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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その23

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、今なおこの電子書籍が(わずかながら)新たな読者を獲得しているのを知るのは嬉しいことである。

実は先日、事情があって『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』紙版を旅先に持参して読み直したのだが、やはり分量あるんだなと今さら実感してしまった。すべて自分が書いた文章だから、読み直すのもすぐできると思ったら、そうはいかなかったのだ。

さて、Toshiyasu Oba さんが感想を書いてくださっている。

様々な事件があった後だけに、なおさら切実な話題が多い。現在顕在化している問題の多くが、2010年代前半から半ばにかけて、その姿を現しつつあり、それに関する、根源的な議論も既に行われていたことがよく分かる。むしろ、今こそ読まれるべき時期がきたと言えるだろう(積ん読正当化ともいう)。

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記

電子積ん読の山(?)の中から取り上げ、読んでいただけるだけでワタシとしてはありがたく思う。

他にも、中央集権的プラットフォームによるウェブのクローズド化、アルゴリズムブラックボックス化の危険性、IoTを通じたデータ収集と監視社会などなど、提示される論点どれもが現在の動向と結びついていて、読むべき人が読めばもっと興味深い議論を展開できるのだろうと思いつつ、本書と関係があるようなないような、思いついたことを2点、忘れないうちに書き残しておこうと思う。

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記

この後、「うーん、yomoyomoさんの本とほぼ関係なくなってるな」と書かれているのだが、それでよいのである。ワタシの本が触媒となり、読み手の内にある問題意識(Toshiyasu Oba さんの場合はデジタルアーカイブが果たすべき役割)に対する思索が活発化してくれれば、それで十分ワタシの文章は人の役に立っているのだから。

広告によるマネタイズと、個人の活動から得られるデータの持つ価値の囲い込みという、ウェブを覆う経済システムとその勝者による中央集権化に対して、どのような規制を持ち込むことで自由を確保できるのか、また、より当初のウェブの理想に親和的な経済システムを導入することができるのか、というのは、引き続き考えていかなければならないことなのではないかな、と思ったりした。とりあえず、思っただけだけど。

yomoyomo『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて: 続・情報共有の未来』達人出版会, 2017: 読書日記

同じく『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が(電子)積ん読になっている人も、今からでも読んで感想を書いてくださってもよろしくってよ?

プロのライターの原稿執筆環境、秀丸エディタ、GitHub、そしてHagexさん

発端は安田理央さん(id:rioysd)のツイートだった。

ワタシもまったく安田理央さんと同じように思い込んでいるテキストファイル納品派だったので、「そうだったのかぁー!」と驚いたし、自分が既に老害扱いされている(?)ことに慄いてしまった。

このツイートに対する反応については、安田理央さんが Togetter にまとめているのでそちらを読まれるのがよいが、Google ドキュメントで書き手と編集者が共有するという声もいくつか聞き、そうなのかーと思う次第である。

ワタシが使用しているエディタは20年以上秀丸エディタなのだが、以前は文章書きだけでなく、Visual Studio など IDE が指定される場合を除いてコーディングすら秀丸で押し通していたくらいである(現在は、PythonVisual Studio Code で書いてます)。

さて、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションという本ブログの現在の趣旨に無理やりこじつける形で、この電子書籍の執筆・編集環境について書いておきたい。

元々の WirelessWire News 連載秀丸エディアでリンクや引用など HTML タグを入れたテキストファイルで納品していた。『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のための編集作業も当方はすべて秀丸エディアで行ったのだが、ファイル形式は達人出版会の高橋さんが用意した Markdown 記法のテキストファイルを編集する形となった。

ファイルの管理は、やはり高橋さんが用意した GitHub のプライベートレポジトリ上であり、エンジニアを名乗る人間として信じられない話だが、これがワタシの最初の本格的な GitHub 利用となった。

ところで、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションに関係して、来月以降に告知できる話があるのだが、某氏にその原稿について「ゲラは Word で出します」と言われ、そのときはそうなんだと思っただけだが、今回の話題を辿ってはじめて、そうか Word の校正機能が肝だったのか! と今さら気づいたりした。

いわゆる Office ドキュメントについては、この15年ほど OpenOffice.orgLibreOffice で対応してきたのだが、それは飽くまで閲覧が主で、ややこしい編集作業の機会はほとんどない。問題の校正機能について LibreOffice で問題なく対応できるのか、Office365 を試用したほうがいいのか不安になってきた……。

そういえば、ワタシが愛してやまない秀丸エディタについては、『執筆を効率化したい人のための秀丸エディタ実践入門』という電子書籍が出ているのを少し前に知った。

300円の電子書籍なんてと最初思ったのだが、紙の本にしておよそ500ページの分量らしく、かなり本格的な本のようだ。

久しぶりにこういう本を読んで、ひとかわむけた執筆作業を実現したいところだが、エディタで原稿を納品するライターは老害と言われてしまうと……。

思えば、同じく秀丸エディタ―を愛用していた Hagex さんお亡くなりになってちょうど一年になる(参考:福岡IT講師殺害事件)。

「Hagexを偲ぶ会」には残念ながら参加できなかったが、Hagex さんが生きていたら『執筆を効率化したい人のための秀丸エディタ実践入門』を買って読んでたんじゃないかな。

書籍の題名が長くなりつつあるのは世界的傾向なのか?

これはアメリカでの話だが、本の副題の長さがどんどん長くなっているとのこと。記事ではいろいろと実例が挙げられているが、確かに本の題名自体はシャープなのに、その後にその本の主張を説明するかのごとく長い副題がつくパターンが多い印象がある。具体的にはノンフィクション分野の本ですね。

この記事によると、Amazon は副題を含むタイトルに許容する文字数は199であり、これが歯止めになるみたい。この記事のネタ元である Slashdot も指摘しているが、説明的で長い副題は一種の SEO なのだろう。

日本の出版業界にもこの話が成り立つかは分からないが、ライトノベルでタイトルがとにかく説明的というか長いことは知られており、今年のはじめに「ラノベのタイトルが長くなったのはいつ頃か? タイトル文字数の長さを年別分布にした図表が興味深い」という記事がねとらばに掲載されている。

ラノベ分野ではもはや長いタイトルにもはや新鮮味は残っていないが、ジャンルが変わればまだ異化作用が期待できるのかもしれない。

ワタシの念頭にあるのは『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』なのだけど、この長い書名を意識した仲俣暁生さんによる取材記事「無名の新人が書いた地味な分野の本に、ありえないほど長いタイトルをつけて売ろうとした人文書出版社の話」も面白かったね。

ウィリアム・バロウズとロックアイコンたちの邂逅をテーマとする本が出ていた

ウィリアム・バロウズというと没後20年以上になるが、ロック界の偉人たちの関わりに焦点を当てた本が出たそうな。

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll (English Edition)

William S. Burroughs and the Cult of Rock 'n' Roll (English Edition)

確かに60年代以降はバロウズ自身一種のアイコン、サブカルチャーの重要人物だったわけで、アングラ、メジャー問わず、ロック界とも親交がいろいろあった。

具体的には、表紙にバロウズとともに写っているデヴィッド・ボウイの『ダイアモンド・ドッグス』に影響を与えた話は知られているし、それこそ60年代のビートルズボブ・ディランルー・リード、70年代のイギー・ポップパティ・スミスといったところから、90年代のカート・コベイン、レディオヘッドあたりまで交友関係の名前が挙がる。そういえばこのブログでも以前、1975年のウィリアム・バロウズとジミー・ペイジの2ショット写真を取り上げたっけ。

Boing Boing で引用されているところを読むと、ディランと会ったバロウズが、ディランの才気に非常に感銘を受け、「たとえ彼の専門が数学とか私がまったく門外漢のことだったとしても、同じように才気を感じただろう」と述べたとのこと。

そういえばバロウズは、70年代にディランのローリング・サンダー・レヴューへの参加を打診されたが断ったそうで、結果ツアーにはアレン・ギンズバーグが参加しているが、マーティン・スコセッシが監督したローリング・サンダー・レヴューについてのドキュメンタリー映画Netflix で公開されているので観ないといかんな。

この本、邦訳出るといいのだが。

クリストファー・ノーランがお薦めする映画30本

2020年公開予定の新作についての情報もぼちぼちニュースになっているクリストファー・ノーランだが、その彼が映画ファンにお薦めする映画30本のリストが記事になっている。

似たようなリストを以前どこかで見たような覚えもあるが、なにせクリストファー・ノーランといえば当代最高の映像作家の一人だから気になるところ。個々の映画に具体的にどのように推薦の言葉を述べているかは原文をあたってくだされ。

たまたまリストの上に有名作が並んでいたので、観たことある映画ばかりかなと思いきや、ワタシの場合観ていたのは30作の半分に満たなかった。お恥ずかしい限りである。

リドリー・スコットスティーヴン・スピルバーグデヴィッド・リーンフリッツ・ラングテレンス・マリックの映画が複数チョイスされており、日本映画では『戦メリ』だけですな。しかし、アルフレッド・ヒッチコックオーソン・ウェルズはそれを選ぶかと思ってしまう(特に後者は、ウェルズの映画で唯一日本でディスク化されていない作品)。

このリストを見ると、『ダンケルク』をはじめとして、ノーランが映画を作る際にどういう作品を参考にしたのか分かる気がしますね。

ネタ元は kottke.org

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が国会図書館に納本された

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、以前矢吹太朗さんに国会図書館への納本を勧められ、ワタシもその旨を書いたのだが、例によってワタシが病的にものぐさなため、実行できてなかった(申し訳なし)。

それに業を煮やして、というわけではないようだが、達人出版会高橋征義さんが国会図書館に納本くださった。ありがたい!

いずれ、国立国会図書館オンラインで検索したら、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の情報も出てくるようになるはずだ。

ところで高橋征義さんというと、技術系同人誌即売会技術書典について語る講演動画が日本電子出版協会のサイトにおいて、プレゼン資料とあわせて公開されているので紹介しておく。

この講演動画を見ながら、ふと高橋征義さんについて思ったことを書いておく。

これは確か昔小林よしのりが書いていたが、漫画家はヒットを2作飛ばして初めて本物と認められ、3作ヒットを出せれば大家と認められる(手元に出典がないのでうろおぼえ)。

ここで「ヒット」を「インパクトのある仕事」に置き換えて考えるとして、それを高橋征義さんに当てはめた場合、日本Rubyの会会長としての Ruby コミュニティに関する仕事全般が大きな「ヒット」だろう。そして、それに付随する形ではあるが、高橋メソッドという個人の「ヒット」も高橋さんは飛ばしている。

そして、(『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の版元である電子書籍専門出版社の)達人出版会も……と書きたいのだが、現状「ヒット」とまでは言えないだろう。例えば、ワタシの電子書籍が100万部売れていたら言えるかもしれないが、それは著者の力不足などあり現実になっていない。

しかし、技術書典はもうこれは「ヒット」と言って差し支えあるまい。つまりは、技術書典の成功をもって、高橋征義さんはこの世界における「大家」の域に達したのではないか。

だからどうしたというのではないし、ワタシの高橋さんへの対応が変わるわけではないのだが、そうした人と仕事ができることを素晴らしい幸運だと思っている。

さて、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』については、もう少し後に、ワタシ自身もそれはまずないと思い込んでいたことをアナウンスできるかもしれない。それまでしばしのお待ちを。

Maker Mediaの操業停止とメイカームーブメントのこれから

週末、Maker Faire勧進元であり、雑誌 Make の版元である Maker Madia が22名の全従業員を解雇し、すべての業務を停止したニュースがかけめぐった。

ベイエリアMaker Faire が資金面の問題で今年が最後になるらしいという話は高須正和さんの Medium で読んでいたが、正直、へー、苦しいんだと思ったくらいで、Maker Madia 自体が業務停止するなんてまったく考えもしなかった。

創業者であり CEO の Dale Dougherty は、何らかの形での復活を諦めていないとのことだが、少なくとも雑誌は終わりだろうし、8月の Maker Faire Tokyo 2019 には影響はないと願いたいが、今後の各地での Maker Faire 開催にも当然ながら影響が出てくるだろう。おいおい Make: Japan などにおいて、そのあたりに関するアナウンスも出ると思う。

ワタシ自身はメイカーではないが、『Make: Technology on Your Time』日本版には翻訳者としてずっと携わり、先月の Maker Faire Kyoto 2019 が実はかなり久しぶりではあったが、日本の Maker イベントにもこれまで何度も足を運んできた。そうした人間として、やはり残念に思うのは間違いない。

ワタシが「メイカームーブメントの幼年期の終わり」と書いたのは3年前だが、まだメイカームーブメントにはのびしろがあると思っている。

上にも書いたようにワタシ自身はメイカーではなく、「インサイダー」ではないので詳しい事情は分からない。だから、何か知ったようなことは書けない。かつて雑誌 Make の Editorial Director だった Gareth Branwyn が寄稿している文章から少しだけ訳して、とりあえず気持ちの整理をつけたい。

Make:』や Maker Faire で関わったほとんど全員を代表して、これまでやった仕事の中で、あれがもっとも創造的で、満足のいく、やりがいのある仕事だったと確信をもっていえる。あれは仕事だった。大変な仕事だった。時に、とてつもなく大変な仕事だった。それでもあれを「現実の」仕事みたいに感じたことはほとんどない。いつだって、世界に素晴らしいシュートを放つような感じだったんだ。

今明らかな問題は、「社内報」とコミュニティの年次集会を失って、メイカームーブメントはどうなる? ということだ。メイカーの友人である John Graziano と私はこの問題について昨夜メッセージを交わしたのだが、メイカーはハッカーであり、問題解決屋(problem-solvers)なのだと彼は指摘した。メイカーのコミュニティは長寿と繁栄を続けるに違いないと彼は語った。私も彼が正しいと願っている。なぜなら、今ほどイノベーション、魔法、斬新性、古き良きマッドマックスのサバイバルスキルが重要な時はおそらくないのだから。

Make: Tips and Tales from the Workshop: A Handy Reference for Makers (Make: Technology on Your Time)

Make: Tips and Tales from the Workshop: A Handy Reference for Makers (Make: Technology on Your Time)

Make: Technology on Your Time Volume 01

Make: Technology on Your Time Volume 01

[2019年6月10日追記]:Make: Japan | Maker Media社の現状とMaker Faire Tokyo 2019について

[2019年6月11日追記]:Makeの親会社がスタッフ22人全員レイオフ、運営停止の悲劇 | TechCrunch Japan

近年あまり名前を聞かなくなったエリック・レイモンドについての話題

エリック・レイモンドといえば、言わずと知れた「伽藍とバザール」三部作に代表されるオープンソース運動の顔だった人だが、近年はあまり話題にならないというか、フォローしたくない話題でしか話題にならない印象があるのだが、たまたま短いスパンで Slashdot で2回名前を見かけた。

エリック・レイモンドが SaaS は独占ソフトウェアよりもずっと危険だと吠えた話だが、Saleforce が顧客に軍隊仕様のライフルを販売することを禁じる発表をしたことに対する非難である。彼は強硬な銃所持擁護派だからね。

今は2019年であり、こんな分かり切ったことをまた言いたくないんだけど、自分のビジネスをしっかりコントロールしたいなら、頼るべきソフトウェアはオープンソースであるべきである。それがすべてだ。しかも、たとえそのソフトウェア自体が普通のオープンソースであっても、サービス提供者に拘束されてはいけない。

まぁ、それはそうなんだけど、今さら SaaS の危険性とか言いますかーという感じもするんだよね。


今日、私は妻の車から家まで――文字通り――這わなければならなかった。歩けなかったからだ。人生というものは、何か予定があるときに他のことが起きるものだ。

とのことで、健康的な問題も話題になっている。きっかけは半年前にカンフーのクラスでくるぶしを痛めたことに端を発するようだが、そういえば彼は空手もやってたんだよね。

某氏は esr のことを「どう見ても通信教育で学んだとしか思えない空手で徒手空拳リバタリアンの夢を追う男」と書いていたが、やはり還暦過ぎるといろいろ身体にガタが出だすんだろうな。彼の世代のハッカーもそういう年頃なのを再確認したりした。

ワタシは esr の政治性には賛同できないが、それでもできるだけ達者に過ごしてほしいとは思う。

The Art of UNIX Programming

The Art of UNIX Programming

パティ・スミスの『ジャスト・キッズ』に続く回顧録が出るのだが……

2010年度の全米図書賞も受賞したパティ・スミス『ジャスト・キッズ』に続く回顧録が今年の秋に出るとのこと。

Year of the Monkey

Year of the Monkey

Year of the Monkey (English Edition)

Year of the Monkey (English Edition)

『ジャスト・キッズ』は、彼女とルームメイトだったロバート・メイプルソープとの関係を中心に据えた、彼女のキャリア初期について書いたものであり、それに続く本となれば、彼女がニューヨークパンクシーンのスターとなり、その後フレッド・スミスとの結婚の後引退状態となり、そして――という話になると思ったのだが、新作で書かれるのは、2016年という特定の年にフォーカスするものらしい。

うーん、ファンが期待しているものとは違う気がするが、出来がよければ邦訳が出るでしょう。

そういえば、彼女は Soundwalk Collective とのアートっぽいコラボアルバムを発表したばかりで、未だ現役で活動しているのはすごいことである。

The Peyote Dance

The Peyote Dance

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

『GODZILLA ゴジラ』は5年前になるのか。この前作が良かったので、本作もはじめから観に行くつもりだったが、よかったですねー。以下、映画の内容に触れるので、ネタバレが気になる人はご注意ください。

正直登場人物たちの行動は、お前なんでそんな無防備に怪獣に対峙できるんだと呆れるレベルに始まり、ワタシが好きな役者が何やってんだよお前はと言いたくなる行動をとったりして、ガバガバとしか言いようがない……けど、この映画にそれを言っても仕方ないか。マイケル・ドハティという明らかに波長がおかしい、しかし、ゴジラがなんたるか分かったオタクが監督してくれてよかった。

本作では、ゴジラ古代文明の関わりというか、巨神としてのゴジラなど怪獣たちが描かれ、こういう方向性からきたかと思った。ゴジラキングギドラが暴れる怪獣祭りであり(ラドンモスラはさほどでも……)、戦闘は夜や風雨の暗い場面が多いという『パシフィック・リム』のパターンだが、本作の場合ストーリーとして違和感はあまりなかったのでよしとする。

前作に続き、渡辺謙演じる芹沢猪四郎博士が登場し、まさかの男泣きな展開を迎える。オリジナルの『ゴジラ』で芹沢博士がオキシジェン・デストロイヤーでゴジラを殺すために自らを犠牲にしたのに対し、本作の芹沢博士は初めて人間がゴジラに「触れ」、オキシジェン・デストロイヤーで一度死んだゴジラを生き返らせるために核兵器を使い自らが犠牲になる。これは、広島の原爆で父親を亡くし、その形見である8時15分で止まった時計を持ち続ける芹沢博士の一種の献身と赦しの物語である。

その上で、人間と怪獣たちの共存、共生がそんな人間に都合のよいものでないこともちゃんと描いている。ワタシは『 キングコング: 髑髏島の巨神』は観てないし、モンスターバースシリーズとしての今後はどうなるかは知らないが、本作が芹沢博士をその一種の狂信性を含めしっかり描いてくれたことに感謝したい気持ちになる。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その22

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』については、目を皿のようにしてエゴサーチで感想を集めて回っているのだが、この7か月前に作成され、最終更新が3か月前という Scrapbox のページを見逃していた。申し訳ないことである。

  • 主に欧米における情報技術の流行とその上に成り立つ社会・文化動向に目を向けたエッセイ集
  • 著者自身の思索を宛てにして買う、というよりは情報社会の動向に詳しい著者によるリポートが読みたい人向け
  • 技術的には知っていたとしても人物や組織の活動や情報インフラ上における文化・思想に関する書籍がバンバン引用されるので新鮮な話が多い
  • 技術は比較的詳しくとも社会・文化的な流れを知らないプログラマが読むと教養に良さそう

との感想で、ありがたいの一言。

あとセレンディピティというワードをワタシの文章で知り、「それこそ私がこの書籍を買ったこともセレンディピティの賜物である」とのコメントは本当に嬉しい。こんななんとなくな感じで読んでいただき、何かしら新たな概念に出会ってもらえるなら素晴らしいことである。

そうそう、前回この電子書籍の可搬性についての言及を取り上げたが、それに関連して、ずっと前にも鷹野凌さんがそのあたりについて言及してたのを、たまたま調べものをしていて思い出した。

なんでこれを当時取り上げ損ねていたのか分からないが、「ファイルのコピー移動は自由」というのを宣伝する意味で、今さらだが取り上げさせてもらう。

劉慈欣の話題の『三体』と「暗い森」になりつつあるインターネット

kottke.org 経由で知った文章だが、面白かった。

Kickstarter の共同創業者の Yancey Strickler が、Medium が今年になって開始したテクノロジーと科学をテーマにした OneZero に寄稿した文章だが、彼がそこで最初に持ち出すのは、中国本国でベストセラーになっただけに留まらず、アジア人初のヒューゴー賞受賞となるなど欧米でも高く評価されている劉慈欣『三体』である。

そう、7月に大森望さんらの翻訳で訳書が出る、今から話題の本だ!(別にステマじゃないよ)

正確に言えば、『三体』三部作で披露される「宇宙の暗い森理論(the dark forest theory of the universe)」なのだが、それは地球から宇宙を見れば、他の生命体を見出すことができず、我々が唯一の存在に思えるが、なんで宇宙に他の生命体がいたら姿を現さないのだろう、という疑問に対する答えである。

それは夜の森を想像してみればよい。夜の森では何も動くものは見えないが、だからといって、その森に生き物がいないことはもちろんない。暗い森にも生命は満ちている。なぜ動かないかといえば捕食者(predator、そうプレデター)がいるからだ。生き残るために、動物は静かにしているのだ(参考:オバマ大統領の宇宙観に影響を与えたSF作家が語る「中国が地球外生命体と最初に接触したら何が起こるのか?」 - GIGAZINE)。

それを宇宙に当てはめてみるとどうだろう。それはいわば「暗い森」なのだ。地球の他に生命体がいないように見えるのは、地球以外が生き残るために静かにしておくだけの分別があるからなのだ。

そして Yancey Strickler は、インターネットもこの「暗い森」になりつつあるのではないか、と問う。

実はこの文章自体がその実例だと言う。この文章は、最初 Strickler の知り合いや厳選した500人がメンバーのプライベートチャンネルに流されたのだが、このプライベートチャンネルを Strickler は、もっとも安全に感じ、もっとも「本当の自分」であれるオンライン環境だと言う。

彼のプライベートチャンネルはメールのニュースレターだが、ポッドキャストの再興もその好例だという。ポッドキャストの復活については、アメリカの車社会と、車とつながるようになったスマートフォンが理由に挙げられるが、単に文字情報でないだけでなく、抑揚ややりとりがあるので文脈が伝わりやすいという指摘は興味深い。あと日本では、メールのニュースレターは「有料メルマガ」として一定のプライベート性を担保しているともいえるが、一時期の勢いはない。

ニュースレターやポッドキャストだけでなく、「暗い森」は Slack のチャンネル、プライベートモードの Instagram、招待制の掲示板、Snapchat、WeChat(日本なら LINE ですね)などにも広がるという。そして、「未来はプライベート」とぬけぬけと宣言するマーク・ザッカーバーグがもくろむ Facebook のピボット(と「プライバシー」という言葉の夜郎自大な再定義)の背景にもこの流れがあるという。

ここまできて、ワタシは「この話前にもどこか読んだような……」と思い当たったのだが、調べてみて、TechCrunch に「テクノロジーの「暗い森」(Dark Forest)」というかなり近い分析がなされてますね。

話を Strickler の「インターネットの暗い森理論」に戻すと、上にあげた場は、いずれも検索エンジンにインデックスされず、最適化されず、ゲーム化されない環境だからこそリラックスした対話が可能なのだという。そうした場での文化は、他のインターネットよりも現実社会に近いという。

Strickler から見て、現在のインターネットは戦場である。90年代のウェブにあった理想は消え去った。Web 2.0 に夢見たユートピアは、我々に力を与えることしかしないと思っていたネットのツールが兵器になりえたのを学んだ2016年の大統領選挙で終わった。我々がアイデンティティを発展させ、コミュニティを育て、知識を得るために作ったパブリックな場は、その力を市場やら政治やらに利用するのにとってかわられた。

この容赦ない権力闘争こそが、現在のウェブにおいて主流をなす空気である。この権力闘争が規模や凶暴性を増すにつれ、その争いを避けるべく「暗い森」に逃げ込む人の数は増える。つまり、我々は同時にいくつもの異なるインターネットで生きており、そのインターネットの数は絶え間なく増えており、「暗い森」は成長し続けている。

このあたりの記述は、多元宇宙論マルチバース論)を想起させる。たまたま Netflix『OA』第2シーズンを見終えたからというのもあるが、最近このマルチバース論を取り込んだフィクションが多いのも、2016年の大統領選挙におけるドナルド・トランプの勝利の後遺症なんだろうか。

インターネットにおける「暗い森」の広がりは、それが心理的評価経済における逃げ場を提供からだと Strickler は見る。場にいる他の人が誰かを把握できるからで、主流である自由市場におけるコミュニケーションスタイルと比べ、社会的、感情的な安全がある。

この「場にいる他の人が誰かを把握できる」という感覚について、ワタシは少し前に読んだ東浩紀さんのインタビューを思い出した(し、以下引用するところ以外にも符合するところがあるように思う)。

はてなダイアリーは、なぜだったかわからないですが、意見が違ってもみんな「はてな」に所属しているという独特の感じがありました。いまでも「はてな村」ってよく言いますけど、あれは別に蔑称で使うべきものではなくて、「俺たち同じ村に所属してるんだ」という感覚があったからこそ、実は議論もできていた。それがみんなバラバラにいて、みんなで爆弾を投げあうような感じになってしまうと、ただ相手を潰せばいいということになってしまう。

「ネットは世の中変えないどころか、むしろ悪くしている」批評家・東浩紀が振り返る ネットコミュニティの10年 (1/2)

次に Strickler が語るのは、自身の体験である。彼は数年前インターネットから「消えた」という。スマホからソーシャルアプリを削除し、全員をアンフォローしたのだ。これは間違いなく良い決断だったと Strickler は書く。それでよりハッピーになったし、自分の時間のコントロールを取り戻した、と。

しかし、彼個人が健康になるにつれ、この変化のリスクも見えてきた。

メインストリームの場から切り離されてしまうことだ。当然ながら、(TwitterFacebook も削除したんだから)対話が行われているプラットフォームで主張を伝えることができない。

そこで Strickler が唱えるのは「インターネットのボーリング場理論(The Bowling Alley Theory of the Internet)」である。

ボーリング大会に参加する皆がボーリングが好きなわけではない。多くの人にとっては、他の人と一緒にいるのが一番であり、ボーリング自体は二番手以下だったりする。一緒にいる、という感覚こそが重要なのだ。これをインターネットに当てはめるなら、人々は純粋にお互いとオンラインで顔を合わせることが重要なのであって、長期的に見れば、我々が集まる場は、そこで行われるやりとり自体に比べれば重要ではない。それがあるときは MySpace であり……日本のネットでは、かつてそのボーリング場が mixi だった時代もあったわけだ。

Strickler は個人的な健康や生産性を理由にネットから消え、同時に「ボーリング場」に行かなくなったわけだが、最近になって、彼はその決断が正しかったか疑い始めたという。

インターネットの主流から撤退し、暗い森にシフトすると、主流での影響力を失ってしまう。ある意味、それはテレビ放送に対するインターネットの影響の話でもある。未だにテレビがどれだけ力があるか我々は忘れがちである。同じように、暗い森を築いたところで、インターネットの主流にどれだけ力があるか痛感することにもなる。

孤独に耐える余裕がある人はいいが、多くの人は(FOMOなどの言葉で表現される)「取り残される」という感覚に恐怖を覚える。

Facebook にしろ Twitter にしろ、未だ巨大であり、消えそうではない。だからこそロシアは、世論を操作しようと思ったときにこれらのプラットフォームに目をつけたわけで、実際それは大きな影響力があった。

この後の Strickler の文章の締めはちょっとワタシにはよく分からないところがあるのだが、それはともかくパブリックとプライベートの揺り戻しというのも過去何度かインターネットで話題になったことである。例えば、上で名前を挙げた mixi が流行ったときには、mixi にはパソコン通信時代を思わせるものがある、なんて論調があったのだから。

こういうのを見ると、「歴史は繰り返さず、韻を踏む(History doesn’t repeat itself, but it does rhyme.)」というマーク・トウェインの言葉を思い出してしまう。ただ反復しているわけではないんですね。

確かに「暗い森」の広がりは実感できる。「暗い森」と書くと何か印象が悪いウラミがあるが、上で名前を挙げた東浩紀さんがやっているゲンロンだってその一つに含まれるかもしれない。これも上で書いた Facebook のピボットは間違いなくこの動きを踏まえている。個人的には Facebookティム・ウーが主張するように分割すべきだと思うが、おそらくはピボットをうまくやりおおせるのではないだろうか。

あと、この文章の著者の Yancey Strickler は、今年秋に初めての本を出すんだね。

ニューヨーク公共図書館の最高の「穴場」オンラインサービス10選

ドキュメンタリー映画の巨匠フレデリック・ワイズマン『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』が公開されたことで、ニューヨーク公共図書館の懐の深さやそれが体現する民主主義に注目が集まっているが、NYPL は公式 YouTube チャンネルで興味をそそる講演(インタビュー)動画を公開しているのもあり、当ブログでも何度も取り上げている。

さて、そんなニューヨーク公共図書館だが、あまり知られていない最高の「穴場」といえるオンラインサービスを10個紹介している。

  1. 機密扱いでなくなったアメリカ合衆国の文書データベース
  2. アメリカ映画の脚本をオンライン公開
  3. アメリカにおける標準テストに関するデータベース
  4. ファッションに関する書籍や写真のデータベース
  5. AP 通信社配信の記事、写真、動画データベース
  6. 1350年以降のアメリカの歴史に関するデータベース
  7. 世界地名大辞典
  8. 71もの言語が学べるデータベース
  9. サンボーン社製火災保険地図
  10. 1475年から1700年までの英語で書かれた印刷物のコレクション

いやはや、これはすごいね。NYPL はオンラインデータベースサービスもすごいんだな。まさに知の殿堂である。これを実現するスタッフにもちゃんとお金を出しているのだろう。

ネタ元は Boing Boing

BANANA FISH 復刻版BOX (vol.1-4)

BANANA FISH 復刻版BOX (vol.1-4)

現代貨幣理論(MMT)の教科書となる本は何か?

最近、アレクサンドリア・オカシオ=コルテスグリーン・ニューディール政策を支えるバックボーンの理論として引き合いに出したことなどで何かと話題の現代貨幣理論アベノミクスはMMTの実験だったなんて声もあるが、個人的には「政府支出はじゃんじゃんやって問題ない」という要約のされ方にどうしてもおののいてしまうところがある。またこれをリフレ政策全般と同一視するのは間違いでしょうね。

それはともかく、そろそろこの理論を本格的に解説する本が待たれるところである。

Macroeconomics

Macroeconomics

今出ているものはこれになるみたいだが、こんな結構な価格の本が完売するのだから、MMT への関心の高さは相当なもののようだ。

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People (English Edition)

The Deficit Myth: Modern Monetary Theory and Creating an Economy for the People (English Edition)

こちらの発売予定はおよそ一年後で、おそらくその間に日本では MMT を書名に冠した新書が出るんじゃないですかね。

アベンジャーズ/エンドゲーム

公開から大分経ってようやく観た。

ワタシは MCUマーベル・シネマティック・ユニバース)が嫌いと公言してきた奇特な人間なので、アベンジャーズは完全スルーを決め込むつもりだった。のだが、周りの熱にだんだんと気持ち変わりして、一応はこの祭りに乗っておこうかとなった。

MCU の映画で既に観ていたのは、『アイアンマン』、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』『スパイダーマン:ホームカミング』くらい(あとテレビ放映時などの断片的にいくつか)。

そこでテレビ放送を録画した『アベンジャーズ』と『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』を観つつ、『ドクター・ストレンジ』と『ブラックパンサー』をレンタルしたところで時間切れになって、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』を観てから本作に挑んだ。

つまり、ワタシが観たのは MCU の全21作の3分の1くらいということになり、とてもじゃないが本作についても批評はおろか、感想すらまともには書けるレベルじゃない。

それでも書くが、楽しめた。戦闘ばかりだった前作と違ってストーリーが楽しめたので、「膀胱がエンドゲーム」と危惧された3時間の上映時間にも耐えられた。ただハルクの扱い、前作ではハルクに変身できなかったのが、本作でははじめからハルクなんです、という設定がなんじゃそりゃだった。あと、キャプテン・マーベルが強すぎて、彼女を出ずっぱりにできない事情をひしひしと感じるのはご愛敬。

ヒーロー総結集を存分に楽しませてくれたのは間違いない。各作の主役が勢ぞろいし、加えて各ヒーローのまつわる脇役としてレネ・ルッソティルダ・スウィントンナタリー・ポートマンマイケル・ダグラスロバート・レッドフォード(!)といった豪華な面々までが登場するのを見ると、なんか「笑っていいとも」の最終回特番について言われた「地上波テレビの終わり」というのに似た、「アメリカ映画の終わり」というフレーズが頭に浮かんだりもしたくらいである。

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