当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の(おそらく)最終版を公開

達人出版会において『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のバージョン1.1.1が公開。サポートページにも反映。

電子書籍版のバージョンアップは久しぶりである。おそらくは、今回の更新が最後、つまりバージョン1.1.1が最終版になると思う。

このブログの読者であっても、この電子書籍がどんな性質のものか知らない人も実は多いのかもしれないので、この場を借りて説明しておく。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』は、基本的には2013年7月から2016年11月まで WirelessWire News において連載したブログを電子書籍化したものである。それが本編となる第1章~第50章である。もちろん電子書籍化にあたって誤記の訂正や内容の追加修正を行っており、各章の最後には2017年時点でのフォローアップを付記している。これが結構な長さになった章もあるし、読む人が読むと驚く裏話を書いていたりもする。

そして今回のバージョンアップで追加されたのが、「付録A インターネット、プラットフォーマー、政府、ネット原住民」である。これは2018年10月8日に開催された「技術書典5」にて販売した特別版に収録された文章である。

これが本編の50章のどれよりも長かったりする。要は連載終了からおよそ2年ぶりにワタシが書いた、とても気合いが入った技術コラムであり、WirelessWire News 連載終了後の空白を埋めるものになっている。今回電子書籍に収録したのは、基本的にそのときの文章だが、邦訳書が出た本のリンクをそちらに差し替えたり、ほんの少しだけ記述を追加したりしている(達人出版会の高橋さん、無理を言って申し訳ありませんでした)。

そして、本編の EPUB、もしくは PDF ファイルとは別ファイル(縦書き EPUB)で提供されるのが、ボーナストラックの「ザ・グッドバイ・ルック」である。

これは400字詰め原稿用紙150枚を超える文章である。事情があって、電子書籍公開時にはワタシも神経質になっており、この文章の内容にはまったく触れなかったし、「ボーナストラックのエッセイ」とだけ書き、そのタイトルすら書かないようにしていた。

インターミッションを入れるなどして、この文章を「エッセイ」と言い張る素地を作ったのは意図的に行ったことだが、この文章に書いたことでひどい目にあっていることもあり、もう認めてもよいだろう。ワタシが自分自身について書く文章をある時期から公開の場に書かなくなったことを鑑みると非常に稀なものであり、一種の私小説なのを認めることにやぶさかではない。

それでは、電子書籍『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』をどうかよろしくお願いします。

はてなダイアリー終了を機に振り返る、ワタシが書いたはてなダイアリーレペゼンなエントリの数々

はてなダイアリーのサービス終了について近藤正高さん(id:d-sakamata)が書いているのだが、いきなりワタシの名前が出てきて、「私はともかく、まさに綺羅星のごとしである(ここにあがったうち、雨宮まみさんとHagexさんがリスト公開後に亡くなられたことが惜しまれる)」の箇所を読みながら涙が頬を伝った(ワタシの肩書が「ライター・翻訳家」になっていて、ワタシ自身はこう自分を称することはなく、「雑文書き・翻訳者」なのだが、それはまあよい)。

近藤正高さんはワタシが書いたエントリを二つも文中紹介くださっていて、思えばワタシはそのようなはてなダイアリーレペゼン(ほとんど誤用)なエントリをいくつも書いたんだったと思い出した。

せっかくなので、そうしたエントリを一挙に紹介しておく。

えーっと、他にもあったかな? それでもこれだけ書いてたんだ。

しかし、こういうエントリって書くの、ホント大変なんだよね!

こういうのを書くにあたり、何かデータを機械的に収集する仕組みを持たないので、ワタシ自身の観測範囲から得た情報と記憶を頼りにすべて手作業で行う。よって膨大な時間がかかるし、この手のリストを公開すると間違いなく「この人がいない!」という指摘を必ず受ける。それ自体はありがたいのだけど、それに言葉の棘があったりすると、元々疲れているのでどうしても凹みもする。

それならなんでこういうものを書いたのかというと……「はてなには書き手の後押しをするヴィジョンも見識もない」あたりを読んでいただければ分かるでしょうかね。そして、運営がアレでも近藤正高さんが「まさに綺羅星のごとし」と書くほどユーザに恵まれているというのを示したかったのだろう。そして、それらをまとめるエントリを今回書くことが、ワタシなりのはてなダイアリーに対するフェアウェルである。

そんな思い出もやがてはすべて消える。雨の中の涙のように……死ぬ時が来た。

一故人

一故人

初期のフェイスブックの投資家でもあったベンチャーキャピタリストが書く痛烈な反フェイスブック本『Zucked: Waking Up to the Facebook Catastrophe』

大原ケイさんから教えてもらったのだが、Facebook の初期に投資を行っていたベンチャーキャピタリストのロジャー・マクナミー(Roger McNamee)が書いた Facebook 批判本 Zucked が話題である。

Zucked: Waking Up to the Facebook Catastrophe

Zucked: Waking Up to the Facebook Catastrophe

Zucked: Waking Up to the Facebook Catastrophe (English Edition)

Zucked: Waking Up to the Facebook Catastrophe (English Edition)

ロジャー・マクナミーという人は、プロのミュージシャンでもある一風変わった人物だが、ベンチャーキャピタリストとしての実績に疑いはなく、著書の邦訳も一冊ある。

ニューノーマル―リスク社会の勝者の法則

ニューノーマル―リスク社会の勝者の法則

前述の通り、彼は初期 Facebook の投資家であり、内部から知る人物でもある。その彼が Facebook を強く批判するようになったわけだが、Wired の長編ルポ「INSIDE Facebook」シリーズ(連載)においても何度か名前が出てくる。

かなり長くなってしまうが、それを読めばその経緯と彼の重要性が分かるので、以下その部分を引用する。

フェイスブック関係者のうち、最初にプラットフォームの異変に気づいたのは、ロジャー・マクナミーだった。2016年2月のことで、フェイスブックはちょうどトレンディング・トピックス部門のスキャンダルで炎上していた。

マクナミーは初期のフェイスブックに投資を行っていたヴェンチャーキャピタリストで、マーク・ザッカーバーグにメンターとして2つの重要な助言をした。1つは06年、フェイスブックを10億ドル(約1,100億円)で買収したいというヤフーからの提案を断ること。2つめは08年、グーグル幹部だったシェリル・サンドバーグを引き抜いてビジネスモデルを構築することだった。

マクナミーはその後、ザッカーバーグとあまり連絡を取っていなかったが、フェイスブックへの投資は続けていた。そして16年2月、大統領選で民主党候補だったバーニー・サンダースのキャンペーンにまつわるニュースに疑念を抱き、注目し始めた。

「インターネットミーム[編註:インターネット上で拡散される物事]を観察していたら、Facebookのフィードに流れてくる投稿のうち、一見、サンダース陣営の関係者のグループによると思えるようなものがあった。しかし、実際にはおそらく違っていたんだ」

マクナミーはそう振り返る。

「そうした投稿は組織的に拡散されていて、金で雇われたサクラがいるとしか思えなかった。わたしはPCの前で考え込んでしまった。『どう考えてもおかしい。よい兆候じゃないぞ』とね」

第3章:不審な影──連載「INSIDE Facebook」|WIRED.jp

一方、ヴェンチャーキャピタリストのロジャー・マクナミーは、フェイスブックの反応に激怒していた。ザッカーバーグシェリル・サンドバーグ宛に警告の手紙を送ったあと、ザッカーバーグサンドバーグはすぐに返事をよこしたが、そこには表面的なコメントしか書かれていなかったのだ。

しかもそのあとマクナミーは、フェイスブックのパートナーシップ担当副社長のダン・ローズと、無益なメールのやり取りをすることになった。マクナミーによると、そのメッセージは一見、丁寧にみえたが、慇懃無礼なものだったという。

その内容は、こうだ。フェイスブックは、マクナミーが知らないところでよいことをたくさんやっている。そして何よりフェイスブックはプラットフォームを提供しているだけであり、メディア企業ではない──。

「そのメッセージを見て思ったんだ。『おまえら、そんなやり方が通ると思うなよ』とね」と、マクナミーは振り返る。「自分たちがプラットフォームだなんて言い続けていれば、そのうち痛い目に遭うだろう。ユーザーがそんなふうに思ってくれなくなったとき、そうも言っていられなくなるだろうな」

「可愛さ余って憎さ百倍」とはこのことだった。マクナミーの怒りに火がつき、ある「同盟」が結ばれることになった。マクナミーは2017年4月、ある人物とブルームバーグTVで共演して意気投合した。グーグルでデザイン倫理担当だったトリスタン・ハリスである。

第7章:反フェイスブック同盟──連載「INSIDE Facebook」|WIRED.jp

かくして Facebook の批判者の側にまわったマクナミーだが、「可愛さ余って憎さ百倍」レベルにおさまってはいない。新刊を受けての Guardian のインタビューを読んでも、「これは Facebook だけの問題ではなく、巨大テック企業の有害なビジネスモデルという業界全体の問題だ」という認識である。

そうした意味で、Zucked の推薦者にヴィント・サーフやビル・ジョイやマーク・ベニオフといった著名人に加え、『大企業の呪い』という新刊を出したティム・ウーなどが名前を連ねているのは象徴的で、いわゆる GAFA はもっと政府の規制を受けるべきというのが欧米の知識人のコンセンサスというのは知っておくべき空気感だろう。

マクナミーが、Facebook だけの問題ではなく巨大テック企業の有害なビジネスモデルの問題というのは、ショシャナ・ズボフ『監視資本主義』にもつながるだろう。

「弊社はあいさつがない」と嘆く増田におすすめの強力なあいさつの効用

少し前に話題になったはてな匿名ダイアリーだが、「あいさつをした方が良いロジカルな説明が出来ない」と嘆くこの人にお勧めする挨拶の効用を書いた文章を紹介させてもらおう。

その文章は、今は亡き青山正明の名著『危ない薬』にある……と書いてもその意味が分からない人が大半だろうから、『危ない薬』の素晴らしさについては、山形浩生の26年前の書評を勧めておこう。

それでは、その『危ない薬』の218ページから引用する。

 ドラッグやセックス並みに即効性があり、禁断症状やら妙な駆け引きに悩まされることもなく、さらに生涯実践し続けても絶対にやり尽くすことのない超ド級の快楽がある。その究極の快楽とは、良心の刺激である。

 朝、顔を合わせた隣人に「おはようございます」と声をかける。それだけで、ハッシシ1服分ぐらいの快感は容易に得られる。(後略)

どうだろうか。あらゆるドラッグを試した著者が書く「究極の快楽」がここにあるのだ。クソ理屈っぽい理系のエンジニアさんもこれで納得ですよ。

あいさつだけでハッシシ1服分ぐらいの快感は楽勝っすよ!

え、ダメ?

危ない薬

危ない薬

グリーン・ブック

グリーンブック [Blu-ray]

グリーンブック [Blu-ray]

しばらく仕事が忙しくて映画館に足を運ぶ余裕がなかったのだが、いい加減頭にきたので残業をぶっちぎって、先日アカデミー賞作品賞助演男優賞、そして脚本賞を受賞した本作を観ることにした。

実はそのほぼちょうど一年前、ワタシは前年にアカデミー賞作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』を観ている。アカデミー賞発表時は、確かに『シェイプ・オブ・ウォーター』は良い映画だけど、やはり『スリー・ビルボード』がとるべきじゃない? という思いを禁じえなかった。

それに近い構図が本作にもあるように思う。それも昨年より強く。

言っておくが、本作も良くできた映画だ。何より主役の二人がワタシは大好きだし、本作での演技も素晴らしい。特にマハーシャラ・アリは、二度目の助演男優賞に値する。

しかし、対象的な運転手と主人の二人の関わり合いという点でどうしても『ドライビング Miss デイジー』あたりを連想させるし、そりゃスパイク・リーのトラウマを刺激するわなとも思う。

本作を観て連想したのは、ブレイディみかこさんが『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝』で書いていた「下層のアンガーはレイシズムで汚れていることがある」という言葉である。本作の主人公の黒人に対する差別意識に見る、労働者階級と人種意識の結びつき、そしてその意識の変化をぬるいと上から目線でけなすことはできない。

というか、ワタシにとってオールタイムベストのひとつである『メリーに首ったけ』のファレリー兄弟の片割れであるピーター・ファレリーがオスカーをとったこと自体素晴らしいじゃないかと思うよ。ジョナサン・リッチマンをあの傑作でフィーチャーしてくれた人の悪口は、ワタシには思いもつかないのだ。

今村勇輔さんのおかげではてなブログ移行時の欠損を取り戻しつつある

はてなダイアリーからはてなブログに移転した際に、いろいろ不満やら問題を書いた。これでそのすべてではないのだが、その後解決した問題もあり、解決していない問題もあり、新たに発覚した問題もある。

まず解決した問題。

詳細設定において、「記事URL」でダイアリー(はてなダイアリー風のフォーマット)を選択したため、ダイアリーからインポートした過去エントリに関しては、yamdas.hatenablog.com/entry/(日付)/(はてなダイアリーで指定したエントリ名) になっているのだが、新規エントリで「カスタムURL」を選ぶと上記 URL 形式における(日付)が入らない? ダイアリー時代は一日に更新するエントリ内でエントリ名(URL)をユニークにすればよかったのだが、はてなブログではすべてのエントリでユニークにしないといけないのか……ああ、書いてるうちにどんどん不満点が頭をもたげてきた。

遂にはてなダイアリーからはてなブログに移転した - YAMDAS現更新履歴

これについてはモーリさん(id:mohri)から教えていただいたのだが、エントリ名のURLに「/(スラッシュ)」を入れてよいことを利用し、エントリ名に日付(今日であれば「20190224/」)を入れて解決とさせてもらった。

新たに発覚した問題として、定義リスト記法の定義の中にリンクがあると表示がおかしくなる問題に気づいた。これについては、はてなに報告したのだが、その際の自動送信メール以外、結局返信はなかった。なんではてなダイアリーで問題なかったはてな記法が、はてなブログで表示がおかしいのか。記法もブログもお前らの会社が規定してるものだろう。役立たずが。

この問題については、今村勇輔さんから自分が気づいたもの以外にも該当するエントリがいくつもあるのを指摘いただいたのだが、そのツイートでワタシにとっての光明となるエントリを今村勇輔さんが書かれているのを知った。

このエントリにより、上記の問題に加えて、はてなダイアリーのエントリタイトル内にリンクを入れていた場合に、はてなブログに移行するとそのタイトル内リンクの情報が消えてしまう問題に対する対応を行う目途が立った。ありがたいことである。

実はこれについても気づいていて、ざっと30か所ほど手動で対応して済んだつもりになっていたのだが、今村さんのエントリにあった正規表現で検索をかけたら500件以上残っていて、打ちひしがれてしまった。2003年のはてなダイアリー利用開始時から2006年のはじめくらいまでこの書き方を多用していたのだ。

その中でそのまま残しても問題ないものを除外し、今村さんの置換表現を参考にしてこの週末ちょこちょこ修正をかけているのだが、まだゆうに400件以上残っていたりする……。しかも、なにせ10年以上前のリンク情報なので、リンク先が消えていることが多くて気持ちが沈むのだが、できるだけ機械的に処理するよう努めている……が、ただ最終的には手動になってしまうので、この作業を終えるまでにはまだかなり時間がかかりそう。

今村さんのエントリで指摘されている修正点に関して、ワタシに関係しているのは上記2点だけだと思う(多分)。あ、「日ごとのエントリの順番を入れ替える」問題については、もう諦めることに決めていた。

あと、個人的にははてなダイアリーからはてなブログに移ってからもっとも苦痛を感じている、一日に更新するエントリを一つのテキストファイルに記述し、それを一気に更新することができないという問題についても、「はてなブログライター」など解決策がありそうな気配である。が、これを試す余裕が今の自分にないのだけど。

それとは別に、本ブログの過去エントリを見ていて、表示などおかしな点に気づいたら、遠慮なく指摘していただけるとありがたい。ワタシ自身それに気づいていない可能性も高いので。ただ、それに対応できるかは保証できないのだが……。

さて、現在達人出版会のほうで『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』アップデートへの準備作業が行われているはずで、おそらく次回の本ブログ更新はその告知になるだろう。しばし、お待ちいただきたい。

スクラッチからビットコインをプログラムして理解する『Programming Bitcoin』がオライリーから出るぞ

ビットコインブロックチェーン本も既にたくさん出ているが、PythonBitcoin ライブラリのプログラミングを解説する Programming Bitcoin という本が出る。こういう本を出すのは、やはりオライリーだよな。

Programming Bitcoin: Learn How to Program Bitcoin from Scratch

Programming Bitcoin: Learn How to Program Bitcoin from Scratch

Programming Bitcoin: Learn How to Program Bitcoin from Scratch (English Edition)

Programming Bitcoin: Learn How to Program Bitcoin from Scratch (English Edition)

あれ、紙版は来月刊行だけど、Kindle 版はもう出ている?

以前 Go 言語でブロックチェーンを構築しながら学ぶブログを紹介したが、実地のプログラミングでビットコインを学ぶというのは受けると思うね。

ワタシはその界隈に詳しくないので、著者の Jimmy Song という人の評価を知らないのだが、実は既に GitHub にページができており、書籍刊行の暁にはクリエイティブ・コモンズ表示-非営利-改変禁止 4.0 国際ライセンスで書籍全体が公開されるとのこと。

7000円超の洋書を買えないという人は、そちらを見てはいかがか。

ブルース・シュナイアーが「ブロックチェーンと信頼」について語る

ブルース・シュナイアー先生の Blockchain and Trust をどうして WIRED.jp は翻訳しないのかと Spiegel さんが書かれているが、ワタシもそう思う。

一応非公式の翻訳「ブロックチェーンと信頼」があるので、日本語で読みたい方はどうぞ。

『信頼と裏切りの社会』という本を書いたシュナイアーがこの話題についてどう書くのか注目を集めたわけだが、「ブロックチェーンと信頼の両方を分析すると、価値以上のハイプ(誇大宣伝)があることがすぐに分かります」「公共のブロックチェーンは必要ですか? 答えはほぼ確実にノーです。ブロックチェーンはおそらくそれが解決すると思うセキュリティ問題を解決しないでしょう」と手厳しい。

その評価については異論が出るだろうが、プライベート・ブロックチェーンはまったく面白くない、ブロックチェーン技術は多くの場合集中管理されている、といった指摘はその通りだと思いますね。

それはそうと、『ウォートン・スクール ゲーミフィケーション集中講義』(asin:4484131242)の邦訳もあるケビン・ワーバックの新刊は気になる。邦訳出るといいな。

信頼と裏切りの社会

信頼と裏切りの社会

The Blockchain and the New Architecture of Trust (Information Policy)

The Blockchain and the New Architecture of Trust (Information Policy)

The Blockchain and the New Architecture of Trust (Information Policy) (English Edition)

The Blockchain and the New Architecture of Trust (Information Policy) (English Edition)

もっと早くに読んでおけばよかったプログラミング本

プログラミングの本はそれこそ山のように売ってあり、ソフトウェア技術者はそのときの必要性に応じてプログラミング本を買う。

「おすすめのプログラミング本」というのも定番ブログネタではあるが、このエントリで Marty Jacobs が取り上げるのは、日々のコーディングの助けというのではなく、「もっと早くに読んでおけばよかった」と思うプログラミング本のリストである。

言われてみると面白い。Marty Jacobs が挙げる本は以下の通り。

邦訳が出ているものは版が旧くてもそちらをリンクしたが、だいたい半分くらいですな。

恥ずかしながら、ワタシは上のリストのどれも読んだことなかったりする。どれも特定のプログラミング環境に依存しない本質的な内容を含む本みたいだが、値段もかなーりなものが多く、一万円を超える本もいくつも入っている。

あ、なぜか Kindle 版が本文執筆時点で0円の本が一冊あるので、洋書でよければどうぞ。

The Essence of Software Engineering (English Edition)

The Essence of Software Engineering (English Edition)

こういうのって、ドストエフスキーなどの長編小説と同じく、学生時代の若くて体力と時間の両方がないと読めないものなのかもしれない。

これらの本が選ばれた根拠については元エントリを読んでいただくとして、このような「もっと早くに読んでおけばよかったプログラミング本」リストを作ると、その人の価値観が分かって面白そうである。

ネタ元は Slashdot

今年は映画『ライフ・オブ・ブライアン』40周年だし、モンティ・パイソン結成50周年でもある

モンティ・パイソンの映画『ライフ・オブ・ブライアン』が公開40周年ということで、特設サイトが開設されている。

イギリス、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ドイツ、スカンジナビアなど計400の映画館で上映される予定だが、今のところ日本は含まれていないようで、残念だけど仕方ないか。

さて、今年は『ライフ・オブ・ブライアン』40周年というだけではなく、モンティ・パイソンが結成し、テレビ番組『Monty Python's Flying Circus(空飛ぶモンティ・パイソン)』が放送を開始して50周年という記念の年でもある。

40周年の時の『モンティ・パイソン アンソロジー Monty Python "Almost The Truth"』が、記念番組が作られるのも最後なんだろうなと思っていたのだが、5年前にまさかの再結成が実現したおかげで(参考:英語が分からなくても(たぶん)楽しめるモンティ・パイソン入門)、50周年記念番組も今頃製作中だったりするのではないか?

そのように今年もモンティ・パイソンの話題はいろいろありそうで楽しみなのだが、実は昨年、モンティ・パイソンの笑いは結構厳しい扱いになっていること、そしてそれに対する懸念を非公開の場に書き殴ったことがある。

非公開の場に書いたのは、当時本ブログが休止状態だったからというのもあるが、それ自体がポリティカル・コレクトネス的に反発を買うことが容易に予想されるためである。

そういう文章を読みたいという需要はあるのだろうか。もしあれば、書き直して本ブログに公開しようかという気持ちはある。

モンティ・パイソン アンソロジー MONTY PYTHON“ ALMOST THE TRUTH” [DVD]

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Netflixの「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」で一番グッときたのはこんまりさんの通訳の飯田まりえさんだったという話

2019年に入って世界で話題の「KonMari ~人生がときめく片づけの魔法~」、ワタシは2話見て番組にそこまでときめきは感じなかったのだが、それはともかく以下のような感想をツイートした。

そんな意見はワタシだけかと思っていたらそうではないようで、早速通訳の方を取材した記事が出ていた。これが面白かったので、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の宣伝という趣旨とは関係なく、ブログを更新させてもらおう!

近藤麻理恵さんの通訳をしているのは Marie Iida(飯田まりえ)さんという方なのね。彼女はもちろん通訳者、翻訳者なのだが、脚本や映画評やヤングアダルト小説の書き手でもあるとな。

記事の後半は、飯田まりえさんへのインタビューなのだが、質問も基本的ながら日本のメディアもこれくらいの質問はしてほしいというエッセンシャルなものだったので、受け答えをごく簡単にまとめておく。

今回の番組の前に二週間リサーチをやったそうですが、近藤麻理恵のためにどんな準備をしました?
彼女の本を全部読み、彼女のインタビューをたくさん読み、彼女の話し方やスタイルを感じ取れるよう彼女のレクチャー動画も調査した、という当たり前の答えだが、そこでこんまりの本の英訳者 Cathy Hirano の名前をちゃんと挙げてるのがえらい
番組で持ち歩いているノートには何を書いてるんですか?
もちろんキーワードをメモしているのだが、徐々にノートが安全毛布(security blanket)というか、まさに幸運のお守り(good luck charm)みたいになったと言う言葉が印象的
あなたはこんまりの言葉を忠実に翻訳してますか? それとも一部の視聴者が指摘するように、いくらか不機嫌な(snarky)発言をソフトにしてるのか?
こんまり(の発言)は snarky ではない、と何度も否定。こんまりはクライアントにもその持ち物にもリスペクトを払っているし、彼女はとても楽しい人だ、とフォロー
あなたとこんまりの間にある符合は神秘的だ。名前が同じ「まりえ」というところが特に。番組のプロデューサーは、あなたの服装について指示しました? こんまりと同じような髪型にしろとか?
夫(コミックライターで映画監督の Dennis Liu)も、二人が同じまりえという名前で同じ背丈なのが面白いっていつも言うんですよ! とのこと。番組で名乗るときは、相手を混乱させないよう「Iida」と名乗るし、不必要に出しゃばらないようにしている、とプロらしい発言
現在のこんまりとの関係をどう思ってます?
番組の撮影中、お互い励まし合っていた。移動の車を降り、相手の家族の家に向かう前、お互いに「よろしくお願いします」と必ず言い合っていた話など、こんまりの礼儀正しさを称えている
こんまりと彼女の哲学について、もっとも大きく誤解されてることって何でしょう? こんまりは本当に我々に本を捨てろと言ってるのでしょうか?
これは一部で批判があった、こんまりの「本は30冊以内に収めるのが理想」という主張についてだが、飯田さんはすかさずそれを否定し、彼女自身読書が好きだし、それは自分にとって重要なことをこんまりに話すと、「それに愛情があるのなら、家には確信を持って愛しているものを置いておくべきです」と言われた話をしてフォロー
あなたは自分の家でこんまりメソッドを実践してます?
いつもきちんと整理してますが、箪笥の中を見たら、衣服を彼女にメソッドに従って畳んでるのが分かりますよ
片付け以外で、近藤麻理恵から学んだ一番重要なことって何でしょう?
自分の背が低いことが、アメリカで仕事をする上で不利益だと思ってきたが、彼女の自身への自信と正直さには勇気づけられる。日本とアメリカの両方で暮らした経験から、人々の違いや翻訳できないものに目が行きがちだが、麻理恵がいろんな家族や多様な製作クルーとやりとりするのを見て、いかに彼女が世界中で共通するものに集中しているか理解する助けになった

通訳者としてのプロ意識を感じさせながら、仕事相手の近藤麻理恵に敬意を払い、しっかり立てているところに、さらに飯田まりえさんに好感を持ったね!

あの番組を見てると分かるのだが、相手の家族もこんまりだけでなく通訳の飯田まりえさんを温かく迎えリスペクトしているのが分かる。それは彼女の仕事の確かさがあってのことだろう。

Netflix の番組の世界的反響を受けていろいろ文章が書かれているが、個人的には渡辺由佳里さんの文章がもっとも網羅的だと思う。以下のくだりも飯田まりえさんの発言と重なるところがある。

近藤が「英語がうまくなる努力をしていない」とは言わない。それどころか、彼女の発音を聴くと、努力を積み重ねていることがわかる。近藤がことに優れているのは、「英語が完璧ではない」ということで臆病になったり、卑下したりせず、「片付けのプロ」としての自分の価値をしっかりと見極めたうえで、上から目線でもなく、同じ人間としてアメリカ人のクライアントと感情レベルで繋がっているところだ。

賛否両論の中でも「こんまりの片づけ」が世界中で大ブレイクする理由【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(10)|FINDERS

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing (The Life Changing Magic of Tidying Up)

The Life-Changing Magic of Tidying Up: The Japanese Art of Decluttering and Organizing (The Life Changing Magic of Tidying Up)

ハーバードビジネススクールのショシャナ・ズボフ名誉教授の『監視資本主義の時代』が刊行された

ここでも何度も取り上げているが、ハーバードビジネススクールのショシャナ・ズボフ(Shoshana Zuboff)名誉教授の新刊『The Age of Surveillance Capitalism: The Fight for a Human Future at the New Frontier of Power』が出たのを、ニコラス・カー先生の書評経由で知った。

なぜか紙版のほうは品切れ状態だが、Kindle 版が7割以上の値引きをやっている。

ロバート・B・ライシュ元米労働長官、ナオミ・クラインといった著名人に加え、ドク・サールズアンドリュー・キーン、Frank Pasquale といったこのブログでもおなじみな面々が推薦の言葉を寄せている。

監視資本主義(Surveillance capitalism)という言葉は、ショシャナ・ズボフが2014年に書いた文章で初めて使ったもので(日本語圏の記事で、最初にこの言葉に言及しているのは、2017年末の AERA「世界はまるで「監視資本主義」 横田や三沢、沖縄には監視設備も」あたりだろう)、つまりはこの言葉の発明者による渾身の本ということになる。

それに応えたのか、ニコラス・カー先生の書評も長文で、「経験の盗賊たち:GoogleFacebook はいかにして資本主義を腐敗させたか」というタイトルから、ショシャナ・ズボフ、そしてニコラス・カーの立ち位置が推察できると思う。

Google によって開拓され、Facebook によって完成され、今や経済全体に広まっている監視資本主義は、人の命を原材料として利用する。我々の日々の体験は、データに蒸留され、我々の行動を予測し型にはめるのに利用される私有の事業資産になってしまった。

インターネット巨大企業へのズボフの猛烈な非難は、プライバシーの侵害や独占的ビジネス慣行へのよくある非難に留まらない。彼女にとって、そうした批判はもっと深刻な危険への我々の判断力を奪う余興、気を散らすものでしかない。その利益に沿って経済や社会を再設計することで、GoogleFacebook は個人の自由を弱体化し、民主主義をむしばむ形で資本主義を悪用しているのだ。

似た問題意識の本として、ジェイミー・バートレット『操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』あたりが挙げられるが、本作についても邦訳が出てほしいところ。

ティム・オライリーの『WTF』の邦訳が出るぞ! そして今年もまた「月刊山形浩生」状態が実現されそうな恐怖……

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2017年版)で取り上げたティム・オライリーWTF? What's the Future and Why It’s Up to Us だが、2018年1月に山形浩生が邦訳を手がけるらしいと書いたにもかかわらず、その後話を聞かないのでどうしたんだろうなと思っていたら、2月末に邦訳が出るぞ!

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択

  • 作者:Tim O'Reilly
  • 発売日: 2019/02/26
  • メディア: 単行本

原著は自分の会社から出さなかったのに、邦訳はオライリージャパンから出るというのは、少し不思議な感じがする……のはいいとして、Amazon のページの宣伝文句に「テクノロジーの世界のビジョナリー、Tim O’Reillyの初の著作!」とあるが、共著なら何冊も出しとるわい! それをオライリージャパンが間違ってどうするよ。「初の単著」なら正しいけどね。もうティム・オライリーに「単著もないのに」とは言わせない(誰も言わないって)。

ティム・オライリーが「WTF」を押し出すようになった頃に、ワタシもそれを取り上げた「『羅生門』としてのUber、そしてシェアエコノミー、ギグエコノミー、オンデマンドエコノミー、1099エコノミー(どれやねん)」という文章を書いたのが2015年だったか。

そういえば、山形浩生は2019年も快調に訳書を出していて、『WTF』が2019年3冊目だったりする。

マネージング・イン・ザ・グレー ビジネスの難問を解く5つの質問

マネージング・イン・ザ・グレー ビジネスの難問を解く5つの質問

これは今年も「月刊山形浩生」が達成されそうである(2018年もそうだった)。恐ろしい話である。

マリアナ・マッツカートの「資本主義再考」講義は経済学版「ファインマン物理学」なのか

コリィ・ドクトロウが、現在ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンの教授であるマリアナ・マッツカート(Mariana Mazzucato)の Rethinking Capitalism と題した講義を、現在はオンライン公開もされている『ファインマン物理学』の元となった、リチャード・ファインマンカルテックで行った講義の経済学版だと激賞している。

ワタシは経済学については未だダメダメなので、それについてどうこう言えないのだけど、「資本主義再考」というコンセプトがいまどきなのは間違いないでしょうな。

企業家としての国家 -イノベーション力で官は民に劣るという神話-

企業家としての国家 -イノベーション力で官は民に劣るという神話-

マリアナ・マッツカートについては、その主著の邦訳が出ていて、そんなの読んでいられないという人には、その要約版といえる TED 講演をお勧めします。

彼女が本当に経済学版「ファインマン物理学」といえるものをものにしたのなら、昨年出た彼女の新刊の邦訳も期待されるわけですな。

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy (English Edition)

The Value of Everything: Making and Taking in the Global Economy (English Edition)

クリード 炎の宿敵

昨年末から『アリー/スター誕生』を観ようと思いながらタイミングを逃すうちに年を越してしまい、本作が2019年最初の映画館で観る最初の映画になった。

『ロッキー4』(asin:B079VYHBPK)はワタシにとって思い出の映画である。ロッキーシリーズで、はじめて映画館で観た映画だからだ。当時小学生だったと思ったが、今調べたらこれの日本公開は1986年夏なので、当時ワタシは中学一年生だったことになる。

ロッキーシリーズとして考えた場合、『ロッキー4』を傑作とは誰も言わんだろうし、80年代的な政治プロパガンダ性うんぬんとけなしてもよいのだけど、それまでのロッキーシリーズを実家の小さなテレビで観たのと違い、映画館の大スクリーンで観た『ロッキー4』は、とにかくドラゴのパンチが大迫力というか怖かったのが印象に残っている。

『クリード チャンプを継ぐ男』は良い映画だったけど、続編ではドラゴの息子と戦うと聞いたときは、かんべんしてくれよというのが正直なところだった。

しかし、本作はアメリカ対ロシアといった構図は薄いし、そうでなく人生泥まみれになったドラゴがよく描かれており、ドラゴの元妻(というかスタローンの元妻でもある!)まで出てきて、まぁ、よくやったものである。

中盤に早くもクリードとドラゴの息子の対戦が実現し、どうなるんだろうと思ったら、なるほど、そういう持っていき方をするのかと感心した。そうした意味で満足行く映画にはなっていたが、『クリード チャンプを継ぐ男』にあったマジックはなかった。残念ながら。

『ロッキー・ザ・ファイナル』あたりから、このシリーズのスタローンを見るとなんか不思議な気持ちになる。本作の劇中でも、かの有名な Rocky Steps の脇にあるロッキーの銅像に観光客が集まる場面が出てくる。ロッキーの銅像は、現実に存在し、現実に観光客が集まるスポットである。しかし、本作でのロッキーは、フィラデルフィアで街灯が何年も消えたままになった地区に住む裕福でない架空のキャラクターであり、この映画はフィクションなのだ。

架空のキャラクターの銅像が他にないわけではなかろう。しかし、それまでも当たり前のように物語の中に取り込まれる映画シリーズというのはなんとも不思議である。本作の脚本はシルヴェスター・スタローンも参加しているが、正直本作は設定の大枠を別とすればロッキーがロッキーたる必然性が薄い。それでもクライマックスの後にロッキーが最後に言う台詞にスタローンなりの誠意を感じた。

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