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ギャル電、山崎雅夫、秋田純一、鈴木涼太、高須正和『感電上等! ガジェット分解のススメ HYPER』を恵贈いただいた

高須正和さんより『感電上等! ガジェット分解のススメ HYPER』を恵贈いただいた。

表紙に著者5名のイラストが躍っているが、本の中でもキャラ化している著者たちが暴れまくっており(と表現したくなる)、楽しく読める。以下、引用部にはその部分が誰の文章かをカッコ書きする(敬称略)。

本書はガジェットの「分解」についての本であり、メイカームーブメントの範疇に分類されるだろう。「分解」と聞いてワタシが連想するのは「修理する権利」だが、本書が扱う「分解」は「修理」に限定されるものではまったくない。

分解のゴールは修理だけじゃなくて、単純にケースを開けて中身を見て「なんか思ったよりも部品が全然入ってないなー」とか、逆に「なんでこんな部品入ってるの?」って、正解じゃなかったとしても、仕組みを自分で考えてみるのは超楽しい。(ギャル電)

大事なのは、「正気に戻る前に作り終える」こと。「これって何の役に立つのかな」とか「将来に対する漠然とした不安」とか考え出す前に「これとこれくっつけたら最高楽しそう!いえーい!!」って気持ちのまま作り上げるのがポイントだよ。(ギャル電)

「将来に対する漠然とした不安」という表現がイイな。芥川龍之介みたいで(あちらは「将来に対する唯ぼんやりした不安」でした)。

とにかく分解は楽しいから始めようよ、その結果をシェアしようよという姿勢に本書は貫かれており、本の構成的にも分解を始める敷居を下げる配慮がされている。「100円ショップのコスメコーナーは宝の山(秋田純一)」といったお役立ちな情報に事欠かないし、それには本書に盛り込まれている危険なポイントを察知する話、大げさではない失敗談も含まれる。

そうして「「仕組みがわかる快感」「自分の力で答えを見つける快感」こそが、分解のバイブス(高須正和)」とか「分解は人生を楽しむための自然な方法(アンドリュー・"バニー"・ファン)」といった名言の境地までたどり着いているわけだが、それは読者も到達可能なのだ。

本書は何より実用的な本だが、それだけではなくて、「世界の電気街探検」みたいな話までぶち込んでいるところは、巻末の付録「中国語技術用語集」なども含め、高須さんの面目躍如というべきか。

前記の通り、本書では5人の著者が一種の戦隊もののようにキャラ化されているが、その中でもっとも常識人の真人間のよう描かれている秋田純一金沢大学教授が、チップの中まで油で揚げてバーナーで炙って攻めまくる話を別にしても、時にもっとも発言がクレイジーだったりするのも面白いところである。

今もっともブレイク中の歴史学者ティモシー・スナイダーが説く「世界にウクライナの勝利が必要な15の理由」

snyder.substack.com

イェール大学教授の歴史学者ティモシー・スナイダーが単刀直入に「世界にウクライナの勝利が必要な理由」を15個挙げている。

この期に及んで「ロシアが負けることは考えられない」とのたまう人もいるが、なんでウクライナがロシアに勝利しなければならないのか、その基本に立ち返るのによいかと思うので、ざっと要約しておく。気になる人は原文を読んでくだされ。

  1. ロシアが占領下で行う大量虐殺の残虐行為と止めるため
  2. ある国が他国を侵略して、領土を併合してはならないという国際的な法秩序を維持するため
  3. 帝国の時代を終わらせるため。その転機はロシアが敗北してはじめて起こる
  4. 欧州諸国が平和的に協力できるという欧州連合の平和事業を守るため
  5. 抑圧的な国内政治に囚われているロシアで法の支配を行うチャンスを与えるため
  6. 専制君主の威信を弱めるため。プーチンをモデルに権威主義に向かうトレンドは、民主主義国家によって逆転可能
  7. 我々全員が民主主義を守るために行動することで、民主主義がより良いシステムであることを我々に思い出させるため
  8. ヨーロッパにおける大規模戦争の脅威を消すため
  9. ウクライナの勝利が、中国に台湾進攻が失敗に終わる可能性が高いことを教え、アジアにおける大規模な戦争の脅威を消すため
  10. 核兵器の拡散を防ぐため。核兵器を放棄したウクライナが負ければ、核兵器を作れる国はそうしなければならないと思うようになる
  11. 核戦争のリスクを減らすため
  12. 将来の資源戦争を回避するため。戦争犯罪に関係なく、ロシアのワグネルグループ(民間軍事会社)は暴力的に鉱物資源を押収している
  13. 食糧供給を保証して将来の飢餓を防ぐため、ウクライナは食料供給国である
  14. 化石燃料からの移行を加速させるため
  15. 自由の価値を確かめるため。ウクライナの人たちは、我々にそれを思い出させてくれる

ティモシー・スナイダーというと、少し前に「西欧諸国はロシア同様、ウクライナの存在を認めていなかった」クーリエ・ジャポンに掲載されているが、彼の歴史家としての近年の仕事が、ウクライナ情勢を考えるのに見事にヒットして注目を集めている。

2020年代に邦訳が刊行された仕事に限っても、まずはロシアのクリミア侵攻をテーマとする『自由なき世界 フェイクデモクラシーと新たなファシズム』は、これの原書を塹壕でウクライナ兵が読んでいる写真が話題になったばかり。

そして2021年には、新型コロナウイルスによるパンデミックからアメリカの危機を解き明かす『アメリカの病 パンデミックが暴く自由と連帯の危機』と20世紀東欧史を描きだす『秘密の戦争 共産主義と東欧の20世紀』が出ている。

そして、2022年には『ウクライナ危機後の世界』における語り手の一人として選ばれているが、当然の人選といえるだろう。

そしてとどめは、ウクライナポーランドベラルーシバルト三国ヒトラースターリンにより蹂躙された大量虐殺をテーマとする出世作『ブラッドランド』の文庫版が昨年秋に出ている。

これだけ現在のウクライナ情勢にクリティカルヒットする著書を出している歴史学者も珍しいのではないか。

ネタ元は Boing Boing

『AIには何ができないか』のメレディス・ブルサードの新刊は、アルゴリズムに内在する人種/性/能力差別がテーマ

thestoryexchange.org

ChatGPT のような AI プログラムには隠れた人種差別、性差別があるよという記事だが、その中で『AIには何ができないか データジャーナリストが現場で考える』の邦訳があるニューヨーク大学准教授でデータサイエンティストのメレディス・ブルサード(Meredith Broussard)のコメントが引用されている。

そういえばこの人今何してるんだろうと調べたら、3月に More than a Glitch という新刊が出るのを知る。

書名にある「Glitch」とは誤作動を指す言葉である。ならば、「誤作動以上」というタイトルは何を指すのか。それはちょっとしたバグが原因ではない、アルゴリズムにシステム的に組み込まれた人種差別、性差別、能力差別であり、それによりテクノロジーが不平等を助長することがテーマなようだ。

このテーマでは、Safiya Umoja Noble の『抑圧のアルゴリズム』を思い出すが、思えば彼女もメレディス・ブルサードも『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』に出演しており、そういう本を出すのは意外ではなく、今どきな主題なのだろう。

やはり、『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』に出演している『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』のキャシー・オニールが推薦の言葉を寄せている。

果たしてこの新刊は邦訳出ますかね。

あなたが知らないスタンリー・キューブリック『シャイニング』の舞台裏の秘密

i-d.vice.com

こうした映画にまつわるトリビアみたいな記事はどうしても読んでしまうのだが、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』といえば、ワタシも以前「あなたが『シャイニング』について知らないかもしれない25のこと」というエントリを書いており、それと中身が丸かぶりだったらイヤだなと思ったら、原作では217号室だった部屋が映画では(ホテルに存在しない)237号室に変更された話だけだった。

個人的に知らなかったのは以下のあたり。

これらの話は来月刊行される Stanley Kubrick's The Shining という本に収録されているらしいが、Amazon にはページができていなかった。

そういえば、精神疾患のため長らく俳優業を休業していたシェリー・デュヴァルは、『The Forest Hills』というホラースリラー映画でおよそ20年ぶりに復帰らしい。エドワード・ファーロング(!)と共演とな。

ネタ元は Boing Boing

イニシェリン島の精霊

マーティン・マクドナーは、前作『スリー・ビルボード』映画テン年代ベストテンの1位に選ぶほど評価しており、新作が出ればもちろん観に行くつもりだったが、この地味な(?)タイトルのため、危うく逃すところだった。

ワタシはマクドナーの上質なブラックコメディの作風が好きなのだけど、彼のルーツであるアイルランドの孤島を舞台とする本作も、トラジコメディに分類されるのだろうが、それこそバンバン銃撃がある『セブン・サイコパス』よりある意味遥かに陰惨で、とても心を揺さぶられるものがあった。

それには個人的な事情があり、ワタシ自身、長年の親友に一方的に絶縁されるという本作の主人公と同じ体験をしたことがあるからだ。とても平静に観ることができなかった。

狭いコミュニティに生きる田舎者同士のトラブルが思いもしないところまで転がってしまい、果たして俺らいったい何やってんだろねという地点にいたるところは『スリー・ビルボード』とも共通するが、およそ100年前の内戦中のアイルランドを舞台とする本作は、主人公二人の問題はこの内戦自体の(無益さの)象徴でもあるんでしょう。

主人公の友達だったコルムも筋を通しているようで、主人公の妹に一言でその浅さを指摘されているが、その彼女が図書館の職のため島を出るのは、この島を出るということ、読書により知を求めることが救いとなっていることのあらわれなのだろう。ただ、島を出た彼女が手紙にただ良いことばかり書いてたのは、前述の内戦の構図を考えると疑問を感じた。

思えば、マクドナーって意外にも悲惨な状況での親切を描くのがうまいのな。それは例えば『スリー・ビルボード』で火炎瓶で病院送りになったディクソンが、自分が病院送りにしたレッドと隣同士になり、そのレッドの行為に涙する場面がそうだが、本作でも絶交を言い渡しながらも、警官に手ひどく殴られた主人公をコルムが馬車に乗せてあげる場面がある。しかし、主人公の立場からすれば、あれはなお辛いものだったのではないか。

そうしたあたり、あとマイルスが受ける仕打ちを含め、本作はシビアなのだけど、見応えのある映画だった。

追悼ジェフ・ベック――1989年インタビューに見る中年の危機からの脱出

nme-jp.com

ジェフ・ベックの訃報には驚いた。昨年もジョニー・デップとの共演アルバムを出し、元気にツアーをやってたし、何より若い頃からほとんど変わらない佇まい、要はハゲもせず、太りもせず、精悍さをずっと維持していた人だから。三大ギタリスト(日本のみで流通している呼称)では絶対彼が一番長く現役でいると思い込んでいた。

それにしても自分にとって大事な人の訃報が続く。ジェフ・ベックの後には高橋幸宏の訃報に接し、個人的にはやはり幸宏さんのほうがショックが大きかったのだけど、ここはジェフ・ベック追悼をやりたいと思う。

1989年からおよそ15年読者だった雑誌 rockin' on の過去記事をとりあげる「ロック問はず語り」、今回は1989年11月号に掲載されたジェフ・ベックのインタビュー(元は Musician 誌掲載)を紹介する。なお、この号の表紙もジェフ・ベックで、彼が rockin' on の表紙を単独で飾ったのはこれが最後だと思う。

インタビューの紹介の前に少し文脈というか時代背景を説明しておきたい。

ジェフ・ベックに限らず、1960年代から活躍していた人たちは、1980年代ではっきりキャリアが下降線をたどる。ザ・フーレッド・ツェッペリンのようにメンバーの死があり解散したバンドもあるし、ストーンズも解散の危機を迎えたり、ジョージ・ハリスンのように音楽業界から一度離れてしまった人、ニール・ヤングのように「意図的に売れないアルバムを出している」とレコード会社に訴えられた人、80年代のコマーシャリズムについていけず、作品の評価もセールスも低調になった人が多かった。

ポール・サイモンの『Graceland』あたりが嚆矢だと思うが、1980年代後半になると、ルー・リードの『New York』など、吹っ切れてその人らしさを取り戻したアルバムを出すのだけど、1985年にナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、彼なりに売れ線を狙ったが外してしまった『Flash』を出したジェフ・ベックにとって、1989年に発表した『Jeff Beck's Guitar Shop』もそうした「復活」の一つに位置づけられるだろう。

新作が前作とガラッと雰囲気が変わり、また1970年代のフュージョン系とも違う印象があるが、その方向転換の理由を聞かれたジェフの言葉はとても率直である。

はっきり言ってもうあれしか手がなかったんだよ。というのは俺が弾けるような作品や、興味をそそられるものを他の誰も書いてないわけだからね。俺、結構、この何年かは現場のシーンの音を漁っててさ、クラブにも足を運んだりしてたんだよね。それでロサンジェルスで探りを入れてみて、それから遥々ニュー・ヨークくんだりまで行ってもう本当にガッカリしちゃったよ。結局、この俺が自宅で書いてるものの方がまだいいんだからさ。

明らかにコマーシャリズムを意識した前作『Flash』についてもやはり率直に語っている。この人は正直だ。

あのアルバムの時は、俺、あのまま成功へまっしぐらに進んでいくものと信じて疑わなかったよ。ナイル・ロジャースと超バカ売れLPを作って、その後には今回のようなものをやると、もう心に決めてたんだ。でも、実はナイルが俺に用意してくれた作品は全然、俺に向いてなかったわけ。材料が全て間違ってたんだね。

ただ続けて、ヤン・ハマーが書いた曲とロッド・スチュワートとの久しぶりの共演となった "People Get Ready" は例外としている。

このインタビューではロッド・スチュワートを讃えていて、「レコード1、2枚程度なら俺とまた組んでみたいといつだって感じてるはずさ」と語っているが、それは実現しなかった。

ただ、後にこうした共演は実現している。

その後でジェフが語る、80年代の音楽シーンに対する失望の話は、当時彼が感じていた孤立感をよく伝えている。

ただね、あの当時俺は音楽業界で起ってしまったことに絶望してしまったんだ。猛烈な勢いで進行するこの、終ることを知らない、凄絶な、企業集団による蹂躙を目の当りにしてもう希望も何も失ってしまっていたんだ。しかも俺のような人間には全く居場所がなかったわけだし。単に時間の無駄なんじゃねえかって思ったもんだよ。俺と繋りを持ってるような奴なんてもう誰も業界では力を失っていたし、大体、俺のレコード会社なんてニュー・ヨークを本拠地にしているのに俺はイギリスの奥地の彼方に住んでるわけだから自分がこの業界の一員だなんて実感さえ失くなっちゃってさ。

悶々としながら、彼は80年代の大半の時間を車いじりに費やしていたようだ。

俺なりにそういうことを考えながら座り込んでしまう様な時期があったんだよ。切磋琢磨を重ねながら、一日八時間も練習するだけの価値が果してあるんだろうか。実は俺もそろそろギターをケースにしまい込む時期なんじゃないかってね。

そんな時期を経て、トニー・ハイマスとテリー・ボジオとアルバム制作に入るのだが、以下のくだりは当時読んでて「オヤジくせえな」と思ったのを覚えている。

それなのに八ヶ月もかかっちゃったのは、そう、途中でチェスなんかやり始めたからだろうなあ。トニーの馬鹿がチェス盤を買ってきやがってさ。昼くらいに起きるだろう? それから二時くらいまでは脂がのらないからチェスをやるんだ。その内、何だかじじいの寄り合いみたいになっちまって。

今ではこの感覚はよくわかる。というか、今では自分は、当時の彼よりも年上になってるんだよね。

オヤジの与太話ついでに、『Jeff Beck's Guitar Shop』のレコーディングを行ったのが、ジミー・ペイジが所有するスタジオであることを聞かれてのジェフの答えがおかしいので引用しておく。

「そりゃ、やっぱり、気分良くなかった。俺が黙々と仕事をするだけであいつは懐を暖かくしていくんだぜ。それに作品を完成させて引き上げる時、俺のバイクだけ置いてきちゃったから、あいつはスタジオ代の儲けの上にバイクも一台分儲かったんだ」

●(笑)そんなの取り戻しに行きゃあ、それで済むことじゃないですか。

「いやあ、あいつのことだからもう売っ払っちまってるよォ」

そういえば『Jeff Beck's Guitar Shop』には、クイーンのブライアン・メイが「これまでレコーディングされたギター・ミュージックで最も美しいもの」と評した “Where Were You”が入っているが、この曲についてはジェフ自身は以下のように語っている。

そう、俺がアームを使って演奏をするのはかなり画期的なことだよね。ただ、弾く時の加減が凄く難しいんだ。まあ細かいことは俺の手首に訊いてくれよ(笑)

このインタビューで重要なのは、インタビュアーがジェフの自分への厳しさ、過去の作品をことさらに過小評価するところを指摘しているところ。それに対して、ジェフも率直に認めている。

いやあ、ひどいもんだよ。その辺、とてつもないんだよな、俺って。実際、その癖を直せば俺にはもっと方向性や一貫性が見えてくると思うんだけど。何か、創り上げたものをすぐにブッ壊しちゃうんだよ。

かつて「アルバムを2枚作ったらバンドをぶっ壊す病」とその悪癖をファンは嘆いたものだが、エリック・クラプトンの後釜としてバンドをブルース一辺倒から変えたヤードバーズ時代、ハードロックの先駆けとなった第一期ジェフ・ベック・グループ、よりソウルやファンクに接近した第二期ジェフ・ベック・グループ、クリーム後の最強のロックトリオだったベック・ボガート&アピス、ギターインストの頂点と言える『Blow By Blow』と『Wired』、いずれもジェフの仕事は革新的だったが、だいたいアルバム2枚出したあたりで自分の成した仕事に飽きてしまい、人間関係を含め壊してしまう。

そうして渋谷陽一も指摘するように「残した仕事は多い。ただ、その仕事に連続した物語性はなく、印象的な短編がたくさんある感じ」になったわけだが、でも、そのキャリアを通してギターの斬新さは一貫している。

Jeff Beck's Guitar Shop』で復活を遂げ、グラミー賞を受賞し、1990年代も快進撃が続いた……らよかったのだけど、現実はそうはいかず、ジェフが次に充実したアルバムを作るのは、1999年の『Who Else!』まで10年待たねばならない。その年行った来日公演はとても素晴らしかったな。

21世紀に入ってもその充実は続いたし、うすら寒い「ルーツ回帰」や「原点回帰」などせずに、エレクトロだったりハードロックだったりする音は若々しかった。

その印象が続いていたので、彼の訃報が信じられなかったわけだが、「ロック・ギタリストには2種類しかいない。ジェフ・ベックとそれ以外だ」と改めて言っておきましょう。

Guitar Shop

Guitar Shop

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Wired

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  • アーティスト:Jeff Beck
  • Sbme Special Mkts.
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TikTokの「秘伝のタレ」はAIではなくデザインにあり

knightcolumbia.org

先日書いた「インチキAIに騙されないために」でフィーチャーしたプリンストン大学教授のアーヴィンド・ナラヤナンについて、コロンビア大学のナイト研究所にて「アルゴリズムによる増幅」研究を行っていることを最後に紹介したが、ナイト研究所のブログで既に TikTok について書いている。

昨年は「ソーシャルネットワークの黄昏」話とともに、どこもかしこも TikTok に追従する話が伝えられるが、なぜ TikTok はそれほどまでに成功しているのか?

利用者が見たいものを選び出して表示する AI(アルゴリズム)が素晴らしいからと考える人は多いが、TikTokアルゴリズムが同業他社より優れているとは言えないし、TikTok のエンジニアが誰も知らないようなブレークスルーを成し遂げたというのはありえない、とナラヤナンは指摘する。

実は TikTok の強みは AI(アルゴリズム)ではなくデザインだ、というのがこの記事の趣旨である。

具体的にそのデザインのポイントとして挙げるのは以下の4点。

  1. 動画を上にスワイプして次の動画に移るのが使いやすく、推薦エンジンのまずさを覆い隠している
  2. YouTube などショート動画後追い勢と異なり)最初からスマートフォンの縦型フォーマットに適したデザイン
  3. クリエイターのフォロワーの数よりも個々の動画のバイラルの可能性を評価し、動画消費者をクリエイターに変えるクリエイター向けのツールの優秀さと参入障壁の低さ
  4. 安全重視の搾取(exploitation)型レコメンデーションよりも、リスクはあるが見返りも大きい探検(exploration)型レコメンデーションがクリエイターとニッチな視聴者を結びつける

以上を踏まえてナラヤナンは、レコメンデーションシステムは魔法のようにみなされがちだが、TikTok のレコメンデーションシステムは秘密ではなく、デザインが優れているのだと強調している。TikTok のデザインのイノベーションも周知ではあるが、他のアプリがそれを真似するのが難しいのは、それらはもともとは異なるユーザ体験のためにデザインされたアプリであり、ユーザーやクリエイターの好みによってロックオンされてしまうからで、クレイトン・クリステンセン言うところの「イノベーションのジレンマ(イノベーターのジレンマ)」だと分析している。

しかし、「ロングテール」という言葉が真面目な分析で使われるのを久しぶりに目にしたが、TikTok はそれを実現してるとな。

介護ロボットは日本の高齢者介護問題を救わない?

note.com

MIT Tech Review に掲載された「高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験」は、原文が公開された時にこれは興味深いと読んだのだが、ワタシ自身はロボット業界に通じていないので、現役のロボット開発者である安藤健氏の解説というかツッコミを読めるのはありがたかった。

高齢化が進み続ける日本において、介護を必要とする高齢者が増え続け、一方で介護職の従事者が十分な給与を得ていないことは大きな問題であり、そこで高齢者の介護をロボットに置き換えられれば、というのは多くの人が考える解決策に思える。

アラン・チューリング研究所の研究員であるジェームス・ライトの文章は、その期待に冷水をぶっかけるものである。

要するに、機械は労働を省くことができなかった。介護ロボット自体も世話をしなければならなかった。移動、メンテナンス、清掃、起動、操作、居住者への説明の繰り返し、使用中の常時監視、使用中の保管が必要だった。実際、他の研究においても、結局、ロボットは介護者の仕事をさらに増やす傾向があるというエビデンスが増えている

MIT Tech Review: 高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験

介護ロボットはどのような未来を指し示し、介護危機の「解決策」となるには何が必要なのだろうか。コストの抑制が不可欠なことを考えれば、在宅介護においてロボットを大規模に利用するための最も可能性の高いシナリオの1つは、残念ながら、よりスキルの低い人を、できるだけ安い給料で、よりたくさん雇うことなのかもしれない。

MIT Tech Review: 高齢者介護を「自動化」する 日本の長い実験

かなり皮肉な結論と言えるし、アラン・ウィンフィールドの「現実に、AIはすでに多くの仕事を生み出しています。これは良いニュースです。悪いニュースは、それらがほとんどくだらない仕事だということです。(中略)21世紀に人間がロボットやAIのアシスタントとして働くことは、退屈で、身体的にも心理的にも、そのどちらかだけでも危険なことは今や明らかです。(中略)そのような人々は、実際、ロボットであるかのように振る舞うことを要求されるのですから」というコメントがダメを押している(し、またしても「ゴーストワーク」の話を思い出した)。

これに対して安藤健氏は「ロボットありきで考える必要は全くないが、全体最適で考えたときにロボット技術が役に立つシーンは存在する」と反論しており、「介護の自動化」に対する違和感はワタシにも理解できる。何より介護分野へのロボットの導入はまだまだこれからである。

ただ本件と直接は関係ないが、少し前に O'Reilly Radar で Automating the Automators: Shift Change in the Robot Factory という文章を読んだときも思ったが、欧米人にとってはロボットといえばオートメーションという固定観念があるのかもなと思ったりする。

いずれにしても、介護問題においてロボットが「銀の弾丸」にはならないし、そのように語る人は信用してはならないのだろうな。

ともあれ Robots Won't Save Japan というズバリなタイトルの本が来月出るようなので楽しみだし、この題名自体、MIT Tech Review の記事にも触れている通り、日本で『ロボットが日本を救う』という本が複数刊行されているのに冷水をぶっかける英国人らしさの発露……などと書くと怒られそうだが、これは間違いなく邦訳が望まれる本でしょう。

ランドール・マンロー『ホワット・イフ?』の続編『もっとホワット・イフ』が来月出るぞ

yamdas.hatenablog.com

昨年秋にとりあげたランドール・マンロー『ホワット・イフ?』続編の話だが、今年に入って調べてみたら、『もっとホワット・イフ?──地球の1日が1秒になったらどうなるか』という邦題で来月刊行されるのを知った。

原書のサポートページを見ると、英語圏以外では、ドイツ語、オランダ語スウェーデン語に続く翻訳刊行のようだ。

さすが早川書房、仕事が早い。

モリコーネ 映画が恋した音楽家

2023年に生きる人間として、やはり『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』を観に行くべきだよなと思いながらも、どうしても3時間超の上映時間に嫌気がさしてこちらに行った……って、おい、こっちも2時間半超の上映時間だぞ!

ワタシがエンニオ・モリコーネの音楽を知ったのは、1980年代後半の『アンタッチャブル』や『ニュー・シネマ・パラダイス』あたりだったため、彼の名前を聞くとまずその美しいメロディーが浮かぶのだけど、特に映画音楽のキャリアを始めた1960年代は、セルジオ・レオーネマカロニウエスタンをはじめとして、楽器でないものを楽器にするなど実験性も強かったんですね。

本作はモリコーネの映画音楽以前のキャリアにもしっかり時間をとっているが、正式に作曲の教育を受けた人間として、映画音楽の仕事を屈辱と感じ、また彼の師匠をはじめイタリアの音楽界も明らかに彼を正当に遇していなかったのな(成功した彼に対する嫉妬もあったろう)。

モリコーネ自身、何度も映画音楽から離れたいと願うが、本作の邦題ではないが、映画のほうが決してモリコーネを離さなかった。本作では日本未公開の映画もかなり多く引用されるが、本当にものすごい数の音楽をてがけたものである。それは映画にとって素晴らしいことであり、レオーネの遺作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』でようやく音楽界も彼の仕事を認め、そして『ミッション』以降はアカデミー賞にノミネートされるようになり、しかしなかなか受賞できなかったが、2006年にアカデミー名誉賞を受賞し、『ヘイトフル・エイト』にして6度目のノミネートで念願の受賞を果たすというサクセスストーリーになっている。

スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』の音楽をモリコーネに依頼したくてセルジオ・レオーネの許可をとろうとするも彼がウソをついてまだこっちで仕事中と言ったために実現せず、モリコーネも「できなかったのを後悔している仕事はあれだけ」と語っているのはまったく知らなかったな。彼が『時計じかけのオレンジ』の音楽だったら、あの映画はどんな感じになったのだろうな。

本当に映画に愛された音楽家であり、彼のコンサートの映像がふんだんに使われ、その音楽の魅力を堪能できる作品である。本国の音楽家をはじめとして多くの人のインタビューが使われており、ブルース・スプリングスティーンをはじめとするロック畑の人も何人も登場するが、ポール・シムノンのインタビューが本当に少しだけ使われているのがちょっと謎だった(ちゃんと「音楽家(元ザ・クラッシュ)」と字幕が入っていた)。

本作の最後は、そうした人たちによるモリコーネを讃えるコメントが怒涛の如き続いて、これをカットしたら映画は10分は短くできたのではともちらと思ったが、エンニオ・モリコーネがその賞賛に値する音楽家なのは間違いなく、90歳にしてまだまだ元気だったモリコーネ自身のしっかりした証言を元に本作が作れたのは、映画にとっても素晴らしいことに違いない。

WirelessWire News連載更新(インチキAIに騙されないために)

WirelessWire News で「インチキAIに騙されないために」を公開。

WirelessWire News 連載では、昨年 Web3メタバースを取り上げているが、三題噺(?)としては、お次は AI でしょうというわけで、なぜか日本で取り上げる人のいない AI Snake Oil をネタにさせてもらった次第。

意図せず「クリストファー・アレグザンダーと知の水脈の継承」に近い終わり方になった。

それにしても「AI Snake Oil」の書籍化が楽しみなのだが、今回の文章には反発も多いのが予想される。アーヴィンド・ナラヤナンらの主張のどこがおかしいか、具体的に指摘していただけるとありがたい。

個人的には、例えば、ChatGPT についての感想は、新山祐介さんに近い。

ChatGPT でショックだったのは、あの性能 (?) ではなく、 「人間の知能というものはかくも薄っぺらいものだったのか」 という驚きである。ChatGPT はおそらく「世界で一番物知り (それが文字で表現されている限りは)」といえるだろうが、 賢いことはほとんどしていない。にもかかわらず、 (知識と知能が同じではないということは頭ではわかっているものの) あの出力を見ると、その「まともっぽさ」に衝撃を受けたし、 あの表面的な部分だけを見て「ChatGPT すげえ」と言ってる人が 多いのにも衝撃を受けた。

https://tabesugi.net/memo/2022/c.html#272338

アーヴィンド・ナラヤナンらが、ChatGPT はデタラメ製造機だが、翻訳など確かに有用な分野があると書くのは、「ChatGPTのヤバさは、論理処理が必要と思ったことが確率処理でできるとわかったこと」の話に近いのかなと解釈している。

『AIの倫理学』に続く邦訳『自己啓発の罠: AIに心を支配されないために』が出たマーク・クーケルバークの多作ぶりに舌を巻く

note.com

このエントリ経由で『自己啓発の罠: AIに心を支配されないために』という面白そうな本が昨年出ていることを知る。

この本の著者のマーク・クーケルバークという名前になにかひっかかるものがあり、試しに自分のブログを検索したら、この人『AIの倫理学』の著者やないかと気づいた。

つまり、『自己啓発の罠』は彼にとって、『AIの倫理学』に続く邦訳二冊目ということになるのだが、ここにいたってマーク・クーケルバーク(Mark Coeckelbergh)って何者なんだろうと調べて驚くことになる。彼はウィーン大学の哲学科の教授であり、邦訳された二冊の本の著者というのも不思議ではない。

ワタシが驚いたのはもちろんそこではなく、彼が昨年から今年にかけてすごい勢いで本を刊行していること。

まず2022年2月に The Political Philosophy of AI: An Introduction を出している。前作が「AIの倫理学」だったのが、こっちは「AIの政治哲学」(!)である。ケイト・クロフォードが推薦の言葉を寄せている。

続いて、2022年7月に Self-Improvement を出しており、これは『自己啓発の罠』の原著である……って、原著刊行から3か月くらいで邦訳出たのか! 青土社、仕事早いな。

そして、2022年9月には Robot Ethics を出しているのだが、版元が同じ MIT Press で、『AIの倫理学』の続編としての『ロボットの倫理学』ということだろう。

さらには、2023年はじめに Digital Technologies, Temporality, and the Politics of Co-Existence を出したばかりだったりする。やはりソーシャルメディア人工知能などのデジタルテクノロジーと我々人間との関係を哲学的に考察する本のようだ。

いやはや、昨年から今年にかけてだけ見れば、キャス・サンスティーン並みの多作といえる。それにしても一年で4冊はスゴい。

しかもその本が扱う内容が、最新テクノロジーと哲学や倫理学が交差する内容を扱う、とても時宜をえたものなので、『自己啓発の罠』に続く邦訳が期待できるんじゃないかな。

ヴァージニア・ユーバンクス『格差の自動化』がとっくに出てたのかよ。誰か教えてよぉ~

yamdas.hatenablog.com

ヴァージニア・ユーバンクス(Virginia Eubanks)の『Automating Inequality』を取り上げたのが5年近く前になる。

今回の WirelessWire 連載原稿を書くために読んだ AI Snake Oil の文章のひとつの Further reading に彼女の名前(と『Automating Inequality』)を見つけ、この人どうしているんだろうと調べたら、『Automating Inequality』が『格差の自動化』として邦訳が出ているのを知る。

正直、堤未果が解説を書いているのに「うぬぬ」となってしまうが、それよりなにより、邦訳の刊行が2021年9月というのにびっくり。一昨年の話やないか! まったく知らなかったな。誰か教えてくれよ~。

ヴァージニア・ユーバンクスというと、近年では『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』に出演したのを見たくらいで近況を知らなかったのだが、パートナーの方が暴力の被害者となり、その PTSD で彼女ともども苦しむという大変な経験をしていたんだね。

それを受けて彼女は、カート・ヴォネガット『スローターハウス5』などの本を読むことで PTSD について学ぶ PTSD Bookclub を立ち上げている。

コク味とはなんぞや? もしくはとても美味そうなサッポロ一番味噌ラーメンのアレンジ

たまたま Boing Boing で「kokumi」についてのエントリを立て続けに二つ見かけた(まぁ、同じ人が書いてるからなのだが)。

boingboing.net

そもそも「kokumi」ってなんやと思ったら、「コク味」なんですね。

しかし、ウィキペディアの日本語版、ドイツ語版、イタリア語版には項目があるが、最大のユーザ数を持つ英語版には、本文執筆時点でまだ単独で項目は立っておらず、国際的に認知されたものではまだないのかな。

ウィキペディア日本語版には「甘味・うま味・苦味・塩味・酸味の五基本味に加え、近年新たに着目、定義された第六の味覚とされる」とあるが、この Boing Boing のエントリでは、味の素グループは「コク味」を第六の味覚ではなく、味の調整剤として分類していると説明されている。そのあたりも影響してるのかな。

boingboing.net

こちらは「コク味」を増すとして、インスタントラーメンのキューピーマヨネーズによるアレンジを取り上げている。

このエントリで取り上げられている動画の元ネタは、はらぺこグリズリーさんサッポロ一番みそラーメンのアレンジ「サッポロ一番、ガリマヨ味噌ラーメン」 ですな。

いやー、夜中これを見ているだけでラーメンを食いたくなったよ(笑)。

『RRR』をようやく観たぞ!

以前からワタシの観測範囲でたいへん話題になっていた映画で、興味をひかれつつもインド映画に関して門外漢というのがあり、またやはり3時間の上映時間にたじろいでグズグズしていたら、旧年中に行く機会を逃してしまった。

もう自分が行ける時間帯には上映していないだろうと諦めかけたのだが、年明けも近場のシネコンでレイトショーをやってくれているのを知り、2023年最初に映画館で観る映画はこれになった。

同様な事情の人が実は多かったのか、結構席が埋まっていた。

上記の通り、ワタシはインド映画に関しては門外漢で、本作の監督が手がける『バーフバリ』も観ていない。この10年で観たインド映画は『きっと、うまくいく』くらいで、そのときにもインド映画をなんとなく敬遠してきた理由を書いているのでここでは繰り返さないが、要はこの方面にまったく明るくない。本作を「ボリウッド」と呼んだら「無知な言説」と怒られることも知らなかったくらい。

で、そんな性格が暗いワタシが観て楽しめるのか不安だったのだが、もう全編とんでもないテンションのアクション、ダンス、歌に言葉を失ったまま、魂と尿意をわしづかみにされてどこかに持っていかれる映画だった。もちろん VFX を駆使しているのは承知していても、いったいこれどうやって撮ったんだよ(考え付くんだよ)なアクションシーンが数十分単位で続くという狂った暴走機関車状態な映画である。

それを支える物量というか資金があるのは羨ましいが、本作はインド映画史上もっとも製作費がかかった映画なんだね。やはりこれはインド映画でも特別なのか。

特に歌の歌詞の和訳を見ていて、なんでここでこの単語なんだろうとか文脈が分からないところは上記の事情の通りいろいろあったのだけど、そういうのは気にしなくても文句なく楽しめる、というか作り手がそれを見越した国際的で普遍的な作りになっているし、本作は『イングロリアス・バスターズ』以降の「映画で史実を変える」作品の系譜に連なるものなのだろう。

そういうわけで、本作を映画館で体験できてよかったと思うわけだが、これはやはり『バーフバリ』シリーズも観たほうがいいんだろうなぁ。

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