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『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』とAI倫理、顔認識技術の行方

週末に Netflix を含め映画をいくつか観たので、今日はその話を中心に更新したい。

まず一つ目はなかむらかずやさんにお勧めいただいた『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』

この作品はワタシのアンテナに入ってなかったのだが(みんなどうやって Netflix の新作情報を得ているのだろう?)、観てみるとなるほど、なかむらかずやさんがワタシにレコメンドするのも納得のドキュメンタリーだった(公式サイト)。

Netflix で観れるドキュメンタリー映画としては、『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』に続く、AI(アルゴリズム)の問題を突くものである。ワタシもかつて「我々は信頼に足るアルゴリズムを見極められるのか?」という文章を書いているが、電子書籍『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来」とも共通する問題意識を扱った作品である(と例によってすかさず宣伝)。

本作では『AIには何ができないか』のメレディス・ブルサード『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』のキャシー・オニール『ツイッターと催涙ガス』のゼイナップ・トゥフェックチー『抑圧のアルゴリズム』の Safiya Umoja Noble『不平等の自動化』の Virginia Eubanks など本ブログでもおなじみの識者が、アルゴリズム支配や顔認識技術の危険性を語る。それらに加え、本作に少しだけ登場する、昨年末 Google を解雇されたことで話題となったティムニット・ゲブル、そして何より本作の狂言回しである MIT メディア・ラボのジョイ・ブオラムウィーニ(Joy Buolamwini)を含め、主要登場人物が全員女性である。識者以外の登場人物もほぼ女性だった。本作の監督も女性だからというわけではないが、このチョイスは絶対意識的なはずだ。果たして同じ問題について日本でドキュメンタリーを作るとして、これを実現できるだろうか?

本作の最初にジョイ・ブオラムウィーニが告発する顔認識技術の人種差別、性差別(白人男性ほど正しく識別される)の話と、その後で展開される顔認識技術の使用による監視社会化の問題は別の話じゃね? と思ったりもするが、上記識者の語りの巧みな編集と本作の最後におけるジョイ・ブオラムウィーニの議会証言でそれらがまとめられ、うまく丸め込まれた印象がある。

……と一見して思ったが、本作鑑賞後にたまたま類似の問題意識のコンテンツをいくつか目にし、そうでもないなと考えを少し改めた。

まず録画しておいたのを見た「町山智浩のアメリカの今を知るTV」で、『監視資本主義の時代』のショシャナ・ズボフが登場して、顔認識技術に法律での規制が必要とかなり強硬な主張をしていてたじろいだ。

それはそうと、番組でもはっきり『監視資本主義の時代』とテロップに表記していたが、邦訳はいったいいつになったら出るんじゃ!

gigazine.net

こちらはビッグデータやAI倫理の問題を訴えてきたケイト・クロフォードの記事を取りあげたもの。犯罪捜査で有用と顔認識技術を使っていると、個人の自由と権利を侵害する恐れがあると、特に感情を読み取る AI の危険性が警告されており、これは前述の番組でも強調されていた。

考えてみればケイト・クロフォードも『AIに潜む偏見』に出ていて不思議ではなかったし、彼女の出たばかりの新刊は邦訳が期待されますな。

news.yahoo.co.jp

タイミングよく平和博さんも顔認識技術、特に「感情認識」テクノロジーを扱う AI の問題を取り上げている。その問題とは、人種によるバイアスや「常時監視」によるプライバシーの侵害の懸念であり、『AIに潜む偏見』での告発につながる話なのだ。この問題については意識しておいたほうがよい。

さて、最後に少し本筋から離れた話を書いておくと、『AIに潜む偏見』で狂言回しを務めるジョイ・ブオラムウィーニの詩心が強調されていたのが印象的だった。クライマックスとなる議会証言の後、本作の登場人物たちとリモート会議をするのだが、そこで彼女は Safiya Umoja Noble やキャシー・オニールの書名を織り込んだ詩を得意満面で披露する――と書くと、なんかバカにしているように誤解されるかもしれない。日本語圏のインターネットには「ポエム」という言葉が侮蔑語として使われる文化圏がはっきりあり、というかワタシ自身それをやった過去があるからだ。

先日観た『ノマドランド』でも主人公を支える詩の力が描かれていたなと思い出したりして、本作における主人公の詩心の意義について、作品の趣旨とは違ったところでちょっと考えてしまった。

『パーム・スプリングス』と『隔たる世界の2人』という二つのタイムループ映画を観た

ようやく近場のシネコンもレイトショーを再開してくれたおかげで、『パーム・スプリングス』を公開初日に観に行けた。

サンダンス映画祭で大変に話題になったタイムループもの、という事前知識だけで観に行ったが、最近タイムループものってちょっと多くない? と個人的な感覚が正直あった。それだけジャンルのご本尊というべき『恋はデジャ・ブ』が秀作だったということか。

イムループするのが一人ではなく複数というのが肝なのだろうが、実はその設定は、昨年 Netflix「ロシアン・ドール: 謎のタイムループ」で見ている。作りとしての巧みさは、本作よりも「ロシアン・ドール」のほうが上だった。

アンディ・サムバーグの余裕たっぷりで気楽なたたずまいは好みだったし、クリスティン・ミリオティはギョロっとした目で自信のなさを表現しているのだけど、こちらはさほど好みではない。のだけど、それぞれが抱える「秘密」が物語のキーになり、物語が進んでいくと二人に対する印象が変わっていく。

イムループを繰り返し続けるうちに、それから逃れたいと思うか? ここに男女の違いが出るわけだが、ワタシなどアンディ・サムバーグ側というか、バカンス地で気楽に歳もとらずに生きられたらそれでいいじゃん、と考えてしまうのだが、そこでJ・K・シモンズがそれとは別の観点をもたらすんですね。

というわけで楽しめたけど、コロナ禍の隔離生活を経たことは、タイムループものの受容を変えてしまったような気がするし、本作がそれから抜け出ようという意思をはっきり示すところはよかったと思うが、やはりタイムループもの、少しクリシェ化してね? とどうしても思ってしまった。

あ、ジョン・ケイルの1974年の傑作『Fear』から2曲劇中で使われていたのはとても良かったです。

『パーム・スプリングス』を観た翌日、深町秋生さんのツイート経由で、『隔たる世界の2人』のことを知る……ってホントみんなどうやって、こんな短編映画の情報まで知るんだ?

そうでなくても「積みNetflix」で未だいっぱいなのだが、30分くらいならいいかと観てみたら、これがすごい作品だった。

『パーム・スプリングス』も90分と最近の映画では短い部類だったが、『隔たる世界の2人』はさらにその3分の1で見事にタイムループを表現している。ラッパーのジョーイ・バッドアスが知的なグラフィックデザイナーの主人公を演じているが、彼が女性の部屋でお泊りした翌朝、何度自宅に帰ろうとしても白人警官に殺されてしまう。

とにかく、このはじめから殺意満々で、容赦なく主人公を殺す白人警官がすごい(ひどい)。言うまでもなく殺しにいたるシチュエーションは、ジョージ・フロイドなど実際の警官による黒人の殺害のそれを模しているのだが、ジョージ・フロイドのときにそうだったように、警官は他の市民のスマホでの撮影など意にも介さない。

何度も殺されるうちに主人公はその白人警官とコミュニケーションを図り、状況を打開しようとする。最終的にその落としどころがどうなるかは本作を観てくださいとなるのだが、戦慄ものだったとだけ書いておく。本作は今年のアカデミー短編映画賞にノミネートされているが、こりゃ取るんじゃないかな。

さて、同じタイムループものである『パーム・スプリングス』と『隔たる世界の2人』をたまたま続けて観て、どちらに強い印象を受けたかというと間違いなく後者なのだけど、ヘンな表現になるが前者の印象も良くなった。やはり、アメリカにおける黒人はこういう理不尽なプレッシャーを生きているというのを説得力を持って何度も繰り返し見せられるよりも、タイムループではロマンティックコメディーを見たいと切に思ったからだ。

『隔たる世界の2人』で印象的に使われていた「The Way It Is」とブルース・ホーンズビーの現在について

上で紹介した『隔たる世界の2人』でうまいと思ったのは、ブルース・ホーンズビー・アンド・ザ・レインジの「The Way It Is」という80年代のヒット曲が使われていたこと。

ブルース・ホーンズビーのピアノによるメロディーが印象的な全米1位のヒット曲で、ワタシもリアルタイムに聞いていたが、当時はその歌詞などまったく気にしてなかった。

正直「そんなもんさ」とのんびり歌っている曲かと思っていたが、実はシビアな曲だったんですね。

曲のはじめは、生活保護を求めて列をなす人たちの描写から始まるが、そこにスーツ姿の男が通りかかり、貧しい老婦人に「仕事探せよ」と半笑いで言い放つ――そういう構図見たことありません?

そして曲の後半で歌われる「1964年に成立した法律」とは言うまでもなく公民権法のことで、それは持たざる者たち(黒人)のために作られたが、それで精いっぱいだった。だって法律は人の心まで変えるものではないから、というくだりを知ると、繰り返し歌われる「そういうものだ」「決して変わらないものもある」というフレーズは一種の呪詛に思えてくるし、それが『隔たる世界の2人』で使われる意義については言うまでもないだろう。

ワタシよりも下の世代なら、この曲のメロディーは 2Pac の「Changes」でなじみがあるかもしれない。これも原曲のシビアさを踏まえつつ、そしてそれをなんとか覆そうとしたもので、2Pac がこの曲をサンプリングした意図はよく分かる。

さて、ブルース・ホーンズビーがヒットチャートを賑わしたのは1980年代までで、それ以降の活動を知らない人も多いだろう。90年代以降もグレートフル・デッドとのライブ活動を挟みながら彼はずっと現役で、しかも一昨年、昨年とたて続けにとても質が高いアルバムを作っている。それらにはジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)、ブレイク・ミルズ、ジャミーラ・ウッズ、ヴァーノン・リードなど多彩なゲストが参加しており、後進からのリスペクトも篤いのが分かる。

この一年、コロナ禍を理由にいろんなライブ音源を無料で聴くことができたが、その中で公開されたブルース・ホーンズビー&ザ・ノイズメーカーズのライブはすごかった。

音源が公開されたのは2019年8月16、17、18日に行われたライブだが、彼くらいの年齢になって3日連続でライブをやるというのもすごいし、彼のキャリアならライブの後半はヒットパレードを求められるところだが、くだんの「The Way It Is」、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースに提供して全米1位のヒットになった「Jacob's Ladder」、ドン・ヘンリーと共作してヒットした「The End of the Innocence」のような有名曲は、一晩につき1曲くらいしかやらない、というか毎日セットリストがほとんど重ならないという異様にスパルタンな選曲で、要はバリバリの現役なのである。

つまり、ブルース・ホーンズビーは音楽家として60代後半になった現在、実は何度目かのピークを迎えているのだが、それをちゃんと評価している人が少なく思えるのが歯がゆい。Wikipedia の英語版の彼のページを見ても、上記の最近の2枚のアルバムの個別ページも作られてない始末。

そういうわけで彼がボン・イヴェールのライブにゲスト参加した「I Can't Make You Love Me」をどうぞ。

この曲はボニー・レイットの代表曲で、近年までいろんな人にカバーされている。ボン・イヴェールはホーンズビーに参加してもらうためにこの曲をチョイスしているが、実はこの曲のソングライティングにホーンズビーはまったくタッチしていない。だが、ボニー・レイットのバージョンで一聴してホーンズビーと分かる鍵盤が印象的で、彼の代表曲にもなってしまったという経緯がある。

せっかくなので、30年前のボニー・レイットブルース・ホーンズビーの共演もどうぞ。

『隔たる世界の2人』での「The Way It Is」の楽曲使用を契機にもう少しブルース・ホーンズビーにスポットライトが当たればいいなと思う。

GREATEST RADIO HITS

GREATEST RADIO HITS

  • アーティスト:HORNSBY, BRUCE
  • 発売日: 2008/03/03
  • メディア: CD

Absolute Zero

Absolute Zero

  • アーティスト:Hornsby, Bruce
  • 発売日: 2019/04/11
  • メディア: CD

Non-Secure Connection

Non-Secure Connection

  • アーティスト:Bruce Hornsby
  • 発売日: 2020/08/14
  • メディア: CD

メッセージングアプリSignalの暗号通貨による送金機能の追加にブルース・シュナイアーが苦言

www.schneier.com

エンドツーエンド暗号化で高度なセキュリティを実現していることが売りのメッセージングアプリ Signal暗号通貨による送金機能のβテストを開始というニュースにブルース・シュナイアー御大がコメントしている。

記事タイトルに WTF をつけていることからも明らかなように、今回の機能追加をまったく肯定的にはとらえていない。ブルース・シュナイアーは以前よりブロックチェーン技術を信頼していないが、それだけで否定的なのではなく、安全なコミュニケーションとセキュアな商取引は別々のアプリでやるべきで(できれば会社も別のところが好ましい)、混ぜるな危険というわけ。

国税庁や証券取引委員会や FBI の介入待ったなしと予測している。

www.stephendiehl.com

シュナイアー先生もリンクしているこのブログは Slashdot でも取り上げられているが、技術者の立場からの Signal への裏切られたという思いを語っている。

逆に言うと、そういう反応はあれどもメッセージングアプリが個人送金や商取引に参入するのは、それだけ旨味が見込める分野だからともいえる。このブログエントリの「Signalよ、お前もか?(Et tu, Signal?)」というタイトルはそのあたりを指している。ここへの参入を図ったのは、Signal が最初ではない。

でも、それは怪しげなオフショア暗号通貨取引所に資金が流れるのを招きかねず、合法だからってやるべきかどうかは考えてほしかったという失望があるわけだ。もっとも今回の機能をアメリカでやると違法だから英国で立ち上げるという事情があるみたいで、こういうのは英国のほうが規制が緩いのだろうか。

Signal は未だ優れたソフトウェアで、反体制派やジャーナリストなどにプライバシーを保証しながら自由にコミュニケーションできる、信頼性のあるプライベートメッセージングのデファクトプラットフォームになれるのに、怪しい送金ビジネスに堕してほしくないという最後の訴えは悲痛である。

最後にブルース・シュナイアー先生に話を戻すと、彼の現時点での新刊が出てもう少しで3年になるが、そろそろ邦訳出ないのかねぇ。

Click Here to Kill Everybody: Security and Survival in a Hyper-Connected World

Click Here to Kill Everybody: Security and Survival in a Hyper-Connected World

  • 作者:Schneier, Bruce
  • 発売日: 2019/10/08
  • メディア: ペーパーバック

アメリカを代表する経済学者の遺作『ロック経済学』の邦訳が出るぞ

yamdas.hatenablog.com

高名な経済学者であるアラン・クルーガーが自殺したのも、その遺作が『ロック経済学』だったのもかなり驚いたものだが、今年の6月に邦訳が出る。

発売日が6月9日なのは「ロックの日」を狙ったものだろうか(そんなわけはない)。関係ないが、この日、渋谷陽一の70歳の誕生日だな。

訳者の望月衛さんは、最近ではナシーム・ニコラス・タレブの本を多く手がけているが、個人的にはスティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学~悪ガキ教授が世の裏側を探検する』の印象が強い。今回も活気のある翻訳を期待したい。

しかし、この本はストリーミング以後の音楽経済を考える上で、榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』と比べることも可能かもしれないが、書き手の年代的な意味で、アラン・クルーガーのほうがオヤジ向けでしょうな(笑)。

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)で取り上げた本でまた一冊邦訳が出るわけだ。

【絶景】Windowsスポットライトに近いアングルで十年前に写真を撮っていた【十二使徒】

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来」の宣伝ばかりでも嫌がられそうなので、それから離れたちょっとした話題を。

先日、トイレから戻ってパソコンの画面を見たら、何か見た覚えのある景色が写っている。

調べてみたら、確かに自分は Windows で使われているのと近い構図で写真を撮っていた。

Windows 10 マシンで一定期間操作がないとロック画面にきれいな景色が写し出されるこの機能の名称を、実はワタシは知らなかった。これの正式名称は Windows Spotlight なんですね。

さて、今回ワタシがこの機能に注意を向ける契機となった写真について調べてみたくなったのだが、果たしてこういうのはどうやって調べればよいか分からない。しばらく考えて、この写真に写っている The Twelve Apostles で検索したらビンゴだった。

windows10spotlight.com

Windows Spotlight の写真を集めたサイトもあるんですな。このサイトに掲載されている写真と、ワタシが撮影した以下の写真を比べていただきたい。

結構構図が近くない? しかし、悲しいかな、ワタシが撮影したときは11月の雨が降ったり止んだりな天気だったため、また後述するように古い iPhone で撮影したものなので、フィルターなしでは映えが明らかに欠ける(けど、あえて加工なしでアップロード)。

上でもリンクしているが、これらの写真に写っているのはオーストラリアはビクトリア州にある The Twelve Apostles で、つまりは「十二使徒」ですね。

ワタシがここを訪れたのは2011年11月で、つまりは今年で10年になる。そのときはメルボルン郊外在住の友人を頼った旅だったが、入国審査に提出する用紙の「この国のどこに滞在するか?」の質問に堂々「メルボルン州」と書いて呆れられたのは懐かしい思い出である(バカ)。

さて、ワタシのブログの古参読者ならご存知だろうが(そんな人が実在するかは知らんが)、その友人は以下の人気エントリにも登場する。

yamdas.hatenablog.com

yamdas.hatenablog.com

個人的な話になるが、ここ数年隔年でゴールデンウィークに海外旅行をしており、その流れでいうと今年はその番で、以前は台湾かオーストラリアあたりを考えていたのだが、ご存知の通りの事情でそれは実現しない。果たしてまた観光で海外旅行に行けるようになるのはいつの話か……と思いながら見ると、「十二使徒」がまた違って見えてくる気がする。

テッド・チャンはAIでなく資本主義を恐れる

www.nytimes.com

昨年後半に Vox の編集主幹から New York Times のコラムニストに転身した気鋭のジャーナリストであるエズラ・クラインのポッドキャストに、当代最高の SF 作家のひとりであるテッド・チャンが出演している。

www.newyorker.com

そういえばテッド・チャンというと、少し前には New Yorker に、シンギュラリティなんてこないよと論じる文章(日本語訳)を寄稿しており、これが普通の作家なら、新刊のプロモーションなのかなと思うところだが、寡作で知られるテッド・チャンにそれはない、よね?

エズラ・クラインのポッドキャストに話を戻すと、アーサー・C・クラークの有名な「十分に発達した技術は魔法と区別がつかない」という言葉をテッド・チャンがお気に召さない理由に始まり、錬金術、宗教、スーパーヒーロー、自分が死ぬ日が分かるなら知りたいか?(テッド・チャンは知りたいそうだ)、自由意志、など話題は多岐に渡るが、やはり面白いのは AI と資本主義の関係についての話である。

yamdas.hatenablog.com

テッド・チャンは3年以上前にもこのあたりを論じているが、AI に対する恐れの大半は、資本主義に対する恐れであり、それはテクノロジー全般にもあてはまり、今やテクノロジーと資本主義は非常に密接に絡み合っており、この二つを区別することは難しいと語る。

そして、デンマークなど、国民皆保険があり、育児がしやすく、大学の学費は無料の国と、アメリカのような資本主義の国では、テクノロジーへの恐れの度合いは変わるのではないかと語る。アメリカのような資本主義国では、テクノロジーはコスト削減と企業利益の旗印のもとに人々を失業させ、生活を困難にするものだから。

しかし、コスト削減を求めるのは(テクノロジーではなく)資本主義である。あらゆるテクノロジーが善というわけではないが、社会的セーフティネットが整った世界であれば、コスト削減と企業利益のためだけでなくテクノロジーの長所と短所を評価できるようになるのではないか。

技術革新とともに失業が避けられないという話を議論する際に、この点が検証されないままになっているように感じるとテッド・チャンは述べている。問題は資本主義であり、しかし、我々はその資本主義に疑問を抱くこと、そこから逃れることはできないというのが前提になってしまっている、というわけだ。

テクノロジーの長所と短所の評価を資本主義の枠組みから切り離して考えることができるようになってほしい、とテッド・チャンは願っており、資本主義を内面化してそれに最適化してしまうことに警鐘を鳴らしている、とワタシは解釈した。

ネタ元は kottke.org

そうそう、エズラ・クラインは昨年 Why We're Polarized を刊行して賛否両論を巻き起こしたが、これは邦訳出ないのかねぇ。日本でこの本を少しでも論じた記事は「米国の分断を加速させるサンダースの功罪」くらいしか読んだことがないが。

Why We're Polarized

Why We're Polarized

  • 作者:Klein, Ezra
  • 発売日: 2020/01/28
  • メディア: ハードカバー

息吹

息吹

息吹

息吹

ケヴィン・ケリーの新刊は3巻1000ページもの分量の『消えゆくアジア』とな

『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』に続くケヴィン・ケリーの新刊は、Kickstarterクラウドファンディングで資金調達し、しかもテーマがアジアだという。

一瞬、前作が中国で最初に出版され、かなり売れたことでのアジアシフトかと邪推したが、もちろんそんなものではなく、40年かけて35ものアジアの国々を旅行したケリーの豊富な経験をもとにしたもので、しかも、Vanishing Asia、つまり現在のアジアから失われつつあるものがテーマとのことで、単なるアジア礼賛ではない。

なんで彼がクラウドファンディングを利用するんだろうと思ったら、全3巻、1000ページもの分量になるとのことで、確かに三分冊を普通の商業ベースで出すのは難しかろうと納得である。西アジア中央アジア、東アジアでそれぞれ1冊ずつ、しかも東アジアの表紙が日本の花嫁衣裳の白無垢というのにオリエンタリズムを感じて、神経をとがらせる人がいるかもしれないが、この本の趣旨については本人の説明を読むなり聞くのがよかろう。

kk.org

クラウドファンディング自体は、予定金額を大幅に超えて支援者を無事獲得しており、全3巻の刊行は実現する見込み。

そういえばケヴィン・ケリーというと、今話題のデジタル資産 NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)に入れ込んでいるクリス・ディクソンが、ケリーのもはや古典的存在である「千人の忠実なファン」を引き合いに出して NFTs and a Thousand True Fans という文章を書いていたっけ(参考:NFTと1,000人の真のファンとは?)。

ネタ元は Boing Boing

柳瀬博一さんのおかげで榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』が出ているのを知る

www.joinclubhouse.com

もはや Clubhouse アプリを立ち上げることも稀になってしまったが、柳瀬博一さんのこれの告知にピンとくるものがあったので聞いてみたら、榎本幹朗さんの『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』が2月に出ているのを知ることができた。柳瀬さんに感謝である。

榎本幹朗さんのことは、Musicman-NET での連載を読んですごく面白いと思ったし、その電子書籍化の際にもブログで取り上げている(その1その2)。

しかし、そのうち連載が Musicman-NET から消え、電子書籍もパート3は出ず、Yahoo! 個人ブログも2018年11月を最後に新しい文章の公開がなく、正直どうされているのだろうという気持ちがあった。

なので、氏の文章がこうしてまとまった形で本になったのを知り、とても嬉しい。

www.musicman.co.jp

刊行を記念したインタビューで、そのあたりの沈黙の理由も語られているが、なかなか迫力のあるインタビューだな。

「水のような音楽」を謳う訳書『デジタル音楽の行方』が出て15年以上経ち、ここまで来たんだなぁと思ってしまう。

ノマドランド

帰省時に少し時間ができ、映画に出向いたのだが、『花束みたいな恋をした』と『ノマドランド』のどちらを観ようか悩むこととなった。実は前者にしたかったのだが、その日の後の用事に影響が出るのを恐れ、終映時間が早い後者を選んだ。

本作は、2008年のリーマンショック以降に顕著になった、自家用車で寝泊まりし、全米各地を移動しながら働き続けざるをえない高齢者たちの姿を描いたものである。

上の概要を聞いただけだと悲惨で救いのない話に思えるが、そのように描いていないのが興味深い。例えば、本作には主人公たちの働き先としてアマゾンが何度も登場するが、何かしらの告発のトーンはほぼ皆無である。ケン・ローチのような映画を期待すると肩透かしにあう。

「自分はハウスレスだけどホームレスではない」という主人公の台詞もあるが、同じ境遇の人たちとの互助精神とアメリカ人らしい DIY 精神が先に来ていて、見ていて暗くはならない。出演者の多くが、原作にも登場している「ノマド」の人たちなのもその裏付けになっている(その中の一人がタトゥーに書き込んでいるスミス/モリッシーの歌詞が本作によく合っていた)。

そしてやはり、主人公を演じるフランシス・マクドーマンドの演技の力も大きい。ワタシは彼女のことを昔から当代きっての名女優と評価しているが、『スリー・ビルボード』に続いて、本作の演技も見事だった。

もちろん、本作でも彼らの暮らしのしんどさはちゃんと描かれていて、ただ主人公の生き方を肯定するだけではない。前述の通り、主人公は「自分はハウスレスだけどホームレスではない」と言い切るが、ノマドな生き方は昔の開拓者のようでアメリカの伝統だという彼女の妹の気遣いの言葉に、主人公はいら立ちの表情を隠せない。

日本に住むワタシから見れば、高齢者にもなって定住もできず、就寝も排泄にも苦労がある車上暮らしはとてもではないが憧れの対象にはならない。互助精神を発揮して一種の共同体を構成する主人公の仲間たちは意外にも女性が多い。これをホワイトトラッシュの女性版と考えるのは間違っていて、その証拠に本作に登場するノマドたちは主人公をはじめとして貧困層出身でない人も多く、それなりの学歴を感じさせる人が多い。

さらに書けば、主人公の仲間たちは明らかに白人が多い。これは「『ノマドランド』が男女格差を描いた女性映画でもある理由」にもあるように、有色人種(の女性)であれば車上生活すらままならず、警察に睨まれるというアメリカ社会の分断、なによりセーフ―ティーネットの底が抜けた社会の闇を感じずにはいられない。

本作は映し出されるアメリカの自然風景は、マジックアワーを活かした撮影もあり、微妙な美しさを湛えている。しかし、とてもではないがワタシはそれにうっとりとなる心持ちにはなれなかった。

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』への反応 その43

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』だが、考えてみればこれってはある種の「秘密」がある本だよね、と今更思い当たってツイートしたところ、既に感想をいただいている方々からコメントをいただいた。ありがたいことである。

フレンチのコース料理の後に北京ダックが丸ごと!(笑)

ここまでやればお得感を感じてくれる、と思ったところが著者の貧乏人根性なのかもしれない。

そうなんですよ、なにより「開かれたウェブ」という本題についての濃厚な本なのです。

さて、以下のようなコメントもいただいている。

ありがたいことである。ただ実際には特別版という名の物理本も売っていたりするのだが、言いたいことはよく分かります。本家電書版、Kindle 版、特別版の内容の違いについては、過去エントリの表を参照いただきたい。

そうそう、Kindle 版についても感想コメントをいただいている。

この本単体で閉じるのではなく、読者の興味に応じてそこからの広がりがある本を目指しており、いくつものトピックでそれに足るトスをあげていると思うので、こういう感想は嬉しい。

ビル・ゲイツもAI分野の必読書と推した『マスターアルゴリズム』邦訳が原著刊行から5年以上の時を経て出る

www.kamishima.net

ペドロ・ドミンゴスの『The Master Algorithm』は、ビル・ゲイツが AI 分野の必読書に挙げていたので注目し、ワタシも何度か文章の中で引き合いに出している。

そして、邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2017年版)でも取り上げているが、この原著が刊行されたのは2015年である。それから5年以上経ち、もうこれは邦訳の話は流れてしまったかと半ば諦めていたところ、『マスターアルゴリズム 世界を再構築する「究極の機械学習」』の邦題で刊行される。ワオ!

刊行はおよそ一月後だが、上でリンクした訳者の方のサイトで、各章の概要や訳者あとがきが一足早く読める。未翻訳ブックレビューも参考まで。

デヴィッド・ボウイはドラマ『ハンニバル』に主人公の叔父役で出演予定だった

screenrant.com

マッツ・ミケルセンハンニバル・レクター博士を演じたドラマ『ハンニバル』はワタシも好きで全部見ているが、デヴィッド・ボウイが出演するかもしれなかった話は知らなかったな。

ボウイにオファーされたのは、ハンニバルの叔父であるロバート・レクター伯爵役で、このキャラクターはトマス・ハリスの原作では『ハンニバル・ライジング』に少し出てくるだけのようだが、このドラマのショーランナーであるブライアン・フラーはこのキャラクターを膨らませる構想を持っており、その役にデヴィッド・ボウイを考えていたというのだ。

ボウイも乗り気だったようだが、最終的には音楽制作で忙しいのでキャンセル、後のシーズンでの登場を検討、となった。ブライアン・フラーは後に、ボウイの出演がオファーされた 2nd シーズン制作時点で、既に彼は病を抱えていたため、出演が本決まりにならなかったのではないかと回想している。

ドラマ『ハンニバル』は評価は高かったものの、なにせあれだけ猟奇殺人が描かれる作品だったため、結局 3rd シーズンで打ち切りになってしまい、ボウイも2016年はじめに遺作とともに鬼籍に入ってしまった。あのドラマのファンだった人間としては、マッツ・ミケルセンとボウイの共演が実現していたら最高だったと思うが、残念なり。

ネタ元は Boing Boing

今になってピンク・フロイドのネブワースライブがリリースされる意義

nme-jp.com

このニュースに関する記事をいくつか見たが、なんでこのライブが重要な理由というか核心にどこも触れてないのか不思議になる。

具体的には、なんで誰もクレア・トリーに言及しないんだ?

ニック・メイスンはキャンディ・ダルファーとマイケル・ケイメンの参加に言及しているが、いやいや、そうじゃないでしょう。

間違いなく彼女は一曲のみの参加で、その曲は "The Great Gig in the Sky"(邦題は「虚空のスキャット」)に決まっている。そう、ピンク・フロイドの最高傑作『狂気』収録のオリジナルでこの曲を歌っている人である。彼女がピンク・フロイドのライブでこの曲を歌ったのは、これが最初で最後ではないかな?(違ったらすいません。ロジャー・ウォーターズのライブでは何度か歌ったことがあるはず)

そんな貴重な機会が実現したライブなのに、それに触れないのはおかしい。

amass.jp

と思っていたら、ちゃんとピンク・フロイド公式の YouTube チャンネルでクレア・トリー参加の "The Great Gig in the Sky" が公開されている。やはりこれが目玉なんですよ。

この映像自体は以前から YouTube にあがっていたのだが、やはりこれは1990年のネブワースライブでの映像だったのだな。

この曲のレコーディングでは、ピンク・フロイドが作った音が見事すぎて、録音時歌手が歌えなくなったとかいう逸話を昔なにかで読んだことがある。クレア・トリーはアラン・パーソンズの紹介でこの曲に参加したが、普通の歌ではなく、声を楽器のように使うのが最適と分かるまで時間がかかったというのが実際のところのようだ。

歌入れは2テイク行われ、その後デヴィッド・ギルモアがもうワンテイク要求したが、3テイク目は途中でクレア・トリーの声が止まってしまい、結局はその3テイクをつなぎ合わせてこの曲は完成している。

後にクレア・トリーは裁判を起こして楽曲の作曲クレジットを獲得しているが、彼女は歌詞なしの歌唱、しかも1曲のみでロックの歴史に名前を刻んだわけで、そんなのこの人くらいではないだろうか。

Live At Knebworth 1990

Live At Knebworth 1990

  • アーティスト:Pink Floyd
  • 発売日: 2021/04/30
  • メディア: CD

Dark Side of the Moon-Experience Edition (2 CD)

Dark Side of the Moon-Experience Edition (2 CD)

  • アーティスト:Pink Floyd
  • 発売日: 2011/09/26
  • メディア: CD

『メーキング・オブ・モータウン』は幸福なテックスタートアップの話みたいだった

コロナ禍と個人的な事情のアレコレで、観たい映画はいくつもあれども、なかなか映画館に足を運ぶ都合がつかない。ある時期から、家で観た新作でない映画についてはブログで取り上げなくなったのだが、本作は昨年の公開時には映画館で観れずに悔しい思いをしたけど Netflix に入ったおかげで観れて嬉しかったので例外的に取り上げたい(公式ページ)。

モータウンというと、ファンク・ブラザーズに光を当てた『永遠のモータウン』という優れたドキュメンタリー&ライブ映画が存在するが、こちらはベリー・ゴーディ社長とスモーキー・ロビンソン副社長を主な語り手として、モータウンのタレントたちも続々登場する正史に近いものである。

面白いことに映画の内容は、ベリー・ゴーディのヴィジョン、スモーキー・ザ・ポエット、会議の多い会社、ファンク・ブラザーズ、ソングライター同士の競い合い、辣腕バーニー・エイルズ、アーティスト・ディベロップメント、ロスへの移転――とピーター・バラカン『魂(ソウル)のゆくえ』モータウンの章に書いている話に極めて近い(もちろんベリー・ゴーディの搾取話はない)。

そういえば、『魂(ソウル)のゆくえ』は一昨年に新版が出ているんですね。

新版 魂(ソウル)のゆくえ

新版 魂(ソウル)のゆくえ

新版 魂のゆくえ

新版 魂のゆくえ

面白そうといろんな人たちが引き寄せられてそれぞれが才能を開花させ、激しく競争し合いながらも家族意識があり、良いサイクルが回っていくところなど、テックスタートアップの話みたいとワタシは思った。

しかし、音楽は分かりやすい。テックスタートアップのすごさを見せるのにそのサービスの画面を出したところで迫力不足だが、音楽はそれを良いタイミングで鳴らすだけでよい。しかも、本作の場合、それが綺羅星のようなモータウンのヒットチューンなのだ!

ワタシがテックスタートアップの話を連想したのは、ソングライター/プロデューサーでもあったベリー・ゴーディが、コードが書けるテックスタートアップの創業者と重なって見えたから。

70年代に入ると、各自の自己主張がモータウンの枠を超えて人が離れだし(スモーキー・ロビンソンがロスへの移転に大反対だったというのは興味深い)、特にスティーヴィー・ワンダーマーヴィン・ゲイのようにベリー・ゴーディのヴィジョンを完全に超えてしまう人も出てくる。マーヴィン・ゲイが歌うベトナム戦争や環境問題、あとドラッグ使用を歌う「クラウド9」に難色を示すゴーディに対し、創造性を発揮しろといったのはあんただろう、という感じで教え子たちに押し切られてしまう構図をテックスタートアップに置き換えてみるとどうなるだろうか。

しかし、アメリカのドキュメンタリーを見ていて感心するのは、ちゃんと古い映像を残しているところ。

本作でもデビュー前のマイケルが歌い踊る映像があるが、なんといってもスープリームスの最初のヒット曲のレコーディングで、ダイアナ・ロスが面白くなさそうにしている映像が残っているところがすごい。

あと以前からモータウンについて疑問に思っていたことがあり、これもピーター・バラカンの本で読んだ話かは思い出せないが、モータウンにはスモーキー・ロビンソン作の社歌があるという話。

この映画のエンドロールがまさにその疑問の答えになっており、出演者が一様に「オレに歌わせるなよ」「もう覚えてない」と笑い、思い出そうとした人も歌詞が出てこない中で、ベリー・ゴーディスモーキー・ロビンソンの二人だけがノリノリで歌う姿にワタシは不覚にも涙してしまった。

ゴーディが「自分が作るなら、この映画はスモーキーとオレだけだ。あとは抜きで」とはじめのほうで宣言する理由がよく分かる。

あと個人的には、ニール・ヤングさんがモータウンに所属したことのあるミュージシャンとして普通に在籍時の話を話していたのが可笑しかった。

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