ。

WirelessWire News連載更新、そして翻訳もしたぞ!

WirelessWire Newsで「ティム・バーナーズ=リーのオープンレターを起点に改めて考えるインターネットの統治」を公開。

いやぁ、またしても3回分の分量を1回にぶちこんだ、とち狂った長さになってしまいました。次回こそは短くまとめないと……。

こんな長いと途中のリンクなど辿らない人もいるだろうから、「ウェブの35歳の誕生日を祝う:オープンレター」を訳したことも告知させてもらいます。Tim Berners-Lee の文章の日本語訳です。

今回はいろんな(主に)洋書を紹介させてもらった。

オライリー本家からAI支援プログラミング本が出る

www.oreilly.com

ちょうど Publickey で「プログラミング支援AIサービスまとめ。GitHub Copilot、AWS CodeWhispererなど11種類(2024年3月版)」という記事が公開されているが、やはりこのあたりが次のねらい目なんでしょうな。AI を補助に使ったプログラミング本がオライリー本家から出る。

著者名に見覚えがあるなと思ったら、やはりオライリー本家から出ているメインフレーム開発本の著者である。

メインフレームから AI まで、守備範囲が広いな! と思ってしまうが、この人はそれこそ Web3 本も書いており、守備範囲の広さは伊達じゃない。

思えばワタシも2020年に「AIとのペアプログラミングは可能だろうか?」というエントリを書いているが、LLM のおかげでそんな段階を突き抜け、ペアプログラミングどころか主にコードを書いてくれるのが AI の側という人も増えているわけである。

要件、計画、設計、コーディング、デバッグ、テスト、文書化など、コード作成の全段階で AI 開発ツールを活用する方法を扱う本が出てくるのは必然でしょうな。

ウィキペディアの「2022年以降に不審死を遂げたロシア人実業家」まとめが50人を超えていた……

yamdas.hatenablog.com

これがおよそ一年半前のエントリだが、ウィキペディア英語版における「2022年に不審な死を遂げたロシア人実業家の一覧」を取り上げたものである。

en.wikipedia.org

あのページどうなっているのかなと思い久しぶりにアクセスしたら、当然ながら2022年の後もロシア人実業家で不審死を遂げた人は出ており、それを踏まえたページ名になっていた。これも一種のウィキペディアの「珍項目」と言えるだろうか。

で、数えてみたら、全部で50人を超えていた。マジかよ……。

ここで挙げられている人の中で、最近の大物となるとエフゲニー・プリゴジンになるんでしょうね。アレクセイ・ナワリヌイはリストに入っていないが、「実業家」ではないという判断か。

ジョナサン・ハイトの新刊『不安の世代』はZ世代のメンタルヘルスへのスマートフォンの悪影響を論証する

www.theatlantic.com

スマホキッズは大丈夫じゃないで」という記事タイトルがズバリそのままなのだが、アメリカの社会心理学者ジョナサン・ハイトの新刊 The Anxious Generation は、スマートフォンが今の若者、つまりはZ世代に深刻な悪影響を与え、精神疾患の蔓延を引き起こしていると説く本である。

この人の前作が『傷つきやすいアメリカの大学生たち』だったことを考えると不思議ではない展開だが、以下の表現はすごいな。

2010年代初頭、人類は自分たちの子供に対する最大の野放図な実験として、Z世代にスマートフォンを与え、火星に送って育てたようなものだ。

この本では、2012~2013年に若者のメンタルヘルスが崖が落ちるがごとく悪化したことをデータとともに示しており、それはつまりはスマートフォンが若者世代にも急速に普及した時期と重なるということですね。

これは来年あたり、邦訳出るんじゃないですかね。

ネタ元は Boing Boing

コヴェナント/約束の救出

終映ギリギリになんとか観れた。

ガイ・リッチーといえば『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』、そしてそれに続く『スナッチ』が好きだけど、その後の低迷期の作品はスルーしていた。で、マドンナと離婚して復活した後の『シャーロック・ホームズ』をテレビ放映時に横目で観ながら、おー、あのチャカチャカしたアクションの感じは健在よのーと思ったくらいで、やはりちゃんと観ていない。

実は彼の映画を映画館で観るのは今回が初めてだった。

いやー、あのチャカチャカした映像なんて入り込みようがない骨太な映画だった。

現地通訳が瀕死の軍曹を運ぶ場面にしろ、その軍曹の帰還と救出劇にしろスリリングでエンターテイメントとしてよくできている。

映画のあらすじを知り、『ランボー2』みたいなプロパガンダ映画だったらイヤだなという危惧はあったが、ジェイク・ジレンホール演じる陸軍軍曹と、ダール・サリム演じる現地の通訳という二人の「コヴェナント」を描いた映画としか言いようがない。

現地通訳に米国の移住ビザを約束しながら、多くの場合それを反故にした米国のろくでもなさをちゃんと描きながらも、クライマックスなどこれはフィクションだよなという展開にはなるのは仕方ないか。民間軍事会社のトップがやはりろくでもなさそうでそうでなく、ラストでなぜか主人公に対してドヤ顔なのを見て、「お前、肝心な時にはちゃんと電話出ろや、ボケ!」とイライラきてしまったが。

楳図かずお大美術展にギリギリ間に合った

本来なら今月分の WirelessWire News 連載が公開されてもよいころ合いだが、まったく書けてないどころか、今のところ何のプランもなかったりする。実は先週、体調を崩してしまっていた。

そうしている間に、二年前に大阪を離れた後にあべのハルカス美術館で開催されたため行けなかった「楳図かずお大美術展」の福岡での最終日が日曜日と迫っていたため、コロナやインフルでないのを検査した上で行ってきた。

『おろち』、『イアラ』、『漂流教室』、『洗礼』、『わたしは真悟』、『神の左手悪魔の右手』、そして『14歳』といった楳図かずおの作品を愛し、また多大な影響を受けてきた人間として、『わたしは真悟』の続編でもあり、ある種のパラレル作ともいえる彼の27年ぶりの新作『ZOKU-SHINGO』をどうしても観たかった。

てっきり『ZOKU-SHINGO』はすべて撮影禁止かと思い込んでいたが、前半は撮影可能であった。しかし、これは全体を見ないと仕方がないものなので、その紹介は少しにさせてもらう。

体調が完全でない状態でみたので、正直、体の具合に影響を感じるほどの迫力だった。

グッズコーナーでは、『ZOKU-SHINGO』のパーカーを買おうとかとも思ったが、そういえば以前から『わたしは真悟』の扉絵がとても好きで、これを手元に置いておきたい気持ちがあり、しかし、『わたしは真悟』の単行本(に限らず所有する楳図かずお作品)は実家に置いてあるため、扉絵のポストカードを中心に買わせてもらった。今後、辛いときに見直したい。

そして、この豆皿を所有したいという欲求にも抗えなかった。

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