当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

Twitter はてなアンテナに追加 Feedlyに登録 RSS

IFTTTのアプレットが2月22日にすべて無効になっていた話

先日、某所で IFTTT のことを「アイエフティティティ」と発音したことにあとで気づいて、しまったと赤面した。脳内での呼び名が正しいそれと違うことがワタシの中でいくつかあり、それは仕方ないとしても、音声で残る場でそれをやると恥ずかしい。ただ、リスナー数が30人程度のポッドキャストなのでよしとする。

さて、旧聞に属するが、2月16日に IFTTT(イフト、と発音します)からメールが届いた(Subject:Webhook notice)。

要は、Proアカウント契約しないとお前のウェブフックを2月22日に無効にするぞという警告である。しかし、現在ワタシが IFTTT に登録しているアプレットは2つだけである。しかも、その片方であるはてなブログの更新を X に流すアプレットは、X の仕様変更によりとっくに無効化されている。

残るもう一つははてなブログの更新を Mastodon に流すアプレットだが、なにが悲しくてアプレット1個のために Pro アカウント契約せにゃならんのだ。

というか、一つのアプレットすら無料利用を許さないというのは、全面有料化ということだろう。さすがにこれはウェブでもニュースになると思うのだが、調べ方が悪いのか、該当するニュース記事を見つけられなかった。少し検索してみたが、同じメールを話題にしている人は、わずかに Reddit で見つけただけだった。

ワタシと同じの状況の人も、なんだこれは、と困惑している感じである。

Pro にアップグレードしろというのはサイトにも表示があり、メールがなりすましあるいは何かの間違いということでもなさそうだ。はてなブログの更新を Mastodon に流せなくなったからといって死ぬわけではないのだが、これはどうしたものか。

……ん? もしかして、警告されているウェブフック(webhook)とアプレット(applet)って別ものだったりする? せっかくなので ChatGPT 先生に聞いてみよう!

なんだ、ワタシが脅されているのは、飽くまで webhook の話であり、applet の実行は問題ないんだな? そうだ、そうだ、そうに決まっている! とワタシは無理やり自分を納得させることにした。

そして、前回のブログ更新にあたり、念のため IFTTT にアクセスすると……

はい、残る一つのアプレットも無効化されていました(とほほ)。上にも書いたように、このアプレットが無効化されたから壮絶に困るわけではないのだが、このように有料版を強いられているユーザって、ワタシ以外にも多くいるのだろうか。もし、この問題を Pro アカウント契約以外で解決する方法を万が一ご存じの方がいたら教えてください。

テクノロジーはスタートレックの時代からダグラス・アダムスの時代に突入したのか

interconnected.org

我々は、スタートレックにインスパイアされたテクノロジーから、ダグラス・アダムスの本から抜け出てきたようなテクノロジーの時代に移りつつあるようだという話である。

そう言われただけで、なんとなく「分かる」と感じてしまうのだが、ChatGPT などの AI との対話なんてまさにそうだし、しかも LLM にはハルシネーションが付き物ときた。運転手がいない Waymo のロボットタクシー、AI のガールフレンドも、まさにダグラス・アダムスの本の世界ではないかというわけ。

だから、僕はこれに夢中なんだ。
テクノロジーが不条理なら、我々は不条理な発明で応えなければならない。
それだけでなく、我々は不条理を真正面から受け入れなければならない。さもないと、今日のテクノロジーの尊大さが我々を食い殺してしまうだろう。

なんか分かるわー。「スタートレックの時代からダグラス・アダムスの時代へのテクノロジーの変化」とは使えそうなフレーズだ。

あと、この文章経由で知ったのだが、ダグラス・アダムスの本で発明されたものの一覧があるのね。というか、この Technovelgy.com 自体が、SF 小説や SF 映画での発明を集めたサイトなのか。

ネタ元は kottke.org

設立40周年を迎えたTEDの親玉クリス・アンダーソンの新刊が出ていた

Talks at GoogleTED の代表として知られるクリス・アンダーソンが登場していた。

これで知ったのだが、彼の新刊 Infectious Generosity が先月出ていたのね。

「The Ultimate Idea Worth Spreading」という副題を見ても分かるように、今回の本も TED で彼が追求してきた「拡散する価値のあるアイデア」を拡げる大事さを説く本とのこと。書名に Generosity(寛容さ)といった言葉があるのは、近年は「寛容さ」に対する風向きが悪いという認識があるようだ。

www.ted.com

クリス・アンダーソンは、TED でもこれをタイトルに冠した講演をやっており、これを見れば新刊の内容が分かりますよ、と宣伝したいのだが、残念なことに本文執筆時点で日本語字幕がまだついていない。

そうそう、TED 自体、今年創立40周年を迎えており、クリス・アンダーソンが、もともとの設立者のリチャード・ソール・ワーマンと対談を行っている。

www.ted.com

えっ、TED ってクリス・アンダーソンが始めたんじゃないの? と思われるかもしれないが、このあたりについては柏野雄太さんが15年前に書いた文章が今なお有用である。

正直、今では TED の神通力も大分落ちた印象があるが、クリス・アンダーソンの新刊は、公式ガイドに続いて邦訳が出るんでしょうか。本の詳しい情報は公式サイトをあたってくだされ。

「インターネットの黒暗森林理論」についてのアンソロジー本ができていた

darkforest.metalabel.com

ねじまきさんの投稿で知ったのだが、劉慈欣の『三体』、正確には『三体Ⅱ 黒暗森林』に登場する「黒暗森林理論」をインターネットに適用した文章のアンソロジーが出たとのこと。

この「インターネットの暗い森理論」は、ワタシも何度か取り上げている。

そこで引き合いに出したヤンシー・ストリックラーやマギー・アップルトンの文章はもちろん、他にもいろんな人がこれについて書いていたんだな。

残念ながらこのアンソロジーAmazon では買えないようだ。さすがに邦訳は望めないかなぁ。

そうそう、『三体』といえば、第一作が遂に文庫化された。実は『三体』未体験という人は、これを機にどうでしょうか?

問題の「黒暗森林理論」がフィーチャーされる『三体Ⅱ 黒暗森林』も4月に文庫版が出るよ。

映画『アンタッチャブルズ』に出演せずに2万ポンドを手にしたボブ・ホスキンス

年明け、Facebook で映画『アンタッチャブルズ』に関するちょっと面白い話を読んだのだが、これ本当にあったことなのかねと思い調べてみたら、Wikipedia 経由で情報源となる記事を見つけた。

metro.co.uk

アンタッチャブルズ』のアル・カポネ役は、最初ボブ・ホスキンスだったというのだ。当時、彼は映画『モナリザ』でカンヌ国際映画祭の男優賞、ゴールデングローブ賞の主演男優賞(ドラマ部門)、英国アカデミー賞の主演男優賞を受賞し、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされ一躍名をあげていた。

その彼にブライアン・デ・パルマが『アンタッチャブルズ』の脚本を送り、アル・カポネ役を示唆した。悪名高いマフィアのボスを演じられるチャンスとあって、ホスキンスは興奮し、かなりの下調べをした。

ホスキンスが、監督に聞いてもらうアイデア満載状態でブライアン・デ・パルマに会ってみると、かなり前のめりなホスキンスを見て、デ・パルマは申し訳なさそうに「自分としては、本当はロバート・デ・ニーロにカポネを演じてほしいんだ」と言ってきた。それを聞いたホスキンスが「俺はどうすればいいんだよ」と思っていると、デ・パルマは「けど、デ・ニーロがやらない場合、君が代役をやってくれないかな」と続けた。「ああ、もちろんいいとも」とホスキンスは答えた。仕方ないよね。

それから何か月か経ち、新聞でデ・ニーロがカポネ役をやっているのを読み、それでホスキンスはカポネ役の話はすっぽり忘れることにした。その後のある朝、妻のリンダが彼に届いた郵便に驚きの声をあげる。2万ポンドの小切手だったのだ。そこにはデ・パルマからの感謝の言葉があった。

ホスキンスは思わず彼に電話をかけて言った。「ブライアン、また俺に演じてほしくない映画があったら、電話くれよ!」

ボブ・ホスキンスが亡くなって来月で10年になるので取り上げてみた。彼の主演作でもっとも有名なのは、やはり『ロジャー・ラビット』かな。

夜明けのすべて

三宅唱監督の名前は、前作『ケイコ 目を澄ませて』がワタシの観測範囲で評判で知ったが、残念ながら都合がつかず観に行けなかった。

たまたま宇野維正の「映画のことは監督に訊け」を読み(ここでの三宅唱監督の返しが妙に可笑しい)、本作がその新作なのを知って、これ幸いと観に行った。

PMS月経前症候群)のために感情を制御できなくて、新卒で入った会社で早々にやらかしてしまい逃げるように退職した数年後、主人公は理解ある職場で働いているが、それでも同じ職場の社員に配るお土産を欠かさない、という描写に最初に掴まれるものがあった。山添のパニック障害に気づいた主人公がかける言葉が、「お互い……ってなんですか」と素で拒絶されるところから、その二人が徐々にお互いのために何かできるのではないかと気持ちを通わせていくその一歩一歩が丁寧に描かれている。

本作では主人公二人を照らす光がよく撮られており、それを観ているだけでこちらの心を明澄にしてくれるところがある。山添が自転車を走らせる描写が長く撮られており、ワタシなどこれは何かのフラグかと身構えてしまったくらいだが、これはこちらのマインドセットがおかしいだけである。

本作には悪人がほぼまったく登場しない。しかし、主人公二人の日常の描写にしろ、それ以外も例えばグリーフケアの場面にしても甘さに流れておらず、主人公らの職場の社長、山添の元職場の上司、みんな良かった。

本作のクライマックスは移動式プラネタリウムの場面なのだけど、それで主人公二人の人生が変わるとか劇的な何かがあるわけでは当然ながら、ない。主人公のその後、そして山添のモノローグを含め、大仰さがまったくないところもよかった。それなのに、観終わったときに心に確かなものが満ちる映画だった。

あと本作ではりょうさん(なぜかさんづけ)が主人公の母親役なのに個人的にショックを受けてしまったのだが(笑)、かっこいい大人の女性を演じてきた彼女がリハビリに苦労する役をやるのがポイントなのだろう。調べてみたら彼女はワタシと同じ年生まれなのね。もうワタシもそちら側なのな。

ボーはおそれている

映画のストーリー展開にはっきり触れるので、未見の人はご注意ください。

本国で興行的に大コケしていたのは知っていたし、何より3時間の上映時間にかなり嫌気が差したのもあり、当初は観に行かないつもりだった。が、アリ・アスターには『ヘレディタリー/継承』『ミッドサマー』とさんざんイヤな思いをさせてくれたのだから、本作も見届けようと思った次第(マゾかよ)。

いやぁ、事前の予想と違い、かなりよくできていた。これぞアリ・アスター、としか言いようのない映画である。そして、文句なしの失敗作である。

近年、長丁場の映画が多くて閉口させられるが、こちらの膀胱も鍛えられたのか、最近も『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を耐えきったワタシだが、本作はかなり久方ぶりにトイレのために中座してしまった。ただ、これは夕食の後にすぐシネコンに向かったタイミングの問題であり、本作の出来は関係ない。具体的には、医師の娘に「吸う」よう強いられる場面で席を立ったのだが(つまり、比較的早い)、およそ5分後席に戻った際には訳が分からなくなっていた(笑)。

いや、それは大げさだし、本作に難解なところは特にない。機能不全の家族や理不尽な犠牲などアリ・アスターらしいモチーフは本作でも健在だし、本作では主人公のフォビア、不安症、パラノイアが強調される。

本作をユダヤ的ユーモアと書いてはいけないのかもしれないが、旧約聖書の世界を思わせる理不尽な苦難の連続を主人公は味わうことになる。そのあたりはコーエン兄弟『シリアスマン』を少しだけ連想させるところがあったが、それに加えて、この場面はこういうことかと理解したと思ったらことごとく覆される感じ、これはアリ・アスターにしか描けないホラーコメディでしょう。

森で出会う旅劇団の舞台を見るうちにこれは自分の物語(ユダヤ人の歴史のメタファーですね)だと感極まったと思ったらアニメになり、「息子たち」と再会したはいいが、思えばオレに妻なんていないじゃん(というか、オレ童貞じゃん)、と我に返る一連のシーケンスが優れていたが、もっともこれに近い作品は……寺山修司の『田園に死す』ですかね?

ここまではよかった。とうとう実家に帰りつき、そこで「再会」した女性との陳腐な展開、まぁ、よしとしましょう。しかし、母親が登場して本作が一種の陰謀劇であることが明らかになった後、エンディングまで本作の評価がワタシの中でどんどん下がるのを感じた。主人公が実家に帰った後を辻褄無視でいいからズバッと切っていたらよかったのに、と無茶なことを思ったりした。

今回途中でトイレに立ったから書くわけでなく、本作の3時間はやはり長すぎる。近年、2時間半超えの映画が珍しくなくなっているが、全体的に監督をシメるプロデューサーのグリップに緩みがあるのではないか。性加害問題で失脚したハーヴェイ・ワインスタインのあだ名が「シザーハンズ」だったことは知られる。そういうニックネームがつくこと自体、彼の「ハサミ」が往々にして的確でなかった証左とも言えるし、彼に帰ってきてほしいとはこれっぽっちも思わないが、アリ・アスターという癖の強い映像作家を、旬を過ぎた A24 がコントロールできなかった構図を本作に勝手に見てしまうのだ。

イーロン・マスク買収後のTwitterを取材したノンフィクション本の刊行が続いている

www.nytimes.com

イーロン・マスクによる Twitter 買収を取材した本というと、昨年秋に異様に仕事が早いベン・メズリックが既に本にしている話を取り上げているが、今月、イーロン・マスクによる Twitter 買収、そしてその後の混乱を取材した本が2冊刊行されており、New York Times の書評欄でその2冊が取り上げられている。

まず一冊目は、Bloomberg の記者である Kurt Wagner による Battle for the Bird

こちらは、2015年にジャック・ドーシーが CEO に復帰して以降を取材対象にしており、2016年の米国大統領選挙、ドナルド・トランプの大暴れ、そしてイーロン・マスクによる440億ドルの買収を描いており、買収劇については内部の従業員が分刻みで語る証言がその内幕を暴露しているとな。

ツイッター業物語』の著者にして、現在はテック系ドキュメンタリーの作り手となったニック・ビルトン、『インスタグラム:野望の果ての真実』のサラ・フライヤー、『Brotopia』のエミリー・チャンといった人が推薦の言葉を寄せている。

そして二冊目は、Platformer の編集長を務める Zoë Schiffer による Extremely Hardcore

この書名は、イーロン・マスクが買収後に社員にまず迫った「超ハードコアに働くか退社か」という選択からとられている。

こちらの本も「60人以上の従業員との数百時間に及ぶインタビュー、数千ページに及ぶ内部文書、さらには裁判での提出書類や議会での証言」といった内部情報に取材した本で、イーロン・マスクが当初の宣言に反し、Twitter を世界のオンライン公共広場から自分用のメガホンに作り変えてしまったか、自らの職場が破壊されるのを目の当たりにした従業員には、会社を救おうと奮闘した人も多くいたようで、そうした人たちに取材しているようだ。

こちらの本についてもニック・ビルトンは推薦しており、バランスとったな(笑)。あと、『Zucked』のロジャー・マクナミーも推薦の言葉を寄せてますね。

NYT の書評記事を読むと、いずれもイーロン・マスクによる買収後の話が大きく割かれているが、前者の本のほうがビジネスストーリーとしての Twitter、そして、ジャック・ドーシーの CEO としてのダメさ、後者の本はイーロン・マスクパラノイアとそれに付き合わされる従業員の災難(「悲劇と茶番の一緒くたん」とな)に重点が置かれている。

この2冊とベン・メズリックの本の計3冊の「Twitter の終焉本」のうち、何冊の邦訳が出るでしょうかね?

ローレンス・レッシグの久方ぶりの新刊『大統領選挙の盗み方』が出ていた

lessig.medium.com

ローレンス・レッシグの Medium で知ったのだが、彼の久方ぶりの新刊(共著)How to Steal a Presidential Election が出ていた。

『大統領選挙の盗み方』という書名から分かるように、今回の新刊も米国の政治が主テーマであり、これは邦訳は難しいでしょうな(そういえば、『They Don't Represent Us』だかが山形浩生訳で出るという話はどうなった?)。

2021年に起きた米国議会議事堂襲撃事件をどうしても想起する、いかにも不穏で物騒な書名だが、現行の制度では大統領選挙のハッキングが可能なので、アメリカの民主主義が永久に損なわれる前に、大統領選出の不安定なシステムを補強する必要があると訴える本とのこと。

www.theguardian.com

レッシグらが想定している危機は、やはりというべきか、ドナルド・トランプ並びに共和党が選挙結果を覆しかねないという脅威であり、それを可能にする制度の抜け穴である。

この Guardian のインタビューによると、トランプ陣営は3年前の議事堂襲撃事件のときに明らかにできたはずの手があったのに、それをしなかったというのがレッシグの認識であり、その危険性を訴えるのが新刊というわけですね。

レッシグらが想定するシナリオはいくつかあり、各州の代議員が誓約に反して敗者を支持する「忠実でない選挙人」、大統領選挙の結果をひっくり返さんとする州知事が現れる「ならず者知事」、あと州議会全体が闇落ちするシナリオなどを挙げている。

ワタシはアメリカの選挙制度に関しては大した知識がないので、レッシグらの懸念がどこまで深刻な危機たり得るかはよく分からない。しかし、まさかここまでアメリカの民主主義自体の危機が本格化するとは思わなかったな。このインタビュー記事の締めはこうだ。

「多くのトランプ支持者が、どんなことも正当化されるという感覚を持っているのが恐ろしいのです」とレッシグは語る。「トランプが民主主義の核となる規範をことごとく否定しているのに、彼への支持は衰えることを知りません。それは驚くべきことであり、恐ろしいことです」

マイケル・ヘラーの新刊の邦訳『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』が来月出るぞ

yamdas.hatenablog.com

およそ一年半前に取り上げた、『グリッドロック経済』(asin:4750515639)の邦訳があるマイケル・ヘラーの新刊(共著)だが、『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』の邦題で来月邦訳が出る。

グリッドロック経済』に続き、今回も「所有(権)」をテーマとする本なのだが、デジタル資産など所有の概念が拡大する今、モノを持つことの本質を問う本とのこと。

Kindleで購入した本は本当にあなたのものか?」という話は、ワタシも昨年取り上げた話である(参考:The Anti-Ownership Ebook Economy - Introduction 日本語訳)。

やはり、今どきなテーマには違いない。こちらも面白い話が読めそうだ。

WirelessWire News連載更新(「お前の手は血まみれだ」に始まる2024年のクリシェ、そしてAIの儚い未来の落としどころ)

WirelessWire Newsで「「お前の手は血まみれだ」に始まる2024年のクリシェ、そしてAIの儚い未来の落としどころ」を公開。

今回もぶち狂った長さになってしまいました……。

さて、今回の原稿で取り上げられている文章、昨年末から今年のはじめに公開されたものが大半である。実は今回は、「意識の流れ」とか書くと大げさだが、年末年始に読んだ文章を思い出して、勝手にワタシの頭の中でつながりが見いだされた順番に挙げていったものなんですね。

なので、実は今回の文章に論旨としての一貫性は端的になかったりする。お気づきだろうか。

ただ、そのように頭の中でつながるままに書いた文章であるが、さすがにすべて思い通りにはいかず、元々最後はジャロン・ラニアーのデータの尊厳論、そしてそれを斥けるマイク・ルキダスとティム・オライリー「著作権、AI、来歴」における RAG(Retrieval-Augmented Generation)推しの話をもってきたかったのだが、とてもではないがワタシの手に負えないと断念した。

それはさておき、今回の文章で、2024年に AI への投資が鈍るという予測を紹介しているが、そうした意味でサム・アルトマンの AIチップ開発に最大7兆米ドル調達(先進国の GDP 超えてるだろ)というプランはかなり危険だと思いますね。

感動した芸術作品がAIによって作成されたと知ったらその感動は変わるか? その逆もあるか?

scripting.com

デイヴ・ワイナーが、スティーブン・レヴィが Bluesky か Threads かどっちか忘れたけど、興味深い質問をしていたと書いている……が、これこそ、実は2024年的なのかもしれない。Twitter あらため X がゴミだめとなり、Bluesky や Threads や Mastodon への移行が進み、先週には Bluesky が遂に招待制を終了し、誰でも参加可能になった。結果、X だけで済まず他もいくつかフォローすることになり、どこで見た話かあとでよく思い出せなくなる。

おっと、話がズレた。ワイナーが書いているレヴィの投稿はこれだろうが、ともかくレヴィが投げかけた質問はこうだ。

「もし、感動した芸術作品が AI によって作られたと知ったら、その感動は変わるか?」

この質問、ワイナーは最初「変わらない」と考えた。芸術で重要なのは、それがどうやって作られたかではなく、どう受け入れられたかだ。観た人にどんな影響を与えたか。それこそが芸術なのだ。

レヴィは、最初の気持ちが変わるかどうか聞いているのだから、これは回答になっていないのでは? と正直ワタシは思うのだが、それに続けてワイナーがちょっと面白いことを書いている。

「でも、Wordle の単語がランダムではなく、人間によって選ばれていることを知ったときにそれが面白くなくなったのを思い出した」というのだ。普通に文章や会話で使われている単語が人間の判断で除外されていると知って、ワイナーは Wordle をやりたくなくなったという。

つまり、レヴィの質問とは逆に、それを作っているのが人間だと知って気持ちが変わった例ですね。そっちもあるのか(更に言うと、Wordle には(New York Times に売却後に)入力を禁じられている検閲対象の単語も存在する)。

でも、「感動した芸術作品が AI によって作られたと知ったら、その感動は変わるか?」という質問自体は、これから問われていくことになるだろう。

先ごろ、芥川賞を受賞した「東京都同情塔」について、著者の九段理江が「生成 AI を駆使して作った」と語ったことが話題になったが、これについては以下のインタビュー記事がよかった。

あと「東京都同情塔」については、速水健朗さんのポッドキャストにおける「パクリと鎮魂と「作者の死」」の回がすごく面白かった。

「オープンソースAI」の定義は今どうなっているか

blog.opensource.org

「オープンソースの失われた10年と「オープンソースAI」の行方」で取り上げた「オープンソース AI」の定義策定の現状について、OSI のステファノ・マフリが書いている。

オープンソース AI」の定義のドラフトは v.0.0.5 だが、一目見て、一応ライセンス文書然としていた過去バージョンと感じが変わっていて、苦心が偲ばれる。

オープンソース AI は、目的を問わない利用の自由、システムの機能の研究や検査の自由、システムの修正の自由、システムの共有の自由が必要とのことだが、「AI に修正を加えるには、どのような形が望ましいか?」という疑問に答えるものでないと正式版にならないとマフリは考えてみるようだ。

その正式版、つまり v.1.0 には今年10月くらいに到達したいとマフリは書いているが、時間的な問題以外にも関係者の多くにも賛同できるものにしないといけないわけで、ハードルは高そうだなというのが正直な印象である。

企業のクラウド離れが起こっている理由

www.infoworld.com

『Insider's Guide to Cloud Computing』(asin:B0BYHX7LF6)の著書もあるクラウド分野のベテランである David Linthicum が、「企業のクラウド離れ」についての記事を書いている。

最新の調査で、英国の企業の25%が、クラウドベースのワークロードの半分以上をオンプレミスのインフラに戻しているそうな。IT リーダーにした質問への回答を見ると、その大多数がクラウドからオンプレに回帰するプロジェクトに関わったことがあるという。なぜか?

理由には、セキュリティの問題やプロジェクトへの期待の高さが挙げられている。そして、クラウドが「期待に応えられなかった」という回答も多い。予想外のコスト、パフォーマンスの問題、互換性の問題、サービスのダウンタイムも挙げられている。

オンプレ回帰の一番の理由は、やはりコストの問題のようだ。クラウドについては、かつて低コスト、俊敏性、優れたイノベーションを実現すると宣伝されたが、コストは企業の期待に沿わなかったということか。

今でも生成 AI などの新しいシステムの構築しデプロイするのには、クラウドが便利なプラットフォームなのに変わりはない。が、クラウドは、サーバーレス、コンテナ、クラスタリングといった一連のサービスを活用する最新のアプリケーションには適しているが、オンプレ時代と同じようにデータを扱ったり、従来のインフラのパターンを前提とする現実の(最新モードに則らない)エンタープライズのアプリケーションにはコスト高となってしまう。

ただ、だからといってクラウドプロバイダーに同情する必要はないと Linthicum は書く。

そうしたワークロードは、そもそもパブリッククラウド上にあるべきものでなかっただけで、クラウド自体はまだまだ成長が続くから。今やクラウドのカンファレンスは、AI 世代のカンファレンスと化しており、それは数年続くだろうと Linthicum は予測する。つまりは、AI 絡みが今のクラウドプロバイダーのおいしい食い扶持というわけだ。クラウドが使われるべきでない用途から離れ、使われるべき分野で使われるのは健全でしょうね。

ネタ元は Slashdot

ダム・マネー ウォール街を狙え!

昨年、「映画『ダム・マネー ウォール街を狙え!』がすごく面白そうな件とベン・メズリックの異様な仕事の早さに驚いた話」で取り上げていたが、都合がついたので観に行った。

事前には、後味の悪くない『マネー・ショート 華麗なる大逆転』庶民版という感じをイメージしていた。その線、つまりはここ数年トレンドだった愚かな富裕層を笑い、庶民の願望を満たす「イート・ザ・リッチ」ものの映画なのは間違いない(本作が題材とするゲームストップ株の騒動についての Netflix 制作のドキュメンタリーシリーズもまさにこの言葉をタイトルにしている)。

ただ、本作に描かれている個人投資家によるウォール街ヘッジファンドへの反抗を可能にしたロビンフッドが善玉というわけでもないし、本作にもゲームストップの店員が登場するが、ゲームストップ自体についてもやはり、救済の対象としてふさわしい同情の対象には描かれない。

個人的にはもう少しなぜゲームストップに個人投資家が感情移入したのか描写があってもよかった気がするし、もっと一方的に善玉悪玉を描いて盛り上げることも可能だったろうが、それをしなかったのは節度なのか、あるいは2020年から2021年の実際の事件を2023年というあまりに早くに映画にしてしまったことによる恐れがあったのか。

それはともかく、小金でも金儲けのチャンスを掴みたいというアメリカ人らしい投資欲(本作は、意図せず日本における新 NISA などへの宣伝の役割も果たしている……ということはないかな)が、意志を貫くには株を売るわけにはいかないという個人投資家たちが苦しい状況に追いこまれたところで信念の問題に変わっていくところが観客を引き込むポイントになっている。

そして、ヘッジファンドの大立者たち、ロビンフッドの CEO、そして「ローリング・キティ」こと本作の主人公キースが下院の公聴会に呼ばれる本作のクライマックスは、ある意味アメリカ映画らしい法廷ものになっているし、ここぞとばかりに実際の映像を使っているところはうまいと思ったし、結果的にコロナ禍のアメリカを最低限(それすら実は少ない)描いた映画になっている。

ピート・デイヴィッドソン演じる主人公の弟がいい味出していた。

あとワタシは実はホワイト・ストライプスをそこまで好きではないのだが、エンドロールでかかる「セヴン・ネイション・アーミー」を久しぶりに聴いて盛り上がった。

気になって Netflix のドキュメンタリーを観始めたが、「ダイヤの手」、「踏み上げ」といった本作に出てくる用語の説明がやはりあった。

[YAMDAS Projectトップページ]


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
YAMDAS現更新履歴のテキストは、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

Copyright (c) 2003-2023 yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)