当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その36

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、久しぶりに Amazon 版のページを見たら、星がついている。おっ、誰かレビューを書いてくれたのか! と勇んで見たのだが……

対応するレビューがない。Amazon のカスタマ評価ってカスタマレビューを書かなくてもできるのか。知らなかったぞ。

レビューの点数が5点満点で2点というのは残念だが、こればかりはそういう評価があったと受け入れるしかない。まぁ、これを不憫に思う人がいたら、ぜひ高い評価をつけてくれると嬉しい。カスタマレビューなしにもできるらしいし(もちろんレビューありのほうがなおありがたいが)。

さて、話は変わるが、10月18日から開催されているセキュリティ・キャンプ全国大会2020における高橋征義さん(id:takahashim)の特別講演「「まだないもの」の育て方」のスライドを遅ればせながら見ていたら、最初のほうで『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』が出てきて声をあげてしまった。

speakerdeck.com

高橋さん、ご紹介いただきありがとうございます。これを見たセキュリティ・キャンプ参加者が一人くらい達人出版会で買ってくれないものか。

そうそう、以前、「Kindle版や紙版を購入された方で、ボーナスのエッセイ「グッドバイ・ルック」を読みたい方は、購入されたものの写真かキャプチャ画像をメールでワタシに送ってくれたらファイルを送付します」と書いたところ、今までで計3名からリクエストがあり、ファイルを送らせてもらった。これは引き続き受け付けています。

XPRIZE財団の創設者が考える2020年代を方向付ける20のメタトレンド

peterhdiamandis.medium.com

Four short links で知った文章だが、これを書いているピーター・ディアマンディスって誰だっけと調べたら、XPRIZE 財団の創設者で、スティーブン・コトラーとの共著もある人だった。

レイ・カーツワイルSingularity University を立ち上げたということからも分かる通り、人類の未来について楽観的な予測をしている人というのは、彼の TED 講演を見てもお分かりになるだろう。

www.ted.com

www.ted.com

さて、その彼が考えるこれからの10年、つまり2020年代を方向付けるメタトレンドは以下の20個とな。

  1. 世界的な豊かさの継続的な増加:貧困層の数の減少、AIを活用する教育やヘルスケア、日常的な商品やサービスのデジタル化
  2. 世界的なギガビット接続により、誰でもすべてがどこでも超低コストでつながる:5Gネットワーク、衛星ネットワーク
  3. 人間の平均的な寿命が10年以上伸びる:機械学習の成熟により、AI は無数の新薬候補を解き放つ
  4. 資本が豊富な時代があらゆるところで資本へのアクセスを増やす:豊富な資本がイノベーションを加速させる
  5. 拡張現実(AR)と空間ウェブ(Spatial Web)がユビキタス展開を実現:AR と5Gネットワークの組み合わせが、我々の日常生活を一変させる
  6. あらゆるものがスマートになり、知能が組み込まれる:機械学習チップの急速な価格低下、低コストの微細センサーの爆発的な普及と高帯域幅ネットワークの展開
  7. 人工知能が人間レベルの知能を達成:2030年までにレイ・カーツワイルの予測が実現
  8. AI と人間のコラボレーションがあらゆる職で急増:サービスとしての AI(AIaaS)プラットフォームの台頭により、AI は日々の業務に定着
  9. 大部分の個人が「ソフトウェアシェル」を取り入れて生活の質を向上させる:Alexa や Google HomeApple Homepod が、『アイアンマン』に出てくる JARVIS みたいなソフトウェアシェルに進化
  10. 世界的に豊富で安価な再生可能エネルギー:太陽光、風力、地熱、水力に加えて著者は「原子力」も挙げている
  11. 保険業界は「リスクの後の回復」から「リスクの防止」にシフト:機械学習ユビキタスセンサー、ロボット工学の融合によって、リスクを検知して災害を防ぎ、コストが発生する前に安全性を保証するようになる
  12. (じきにずっと速く、安価になる)自律走行車と空飛ぶ車は人間の移動を再定義する:完全自律走行車も空飛ぶ車も10年以内にほとんどの大都市で実現し、移動のコストを大幅に下げ、不動産や保険や都市計画を一変させる
  13. オンデマンド生産とオンデマンド配送により「モノのインスタント経済」が誕生:ドローンやロボットによるラストマイル配送サービスや3Dプリンティングのよるオンデマンドデジタル製造業により、いつでもどこでも数時間以内に製品が手に入る
  14. なんでも、いつでも、どこでも感知し、知る能力:この未来では「何を知っているか」ではなく「質問の質」が最重要
  15. 広告の崩壊:購入の意思決定は AI に頼るようになる
  16. 細胞農業(cellular agriculture)が研究段階から実用化され、より安価で健康的な高品質のタンパク質を提供:最も倫理的で栄養価が高く、環境的にも持続可能なタンパク質生産システムの誕生
  17. 高解像度のブレイン・コンピューター・インターフェース(BCI)がオンラインで公開され一般に利用される:人間の大脳新皮質クラウドに接続されるというレイ・カーツワイルの予測の実現
  18. 高解像度の VR が小売と不動産売買をいずれも変革する:VR ヘッドセットをつけて、自宅のリビングルームであらゆるもの買い物をできるようになる
  19. 持続可能性と環境への関心の高まり:地球環境意識の高まりと地球温暖化への懸念から、企業は持続可能性への投資を行うようになる
  20. CRISPR(ゲノム編集技術)と遺伝子治療で病気を最小限に抑える:遺伝子編集技術の進歩により、何百もの遺伝性疾患を家庭で治療できるようになる

以上は抜粋なので、詳しくは原文をお読みくだされ。

いやー、とにかく機械学習(AI)、5G ネットワーク、ロボット工学、バイオテクノロジー、材料科学の進歩を楽観視するレイ・カーツワイル直系の超イケイケな予測である。自分たちがコロナ禍にいるのを忘れてしまいそうになるくらい。

そんなに資本が豊富なら、なんでワタシは貧乏なの? とイヤミの一つも言いたくなるが、そんなひがみっぽいことばかり言うのではなく、イノベーションで生活を豊かにできるんだ! という意気込みはないといかんのだろう、というのは今の中国を見ても分かることだ。

ロボット・AI時代にその危険性と人間の専門技能の擁護を説くフランク・パスクアーレ『New Laws of Robotics』

Frank Pasquale(彼の苗字はパスクアーレ、パスクァール、あるいはパスカルのいずれで表記したものか)のことは、4年以上前に「我々は信頼に足るアルゴリズムを見極められるのか?」で引き合いに出しているが、彼の前作『The Black Box Society』はちゃんと取り上げられなかった悔いがある。

その彼の新刊 New Laws of Robotics が出ているのを知った。

New Laws of Robotics: Defending Human Expertise in the Age of AI

New Laws of Robotics: Defending Human Expertise in the Age of AI

  • 作者:Pasquale, Frank
  • 発売日: 2020/11/06
  • メディア: ハードカバー

AI は我々の仕事や生活を破壊しようとしており、我々は技術の虜になるのではなく、しかるべき規制をかけて技術を利用しなければならないという論陣を張っており、つまりはロボットや AI の危険性を説き、人間の専門技能による職を守らなければならないという、それだけ見ると少し古めの論に思われるかもしれない。

www.theguardian.com

そこで読んでいただきたいのは、Guardian への寄稿、というか新刊からの抜粋なのだけど、軍事用 AI はますます現代の戦争で利用が広がっており、その倫理的な問題や危険性は大変なものであり、生物兵器化学兵器同様に規制が必要だと論じるものだ。もはや「虐殺ロボット」は、SF 小説や映画の中の話ではないのである。

そういういろんな分野におけるヤバいところを論じた上で、しかるべき規制をかけた上で人間の労働の価値を高めるようロボットシステム(AI)を利用する方向性を推しているわけだ。

この新刊の推薦者を見ると、『監視資本主義の時代』のショシャナ・ズボフ『Algorithms of Oppression』の Safiya Noble『邪悪に堕ちたGAFA』のラナ・フォルーハー『Atlas of AI』のケイト・クロフォードなど、このブログでもおなじみな人たちの名前が挙がる。特にケイト・クロフォードの仕事は、この新刊と親和性がある。

これは邦訳が出てほしい本ですな。

アメリカの映画/ドラマで使われる小道具のお札の作り方

アメリカの映画やドラマで大量の紙幣が登場する場面があるが、本物のお金を常に使うわけはなく、撮影用の小道具のお札を使う。その小道具のお札にフォーカスした動画が面白い。

ラッシュアワー2』、『オザークへようこそ』、『ブレイキング・バッド』『ダークナイト』、『ハスラーズ』、『ノーカントリー』『キル・ビル Vol.2』といった映画やドラマの映像が例として挙げられている。

ISS Props という会社の人がインタビューを受けているが、『ラッシュアワー2』の撮影時、小道具のお札が精巧すぎて、それをネコババして普通のお店で使おうとしたエキストラが出たらしい。

現在ではそうしたことが起こらないよう工夫が凝らされており、表にはっきり「撮影用途のみ」の文言を入れるなど容易に区別できるようにしたり、クローズアップで撮影されるために精巧さが必要な場合、片面しか刷らないとかいろいろやり方がある。で、本物の札束を調達する場合もあるとか。

ネタ元は Boing Boing

ラッシュアワー2 [Blu-ray]

ラッシュアワー2 [Blu-ray]

  • 発売日: 2015/10/14
  • メディア: Blu-ray

パブリッシングの主軸をはてなからnoteに移した/移しつつある人たちをまとめてみた

旧聞に属するが、こういうツイートをしている。


おそらく加野瀬未友さんの元々のツイートからはズレた指摘かもしれないが、ともかくこの傾向は前から思っていたので、これを機に少しまとめておきたい。飽くまでワタシの狭い観測範囲内の話なので、著名な人に偏っており、これですべてと言うつもりはない。

以下、50音順、敬称略。

平民金子さんも入れようか迷ったが、平民さんの現在の主軸はメルカリなので外した。まだ両方を更新している方も入っているが、主軸は note 側と判断した人を選んだつもりである。そうそう、pha さん、初の小説の刊行おめでとうございます。

夜のこと

夜のこと

  • 作者:pha
  • 発売日: 2020/11/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

課金がやりやすいなど note のほうがパブリッシングの場として魅力的である、あるいははてなという場がかくもイケてない/ネットコミュニティ的に不快な場になってしまった、もしくはその両方といった要因が考えられるが、2013年の時点ではてなには書き手の後押しをするヴィジョンも見識もないと書いたワタシからすると、この流れを何ら不思議に思わないし、ユーザの流出はこれからも続くと予測する。

ただ note が安泰かというとそういうこともなく、コンテンツ配信サイト cakes で最近たて続けに起こった炎上案件による見世物小屋化note にも悪影響を及ぼさないとも限らない。課金のしやすさをはじめとして「暗い森」の広がりというトレンドへの適応がうまくいったパブリッシングプラットフォームが一気にもっていく可能性がある。

ワタシ自身は、コンテンツをエクスポートする方法がないというリスク、あと IP アドレス漏洩問題時の対応が納得いかなかったこともあり、主軸を note に移すことは今のところまったく考えられない。

ブレイディみかこさんから新刊『ブロークン・ブリテンに聞け』を恵贈いただいた

ブレイディみかこさんから新刊『ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain』を恵贈いただいた。

asin:B08L6741WR:detail

彼女のブログで新刊の話を知り、おっさんであるワタシにとってもしみじみ良い本だった前作『ワイルドサイドをほっつき歩け ――ハマータウンのおっさんたち』(asin:B0897HL8SD)と同じく Kindle 版をポチっとやろうとしたのだが、Amazon アフィリエイトの次のギフト券を待とうや、と躊躇したのが功を奏した形である(笑)。ありがとうございます。

本作は文芸誌「群像」で2018年から今年まで足かけ3年間続いた連載をまとめたもので、なかなか前に進まなかったブレグジット(この話題については、やはり同じ著者の『労働者階級の反乱 地べたから見た英国EU離脱』(asin:4334043186)を読むことを今も出発点としてお勧めしたい)をはじめとする英国の政治問題が中心となり、他にも英国王室などの時事問題が主要な題材になり、日本にいるワタシが読んで距離を感じたどうしよう、と「はじめに」を読んで少し不安を覚えたが、それは杞憂だった。

 つまり、主流派の考え方に疑問を投げかけ、体制に反逆するアウトサイダーだったはずのレフトが、いまや主流派そのものというか、ふつうに学校で教えていることを主張するのにいまだパンク気取りで奇抜な方法を用いているから「クール」どころか「むかつく」と言われてしまうのである。だから美術館からいきなり女性差別的な絵を撤去するというゲリラ的な行為を行っても、「こうした作品は風紀的に好ましくない」か何か言ってエリート校の壁からヌード絵画を外す厳格な校長先生みたいに見えて人々の怒りを買うのだ。(pp.23-24)

長く引用してしまったが、当然ながら英国と日本が抱える問題が同じということはない。明らかに距離がある問題、一種あべこべになったところ、しかし、微妙に共振する話となるとグッと面白くなる。

本書の著者はかつて『ザ・レフト─UK左翼セレブ列伝』という本を書いているが、その原動力には「レフト」の旗色の悪さへの反骨があったはずだ。当時も今も英国は保守党政権であり、その後のコービン旋風も過去の話で、その点に変わりはない。が、一方で社会規範はおおざっぱに見れば「レフト」的価値観が主流派となり、政治的に正しいとされるところまできている。そうした状況が日本とまったく同じということはない。しかし、その「むかつく」感じはまた違った形で日本に住む人間にも確実に伝わるのである。

そういえば本書では、『ブレグジット EU離脱』(asin:B07XRDCQJ3)において(ベネディクト・カンバーバッチ演じる)ドミニク・カミングスが、離脱派キャンペーンの天才的スローガン「TAKE BACK CONTROL(コントロールを取り戻そう)」を思いつくところが描写されているが、日本にいるワタシとしては、安倍晋三が使った「日本を、取り戻す。」というキャッチコピーの(正当性はまた別の)優秀さをどうしても連想してしまうのである。

著者の政治的な立ち位置は紛れもなくレフトであり、反緊縮論者として一貫しているが、上で引用した話を含めて、それがよしとする価値観に無批判に追従しないところが本書に奥行きを加えており、ワタシのような著者の長年の読者には痛快さというか、らしさを感じさせてくれる。

 ある種の懲罰性のあるフェミニズムは、緊縮の時代の女性たちをさらに生きにくくしているのではないか。元セックスワーカーだったという職員の言葉が印象に残っている。
「今必要なのは、イデオロギーじゃなくて、シスターフッドだよね」(p.78)

 これを奴隷根性と大杉栄は呼んだが、しかしそれはグレーバーの言う「思いやりとソリダリティの精神」と表裏一体のものだ。わがままになれ、だけでは緊縮マインドの岩盤は突き崩せないのはこのせいだ。それに、つい他人を思いやってしまうケア労働者の習性を否定すれば、世の中は地獄絵図のようになってしまう側面もある。(pp.115-116)

 ロキは言葉を使って、自分を苦しめているものの正体を突き止めるために思考し、文章を書く。そしてその正体は彼自身が若い頃から信じてきた左派の理念――貧困は政治・社会システムの欠陥のせいであるという考え――ではないかと思い至る。(p.166)

本書を読むと、『負債論』などの仕事が著者のインスピレーション元となり、『ブルシット・ジョブ』が遺作となってしまったデヴィッド・グレーバーの死がどうしても悔やまれる。これから彼の思想が彼自身によって更新されない、という当たり前の事実が大きな損失に思えてしまうのだ。

あと本書では、政治問題と比べて軽い話題に見られるだろう UK コメディについての文章に、特に彼女のブログを愛読していたときの面白さを思い出した。ワタシも今年のはじめに Netflix『Giri / Haji』を観て、この人はうまいなと思った男娼役のウィル・シャープが、「ダークよりもさらに暗い、真っ黒な笑い」をやってたというのに興味をひいた(それも Netflix で観れるようにならんものか)。調べてみると、彼の次作はベネディクト・カンバーバッチ主演のルイス・ウェインについての映画の監督・脚本みたいで、これは大きなステップアップになるかもしれない。

さて、ここからは純然たるワタシの宣伝なのだけど(そのためにブログやってるんでね!)、本書の著者に「ボーナストラックの長編エッセイに泣きました」と言わしめた『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』もよろしくお願いします。

ソイレントの共同創業者が説く「シリコンバレーを没落させた3つの嘘」

www.robrhinehart.com

Yuta Kashino さんのツイート経由で知ったブログエントリだが、その著者は Soylent の共同創業者である起業家のロブ・ラインハートである。Soylent(の初期)については、2016年の邦訳が出た以下の記事が参考になる。

wired.jp

この記事にもあるように彼はYコンビネーターからの投資を受けた経験がある人だが、文章のテーマはズバリ「シリコンバレーの没落」である。これがなんとも面白い。しかし、とても長い。書き出しはこんな感じだ。

私はシリコンバレーの没落を覚えている。私もそこにいた。ローマ帝国が崩壊したずっと後もなお人々はローマに住んでおり、シリコンバレーにも人は住み、働き続けている。しかし、それは同じではない。イノベーション精神は失われてしまった。それはしばらくの間そこにあった。私はそれを見た。そして私はそれが抑圧され、地下に押しやられ、しまいには失われるのも見た。人々はこれから何年も、何が起こり、それがいかに滅びたか、なぜ滅びたかを語り、疑問に思うだろう。人々は何年もそれを立て直そう、さもなくば他のどこかで再現しようと試みるだろうが、それはすべきではない。次のシリコンバレーは、かつてのシリコンバレーとは同じではないだろう。

語り口がなんとも軽やかで楽しい。でも、長すぎるんだよ!

思うに、歴史家は2012年をシリコンバレーが死んだ年だと記録するだろう。スティーブ・ジョブズは2011年に死んだ。ポール・グレアムは2014年に Y Combinator から離れることを発表したが、2012年に会ったとき、彼は既に離脱を計画していた。私ならシリコンバレーが死んだ正確な日付を2012年11月7日とするが、それはダスティン・カーティスが悪名高い「The Best」というブログ投稿を公開した日である。

あれがその日だった。あれこそサンフランシスコの自由奔放な創造性とその受容が、尊大な唯物論者の俗物どもに決定的に乗っ取られてしまった日だった。最初あの文章を読んだとき、私はそれをよくできた風刺だと思った。そしてヤツが真面目だと気づくと、私自身もシリコンバレーを去ると決めた。ダスティンとその同類どもは、スティーブ・ジョブズのメッセージを完全に取り違えていた。スティーブ・ジョブズは抑圧を嫌った。彼は、デザインとテクノロジーが人々を抑圧から解放することを望んだ。しかし、テック産業は強力な抑圧兵器と化していたのだ。

こういう感じでサラサラと訳してしまいたくなる。しかし、長すぎる。

dcurt.is

やり玉にあがっているダスティン・カーティスのブログエントリである。もちろん彼も言い分はあるだろうし、例えばスティーブ・ジョブズの評価は、ワタシなど疑問に感じるところもある。他にも読む人それぞれで異論反論が出るだろう。

この文章の本題は、シリコンバレーの没落の原因となった3つの嘘を糾弾すること、と書いてよいのかな。

シリコンバレーの没落は、その黎明期と違って、ひどい職場環境や生活様式を無理強いし、役立たずで、見当違いで、時に有害ですらある製品を世界中に押し付けだしたことに一部原因がある。しかし主には、すべてが一連の嘘の上に成り立っていたから没落したのだ。そして人々も次第にその真実に気づき始めた。

イノベーティブであるにはシリコンバレーに住まなくてはならないというのが一番目の嘘である。イノベーションはいたるところにある、というのが本当のところだ。シリコンバレーイノベーションを独占しているのではないし、かつてだってそうだった。

あらゆるイノベーションはある特定のやり方に沿わなければならない、というのが二番目の嘘だ。イノベーションとは、ソフトウェアを売りこみ、ベンチャーキャピタルから資金調達し、バイラルの波に乗り、がんのように広がり、ユニコーンになり、豪華でクリエイティブなオフィススペースを借り、しまいには広告会社に買収されるシリコンバレーをベースとするデラウェア州登記の持株会社のことだと皆が考えていた。正しくは、あらゆる形態、形式、規模のイノベーションが存在する。科学にもイノベーションはある。ビジネスにもイノベーションはある。ストーリーテリングにもイノベーションはある。政治や教会や非営利団体や家庭や家族やコミュニティにだってイノベーションはある。本当のところ、「ユニコーン」なんてものはリアルじゃない。見境なく増殖するウイルスやがんは悪いものだ。急速、直線的に、しかも継続的に成長する企業などないというのが正しい。どんな企業もサイクルを繰り返す。イノベーションに集中していれば、その会社は上向きのサイクルになる。気を抜けば、会社は沈んでしまう。

三番目の、そして最後の嘘は、シリコンバレーが事業を立ち上げ、運営する素晴らしい場所だということ。これほど真実から遠い話はない。シリコンバレーこそ、事業を営むのに世界でもっとも適しておらず、金がかかり、抑圧的な場所のひとつである。

これにも反論が多く寄せられるだろうが、それを含めて興味深い見解である。

Facebook は金を稼いでいるがイノベーションではない。だって Facebook は社交をより良いものにしていないから(むしろ悪くした)。Amazon は(シリコンバレーの企業ではないが)確かにオンラインショッピングをより良いものにしたが、本質的に中間業者の一種であり、時の検証に耐えられない。一方で(シリコンバレーを離れつつある)Tesla は電気自動車をより良いものにしたイノベーションだったし、今もバッテリーや安全性や価格や流通などもろもろを改良することでイノベーティブであり続けようとしている、と著者はキッパリ書いているいるが、これらの評価についても異論が出るかもしれませんな。

ここから話はシリコンバレーの歴史から職場文化や生活様式の話、そしてポール・グレアムをはじめとする Y Combinator 方面の経験をもとにした話題に移る。ラインハートはポール・グレアムのことを、彼ほどの際立ったイノベーティブな投資家はおらず、彼は投資のプロセスそのものを改良したと評価しているが、話はそれだけじゃないので長い原文を読んでくだされ。

そして、最後には Cambrian Genomics の創業者、CEO にしてバイオテクノロジー分野でイノベーションを成し遂げられたはずなのに2015年に31歳の若さで自殺してしまったオースティン・ハインズ、そして2012年に26歳の若さでやはり自殺してしまったアーロン・スワーツ参考1参考2)の話になり、どうしても悲痛なものを感じる。

そうした意味で、この文章はイノベーションを成し遂げられたはずの二人、そしてシリコンバレーそのものに対するレクイエムなのかもしれないが、著者のイノベーション観が最後に書かれている。

非中央集権化の原理は、ブロックチェーンよりもずっと大きなものだ。それはつまり、イノベーションはもはや大学や政府の研究機関やぜいたくなオフィスパークに閉じ込められるものではないということだ。本当のところ、イノベーションはあなたの中にあるのだ。あなたの属するコミュニティの中にある。イノベーティブであるために CEO やベンチャーキャピタリストになる必要はない。イノベーティブなアイデアが、膨大な金を稼ぐ企業に主導されるとは限らない。優れたアイデアを持つ人を既に知っているかもしれないし、あなた自身がそうしたものを持っているかもしれない。ならばなんで優れたアイデアを持つ人に投資しない? なんで自分自身に投資しない?

おっと、このままどんどん訳したくなるが、長いので止めておこう。言っておくが、これだけ訳しても全体のわずかだから。

こういうエントリを書くと、WirelessWire News での連載はワタシにとってありがたい場所だったかと再認識するのだけど、もうとっくに止めちゃったのでねぇ。

エマニュエル・トッドのトランプ支持やトマ・ピケティのバラモン左翼批判にも通じるマイケル・サンデルの「能力主義の横暴」

courrier.jp

実際にこの記事を読んだのは Yahoo! ニュースなのだけど、そちらは既に消えているのでこちらをリンクする。

既に他の人も指摘しているが、ドナルド・トランプの再選を望むエマニュエル・トッドや、トマ・ピケティの新刊『資本とイデオロギー』におけるバラモン左翼の話に通じるものがある。

先週のアメリカの大統領選挙はジョー・バイデンの勝利に決まったが、そういえば八田真行さんも同じ問題意識を書いていた。

マイケル・サンデルの新刊の内容は、同名の TED 講演で聞くことができるので、クーリエ・ジャポンの有料記事のエッセンスを感じたいという方に参考まで。

www.ted.com

これは来年邦訳が出るでしょうな。

The Tyranny of Merit: What’s Become of the Common Good?

The Tyranny of Merit: What’s Become of the Common Good?

キャス・サンスティーンが行動科学と公共政策を論じた薄い本を期間限定で無料公開している

アメリカの著名な法学者であるキャス・サンスティーンが、11月12日までの期間限定で新刊 Behavioral Science and Public Policy を無料公開している。

ワタシの場合、キャス・サンスティーンの出会いが、『#リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか』の元本(?)『インターネットは民主主義の敵か』だったもので、それこそローレンス・レッシグなどと並ぶ論客という意識だったのだが、一般の認知はそれよりも「ナッジ」など行動経済学方面の仕事に違いない。

そうした意味でこの無料公開されている(PDF ファイルで80ページ程度の)薄い本は、それこそ新型コロナウイルスなどの問題まで射程に入れた行動科学と公共政策を論じたもので、興味ある人はダウンロードしておいて損はないでしょう。普通に紙の本で買ったら2000円超だしね。

Behavioral Science and Public Policy (Elements in Public Economics)

Behavioral Science and Public Policy (Elements in Public Economics)

というか、キャス・サンスティーンは本当に多作な人で、ワタシはかつて「2017年は実はキャス・サンスティーンの年だった」と書いているが、今年も2冊邦訳が出ている。

だからわざわざ英語で読まなくても彼の「行動科学と公共政策」の本は読めるとも言えるわけだけど。

note.com

そういえば少し前にも彼の少し前に出たばかりの新刊の書評を読んだばかりなのだが、これも来年以降に邦訳が出るでしょうね。調べてみると、『ファスト&スロー』のダニエル・カーネマンらとの共著も来年刊行予定で、本当にこの人は多作だなぁといささか呆れてしまう。

Too Much Information: Understanding What You Don't Want to Know

Too Much Information: Understanding What You Don't Want to Know

Noise: A Flaw in Human Judgment

Noise: A Flaw in Human Judgment

自らの「呪い」から解放されること、なにより生きのびて書き続けること

cakes.mu

嘉島唯さんの文章を読んで、ワタシはある二人のことを思い出した。

一人はブルース・スプリングスティーンである。

www.afpbb.com

この記事のタイトルにもなっている話は重要ではない。重要なのは、この記事の中で出てくる「純粋な恐怖と自己嫌悪」というフレーズである。

スプリングスティーンがこれを最初に明確に語ったのは、この記事の20年前にあたる1992年のことだ。以下は、Rolling Stone 1992年8月6日号に掲載されたインタビューからの引用である。

俺はかなり病的なまでに取りつかれていた。そのおかげですごい集中力とエネルギー、燃えるような情熱が生まれたんだ。なぜならその根にあるのは、純粋な恐怖と、すごい自己嫌悪だったんだから。ステージに上がると、もう止まらなくなってしまう。だから俺のステージは長いのさ。ちゃんとしたアイディアや、これだけ長くしなくちゃいけないっていう計画があるからじゃない。燃え尽きたと感じるまで止まらない。それだけさ。完全に燃え尽きるまでね。おもしろいもんだよ。ステージや音楽の結果がほかの人にとっては前向きなものに思えるかもしれないけど、俺自身にとっては罵倒と同じだった。本質的に、あれは俺にとってのドラッグだったのさ。

スプリングスティーンが音楽への集中を妨げるとそれこそ野球ボールさえ遠ざけていた逸話は知られるが、80年代に『Born in the U.S.A.』のメガヒット後、ハリウッド的な一度目の結婚と離婚、バックバンドのEストリートバンドの解散、そして再婚して子供をもうけるという公的、私的生活の大きな変化を経て、ようやく彼も自分を突き動かしてものと向き合う余裕ができたのだろう。

ここでいう「純粋な恐怖と自己嫌悪」が嘉島唯さんに当てはまるかは、ワタシは彼女のことを何も知らないので分からない。しかし、燃え尽きたと感じるまで止められない、仕事の成果は前向きに見えるが、その作者を突き動かしていたものはそうではないという構図は、実は彼だけに限らないように思うのだ。

そして、もう一人思い出すのは……雨宮まみさんだ。

「不幸でなければ面白いものを作れない」というジンクスのようなものが、この世界にはある。確かにそういうタイプの人もいる。幸せになったとたんにつまらなくなってしまう人。不幸であることを原動力にできる人、ネタにできる人。不幸なものほど共感を得られやすいし、つらい、さみしい、切ない、そういうネガティブな感情のほうが、人の心に寄り添っていきやすい。「不幸な頃のほうが面白かった」。それは、この世でいちばん下品な言葉だと私は思っている。その下品な言葉と戦って勝つために、生きたいと思うことさえある。

WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol12

彼女なら、その「下品な言葉」と戦い、覆すことができるとワタシは当然のように思っていた。しかし、それを見届けることはできなかった。それが今でも悔しい。彼女がこの世を去って、もう少しで四年になる。

生き残って私たちはまた会う。必ず。絶対なんてない人生だけど、約束ぐらいはしたっていいんじゃないか。どんなことでも、生き残っていれば、いずれ、たいしたことのないことに変わっていく。何度でも、追いかけて、深追いして、傷ついて、いずれそんなことをしなくても別の情熱が、健全な情熱が生まれるのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。書けなくなるのかもしれない。そのどれが幸せで、そのどれが不幸かなんて、他人に決めさせてやるものか。私が決めることだ。

WEB連載 : 40歳がくる! 雨宮まみ vol12

雨宮まみさんのことは、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のボーナストラック「グッドバイ・ルック」の中で書いているが、そのときも上のくだりを引用させてもらった。

少し前にビリー・アイリッシュの新曲 "my future" の最後「数年のうちに会えるよ」と呼びかけているところでこの文章を思い出して、勝手にグッときてしまった。

ビリー・アイリッシュは呼びかける相手と数年のうちに会えるだろう。コロナ禍のせいでますます「絶対なんてない人生だけど」、皆そうであるべきなのだ。でも、そのためには何より生きのびなければならない。生きていさえすればそれでよい、かは分からない。それでも、とにかく生きてないとどうしようもないことくらいは分かる。

嘉島唯さんは生きのびて、優れた文章を書き続けてほしいし、数年のうちに、来年にでも彼女の本を読めればと願っている。お互い生き残って、数年後でもそうした形で会えればよい。

矢吹太朗『Webのしくみ Webをいかすための12の道具』を恵贈いただいた

yamdas.hatenablog.com

このエントリを書いたのが6月半ばで、その時点では7月刊行予定だった矢吹太朗『Webのしくみ Webをいかすための12の道具』が、今月ようやく発売され、少しだけお手伝いしたワタシも恵贈いただいた。

実はワタシがお手伝いしたのは今年の3月のことで、つまりはそれから半年以上経っている。言うまでもなくコロナ禍が影響したに違いないが、今はとにかく刊行を祝いたい。

本になった『Webのしくみ』を改めて読ませていただいたが、本質的な内容を持つ優れた本という感想は変わらなかった。

本書の「はじめに」で、この本の想定読者が、13歳くらいの子供(と彼らにウェブを教える大人)であることが書かれているが、例えば、スマホを毎日使っているけど、ウェブがどういうものか実はよく分かっていないことに漠然と不安を感じていて、一度網羅的に基本を押さえたいという人は、いわゆる「文系」の人には多いと思う。そうした人にも遠慮なく勧められる本である。

ここからは純然たる自慢なのだけど、本書の「おわりに」でワタシの名前を協力者として出していただいただけでなく、「参考文献」で『情報共有の未来』、そして『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の名前が出てくる。

子供たちに「Wikiリテラシー」を習得させることは可能か,2008.http://archive.wiredvision.co.jp/blog/yomoyomo/200812/200812101400-trackback.html.この文書が収録された『情報共有の未来』(達人出版会,2012)と,同著者の著作は,本書『Webのしくみ』を読んだ後で「Webの実情」を知るための,必読書です.

もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて―続・情報共有の未来.達人出版会,2018.この本の出版は電子版のみだったのですが,特別版(紙版)が国会図書館に納本されています(国立国会図書館書誌IDは029721938).https://yamdas.hatenablog.com/entry/20190115/openwebによると,光栄なことに,国会図書館への納本は,筆者(矢吹)のツイートがきっかけとのことです.

この「参考文献」もウェブ(ネット)について知る上で欠かせない本がズラリと並んでおり、その中でワタシの著書に過分な言葉をいただいている。光栄なのはこちらのほうです。ありがとうございました。

AIは新しい芸術を「創造」できるか?(そして、それをテーマにする書籍が来月刊行される)

www.oreilly.com

ここでも何度も取り上げている O'Reilly Media のコンテンツ戦略担当副社長マイク・ルキダスが、またしても AI について書いている。

今回のテーマは「AIと創造性」で、GPT-3 の公開がこの議論を再び活発にしたとルキダスは書く。面白いのは、AI と「創造性」や「芸術」の関係についての議論は、毎回我々はハードルを上げていること。AI が新しい何かを作り出すたびに、本当の「創造性」、「芸術」はこんなものじゃない、というように。

ルキダスは、AI が人間の創造性を模倣する例にはあまり興味がないと書く。もう既に人工知能キーツみたいな詩、ベートーベンみたいなピアノソナタの新作を生み出せる。が、キーツの詩にしろベートーベンのピアノソナタは今あるもので十分なわけで、それは重要ではない。

本当に重要なのは、過去の芸術家風の新作ではなく、質的に新しいものを生み出せるか? ということだ。この文章の副題にあるように「創造性とは、既にあるものの模倣ではなく、何か新しいものを作ること」であり、さらに言うと、人間の芸術家は過去の作品から「盗み」、新しいものを作り出す。こういう「再解釈」は AI には可能だろうか。

こないだの AI とのペアプログラミングの話ではないが、ルキダスはここでも人間と AI の共同作業の可能性を考えているようだ。

さて、偶然にもこのテーマを考える上で参考になる本の邦訳が来月出る。邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)でも取り上げたマーカス・デュ・ソートイの『The Creativity Code』の邦訳『レンブラントの身震い』である。

レンブラントの身震い (新潮クレスト・ブックス)

レンブラントの身震い (新潮クレスト・ブックス)

うーん、この書名だと AI の創造性、AI が作り出す芸術についての本だと分からないのではないだろうか? 刊行までまだ間があるので、内容を知りたい方はカタパルトスープレックス翻訳書ときどき洋書の書評をどうぞ。

ルキダスの文章では、『レンブラントの身震い』という書名の元になったと思われるレンブラントの「新作」を party trick と切り捨てているが、果たして AI は新しい芸術を作り出せるのだろうか。

オープンソースな義足は人工器官の研究を促進するか

spectrum.ieee.org

ズバリ、オープンソースな義足 Open Source Leg の紹介なのだけど、義足(義肢)の設計情報と臨床試験の詳細をオープンソース化によりオンラインで自由に利用できるようにすることで、人工器官の研究者を支援したいというミシガン大学アナーバー校の神経生物学研究室の責任者である Elliott Rouse 博士の試みである。ライセンスは Creative Commons の表示 3.0 非移植 (CC BY 3.0) なのかな?

これと似た試みとして The Open Prosthetics Project が既にあるけど、より良い成果につながるといいですな。

この手の話でワタシが思い出すのは、『Make: Technology on Your Time Volume 09』で訳したコリイ・ドクトロウの「正の外部性」という文章である(もう10年以上前になるのか!)。

身体障害者は健常者ほどは数が多くなく、かつ健常者に比べてお金を持たないので、メーカーは身体障害者向けの製品を作りたがらず、結果そうした製品は高くつき、しかも品質が劣るという悪循環があることを踏まえ、以下のように訴える。

...それは我々皆にも言えることだ。僕は障害者のことを「彼ら」と書き、健常者のことを「我々」と書いているが、標準的な寿命を生きるなら、死ぬまでに一つ以上広範囲な障害を抱えることになるのはほぼ間違いない。歳を取って頭も身体も完全に順調なままな人はまれである。
 だから支援技術や外部性に関して言えば、「我々」も「彼ら」もないのだ。我々は皆同じボートに乗っていて、独創的なMakerのプロジェクトを実現するために玩具ロボット向けに開発された技術に頼っており、視力が衰えたり、手が言うことをきかなくなればテキスト音声変換に頼ることになる。

こういう研究は今はまだ一応五体満足なワタシにとっても他人事ではないし、いわゆるメイカームーブメントにも接続可能な話なのである。

ネタ元は Boing Boing

Make: Technology on Your Time Volume 09

Make: Technology on Your Time Volume 09

  • 発売日: 2010/01/27
  • メディア: 大型本

書肆侃侃房の人気ウェブ連載「現代アメリカ文学ポップコーン大盛」が書籍化される

note.com

書肆侃侃房のウェブ連載マガジンweb侃づめの人気連載が、そのまま『現代アメリカ文学ポップコーン大盛』の書名で今年末に書籍化とな。

多くの書き手が参加しており、その中には既に著書、訳書を持つ人も多いが、ワタシ的にはこの連載で青木耕平さんという優れた書き手を知れたのが何よりも収穫であった。

yamdas.hatenablog.com

残念ながら書籍化に際して note からコンテンツが引き上げられてしまったようだが、ワタシは本を買うので問題なし。

しかも、ウェブ連載の原稿に加え、新たに多数の書き下ろしが追加されるようなので、今から楽しみである。

星の子

星の子 通常版 [Blu-ray]

星の子 通常版 [Blu-ray]

  • 発売日: 2021/03/03
  • メディア: Blu-ray

誘われて観に行った。ワタシの観た回は客は全部で5人だった。正直、今観たいのは『スパイの妻』だったが、ワタシの住処から一番近いシネコンではやってないのよね。

芦田愛菜の出演作を観るのは『パシフィック・リム』以来になるが、本作の「あやしい宗教」を信奉する両親と過ごす中学生という単純に割り切れない役をよく選んだものだと思う。

本作はなんとも簡単にいかない、観た後もモヤモヤしたものがどうしても残ってしまう作品である。芦田先生演じる主人公が泣き叫んでスパッと両親を切り捨ててスッキリみたいな解決にはいかないのである。なにしろ両親がそれにハマった契機は何より生後間もない自分の病気にそこの水が効いちゃったからという負い目がある。

家族という割り切れなさがよく描かれている作品で、両親は文句なしに信じちゃってるけど、主人公の意思をある程度尊重しているし、両親の愛情が妹にばかり向いていると感じる長女は、その両親から子供たちを救おうとする伯父の画策に一度は協力するが、いざその段になってみると伯父を拒絶してしまう。けど、後に両親から離れてしまう。

主人公はそうした家族の問題も伯父から差し伸べられた手の意味もちゃんと分かった上で姉のように両親を捨てることはなく、「このままでいたい」という意思表示するし、周りから浮きながらも普通に中学生としての日常生活を送る主人公をただ深刻にならず、コミカルだったりするところまで表現していて、アニメが挿入されたり細かいところで本作の演出には疑問を感じるところも多々あったが、芦田愛菜恐るべしという感想が勝るのでよしとする。

ラストもここで終わってしまうのかという感じだったが、あれは親子三人のある意味最後なのかもしれないなと思ったりした。知らんけど。

知識として原田知世さんが主人公の母親役というのは知っていたはずだが、最初彼女とよく分からなかった。しかも、本作を観てしまうと、以降彼女を見ても「河童」という言葉が頭に浮かんでしまうという副作用があったりする。

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