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エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

この3年間、ワタシはマスクをして映画館で映画を観てきたんだな、とワタシはこの映画を観ながら思い当たった。

なんでそんな当たり前のことを今更思ったのか? この3年間、コロナ禍前より少ないとはいえ、面白い映画、面白くない映画、いろんな作品をワタシは映画館で観てきた。

しかし、マスクをしたままボロ泣きすると、こんな状態になるんだな、と分かったのだ。どうやら、この3年間で初めてワタシは映画館で泣いてしまったようだ。

言っておくが、本作を傑出した映画だとはワタシは思わない。ミシェル・ヨーに何の思い入れもないし、正直観る前には果たして本作が楽しめるか不安なほどだった。元々ワタシは「マルチバース」というアイデア自体が、近年あまりに都合よく利用され過ぎているように思えて好きになれないし、実際観始めてあんまり好みの映画じゃないかな、と思ったくらい。

本作はミシェル・ヨー演じる主人公とともにマルチバースに叩き込まれる映画で、とにかくバカバカしいしハチャメチャである(映倫もさ、こんな映画にモザイクかけるの止めろよ!モザイクは本国版にも入っているそうです)。そのカオスぶりを突き詰めれば、どんな世界にも意味はないというニヒリズムに陥るしかないのだけど、その人生をどのように肯定できるのか?

そこでキー・ホイ・クァン演じる弱々しい主人公の夫が、その弱々しさを隠すことなく必死に紡ぐ言葉、どんな生にも尊く価値があり、だから優しくしようよ――キー・ホイ・クァンそのものとしか思えないその存在自体がワタシを泣かせた。

冷静に考えれば、本作はマルチバース版『マトリックス』の家族映画とまとめられるのかもしれないが(重要な役割を担う主人公の娘がちっとも可愛くないのは新鮮だった)、正直賞レースを爆走するような映画には思えない。映画にちりばめられた小ネタがアメリカのネットミームの文脈に依っているのも気に入らない。しかし、それでも本作に何かしらのマジックがあるのは確かだ。

フェイブルマンズ

レイトショーとはいえ、公開最初の週末に客はワタシともう一人だけだったが大丈夫か。

ワタシ自身もっとも多くの作品を観ている映画監督といえば、間違いなくスティーヴン・スピルバーグになるだろう。おそらく世界中の映画ファン、ワタシのような初心者からシネフィルまで含めても、そうなのではないだろうか。何よりスピルバーグは多作だし、半世紀にわたりキャリア上の低迷期はほぼなく、彼は第一線でヒット作を作り続けた。

本作は、そのスピルバーグの自伝的作品であり、彼自身語る通り、これを作らずにキャリアを終わらせるわけにはいかなかったのだろう(し、それには両親の死を待たなければならなかった)。およそ一年前、我々は「映画の終焉」を見ているのではないか? という話を書いたが、『リコリス・ピザ』など観ても、残るのは自伝的な作品ということだろうかと思ったりする。

もちろん、スピルバーグの過去作、それこそ『未知との遭遇』や『E.T.』といったキャリア前半の代表作からして、父親の不在などに彼の映画の特色を感じ取ることは可能である。ある意味本作は、スピルバーグ自身による過去作の謎解き、は大げさにしてもある種の解説と言える。そうした意味で、本作の描写に過去作を見出して喜ぶ彼のファンは多いだろう。やはり猿の登場にインディ・ジョーンズを思い出すし、個人的には『宇宙戦争』でもっとも戦慄した場面が鮮烈に再現されていて唸った。本作を観ると、彼の映画が恐怖と笑いの両方を備えている理由も伝わる。

主人公の両親が「科学者と芸術家」とはっきり色分けされ、サーカス芸人だった主人公の母親の叔父が語る「芸術は心を引き裂く」という分かりやすいテーゼが語られる。両親の離婚により家庭が安住の地ではなくなった主人公にとって映画が残る居場所だったことが描かれているが、家族のシリアスな場面でカメラを回し始めるという残酷な想像シーンはそれをよく表しているし、彼の才能がある意味呪いであることも描かれている。

ただ、本作にはそのように分かりやすい二項対立をかかげながらも、微妙なズラシがいくつかあるのも注意が要る。本作自体、感動の映画愛に満ちた自伝作を期待させながら、それから確実にはみ出している映画でもある。

さて、以前スピルバーグの新作にある人が参加しているというニュースを読み、いったいどういうことなんだろうと不思議に思いながらすっかり忘れていたので、本作の最後におけるあの人登場には驚いた。

そして、ラストシーン、くいっとカメラが角度を上げるユーモアにB級映像作家としてのスピルバーグらしさがよく出ていた。

キャストでは、なんといってもミシェル・ウィリアムズの演技が素晴らしかった。あとジョン・ウィリアムズの音楽もよかった。

バイデン政権が国家サイバーセキュリティ戦略を発表

Schneier on Security で知ったが、バイデン政権がアメリカ合衆国のサイバーセキュリティ戦略を公開している(全文 PDF 版要約版)。

シュナイアー先生のエントリに Krebs on Security などこの戦略を解説する専門家のページのリンクもまとまっているが、米国がサイバースペースにおける役割、責任、リソースをどのように配分するかについて根本的な転換が必要と訴えている。

yamdas.hatenablog.com

ちょうど一年前にワタシはクリス・イングリス国家サイバー局長の文章を紹介したが、個人や企業任せだったサイバーセキュリティのグリップを最も適した立場にある組織(つまり国家組織ですね)に取り戻すことを明確に打ち出している。

ヴィジョンとして、Defensible(防御可能性)、Resilient(回復力がある)、Values-aligned(価値観の一致)という単語が強調されているが、防御可能性は当然として、サイバーレジリエンスと価値観が一致する国との協力が特に強調されるのだろうな。

新戦略を実現するための5つの柱として以下のアプローチが掲げられている。

  1. 重要なインフラの防御
  2. 脅威アクターを破壊し、除外
  3. セキュリティとレジリエンスを推進する市場の力を形成
  4. 回復力のある未来への投資(ポスト量子暗号、デジタルIDソリューション、クリーンエネルギーインフラなどの次世代技術のためのサイバーセキュリティ研究開発)
  5. 共通する目標を達成すべく国際的なパートナーシップの構築

yamdas.hatenablog.com

以上は要約版のまとめだが、全文版をみると、open-source が何度も出てきており、オープンソースコミュニティとの協力も重要視されている。

このあたり、WirelessWire 連載で取り上げたものかねぇ。

『デジタル・ゴールド』のナサニエル・ポッパーの新刊情報は迷走気味

yamdas.hatenablog.com

ビットコインを中心としたデジタル通貨の歴史と実相をうまく解説する『デジタル・ゴールド』を書いてヒットしたナサニエル・ポッパーだが、彼の公式サイトに新刊情報があるのに気づく。

His next book tells the story of the generation of young men who became obsessed with money and trading through Reddit and Robinhood. It will be published in 2023 by Dey Street Books, an imprint of Harper Collins.

NATHANIEL POPPER - Home

そこで Harper Collins のサイトを調べると、確かにそれらしきページができている。

しかし、このページに書かれている書名が『WallStreetBets』なのに対し、画像に書かれた書名は『WE LIKE THE STOCK』と異なっており、しかも August 9, 2022 が発売日になっている。えっ、もう発売されているの?

そこで Amazon を調べたところ、やはり確かにそれらしきページができている。

しかし、ここに掲げられている書名は『The Degenerate Generation』で、Harper Collins のサイトとまた違っている。しかも発売予定日は2024年、つまりは来年で、ナサニエル・ポッパーの公式サイトに書かれた情報と異なる。

こりゃあどうなってるのよ? と思ってしまうが、このように情報がずれたままというのは、出版のキャンセルのフラグだったりするので心配なところである。

ともかく少し解説しておくと、「WallStreetBets」とは Redditサブチャンネル名で、ナサニエル・ポッパーの新刊は、米金融界を混乱させた Reddit の GameStop 株騒動を取材したものになる。ウォールストリートとシリコンバレーの両方に通じた彼らしい題材とはいえるでしょうね。

しかし、株取引アプリの Robinhood が広まっていない日本では邦訳は難しいかなぁ。

花見をするためにボブ・ディランが来日し(ウソ)、それに合わせて『ソングの哲学』も出る

yamdas.hatenablog.com

ボブ・ディランがポピュラー音楽論の本を出す話は昨年のうちに取り上げているが、さすがディラン、それから半年で邦訳『ソングの哲学』が来月刊行される。

この急ピッチぶりは、やはり4月に行われるボブ・ディランの4年ぶりの来日公演に合わせたものだろうか。

さて、ディランの来日といえば、以前からある噂がとりざたされていた。

す、すいません、噂というのはワタシが勝手に言っているだけでした(どなたか、ディランに「日本ではお花見しているのでしょうか?」と尋ねてみていただけないだろうか)。

何度か書いているが、洋楽体験初期である1980年代当時の印象が極めて悪かったため、ワタシ自身はボブ・ディランは基本的には苦手としているのだが、それでも近年は彼の作品との折り合いが大分ついてきたし、何より80歳過ぎて来日公演をやってくれるのはありがたいことである。

別れる決心

本作と『BLUE GIANT』と『ワース 命の値段』のどれに行くか悩んだ末、Twitter で珍しく投票機能を使ってしまったが、自分が行くシネコンでのレイトショーの上映時間の関係で本作となった。

今回は珍しく同行者がいたので、観終わった後感想を聞いたら、一言「寝てた」と言われてしまった。このスリリングなサスペンス映画でなんで寝れるんや! と呆れたが、かく言うワタシも、この場面の後になんでこうなるの? みたいにストーリー的に分かっていないところが多々あるくらいなので、人にとやかく言う資格はない。

パク・チャヌクの作品は『お嬢さん』しか観ていないが、本作は彼の作品では暴力もセックスも抑制されているようだ。

ヒッチコックっぽいという事前情報があったが、刑事が容疑者である女性の生活を覗くところ『裏窓』みたいだと思っていたら、後半になって『めまい』だったのかと納得した(偶然だが、この2作とも3月に BS プレミアムで放送されます)。

サスペンスロマンスとしてとても濃厚な映画なのだが、かなりヘンなところもあって、執拗にスマホのロックを解除する描写が出るところもそうだし、本作ではスマホによる中国語⇔韓国語の翻訳が重要な役割を果たすが、予告編にも入っている「心」と訳すべきところを「心臓」と訳したがために生まれるギョッとする感じは分かりやすいが、翻訳機能や文法的な間違いが多用されたメッセージなどかなり注意が必要で、ワタシが理解し損ねているポイントがたんまりありそう。

そして重要なのは、2022年に作られる映画として上記に加えて、当然ながらカメラやマップなども含め、スマートフォンというテクノロジーの結集がごく自然に作品の中核に関わりながら、作中 SNS が一切登場しないところも本作の美点のひとつかもしれない。

本作は、刑事が容疑者の女性の生活を覗きながら彼女に寄り添う描写が多用されるが、一例をあげると彼女が泣いていると見せかけて笑っているように見えるところなど、実は観客が見たのは主人公の想像、つまりはミスリードもあるに違いないのでやはりそれにも注意が要る。

というわけで、ワタシ的にはかなり面白かったのだけど、上で書いた通り、文脈を分かっていないところが多すぎるので、これから町山智浩のアメリカ特電を購入して解説を聞きたいと思う。

Web3のキラーアプリは何か?

……って、まだないんですか? などと煽ってはいけません。

www.oreilly.com

Block & Mortar という web3 を扱うニュースレターをやっており、『バッドデータハンドブック』asin:4873116406)の邦訳もある Q McCallum の文章だが、彼は「キラーアプリ」という言葉がドットコムビジネスやら bro culture を連想させるので好きではないとお断りしつつ、web3 という言葉を聞いて「それ何?」よりも「それ何に使えるの?」と言われるようになったのはよい傾向だと認める。

ただ、「web3 のキラーアプリは何か?」という質問に答えるのは難しくて、その理由を四つあげている。

  1. 「web3」という言葉が「AI」と同じく、複数の異なる概念のアンブレラタームで曖昧なこと
  2. テクノロジーというものは、大抵あることを行うために作られ(るが中途半端な成果にしかならず)、他の誰かがそれが別の分野で革命をもたらすことに気づく、つまり、後にならないとキラーアプリが何か分からない構図がある
  3. web3 のユースケースの話になると、大抵「それ既にあるよ」「それにクリプトを使ったら今よりひどくなる」という反応が返ってきて、実際それはだいたい正しいのだけど、新しいものは今とは異なる便利さを提供するもので……という『イノベーションのジレンマ』な話
  4. 多くの人が「web3」と「クリプト」を同じ意味で使っているがフェアじゃないし、「クリプト」、つまり暗号通貨に関する最近のニュースが、フィッシング詐欺やらトークンのメルトダウンやらファンドの破綻やら「犯罪」と隣り合わせ、しかもクリプトの採掘が環境に与える影響の話など悪い印象ばかりが前にくる

web3 が犯罪者にとってとても有益なのは確かで、そのキラーアプリは人々からお金を奪うことなんて主張もあるくらいだが、飽くまで大衆にアピールできる合法的なユースケースとして Q McCallum が挙げるのは、ファッション分野とポイントプログラム(Loyalty program)の二つである。

うーん、そうなのか。具体的にこの二つがどう web3 に合っており、キラーアプリになれるのかは原文をあたってくだされ。

その後に引用されている「自分がブロックチェーンを使っているのを気づかないままブロックチェーンを構築できた人が勝者になると思う」というマイク・ルキダスの言葉はワタシも正しいと思う。確かに消費者は、自分が好きなアプリがどんな技術で動いているかなんてほとんど気にしないし、便利に使えればそれでよいのだ。しかも、web3 には上にも書いた評判の問題もあるのでなおさらである。

そして、Web 2.0キラーアプリだったアドテクが AI のエコシステムにどれだけ還元されたかを考えると、web3 のキラーアプリが生まれたら、その構築と収益化に対する関心が、基盤となるテクノロジーの改良を促し、そしてそれが他の分野にも応用されるだろうという予言もやはり正しいでしょうね。

ワタシ自身は「Web3の「魂」は何なのか?」において、「Web3というコンセプトに厳密に従ったサービスだから成功するのではなく、今後成功を収めたサービスが自然とWeb3の代表格と見なされる」と書いたが、果たしてどうなりますでしょうか。

たまたま『イーサリアム 若き天才が示す暗号資産の真実と未来』を恵贈いただいたので、とりあえずこれを読むところから理解を深めていきましょう(「web3」と「クリプト」を混同するなと Q McCallum に怒られそうだが)。

ピーター・ティール、イーロン・マスクら「ペイパルマフィア」を今一度論じる本の邦訳が出る

yamdas.hatenablog.com

ジミー・ソニの『The Founders』のことは、ほぼ一年前に取り上げているが、その邦訳のページが Amazon にできている。4月初旬に発売されるようだ。

最初 Amazon のページに気づいたときは、『勇者たち イーロン・マスクとピーター・ティール 世界一のリスクテイカーの薄氷の伝説』というタイトルだったが、本文執筆時点ではタイトル未定になっている。

どうせなら「勇者たち」と書いて「そうぎょうしゃたち」と読ませてみてはどうだろう(笑)。

2022年は「イーロン・マスク本」の年だったわけだが、この本はもう少し広くシリコンバレーリバタリアニズムを知るのによさそうな本に思える。

[2023年03月04日追記]Amazon のページを見ると、書名が『創始者たち イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』になっていた。発売日は5月前半に変わったようである。

イーサン・ザッカーマンが序文を書いている本が2冊出るので紹介

何か面白い洋書を知りたい人全般におススメできるかは分からないが、自分が信頼する人が序文を書いている本という切り口はあるかもしれない。普通の推薦文でもよいのだけど、正直それだと濫発している人もいるのでねぇ。

イーサン・ザッカーマンといえば、彼の本を取り上げた「「閉じこもるインターネット」に対するセレンディピティの有効性」を書いたのがおよそ10年近く前になるんやね。

最近では「世界を変えた26行のコード」の本にも寄稿しているが、最近、彼が2冊の本に序文を書いているのに気づいたので、それを紹介しておきたい。

まずはヘザー・フォードWriting the Revolution。これは昨年秋に出ていた。

ウィキペディアにおけるエジプト革命に関する記述(の10年に及ぶ変化)を調査取材することで、ウィキペディアの内容が「デジタル時代における事実の定義そのものをめぐる長引く権力闘争の結果」であることを批判的に考察したもので、歴史は今やアルゴリズムによって書かれるのかという疑問に答えるものみたい。

本の情報については著者によるページも参照くだされ。

Wikipediaエジプト革命の関係については、ワタシも「ネットにしか居場所がないということ(前編後編)」で取り上げているが(特に前編)、Wikipedia について論じた本は久しぶりな印象があるのでとても気になるが、これはさすがに邦訳は難しいだろうな。

もう一冊はレスリー・ステビンズBuilding Back Truth in an Age of Misinformation。こちらは来月出る。

どうすればネットに真実と信頼を取り戻せるのかについて、やはりソーシャルメディア・プラットフォームを批判的に考察した本みたい。プラットフォーム企業が公共の利益を優先し、ジャーナリズムを修復し、信頼できるコンテンツを促進し、新たに健全なデジタル公共広場を作るべくキュレーションを強化することを謳っている。

今年に入って著者が Salon に寄稿した記事が本の内容なのだろう。

そういえばここで取り上げた本の著者はいずれも女性だが、イーサン・ザッカーマンはそういうフックアップを自分の役割と課しているのかもしれない。

ブリュースター・ケールの書籍版『Walled Culture』序文を訳してみた

Technical Knockout書籍版『Walled Culture』序文を追加。Brewster Kahle の文章の日本語訳です。

こないだ「ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ」を書いたのだが、期待したほどの注目を得られなくて残念だったので、ブリュースター・ケールによる書籍版『Walled Culture』の序文を訳してみた。

すごく短いし、驚くような内容でもないのだが、ブリュースター・ケールの文章もひとつ訳してみたかったので、ちょうどよい機会だった(彼のインタビューはマガジン航でひとつやっているが)。

彼の文章では、Our Digital History Is at Risk を訳したかったのだが、Internet Archive のブログって、以前は CC ライセンスが明示されてたような気がするのだが、それが見当たらないのよね。

何しろ書籍版『Walled Culture』のライセンスは CC0 のパブリックドメインだからねぇ。ところで、今回これを訳すためにライセンスの記述を確認したところ、

This worked is licensed under a Creative Commons CC0 1.0 Universal (CC0 1.0) Public Domain Dedication license.

とあったのだが、「worked」って「work」の誤植じゃなかろうか。

こないだも書いたように、Walled Culture のサイトで、書籍版の PDF、ePub、mobi ファイルをダウンロードできますので。

「機械の中の幽霊」ならぬ「AIの中の幻覚」? AIの「ハルシネーション」について考える

xtech.nikkei.com

中田敦さんが厳しい論調の文章を書いている。

これに対して、楠正憲さんが「自動運転と違って人命に関わる訳でもなく」と反応しているが、正直これには驚いた。楠正憲さんも2016年の WELQ 騒動を知らないわけはあるまい。検索結果は人命にかかわると言えるのではないか。

この騒動を機に、医師会やジャーナリスト団体が主催する「検索に関する勉強会」に講師として呼ばれる機会がとても増えました。そのとき、「検索エンジンにあがっている誤った情報を患者が信じ込んでしまい、こんなに大変なことが起きている」と、苦しんでいる当事者を目の当たりにしたんです。まるで私がGoogleの中の人間かのように非難を浴びたこともありました。

辻正浩氏が語る、SEOに携わる者の責務と未来 - Marketeer(マーケティア)

ワタシの意見は、「この問題を過小評価している人が多すぎる」という星暁雄さんに近い。

「この問題」とは AI が間違った事実をでっちあげる「ハルシネーション(hallucination、幻覚)」のことである。ワタシ自身の立場は上に書いた通りなのだけど、この「ハルシネーション」についての少し違った角度の意見も紹介しておきたい。

www.oreilly.com

オライリー・メディアのコンテンツ戦略のバイスプレジデントを務め、ワタシもこれまで何度も文章を紹介してきたマイク・ルキダスが、ズバリこの「AIのハルシネーション」をタイトルに冠した文章を書いている。

ルキダスは、自分が AI 生成のアートに批判的だったのは、それが派生物、二次創作(derivative)だったからという話から始める。AI は既にレオナルド・ダ・ヴィンチみたいな絵、バッハみたいな音楽は作れる。しかし、「~みたいな」作品は本家があれば十分であって、自分が求めるのは既存の音楽と異なる、それこそ音楽業界を恐怖に陥れるような破壊的なものであり、これまでの生成 AI にそういうものを感じたことはなかった。

そこで出てきたのが ChatGPT。まだ「創造性」とは言えないが、その可能性を感じる、とルキダスはあるエピソードを紹介する。

ある人が、他の人が書いたソースコードがよく分からなくて、ChatGPT に説明を求めた。「インチキAIに騙されないために」にも書いたが、史上最高の「デタラメ製造機(bullshit generator)」と ChatGPT を断じるアーヴィンド・ナラヤナンらも「コード生成とデバッグ」には使えるとお墨付きを与えている。この場合も ChatGPT は実に見事な説明をしてくれたという。

……が、どうもおかしい。なぜか? ChatGPT が説明してくれた機能は、元のソフトウェアには存在しなかったのだ!

しかし、確かに ChatGPT の説明自体は理に適っている感じで、その機能は実装できそうなものだった。

これについてルキダスは、そのでっちあげられた機能は AI の「ハルシネーション」なのだが、これは創造性ではないかと書く。確かに人間の創造性とは異なるが、それでも創造性には違いない。

そしてルキダスは、AI の「ハルシネーション」を創造性の予兆と考えたらどうだろうと挑発する。AI の「ハルシネーション」、つまり AI がでっちあげたものだが、存在しないものを作ることこそが芸術の本質ではないか。

ただここで注意しなければならないのは、ランダムに「新しい」ものを作り出せばいいというのではないこと。人間の芸術は、その芸術分野の歴史と密接に結びついている。

ChatGPT のような AI を訓練して、「ハルシネーション」を間違いとして潰すのではなく、よりよい「幻覚」を見せるように最適化したらどうなるだろう、とルキダスは書く。文学のスタイルを理解し、そのスタイルの限界に挑戦し、新しいものへと突き進むモデルを構築することは可能だろうか。それと同じことを他の芸術分野でもできるだろうか。

ルキダスは、数か月前なら自分はその問いを否定しただろうが、今は考えを変えているという。ニュース記事を作成するアプリが作り話をしたらそれはバグだろうが、作り話は人間の創造性には欠かせない。ChatGPT のハルシネーションは、「人工的な創造性(artificial creativity)」の頭金なのかもね、とルキダスは締めている。

うーん、正直その発想はなかった。ヤン・ルカンが書くように「LLMはでっち上げをしたり、近似的な回答をしたりする」「LLMの欠点は人間のフィードバックによって軽減できるが、修正はできない」なら、その「でっち上げ」が活きる分野に最適化してみては、というのは面白い視点といえる。

AIが生む新たな非正規雇用と貧困の「ゴーストワーク」についての本の邦訳がようやく出る

yamdas.hatenablog.com

メアリー・グレイとシド・スリの『Ghost Work』については3年近く前に取り上げているが、GAFA に代表される巨大テック企業の人工知能の「魔法」のような機能を実現する裏で、膨大な量の学習データをひたすらラベル付けする安月給の人間のホワイトカラー非正規労働者が、日常的にサービス残業を強いられ、労働条件に対する要求が繰り返し退けられてきた話は、現在もなくなってはいない。

そう、少し前に書いた「インチキAIに騙されないために」でも、アーヴィンド・ナラヤナンらは「AI報道で気をつけるべき18の落とし穴」として、AI ツールの技術的進歩を持ち上げる一方で人間の労働を軽視する、この「ゴーストワーク」の問題を挙げている。

さて、調べ物をしていて、この本の邦訳が4月に晶文社から出るのを知った。

原書が出たのが2019年春なので、およそ4年のタイムラグだが、これは今なお価値のある邦訳刊行に違いない。

マリアナ・マッツカートの新刊はコンサルタント業界をぶった斬る

マリアナ・マッツカートというと、新年に放送された「欲望の資本主義2023 逆転のトライアングルに賭ける時」にも出演していたが、来月に共著の新刊 The Big Con が出ることを知る。

「大きな詐欺」という書名、そして「いかにコンサルティング業界がビジネスを弱体化し、政府を無力化し、我々の経済を歪めているか」という副題から明らかなように、1980年代以降の新自由主義の波に乗ったコンサル業界の悪を糾弾するものである。

これは山形浩生への意趣返しでしょうか(冗談です)。

ステファニー・ケルトンなどが推薦の言葉を寄せていますな。

詳しい情報は、マリアナ・マッツカートのサイトのページを参照ください。共著者は、マッツカートが博士号の指導教官を務めた教え子みたい。

ライブ用耳栓を使うのが失礼もなにも、ミック・ジャガーも使ってるぞ

www.j-cast.com

旧聞に属する記事だが、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインみたいにライブの客に耳栓を配る話を知る者としては、「ライブ用耳栓を使うのは失礼」ってどういう価値観なんだと不思議に思ってしまう。

まぁ、マイブラはちょっと特異かもしれないが、これで思い出した話があるので、1989年からおよそ15年読者だった雑誌 rockin' on の過去記事をとりあげる「ロック問はず語り」、今回は1990年2月号に掲載されたローリング・ストーンズのツアー取材記事を紹介させてもらう。

この記事は、ストーンズとの交流も長いジャーナリストのリサ・ロビンソン(この記事における、彼女が目撃した1970年代中盤のストーンズのツアーにおけるラリラリぶりについての記述も興味深い)が1989年の久方ぶりのストーンズの全米ツアーを取材したものであり、この号が発売されてまもなく1990年の初来日公演が実現している。

この記事の中で、ミック・ジャガー(この号の表紙も彼)がライブ用耳栓について言及しているくだりがある(引用中の「M」はもちろんミックのこと)。

 楽屋裏に戻るとチャーリーはコーヒーをすすり、キースは玉を突き、キースのマネージャーが新しく買ってきた耳栓をいじっている。
「俺もこういう耳栓を使ってるんだぜ。この人の雇主のせいでな」と言いながらミックはキースのマネージャーを指差す。
M「全く音がでか過ぎるってんだよ。この間なんか少し音量を下げてくれたもんだから、俺もつい嬉しくなって駆け寄って思いっきりキスしてやったんだ。案の定、キースは何のことやらさっぱりわからず目を丸くしてたけどね」

ライブ用耳栓を使うのが失礼もなにも、お前、ミック・ジャガーにも同じこと言えるの? という話だった。彼が耳栓を使うのは、単純に「キースのギターの音がでかいから」というのは笑える。具体的には忘れたが、この後にもミックが耳栓についてインタビューで言及したのを読んだ覚えがあり(キースのギターの音がでかいので、彼がいる側だけ耳栓をつけていると語っていたような)、その使用はこのときだけではなかったはず。

そうそう、ストーンズといえば、豪華ゲストを招いた2012年のライヴを収録した『GRRRライヴ!』が出たばかりですな。結成50周年ツアーというのもこないだの話みたいに思えるが、思えばもう10年以上前の話なんだな。

WirelessWire News連載更新(ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ)

WirelessWire News で「ブログメディアで頑固一徹に著作権の問題をえぐるグリン・ムーディの尊さ」を公開。

今回は Walled Culture 並びにグリン・ムーディをフィーチャーしている。昨年秋に PDF ファイルをダウンロードしてままになっていた書籍版『Walled Culture』を年明け読み、よしこれをネタにしようと決めたのだが、そのうちP2Pとかその辺のお話Rheatwave_p2p さん(通称、熱波ちゃん)による Walled Culture のエントリの日本語訳がばんばん続いたため、これ幸いと文中で執拗にリンクさせてもらった。

熱波ちゃん、ありがとう!

Amazon では Kindle 版も99円で売っているが、Walled Culture のサイトで PDF、ePub、mobi 形式で無料でダウンロードできるので、紙版がほしい人でなければ、公式サイトから入手しましょう。

さて、昨年夏に WirelessWire News 連載を再開させ、今回で10回書いたことになる。実は、昨年のうちに10回分の原稿料を前払いでいただいていたのだが、今回でノルマを果たし、これで借りがなくなったことになる。

ここで300回分くらい原稿料を前払いしていただき、プレッシャーでワタシを押しつぶしていただきたいですな!(冗談です)

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