当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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マトリックス レザレクションズ

2022年最初の更新を、2021年の最後に劇場で鑑賞した映画の感想から始めさせてもらう。

本作は当然 IMAX の大画面で観るべきだろうと考え、実際そうしたのだが、考えてみればワタシはマトリックス三部作をいずれも映画館では観ておらず、DVD をレンタルして、自室のちっこいテレビで観ていただけなのに今更思い当たった。

この三部作について、ワタシは以前以下のように書いている。

つまり、第一作目がすこぶる面白かったので続編も期待してみたが、二作目は確かに前作よりもお金がかかっておりアクションも派手なのにうっかり居眠りしそうになるくらい退屈で、三作目にいたっては、自分は何の話を観ているんだろうと自問してしまうという。

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド - YAMDAS現更新履歴

ただ昨年、ヘンリー・ジェンキンズ『コンヴァージェンス・カルチャー』を読み、自分の三部作への向き合い方は明らかに旧弊なもので、「トランスメディアストーリーテリングとしての『マトリックス』現象」にまったく理解がなかったと反省するところもあった。

18年ぶりのシリーズ新作にして「駄作」という声も聞こえる中、これはワタシの世代の人間としてちゃんと死に水を取るべき(取るなよ)というマインドセットで三部作を Netflix で観直して復習し、新作に対峙した。

あの三部作の後にどんな『マトリックス』がありうるのかよ、としか鑑賞前は思えなかったのだが、安易に旧作をなかったことにするリブートではなく、こういうやり方があるのかと感心した。旧三部作は映像も多く引用されるが、本作の「マトリックス」ではその三部作はゲームということになっており(「トランスメディアストーリーテリング」という性質を考えると、さほど違和感がない)、その中で自分達抜きでも新作を作っちゃうよという「親会社のワーナーブラザーズ」と、三部作を都合よく解釈して自分達の願望に落とし込んだネット民への私怨と意趣返し、(エンドロール後も念押しされる)悪意に満ちたパロディ感覚が準拠枠となっている。

そうしたメタ性、垣間見られる自己否定に対して「駄作」「ふざけんな」という声があるのは理解できるが、上記の通り、自分の中で三部作の後半に対する評価が厳しすぎたという思いがあり、また直前に久方ぶりに Netflix で観直した『リローデッド』と『レボリューションズ』が、最初観た時よりもはっきりついていける感覚があり、かなり気分良く本作に向き合えたのが本作の印象を良くしている。

例によって事前情報をできるだけ入れずに観たのだが、旧三部作のあの人がここで出てくるのかという予想外さもあった。本作ではモーフィアスがローレンス・フィッシュバーンでないのを残念がる声があるが、彼とキアヌの同窓会は(あの名台詞の再現とともに)『ジョン・ウィック:パラベラム』で済んでおり、本作はこれはこれでフレッシュでいいんじゃないのかな。

あの鮮烈だった『マトリックス』第一作でワタシが唯一「へ?」となったのが、一度スミスに撃ち殺されたネオがトリニティの愛の力で復活というプロットなのだけど、本作もそうした「愛は勝つ」なプロットは踏襲されており、結局こうした映画はカミカゼ的特攻が不可欠なんだよねという点も含め、『マトリックス』シリーズにおける古典的なストーリーテリングの強さについて考えたりもした。

本作を観て、ワタシはなぜか、かつて Sad Keanu ミームについてキアヌ・リーヴス本人にインタビューした人の言葉を連想した。

真面目な話、これは人々がいつもあなたの胸のうちを何とかして知りたいと思っていることが、役者であるあなたの最大のアピールの一つであるからこそ起きていることだと思うんですよ。あなたが何を考えているのか、なぜあなたは悲しげなのか……そう思う人たちが何千もいるという。

キアヌ・リーブスに'Sad Keanu'ミームを直撃したインタビュー - YAMDAS現更新履歴

「あなたが何を考えているのか、なぜあなたは悲しげなのか」と思わせるものが、ルックスがジョン・ウィックにしか見えない本作においてもキアヌ・リーヴスにはあり、そうした彼の魅力(と言ってよいでしょう)が、今にして『マトリックス』をやる一種のよりどころになっている。第一作において覚醒した後の無双に近いネオからすれば、本作のトーマス・アンダーソン君は、あまりに自信なさげで、年齢的に不思議でない弱々しさを隠そうとしない。彼の力も本作では主に防御にしか使われない。そして、その力は「彼女」に引き継がれる(ことの意図は書くまでもない)。

本作のメタ性はともかく、その悪意のこもったユーモアは多分にスベっており、何よりアクションにかつての斬新さは微塵もない。だから本作は傑作でもなんでもないのだけど、キアヌにしろキャリー・アン=モスにしろ、安易に若作りさせることなく、また機械側を今風に AI とかに寄せることなく SF 作品に踏みとどまった『マトリックス』の新作をワタシは肯定する。

……とここまで書いた後で、URL だけメモしておいた本作の感想や考察の文章を一通り読んだのだが、辰巳JUNKさんの「『マトリックス レザレクションズ』 "her"カウンターカルチャー」がもっとも納得するところが多かった。

1970年代にBASICで書かれたゲームを今のプログラミング言語に移植するプロジェクト

blog.codinghorror.com

Stack Overflow の共同創業者、あるいは「FizzBuzzテスト」を広く世に知らしめた(?)ことで知られる Jeff Atwood が、彼の世代にもっとも影響を与えた BASIC 時代の本を取り上げている。

それは1970年代に刊行された BASIC Computer Games だが、この本に掲載されたゲームを遊ぶために BASIC のコードを打ち込んだよねということで、日本でいうと1980年代のマイコンBASICマガジンベーマガ)に近い存在だろうか。

で、単にノスタルジーでこの昔の本を取り上げているのではなく、彼はこれに掲載されたゲームの BASIC のソースコードJavaPythonC# など8つの現代のプログラミング言語に移植するプロジェクトを立ち上げている。

github.com

ライセンスは The Unlicense、つまりは実質パブリックドメインですね。

この手の古いゲームについては、Internet ArchiveアーケードゲームDOS や Windows 初期のゲームをブラウザ上でプレイ可能にしており、BASIC プログラムを対象とする Vintage BASIC Games というコーナーもあるが、今のプログラミング言語に移植する、しかも8つの言語に、という発想は正直思いつかなかった。

ベーマガに掲載されていたゲームでこれをやる人は日本にいないかな(ワタシが知らないだけで、既にやっている人がいたら教えてください)。

ネタ元は Boing Boing

著作権トロールの新種としての「コピーレフト・トロール」

著作権を本来の意義と離れ、訴訟による賠償金などを目的として攻撃的に行使する個人や法人を揶揄するコピーライト・トロール(著作権トロール)という言葉がある。

それに関連するものとして、著作権が既に切れているはずなのに関係者が不当に策を弄することで著作権保護期間を延ばす行為を指す Copyfraud についても本ブログで何度か取り上げている。

この記事は、著作権トロールの新種として CopyLEFT Troll なるものを紹介している。

それはクリエイティブ・コモンズに対する誤解につけこんだ悪質なゆすり行為である。

onezero.medium.com

弁護士である Chip Stewart が昨年前半に既に記事を書いていたのな。具体的には CC 2.0 のような古いバージョンだと、通知から30日以内にライセンスの問題を修正する権利が被許諾者に与えられない問題を突く手があるらしい(この問題は、現行のバージョン4.0にはない)。

本件については Rise of the Copyleft Trolls という論文も書かれているので、詳しく知りたい方はそちらをあたっていただきたい。

Techdirt の記事では、有名 Twitter ユーザの(妊娠検査キットの画面上で DOOM を再生したり新型コロナ検査キットを分解して ARM のチップが入っていることを突き止めたことなどで知られる)@foone が、CC BY ライセンスの画像をクレジットなしに投稿したために DMCA 申し立てで一時的にアカウント凍結されてしまった件を例に挙げている。

これに関しては、ちゃんとクレジットを入れなかったのが悪いだろうというのはその通りなのだけど、自分自身そのあたりちゃんとできているか自信がないときもあるんだよね、正味の話。

ただ、この「コピーレフトトロール」という言葉は、その意図は分かるけど問題があると思っている。@foone の件(CC BY ライセンスの画像)もそうだが、CC ライセンス=「コピーレフト」じゃないんだよね。

コピーレフト(Copyleft)とは、プログラム(もしくはその他の著作物)を自由(自由の意味において。「無償」ではなく)とし、加えてそのプログラムの改変ないし拡張されたバージョンもすべて自由であることを要求するための、一般的な手法の一つです。

コピーレフトって何? - GNUプロジェクト - フリーソフトウェアファウンデーション

コピーレフト」の肝は、プログラムや著作物そのものの自由だけでなく、それらの改変版の自由も要求することにある。これを CC ライセンスにあてはめる場合、少なくとも継承(SA)がついた種別でないと「コピーレフト」には当たらないはずである。

このように用語の厳密性の問題があるのだけど、上にも書いたように「コピーライト・トロール」ならぬ「コピーレフトトロール」と呼びたくなる気持ちは一応分かる。とりあえず、こういうライセンスの悪用もありうることを理解しておくとよいのだろう。

本件とは異なるが、最近も虚偽の著作権侵害を認めて賠償命令がくだった裁判もあったし、著作権侵害をめぐる新たなあくどい手口もこれから出てくるに違いないわけで。

ネタ元は LWN.net

もはや世界を終わらせかねないサイバー軍拡競争の最前線

news.mynavi.jp

少し前の記事だが、この記事の中で New York Times 記者の ニコール・パールロス(Nicole Perlroth) と彼女の本『This Is How They Tell Me the World Ends』が言及されるので気になっていたのだが、Message Passing でも morrita さんがこの本を取り上げていて、なるほどと思った。

……今気づいたけど、上の記事を書いているのって、かのガルリ・カスパロフじゃん!

長年サイバーセキュリティ報道の第一線にいる著者の初めての本だが(公式サイト)、「世界の終わりはこうしてやってくる」という書名は伊達ではない。なんというか読んで暗くなってしまう本である。それはワタシ自身この分野に関わっているからなのだけど、とてもワタシ程度の知識で太刀打ちできる話じゃないなと思えてくる。

つまり、最新のサイバー軍拡競争は非常に高度で大規模なものになっており、ソフトウェアのバグに起因するゼロデイ攻撃の「握り」に関し、ソフトウェア業界を支配する企業を輩出したアメリカは、もはやその優位性やコントロールを失っている。

今ではロシアのハッカーによる原子力発電所や電力網に対するハッキングが選挙の脅威となりサウジアラビアの石油化学プラントに対するサイバー攻撃など攻撃対象はより広範な影響が及ぶインフラがターゲットになっている。

著者は、世界的なサイバー軍拡競争に歯止めをかけないと、我々は皆緊急の脅威に晒されると見ているわけだが、この分野は「民間人は手出しできない国家予算でやる軍事分野になる(もうなってる)」という認識では、「我々にはサイバーセキュリティ分野のマンハッタン計画が必要だ」というマーク・グッドマンの訴えを連想した。

もはや「フューチャー・クライム」ではなく、現実の犯罪になってしまったということか。

ニコール・パールロスの本には、『ツイッター創業物語』のニック・ビルトン『インスタグラム:野望の果ての真実』のサラ・フライヤー、あとジョン・マルコフといった本ブログでもおなじみの人達が推薦の言葉を寄せており、これは今年あたり邦訳出るんじゃないかしら。

極道の妻たちを6年間追い続けたフランス人カメラマンのインタビュー

旧聞に属するが、Boing Boing 経由で、極道の妻たちを6年間追い続けたフランス人カメラマンのクロエ・ジャフェ(Chloé Jafé)のことを知る。

これは2020年2月に公開された動画である。

日本のマフィアの女たちを扱うプロジェクトは2013年に始まったそうだが、これは全力を捧げるプロジェクトになると分かった彼女はホステスになり、ヤクザの組長に侍るところまでいくのだが、実はそれは物語の始まりに過ぎなかった。

ヤクザの女たちを扱うプロジェクトは6年続いたが、今も続いていると彼女は語る。彼女たちの写真を撮るのは、何しろまず彼女たちの信頼を得なければならないので、このカメラマンは自分らの夫に興味があるのか、夫の金に興味があるのか、いったい何が目的なんだと疑われ大変だったという。信頼を得て、女たちの写真を撮る必要があるが、それには彼女たちの夫の許可も得る必要がある。

ヤクザの組員と結婚した女性の日常生活は典型的な日本の主婦のそれだが、彼女たちは夫が夜無事に家に帰ってくるか常に不安である。ヤクザの構成員と結婚するのは、その組の一部になるのに等しい。女たちの役割は、夫の組での階層に従う。例えば、組長と結婚した女性は、組に関する責任を負うことになり、あるときはシェフ、あるときはコンサルタントの役割を果たし、金の管理もする。

で、彼女たちの背中、腕、脚に彫られた刺青を撮ることがこのプロジェクトのポイントになるわけだが、この動画を見るだけでも、なかなかにインパクトのある刺青が写し出されている。そして、ヤクザと妻のカップルの写真を撮るのが、彼女にとっては重要だったみたいで、その印象から彼女はこのプロジェクトを「I give you my life(命預けます)」と呼びたいと語る。

彼女が撮った極道の女たちの写真は、彼女の Instagram でも一部見れる。

調べてみたら、GQ JAPAN3人の写真家が語った「彼らがストリートをさまよう理由」という記事にも彼女は登場している。

やはり彼女は『極道の妻たち』を観て、その世界の女性たちに興味を持ったんだね。

ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』を恵贈いただいた

ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』を著者より恵贈いただいた。

この本は2016年刊行の『ヨーロッパ・コーリング――地べたからのポリティカル・レポート』の単純な文庫化ではなく、『ヨーロッパ・コーリング』と重なるのは全体の3分の1強で、2016年から2021年秋口までの時評コラムを網羅するハイパー文庫化とでもいえるものだ。

yamdas.hatenablog.com

今年、著者の本では『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』や『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2』を読んでいるが、特に後者はコロナ禍前で話が終わってしまうので、コロナ禍における著者の文章をまとめて読めてよかった。以前は一つか二つの媒体を押さえておけばよかったのが、今や売れっ子になった著者の連載をとても網羅できてなかったのもあるし。

こうして2014年から今年にいたる、この10年あまり保守党が政権を握る英国の社会・政治時評を通して読むと、著者が一貫して訴えるのは、緊縮政策は公共サービスを損ない、貧しい者から立ち上がる力を奪い、端的に言えば恵まれない者たちを殺す非人道的なものだということ。それを言葉を変え、何度も何度も叩きつけている。

著者も書くように「緊縮は人を殺す」という一点において、英国と同じことが日本でも起きているのを自覚しないといけない。

 「我慢」は道徳的に聞こえるが、闘わない言い訳になる。それは緊縮を進めたい勢力に容易に取り込まれ、利用される。
 何度でも繰り返すが、緊縮は美徳ではない。新自由主義の呼び名の変わっただけの究極の進化形だ。(263ページ)

前著『ヨーロッパ・コーリング』は、英国の EU 離脱を問うた国民投票の前までで終わっており、本書はその後をカバーしているが、それには緊縮政策に対する抵抗という意味で期待された労働党ジェレミー・コービン前党首やスペインのポデモスの挫折も含まれる。

あとコロナ禍における分析としては、以下の分析が目を惹いた。

 伝統的な政治勢力の対立と言えば「右vs左」だった。イデオロギーの闘いだったのである。それが今では、思想や階級による対立ではなく、「ピープルへの訴求」と「専門知識への訴求」の合成具合によって政治バトルを行う時代になっているというのだ。(428ページ)

この点でボリス・ジョンソン政権のテクノポピュリズムは、右派のうまいイメチェン話や左派が「友愛」をなおざりにした話とともに、自民党政権が続く日本の政治状況を説明にも使えるだろう。あと本書の「あとがき」で触れられている、デヴィッド・グレーバーが語る政治的「毒」の話も。

そうそう、「あとがき」といえば、シティズンシップ教育の授業で、austerity(緊縮財政)の意味を説明できる人を求められ、「ブレイディみかこの子どもとして、僕はこの質問にだけは答えないわけにはいかない」と思わず手を上げて、滔々と三分ぐらい説明してしまったという話に失礼ながら吹き出してしまった。

思えば、近年の文章になるに従い、著者の時評が息子さんとのやりとりがアクセントになるものが増えているのに気づく。そうした意味で、息子さんは著者が社会や政治を考える上で良い対話の相手になるまで成長したのだろう。

何度も書くが、天神の喫茶店で、タブレットでサッカー動画をみながら床を転がりまくっていたケン君も立派になって……(遠い目)。

Apache Log4jの脆弱性とともに浮かび上がったオープンソースのメンテナの責任範囲の問題

www.jpcert.or.jp

piyolog.hatenadiary.jp

先週は Apache Log4j脆弱性問題が大きな話題となった……と過去形で書いてはいけないのかもしれない。危機はまだ続いている。

今回、脆弱性破壊力のヤバさとともにクローズアップされたのは、今日、多くのビジネスの生命線となっているオープンソースソフトウェアのメンテナンスが、無報酬であり感謝されない仕事になっており、「オープンソースは壊れている」んじゃないの? という問題である。

dev.to

この Yawar Amin の文章では、log4j の開発者は、なんでこんな大規模なセキュリティ問題を突きつけられる羽目になったのか、賢く勤勉なはずの人達が、なんでこんな何のメリットもない修羅場に追い込まれてしまったのかを問うている。

まず浮かび上がるのは、上記の何の金銭的報酬もなく、評価もされない(かわりに批判はしっかりされ、嫌がらせまで受けてしまう)問題である。どうして開発者はインターネット全体からさも有給なセキュリティエンジニアリング部門みたいな扱いを受けなきゃいけないのか。オープンソースのライセンスはそんなこと保証してないのに。

そこで引き合いに出されるのは、Clojure の作者として知られる Rich Hickey が書いた Open Source is Not About You における、オープンソースにまつわる社会的な押し付けは、ほとんど根拠を持たない最近発明された「神話」の一種だという訴えである。

Yawar Amin はこれを受け、しかるべきライセンスの下でソースコードを公開する以上のこと(コミュニティの管理と成長、貢献の受け入れ、問題の修正、脆弱性の開示などなど)をしないといけないとメンテナに思わせてしまう「神話」を「素晴らしきオープンソースの洗脳(great open source brainwash)」と呼んでいる。

Log4j の場合、依存してものがあまりに多く、影響がデカすぎたというのもあるが、それにしても「神話」が当たり前のように広く信じられ、反論することは許されない。まるで宗教じゃないか、というわけ。その「神話」のため、オープンソースのメンテナが、大企業のアウトソーシングチームになっているのが現実である。

それなら企業がオープンソースに資金を提供すればいい、いや、そんな単純な話じゃないといった議論になるのだが、何かしら「妥協点」があるはずだと Yawar Amin は書く。

この場合は、最初に問題を指摘した(世界的な大企業であり、Log4j脆弱性で被る金銭的被害額も多大であろう)Alibaba のエンジニア側が問題の修正の責任を負うべきであり、オープンソースのメンテナは大企業のために無償で働くべきではなく、他の人達は(早く修正しろと言い立てるのではなく)一歩下がって見守り、オープンソースの利用にともなうリスクと責任、そしてコストを受け入れるべきだ、というのが彼の提言である。

yamdas.hatenablog.com

オープンソースの持続可能性やビジネスモデルは一筋縄にはいかないという話はワタシも昨年書いているが、うーん、Yawar Amin の提言に怒る人もいるのが予想されるのが現実である。

しかし、そこで思い出すべきは、上で引用した佐渡秀治さんが書く「自由」という言葉の重さ(と破壊性)なのだろう。

またオープンソース・プロジェクトの問題のひとつは「終わらせる」ことが難しいことにあるというのも確か。

ネタ元は Slashdot

シャノン・マターン『都市はコンピュータではない』で考えるスマートシティ的発想の限界と都市の多様性

voicy.jp

佐々木俊尚さんの「毎朝の思考」で面白そうな本を知った。

ニュースクール大学の人類学の教授である Shannon Mattern の新刊『A City Is Not a Computer(都市はコンピュータではない)』である。

placesjournal.org

この本は、彼女が2017年はじめに寄稿した同名の文章を発展する形で書かれたものだろう。

wired.jp

この本について調べていて、少し前にこの本を扱った Wired の日本語記事を既に読んでいたのに気づいた。

わたし自身もそうだが、都市について書く人々もまた、現在の科学に組織的なメタファーを探す傾向がある。都市は機械であり、動物であり、エコシステムである。あるいは都市はコンピューターのようなものかもしれない。都市計画の専門家でありメディア研究者の作家シャノン・マターンは、これを危険な発想だと考える。

都市はコンピューターではない:スマートシティ、危険なメタファー、よりよい都市の未来 | WIRED.jp

シャノン・マターンが批判するのは、Google がトロントで失敗した「未来都市」構想に代表される、シリコンバレー企業による、多分にパノプティコン式展望監視システムな「スマートシティ」である。

Google は今年になって、サンノゼのブラウンフィールドの都市開発に再挑戦しているが、「人間中心のスマートシティ」を謳うあたり、マターンらによる批判も考慮しているのかもしれない。

先月マターンと話した際、いまのところどの都市もスマート化に失敗しているように見える理由を尋ねてみた。彼女はその理由を、都市づくりの最も重要な部分を見逃しているからだと考えている。「膨大な計算やデータを駆使するやり方で都市というものを考えると、全知全能という誤った感覚をもってしまいます」とマターンは言う。

都市はコンピューターではない:スマートシティ、危険なメタファー、よりよい都市の未来 | WIRED.jp

マターンの考察には、災害に対する都市の機能も射程範囲に入っており、コロナ禍に都市がどういう役割を果たしたか考えるのも面白いだろう。

都市のメタファーに関するマターンの巧みな分析は、都市が誤った方向に進んだ場合、想像力の欠如だけでなく、(災害に対する防波堤としての)都市の主要な機能が果たせないことを示している。人間は、経済破綻、自然災害、人間の悪意や臆病さなど、失敗に対抗する要塞として都市を建設し、都市が機能している間は、城壁がそうしたものを排除してくれる。建築家ミース・ファン・デル・ローエが述べたように、家が「生きるための機械」であるなら、都市はそれらの機械が社会に連結される場所である。都市とは、協力して生き延びるための機械なのだ。

都市はコンピューターではない:スマートシティ、危険なメタファー、よりよい都市の未来 | WIRED.jp

マターンが、「住民が資源、教育、仕事、インフラについての情報を学び、つながることのできる場としての公共図書館」に特に期待しているのは示唆的だ。

この記事を読んで、ワタシが連想した自分の文章が二つある。

yamdas.hatenablog.com

上で引用した Wired の記事にもあるが、我々は人間自体、特にその脳を CPU や記憶媒体の組み合わせになるコンピュータにたとえがちだ。人間の脳にしろ、都市にしろ、コンピュータよりもインターネットに近いと考えると面白いね。

wirelesswire.jp

「スマートシティ」という概念に対する批判的考察では、スーザン・クロフォードの仕事も共通する。

つまり、「スマートシティ」という言葉にポストヒューマニスト的な、過度に単純化され非人間的なイメージがあることに批判的なわけです。これはかつてのニュータウンなどの都市計画にあったトップダウンで非人間的な感じにつながる感じが個人的にするのですが、クロフォードはそれよりも responsive という単語を採用することで、都市住民の意見に耳を傾けて変化する柔軟性を重視しているのだと思います。

反応が良い都市と市民のテクノロジー - WirelessWire News(ワイヤレスワイヤーニュース)

クロフォードは「スマート」よりも「responsive(反応が良い)」ほうが都市を考える上で相応しい形容詞だと考えているわけだが、もう少し我々の人種になじみのある形容詞に置き換えるなら、それは「アジャイル」ではないだろうか。

そういえば、ズバリ Agile City という取り組みがあるが、ここ2年くらいあまり動きはないみたいで残念。

また、ここまできてワタシが連想したのは、都市に必要な多様性の問題である。

「ビッグデータを用いた都市多様性の定量分析手法の提案~デジタルテクノロジーでジェイン・ジェイコブズを読み替える~」だが、ジェイン・ジェイコブズが唱えた都市多様性の概念が、定量的に示されたということか。

「都市はコンピューターではなく、インターネットだ」と佐々木俊尚さんは書くが、シャノン・マターンのスマートシティ批判を、ジェイン・ジェイコブズの近代都市計画への強烈な批判に接続し、その上での都市とインターネットの相似性を考えるのは面白そうである。

マイク・アイザック『ウーバー戦記』により日本でもビッグテック糾弾の波がGAFAからウーバーにも及ぶか

調べものをしていて、マイク・アイザックUber 暴露本の邦訳『ウーバー戦記』が出るのを知った。

この本の内容については、原書刊行を受けて書かれた記事が詳しい。

jp.techcrunch.com

www.axion.zone

GAFA に代表されるビッグテック企業が、お前ら(特に GoogleFacebook)資本主義を悪用し、民主主義にとって害悪だろとボコる本がショシャナ・ズボフ『監視資本主義』を筆頭にいくつも出ているが、その糾弾対象が Uber といった後の世代にも及んでいることがよく分かる本である。

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」でも書いたことだが、ワタシも Uber については「『羅生門』としてのUber、そしてシェアエコノミー、ギグエコノミー、オンデマンドエコノミー、1099エコノミー(どれやねん)」で辛辣に取り上げているが、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』に収録するにあたり、その後で判明した不祥事を箇条書きで追加していたら、いつまで経っても新たな不祥事が明らかになって終わらず、呆れたものである。

しかし、日本でも Uber というと配車サービスではなく宅配業務のウーバーイーツになってしまうため、この本がどこまで受け入れられるかは少し分からないところがある。

思えば、ティム・オライリーWTF経済』の表紙には「GAFAよりも注目すべきなのはウーバーだ」という文句が躍っている。その通りだったろう。確かに Uber は「台頭し席巻し」た。しかし、GAFA なんかよりも遥かに生き急ぐように「社会から憎まれ」るところまできたのだから皮肉なものである。

(ニューカマーのみから)2021年ベストアルバムを10枚選んでみた

2021年も終わりである。今回が今年最後の更新になる。

今年もパンデミックが続いたため自室のパソコンの前で過ごす時間も長く、例によって音楽を聴く時間も長かったので、2021年のベストアルバム選みたいなのをやってみようと思った。のだが、また一つアデルやラナ・デル・レイが入ったリストを加えたところで意味はなかろう。

そこで、今年その存在を知り、初めて聴いたアクトのアルバムのみから10枚選ぶことにした。要はニューカマーということだが、重要なのはワタシが知ったのが今年というだけで、別にそのアクトのファーストアルバムばかりではないこと。「このバンド、今まで聴いたことなかったの?」というのもあるが、まぁ、そういうことである。マウントは結構です。

以下、厳密ではないが、上にあるほど上位と考えていただきたい。

アーティスト アルバム 国内盤 輸入盤 Spotify Apple YouTube
Arlo Parks Collapsed in Sunbeams Amazon Amazon Spotify Apple YouTube
Japanese Breakfast Jubilee Amazon Amazon Spotify Apple YouTube
Dry Cleaning New Long Leg Amazon Amazon Spotify Apple YouTube
black midi Cavalcade Amazon Amazon Spotify Apple YouTube
Black Country, New Road For the First Time Amazon Amazon Spotify Apple YouTube
Hiatus Kaiyote Mood Valiant Amazon Amazon Spotify Apple YouTube
Lost Horizons In Quiet Moments - Amazon Spotify Apple YouTube
Yola Stand for Myself - Amazon Spotify Apple YouTube
Yasmin Williams Urban Driftwood - Amazon Spotify Apple YouTube
Anchorsong Mirage Amazon Amazon Spotify Apple YouTube

少なくとも上から3つは、「(ワタシにとっての)ニューカマー」という制約を取り外しても今年のアルバムベスト10に入ると思う。というか、アーロ・パークスは今年聴いたすべてのアルバムで1位で、今年選んだ「21世紀最初の20年にリリースされたワタシが愛する洋楽アルバム40選」に入れるつもりで、しかし、調べてみたら今年のアルバムなので入れられないと気づいて頭を抱えたものである。

それにしても上記の「アルバム40選」を選んだときも思ったものだが、(フロントが)女性のアクトばかりである。

アルバムではなく曲単位で個人的に一番前のめりになったのはこれかな。

yamdas.hatenablog.com

そういえば、ジャパニーズ・ブレックファストについてはエントリを書いているが、中村明美の「ニューヨーク通信」によると、彼女は今年本でもベストセラーを出しており、映画化決定とはすごいね。

映画ができた頃には、日本での彼女のプレゼンスもずっと上がり、邦訳も期待できるんじゃないかな。

そうそう、ジャパニーズ・ブレックファスト以外にもライブ映像を見て、これはよいと思ったアクトは他にもあり、ヤスミン・ウィリアムズは Spotify の何かのプレイリストで1曲知り、興味をもったので YouTube を検索したら、ちょうど Tiny Desk Concert が公開されており、たった一人での弾き語りがとても良かったのよね。

そういうわけで今年の更新もこれで終わりだが、今年いいなと思った曲は、Spotify に乗り換えて以降プレイリストにまとめており、気が付くと4時間超になってしまったが、年末の BGM にでも使っていただけると幸いである。

それでは皆さん、よいお年を。

Feedlyでnoteのサイトの更新が取得できない問題について

もともとブログを更新する予定はなかったのだが、困った問題が起きているため、この場で共有させていただきたい。

少し前に Twitter で話題になったブログがあり、ワタシはそのブログを RSS リーダ(Feedly)に登録しているはずなのに、更新があがっていない? と気づいて、Feedly 上で直接そのブログを見ようとしたところ、以下の表示が出て更新が取得できない。

しかし、そのブログが死んだわけではなく、その URL にアクセスすると問題なく閲覧できる。なんだこれ?

そのブログは note を使用したところだったのだが、調べてみたらところ、Feedly にで登録された note のサイトが他にも更新を取得できていないことに気づいた。

Organize Sources を表示すると以下のようになる。

32ものサイトが Unreachable になっているのに今更気づいた。調べてみたら、その大半が note を使用したところだった。

ワタシに購読されていると知って不愉快に思われる人がいないとも限らないので、モザイクをかけさせてもらった。Unreachable の一覧を見て、加野瀬未友さんの「ARTIFACT―人口事実―」や津田大介さんの「音楽配信メモ」といったサイトがもはや生きてないことに気づいたりもしたが、上述の通り、大半は note である。さすがにここまで偏ると偶然ではないだろう。

よく分からないことに、note のブログすべて Unreachable かというとそうでもなく、少数の例外も存在する。

いずれにしろ購読している note の更新を Feedly で取得できない状態が続いており、端的に困っている。これの解決策はあるのだろうか?

アクセスしたときに出るエラーメッセージ+Feedly で検索をかけるといくつか同じような現象を報告するブログが見つかるが、ワタシと同じ現象そのものではないようだ。

ポイントは以下の3点だろうか。

  1. Feedly の他ユーザのところでも note のサイト更新が取得できない現象は出ているか?
  2. この現象の原因は Feedly にあるのか、それとも note(が出力するRSS)か?
  3. (2の答えを踏まえて)現状を改善する方法はあるか?

もうナウなヤングが RSS リーダーなど使わなくなっていると聞いて久しいが、もしこのブログを読んでいる Feedly ユーザの方がいたら、状況を教えていただきたい(同じく RSS リーダの Inoreader ではこの現象は出ていない模様)。もちろん即効で問題が解決する方法をご存知の方もよろしくお願いします。

この現象が一時的なもので、放っておいてもじきに解決するのであればよいのだが……。

[2021年12月15日追記]:当方では特に何もしていないのだが、本エントリ公開後 note で Unreachable のサイトが徐々に減っていき、先ほど確認するとゼロになっていたので、本件は解決したものと思われる。

使用料無料で何千もの曲を公開し続ける知られざる音楽家ケヴィン・マクロード

皆さん、ケヴィン・マクロード(Kevin MacLeod)という音楽家をご存知だろうか?

恥ずかしながらワタシは知らなかった。そのケヴィン・マクロードのドキュメンタリー映画 Royalty Free: The Music of Kevin MacLeod が作られている。

このトレーラーの冒頭、ケヴィン・マクロードは「インターネットの聖マーティン」と称えられている。彼は何者なのか?

このドキュメンタリー映画の宣伝文句は、「一人の音楽家、何千もの曲、何百万もの動画、そして何十億もの閲覧数についてのドキュメンタリー」である。それだけケヴィン・マクロードは多産な音楽家であり、その音楽は広く利用されている。

しかし、彼の名前を知る人は少ない。なぜか? 映画のタイトルの通り、彼の音楽は「著作権使用料無料」であり、彼は自分が作った音楽から巨万の富を得たわけではないからだ。

ウェブ黎明期の1996年、作曲に興味があったソフトウェアプログラマのケヴィン・マクロードは、incompetech というウェブサイトを立ち上げた。仕事で作った音楽がボツをくらったため、誰かに聞いて使ってもらいたいと無料で利用できるよう音楽をウェブサイトに公開するようになった。そうか、彼はワタシと一歳違いで同年代なんだな。

それから20年の時が経ち、彼が作り、クリエイティブ・コモンズの(もっとも利用に関する条件が緩く、きちんとクレジットすれば商業利用も改変も可能な)表示ライセンスの元で無料で公開される楽曲は何千にもなり、そしてそれは数多くの動画で使用されるまでになった。

彼の作品は人気ゲームやハリウッド映画やテレビ番組などいろんなもので使われており、実はバッハやモーツァルトベートーヴェンと並んでもっとも音楽がかかる場所で聞かれているらしい。

また彼は FreePD.com というパブリックドメインCC0)の音楽を集積するサイトも作っている。筋金入りですな。

いやはや、このブログの読者ならご存知のように、ワタシはこれまで Creative Commons 関係のニュースを好んで紹介しており、その過程でケヴィン・マクロードの名前にも音楽にも触れているはずだが、恥ずかしながらいずれも認識してなかった。

ただ「マクロード」という苗字には何か覚えがあり、ブログを検索してみたら、『表現の自由vs知的財産権著作権が自由を殺す?』(asin:4791762045)の著者がケンブリュー・マクロード(Kembrew McLeod)だった(参考:『表現の自由vs知的財産権』の著者がデジタルサンプリングの困難をテーマにした『Creative License』)。問題意識も近そうだが、親類というわけではないんだろうな。

手っ取り早く彼の音楽を聴きたい人は、彼の YouTube チャンネルからどうぞ。

ネタ元は Boing Boing

米国のクリーンエネルギー移行に現実的なヴィジョンを示すソール・グリフィス『Electrify』

doctorow.medium.com

コリイ・ドクトロウの書評で知ったが、Rewiring America の共同創始者として知られる発明家、起業家ソール・グリフィス(Saul Griffith)が Electrify という本を出していた。

タイトルの "electrify"は、「電力を供給する」の他に「あっと驚かせる」という意味もあり、おそらくはそのダブルミーニングを狙ったものでしょう。気候変動と戦う楽観主義的な、しかし同時に現実的で地に足のついた行動計画を示しながら、新たな雇用とより健全な環境を創出しながらすべてを電化していこうというわけですね。

今年はとにかく気候変動や、それに起因するエネルギー問題についての報道を目にすることが多かった。その潮流を受けた科学本は既にいくつも出ているが、本書は我々が抱える問題の技術的なパラメータやいろんな解決策を提示し、妥当っぽいものからバカげたものまでを選別し、その中で最良の提案を達成する実用的なプランを明確にする工学書だとコリイ・ドクトロウは評価している。

yamdas.hatenablog.com

ワタシのブログでグリフィスの名前が出てくるエントリとなるとこれで、要は彼はティム・オライリーの義理の息子になるんですね。「今後20年間に生まれる気候変動億万長者は、インターネットブームで生まれた億万長者よりも多いだろう」と予言するオライリーのエネルギー分野のブレーンなんだろうな。

以下、ティム・オライリー『WTF経済』の426-427ページから引用する。

 これは工学や材料科でも成り立つ。ソール・グリフィスの発言を思い出そう。「我々は物質を数学に置きかえるんだ」。ソールの会社のひとつ、サンフォールディング(Sunfolding)社は、大規模ソーラーファームに太陽追尾システムを販売している。これは鋼鉄、モーター、歯車を、ペットボトルと同じ産業グレードの材料から作られた重量も費用もはるかに小さい空気圧システムで置きかえるものだ。別のプロジェクトは、天然ガス備蓄用の巨大なカーボンタンクを小さなプラスチック細管からできた腸管のようなものに置きかえ、天然ガスのタンクをどんな形にもできるようにして、タンク全体が一気に破裂するリスクも減らす。物理学をきちんと理解するなら、確かに物質を数学に置きかえることは可能なのだ。

このあたりを読むと、確かに理論的、工学的な裏付けのある本を書ける人だろうなと思う。

マリアナ・マッツカートやケヴィン・ケリーといったこのブログでもなじみのある人も推薦している。

ただまぁ、当然ではあるけれども、この本の議論は基本的にアメリカを対象としており、極東の島国の状況とは前提から規模から違う話が多いから、そのまま翻訳しても難しいかもしれない。

この翻訳家がすごい! 2021年版

今年ブログで新刊本を取り上げていて、この本もこの人が訳しているのかと思うことが何度かあり、まとめておこうと思った次第。

翻訳数が多いだけではなく、自分のアンテナにひっかかる本が多い、というのがポイントになる。ワタシの場合、どうしてもフィクションよりもノンフィクションになるので、例えば海外文学好きの人が選べば、また違ったチョイスになるだろう。

これだけの仕事量をこなすとはすごいなぁ、と素直に驚いたから取り上げるだけで、別に数が多ければ偉いと言いたいわけではないので念のため。

関美和さん

本ブログで取り上げただけでもジョン・キャリールー『Bad Blood』ジェフ・ベゾス『Invent & Wander』を手がけているが、それを含めて今年刊行された本では、なんと6冊に(共)訳者として名前を連ねている。

今年最後に刊行されるのはマリアナ・マッツカートだが、ワタシが3年近く前に取り上げた『The Value of Everything』ではなく、その次作の翻訳か。ローマ教皇が推薦の言葉ってマジかよ!

千葉敏生さん

本ブログで取り上げただけでもスコット・バークン『デザインはどのように世界をつくるのか』ジャネル・シェイン『おバカな答えもAIしてる』グレッチェン・マカロック『インターネットは言葉をどう変えたか』を手がけているが、それを含めて今年刊行された本では5冊手がけており、しかもすべて訳者としてのクレジットは千葉さんお一人!

さらには来年の2月には早くも2冊の訳書の刊行が予告されている。どんだけの仕事を平行してこなされているんだ……。

野中モモさん

やはり広義のテック関係の本の紹介が多い本ブログでは取りこぼしがちなのだけど、野中モモさんが今年3冊の訳書を刊行するのに目を見張る。訳された本のテーマも50人の女性シリーズをはじめ一貫していて、それにも野中さんの強い意志を感じる。

野中さんとワタシは同年だが、それこそ自分がウェブサイトを始めた頃からずっとあこがれの存在なので、多くの女性たちをエンパワーするであろう野中さんの仕事を称える機会を持てること自体嬉しい。

ラストナイト・イン・ソーホー

以下、公開中の作品の結末まで触れているので、ネタバレを気にする人はご注意ください。

エドガー・ライトの新作というだけでも観に行く理由になるが、主演が『ジョジョ・ラビット』のトーマサイン・マッケンジー『クイーンズ・ギャンビット』のアニャ・テイラー=ジョイということでとても楽しみで、公開初日に観に行った。

やはり、この主役二人がとても素敵だったなぁ。彼女たちの対比が絶妙というか。トーマサイン・マッケンジーは後半ほぼタヌキメイク状態になっちゃって少し損しているが美しいし、アニャ・テイラー=ジョイという人のユニークな容姿は本作でも力を発揮している。ワタシが最初に観たこの人の出演作は『スプリット』のはずで、その時点でとてもうまい役者だったと思い当たるが、本作でも強い目力で60年代の歌姫を目指す役柄をものにしている。

エドガー・ライトの前作『ベイビー・ドライバー』は車×音楽映画としては文句なしだったが、主人公の恋愛に関する筋立てが好みでないのが個人的にマイナスだった。彼の作品ではやはり、サイモン・ペグ×ニック・フロストと組んだ『SPACED 〜俺たちルームシェアリング〜』並びに「スリー・フレーバー・コルネット3部作」が好きで、コメディの作り手というイメージがある。

60年代のスウィンギング・ロンドンの光と闇が主人公の現実に侵食する本作は、サイコホラーに分類されるのだろうが、ライトの映画オタクとしての引き出しの多さがいかんなく発揮されていて、目覚ましを使った恐怖描写など楽しんで演出したんだろうなと想像する。本作はいささかとってつけたようなハッピーエンドで終わるが、これも彼の考える「ホラー映画的ハッピーエンド」の型なのかもしれない。

また本作でも音楽の使い方がうまくて、というか60年代ポップ鳴りっぱなしなのだけど(アニャ・テイラー=ジョイによるペトラ・クラーク「恋のダウンタウン」のアカペラも素晴らしい!)、そういえばジョージ・ハリスンがカバーして全米1位のヒットとなった「セット・オン・ユー」の原曲を映画で聴けるとは思わなかったな。クライマックスで使われるのがダスティ・スプリングフィールドというのがポイントなんでしょうな。

またそれとも関連する意味で、夢を抱く女性を食い物にする男たちが本作のホラーの源泉となるのも時宜を得ており、無駄なカットが一切なく、2時間弱にまとめているのも良い。クライムアクションの『ベイビー・ドライバー』で商業的に大成功した後に、映像作家として幅を見せつけるサイコホラーの本作をものにしたことで、エドガー・ライトは当代を代表する名監督のリストに仲間入りしたのではないか。

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