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WirelessWire News連載更新(米国の国家サイバーセキュリティ戦略とインフラとしてのオープンソース)

WirelessWire News で「米国の国家サイバーセキュリティ戦略とインフラとしてのオープンソース」を公開。

米国の国家サイバーセキュリティー戦略については、既にブログで取り上げているが、この一年ばかし断続的に書いてきたセキュリティ、そしてオープンソースについてのエントリをいくつもリンクさせてもらった。やはり、ブログは書いておくものだ。

今回の文章は書くのにかなり苦労した。正確には書きだすまでに時間がかかった。セキュリティをテーマにしても受けないというのが経験上分かっているのもあり、書き始めてもなかなか気分が乗らなかったが、それも一度火がつけば大分楽になった。

数回分の内容を一度に詰め込んだところがあり、しかし、適度な長さに収まったのはよかったと思う。

あと話が発散するので、本文に入れなかった話をひとつ。今回の国家サイバーセキュリティー戦略でも言及があるオープンソース・インテリジェンス(OSINT)は、既に開始から一年以上になるロシアによるウクライナ侵攻に関しても、報道や戦況分析で大きな成果を挙げているのはご存じの通り。ただ、ここでの「オープンソース」は OSS ではなく「公開情報」を指す。ならば OSINT という言葉が「オープンソース」の誤用かというと、そうではない。これは1998年にソフトウェア分野における「オープンソース」という言葉を発明したクリスティン・ピーターソン自身認めるように、その言葉は長い間インテリジェンス、つまりは諜報、スパイの分野で公開情報を指すのに使われてきた過去がある。

少し前から『情報セキュリティの敗北史』を読んでおり、その話も盛り込みたかったのだが、それをやるとあれやこれや他の本の話も入れ込みたくなるので断念せざるをえなかった。

AIはどんな政治的見解を持っているのか?

blog.yenniejun.com

今年の1月の文章なので話が少し古い(と感じるくらいこの話題は展開が速いのが恐ろしい)が、確かに「AIに政治的見解はあるのか?」というのは、言われてみるともっともな疑問だ。

このエントリを書いているのは Truveta機械学習エンジニアを務める Yennie Jun だが、GPT-3 の政治的傾向を探るという面白い試みをやっている。

GPT-3 に Political Compass を受けさせたところ、経済に関しては中道左派、社会に関してはリバタリアンという結果が出たとな。

各質問を5回答えさせたそうだが、GPT-3 の回答にはランダム性があるので、今誰かが同じようにやって同じ傾向が出る保証はない。ただこの人の試みの面白いのは、GPT-3 が確固たる回答をする質問と、逆に回答が揺れる質問を調べたところ。

全体的な傾向として、人種、性的な自由、子供の権利といった社会的な話題については確度高く進歩的なようだ。特に中絶に関しては、それを常に違法とする意見には強く反対している。一方で経済的な話題についてはあまり進歩的ではないという。

そして、階級制度や死刑制度についての質問には回答に揺れがあるようで、そりゃ死刑の話は簡単には答えられんよな、とそういうところがヘンな表現になるが「人間的」に感じられなくもない。

先ごろ公開されて話題をさらった GPT-4 で同じ実験をするとどういう結果になるんでしょうな。

そういえば、マーク・クーケルバークが書いている「AIの政治哲学本」はこういう話を含むのかな。

オードリー・タンとグレン・ワイルが『Plurality: 協働可能な多様性と民主主義のためのテクノロジー』という本を共著している

www.radicalxchange.org

星暁雄さんのツイートで初めて知ったのだが、台湾のデジタル担当大臣として知られる(現在の役職は数位発展部部長なのかな)オードリー・タンと、『ラディカル・マーケット』の邦訳もあるグレン・ワイルが『Plurality』という本を執筆中とのこと。

日本語訳だと『Plurality: 協働可能な多様性と民主主義のためのテクノロジー』とな。

plurality.net が公式サイトなのか。

GitHub を見ると、まだ最初のほうが少し公開されている程度だが、ライセンスは確かにもっとも制限がない CC0 1.0 Universal、つまりはパブリックドメイン相当が指定されている。つまりは既に公開されている Introduction を自由に訳して公開してオッケーなので、どなたかやられてはどうか。

あっと驚くデヴィッド・バーン『HOW MUSIC WORKS』邦訳刊行、そして『ストップ・メイキング・センス』40周年再公開

yamdas.hatenablog.com

デヴィッド・バーンの『HOW MUSIC WORKS』を紹介したのは、2012年の夏、つまりは10年以上前になる。とっくに邦訳は諦めていたのだが、なんと2023年になって『音楽のはたらき』として刊行されるのを知る。

ワオ! しかも、翻訳は野中モモさんだ!

真面目な話、10年以上の本とはいえ、普遍的な音楽論なので今も価値を保っているはず。

これってやはり、デヴィッド・バーンが音楽家として現役であり続けたから実現したんだろうね。近年では『American Utopia』が素晴らしかったし、それを受けたライブは映画化もされ、絶賛された。

デヴィッド・バーンといえば、もう一つ興奮を覚えるニュースがある。

consequence.net

ワタシもこれまで何度も史上最高の音楽映画と書いてきた『ストップ・メイキング・センス』の40周年記念として4Kバージョンが再リリースされるというのだ。

そうか、40周年なんやね。公開30周年でインタビューを受けていた監督のジョナサン・デミは既にこの世にないが、驚いたのはデヴィッド・バーンが40周年版の予告編に出演していること。

彼がかのズートスーツを着て身体を動かすのを見ただけで、あの映画の興奮がよみがえる! 日本でも劇場公開されないかな。

herelieslovebroadway.com

デヴィッド・バーンといえば、2010年のファットボーイ・スリムとのコラボ作『Here Lies Love』が今夏ブロードウェイでミュージカル化されるとのことで、70歳過ぎても精力的な活動ぶりでなによりである。

スティーヴン・スピルバーグの最高作を5つ挙げるなら何になる?

www.polygon.com

やはり最新作『フェイブルマンズ』が自伝的作品だったからか、スティーヴン・スピルバーグの映画で最高作を5つ挙げてみようという記事である。

思わず、自分だったら何をあげるだろうかと考えてしまったが、もちろんワタシも彼の監督作すべてを観たわけではないと言い訳したうえで……それでもかなり悩んでしまう。とてもではないが順位はつけられないが、以下の5作かなぁ(制作年順)。

正直、現在の自分は『E.T.』よりも『未知との遭遇』を評価する。しかし、『E.T.』はワタシが初めて映画館で観た(しかも2回)スピルバーグ作品なので、これを外すわけにはいかないのです。

上でリンクした記事では、10人のライターが5作品を選んでいるが、1位を5点、2位を4点……と点数化すると、トップ10は以下の順位になる。

  1. レイダース/失われたアーク《聖櫃》(36点)
  2. ジュラシック・パーク(32点)
  3. ジョーズ(20点)
  4. A.I.(10点)
  5. マイノリティ・リポート(10点)
  6. 未知との遭遇(8点)
  7. リンカーン(6点)
  8. キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン(6点)
  9. E.T.(5点)
  10. フェイブルマンズ(5点)

さて、皆さんならどの5作品を挙げますか?

BLUE GIANT

タイミング的に無理かなと諦めかけていたのだが、最寄りのシネコンでまだレイトショーでやっていたので観に行けた。やはり、本作は映画館で大音量で観るべき作品でしょう。

『セッション』『ラ・ラ・ランド』といったデイミアン・チャゼル作品が顕著だが、作品中にジャズが描かれる映画で、ジャズについての考証がおかしいという批判があったりする。

こういうのって、例えばワタシなどが将棋を描いた映画を観るときに感じる「いやー、別にいいけど、これはちょっとな」感に近いのだろうか。上原ひろみが音楽を手がける本作はそのあたり違和感はないのか、ジャズに関しては未だ初学者の近いワタシには当然ジャッジはできないのだが、ワタシは素直に楽しみました。

これは主人公の造形も影響しているのかも。例によって原作は未読で、おそらくは原作では主人公の大がジャズに魅了された契機、なぜジャズなのか、なぜサックスなのか、なぜそこまで情熱を持てるのか、なぜ世界一になると臆面もなく言えるのかといった背景について描写があると思うが、本作の場合、そのあたりについて直接的な説明はほぼなく、それがむしろ本作をスポーツ映画のような没入を可能にしている。

「組むということはお互いを踏み台にすること」という雪祈のバンド観も、本作の人間関係をしがらみにしていないのだけど、後半フラグが立ちまくって、そうなるとイヤだなと思った展開になってしまうものの、そのあたりもスポーツ映画っぽかった。

画も演奏場面のヌルっとしたグラフィックには好みが分かれるかもしれないが、音と画のシンクロぶりは見事だったし、音と映像の熱量に圧倒された。

主人がオオアリクイに殺されたのには訳がある? スパムメールの文面がアホっぽい理由

aisnakeoil.substack.com

「インチキAIに騙されないために」で紹介した AI Snake Oil だが、最近も新作文章が活発に公開されている。

これは Meta が先ごろ発表した研究者向け大規模言語モデル LLaMA についての文章である。

LLaMA については、これで偽情報の作成コストが大幅に下がり、悪用されるのではないかという懸念も表明されている。ブルース・シュナイアー先生もそういうことを書いているが、この文章では LLM(Large Language Model、大規模言語モデル)によってもっともらしい偽情報が作られるリスクは誇張され過ぎじゃないのという意見が紹介され、アーヴィンド・ナラヤナンらもそれに同意している。

で、ここから AI の話から少しズレるのだが、ワタシが知らなかった話におっとなった。

スパムも似た話かもしれない。スパマーにとっての課題は、スパムメール作成のコストではなく、どんな詐欺にもひっかかる可能性のあるほんのわずかの人たちを特定することにあるようだ。ある古典的な論文によると、まさにこの理由から、スパマーはあえて説得力の欠けるメッセージを作成するというのだ。それで反応があれば、その人が詐欺にひっかかりやすいより強いシグナルになる。

そうだったのか、スパムに少しでも通じた人には常識なのかもしれないが、ワタシは知らなかったな。

「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」みたいな珍妙なスパムメールは、それに返事を書いてしまう、詐欺にひっかっかりやすい人を特定するためだったんですね。

さて、アーヴィンド・ナラヤナンが共著した機械学習と差別についての論文 Fairness and machine learning が MIT Press から書籍化されるのを知る。

刊行は半年以上先の話だが、論文自体は既にウェブに全文公開されているから今でも読める。とはいえ、やはり書籍化されることでリーチする人もいるんだろうな。

その意味で AI Snake Oil の書籍化も待たれるところである。

科学史家ジョージ・ダイソンの『アナロジア AIの次に来るもの』が5月に出る

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」で取り上げたジョージ・ダイソンの『Analogia』の邦訳が忘れたころに『アナロジア AIの次に来るもの』として出るのを知る。

『チューリングの大聖堂』に続いて早川書房からの刊行である。

ライプニッツからポストAIまで自然・人間・機械のもつれあう運命を描く」とのことで、『チューリングの大聖堂』と同じく、科学史家として人間と機械(コンピュータ)の関係を論じるものなんだろうな。

そういえば、『チューリングの大聖堂』はとっくに文庫化されていた。

『アナロジア』に話を戻すと、「AIの次に来るもの」という副題にケヴィン・ケリー『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』を連想したが、『アナロジア』の監修は(ケヴィン・ケリーの本の訳者の)服部桂さんなんだな。

あと本書の翻訳は橋本大也さんだが、橋本さんといえば『英語は10000時間でモノになる ~ハードワークで挫折しない「日本語断ち」の実践法~』というすごいタイトル(1000時間じゃなくて10000時間ですよ)の本も告知されていますね。

「very」を置き換える単語を知ることで英語の語彙を増やせるウェブサイトがためになる

Lose the Very というサイトが面白い。英文を書いていて、つい「very 〇〇〇〇〇」みたいに形容詞を強調することが多いのだけど、その「very 〇〇〇〇〇」に置き換え可能な単語を知ることができる。

例えば、「very new」だと「novel」と出るのだが、「Get/Refresh Result」ボタンを押すことで、「novel」以外にも「cutting edge」とや「state-of-the-art」みたいに他の選択肢も知ることができ、その中から自分が使いたい文脈で最適なものを選べばよい。

そういえば以前、もっともよく使われる上位1000の英単語しか入力できないテキストエディタを紹介したことがあるが、逆に語彙を広げるのにこれは良いサイトですな。

ネタ元は Boing Boing

アカデミー賞の歴史上もっとも不可解な受賞10選

www.independent.co.uk

さて、まさに今日第95回アカデミー賞が発表されるわけだが、この記事ではアカデミー賞の歴史においてもっとも不可解な受賞を10個選んでいる。

ワタシも「アカデミー作品賞をとったのに今では相手にされることが少ない映画の代表格といえば?」とか「アカデミー賞にひとつもノミネートされなかった名作映画の数々」といったエントリを書いており、まぁ、受賞は時の運というか、あとから振り返ってノミネートにしろ受賞にしろ間違いだろと言いたくなるものが少なからずあるわけだが、この記事で選ばれているのは以下の通り。

作品賞では他にもおかしいのがあるんじゃないかという気がするが、こういうのは難しいですな。

エイミー・アダムスアカデミー賞をとれてないのはおかしいというのは異議なしである。『アメリカン・ハッスル』『バイス』あたりでとるべきだったと思うし、この記事で『メッセージ』で主演女優賞にノミネートされるべきだったと書かれているのにも同意する。

エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス

この3年間、ワタシはマスクをして映画館で映画を観てきたんだな、とワタシはこの映画を観ながら思い当たった。

なんでそんな当たり前のことを今更思ったのか? この3年間、コロナ禍前より少ないとはいえ、面白い映画、面白くない映画、いろんな作品をワタシは映画館で観てきた。

しかし、マスクをしたままボロ泣きすると、こんな状態になるんだな、と分かったのだ。どうやら、この3年間で初めてワタシは映画館で泣いてしまったようだ。

言っておくが、本作を傑出した映画だとはワタシは思わない。ミシェル・ヨーに何の思い入れもないし、正直観る前には果たして本作が楽しめるか不安なほどだった。元々ワタシは「マルチバース」というアイデア自体が、近年あまりに都合よく利用され過ぎているように思えて好きになれないし、実際観始めてあんまり好みの映画じゃないかな、と思ったくらい。

本作はミシェル・ヨー演じる主人公とともにマルチバースに叩き込まれる映画で、とにかくバカバカしいしハチャメチャである(映倫もさ、こんな映画にモザイクかけるの止めろよ!モザイクは本国版にも入っているそうです)。そのカオスぶりを突き詰めれば、どんな世界にも意味はないというニヒリズムに陥るしかないのだけど、その人生をどのように肯定できるのか?

そこでキー・ホイ・クァン演じる弱々しい主人公の夫が、その弱々しさを隠すことなく必死に紡ぐ言葉、どんな生にも尊く価値があり、だから優しくしようよ――キー・ホイ・クァンそのものとしか思えないその存在自体がワタシを泣かせた。

冷静に考えれば、本作はマルチバース版『マトリックス』の家族映画とまとめられるのかもしれないが(重要な役割を担う主人公の娘がちっとも可愛くないのは新鮮だった)、正直賞レースを爆走するような映画には思えない。映画にちりばめられた小ネタがアメリカのネットミームの文脈に依っているのも気に入らない。しかし、それでも本作に何かしらのマジックがあるのは確かだ。

フェイブルマンズ

レイトショーとはいえ、公開最初の週末に客はワタシともう一人だけだったが大丈夫か。

ワタシ自身もっとも多くの作品を観ている映画監督といえば、間違いなくスティーヴン・スピルバーグになるだろう。おそらく世界中の映画ファン、ワタシのような初心者からシネフィルまで含めても、そうなのではないだろうか。何よりスピルバーグは多作だし、半世紀にわたりキャリア上の低迷期はほぼなく、彼は第一線でヒット作を作り続けた。

本作は、そのスピルバーグの自伝的作品であり、彼自身語る通り、これを作らずにキャリアを終わらせるわけにはいかなかったのだろう(し、それには両親の死を待たなければならなかった)。およそ一年前、我々は「映画の終焉」を見ているのではないか? という話を書いたが、『リコリス・ピザ』など観ても、残るのは自伝的な作品ということだろうかと思ったりする。

もちろん、スピルバーグの過去作、それこそ『未知との遭遇』や『E.T.』といったキャリア前半の代表作からして、父親の不在などに彼の映画の特色を感じ取ることは可能である。ある意味本作は、スピルバーグ自身による過去作の謎解き、は大げさにしてもある種の解説と言える。そうした意味で、本作の描写に過去作を見出して喜ぶ彼のファンは多いだろう。やはり猿の登場にインディ・ジョーンズを思い出すし、個人的には『宇宙戦争』でもっとも戦慄した場面が鮮烈に再現されていて唸った。本作を観ると、彼の映画が恐怖と笑いの両方を備えている理由も伝わる。

主人公の両親が「科学者と芸術家」とはっきり色分けされ、サーカス芸人だった主人公の母親の叔父が語る「芸術は心を引き裂く」という分かりやすいテーゼが語られる。両親の離婚により家庭が安住の地ではなくなった主人公にとって映画が残る居場所だったことが描かれているが、家族のシリアスな場面でカメラを回し始めるという残酷な想像シーンはそれをよく表しているし、彼の才能がある意味呪いであることも描かれている。

ただ、本作にはそのように分かりやすい二項対立をかかげながらも、微妙なズラシがいくつかあるのも注意が要る。本作自体、感動の映画愛に満ちた自伝作を期待させながら、それから確実にはみ出している映画でもある。

さて、以前スピルバーグの新作にある人が参加しているというニュースを読み、いったいどういうことなんだろうと不思議に思いながらすっかり忘れていたので、本作の最後におけるあの人登場には驚いた。

そして、ラストシーン、くいっとカメラが角度を上げるユーモアにB級映像作家としてのスピルバーグらしさがよく出ていた。

キャストでは、なんといってもミシェル・ウィリアムズの演技が素晴らしかった。あとジョン・ウィリアムズの音楽もよかった。

バイデン政権が国家サイバーセキュリティ戦略を発表

Schneier on Security で知ったが、バイデン政権がアメリカ合衆国のサイバーセキュリティ戦略を公開している(全文 PDF 版要約版)。

シュナイアー先生のエントリに Krebs on Security などこの戦略を解説する専門家のページのリンクもまとまっているが、米国がサイバースペースにおける役割、責任、リソースをどのように配分するかについて根本的な転換が必要と訴えている。

yamdas.hatenablog.com

ちょうど一年前にワタシはクリス・イングリス国家サイバー局長の文章を紹介したが、個人や企業任せだったサイバーセキュリティのグリップを最も適した立場にある組織(つまり国家組織ですね)に取り戻すことを明確に打ち出している。

ヴィジョンとして、Defensible(防御可能性)、Resilient(回復力がある)、Values-aligned(価値観の一致)という単語が強調されているが、防御可能性は当然として、サイバーレジリエンスと価値観が一致する国との協力が特に強調されるのだろうな。

新戦略を実現するための5つの柱として以下のアプローチが掲げられている。

  1. 重要なインフラの防御
  2. 脅威アクターを破壊し、除外
  3. セキュリティとレジリエンスを推進する市場の力を形成
  4. 回復力のある未来への投資(ポスト量子暗号、デジタルIDソリューション、クリーンエネルギーインフラなどの次世代技術のためのサイバーセキュリティ研究開発)
  5. 共通する目標を達成すべく国際的なパートナーシップの構築

yamdas.hatenablog.com

以上は要約版のまとめだが、全文版をみると、open-source が何度も出てきており、オープンソースコミュニティとの協力も重要視されている。

このあたり、WirelessWire 連載で取り上げたものかねぇ。

『デジタル・ゴールド』のナサニエル・ポッパーの新刊情報は迷走気味

yamdas.hatenablog.com

ビットコインを中心としたデジタル通貨の歴史と実相をうまく解説する『デジタル・ゴールド』を書いてヒットしたナサニエル・ポッパーだが、彼の公式サイトに新刊情報があるのに気づく。

His next book tells the story of the generation of young men who became obsessed with money and trading through Reddit and Robinhood. It will be published in 2023 by Dey Street Books, an imprint of Harper Collins.

NATHANIEL POPPER - Home

そこで Harper Collins のサイトを調べると、確かにそれらしきページができている。

しかし、このページに書かれている書名が『WallStreetBets』なのに対し、画像に書かれた書名は『WE LIKE THE STOCK』と異なっており、しかも August 9, 2022 が発売日になっている。えっ、もう発売されているの?

そこで Amazon を調べたところ、やはり確かにそれらしきページができている。

しかし、ここに掲げられている書名は『The Degenerate Generation』で、Harper Collins のサイトとまた違っている。しかも発売予定日は2024年、つまりは来年で、ナサニエル・ポッパーの公式サイトに書かれた情報と異なる。

こりゃあどうなってるのよ? と思ってしまうが、このように情報がずれたままというのは、出版のキャンセルのフラグだったりするので心配なところである。

ともかく少し解説しておくと、「WallStreetBets」とは Redditサブチャンネル名で、ナサニエル・ポッパーの新刊は、米金融界を混乱させた Reddit の GameStop 株騒動を取材したものになる。ウォールストリートとシリコンバレーの両方に通じた彼らしい題材とはいえるでしょうね。

しかし、株取引アプリの Robinhood が広まっていない日本では邦訳は難しいかなぁ。

花見をするためにボブ・ディランが来日し(ウソ)、それに合わせて『ソングの哲学』も出る

yamdas.hatenablog.com

ボブ・ディランがポピュラー音楽論の本を出す話は昨年のうちに取り上げているが、さすがディラン、それから半年で邦訳『ソングの哲学』が来月刊行される。

この急ピッチぶりは、やはり4月に行われるボブ・ディランの4年ぶりの来日公演に合わせたものだろうか。

さて、ディランの来日といえば、以前からある噂がとりざたされていた。

す、すいません、噂というのはワタシが勝手に言っているだけでした(どなたか、ディランに「日本ではお花見しているのでしょうか?」と尋ねてみていただけないだろうか)。

何度か書いているが、洋楽体験初期である1980年代当時の印象が極めて悪かったため、ワタシ自身はボブ・ディランは基本的には苦手としているのだが、それでも近年は彼の作品との折り合いが大分ついてきたし、何より80歳過ぎて来日公演をやってくれるのはありがたいことである。

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