当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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WirelessWire Newsブログ更新(ある「パソコンの大先生」の死)

WirelessWire Newsブログに「ある「パソコンの大先生」の死」を公開。

前回の更新時、「次回の WirelessWire 原稿はひと月後といかない可能性が高く、最悪一回飛ばしになるかもしれない」と書いたが、なんとか7月中にあげることができた。

超絶的な恥さらし文章だが、伊藤祐策さんを差し置いて「パソコンの大先生」を名乗って申し訳ない。

しかし、まさにこの文章に書いた事態となり、大変なことになってしまった……というか問題の多くは解決しておらず、現在進行形だったりする。そのような状態なので、次回の原稿は一月後といかないかもしれない。

なお、冒頭に引用しているガブリエル・ガルシア=マルケスの短編だが、本当はもう少し後のひどく暗いくだりを引用したかったのだが、趣旨を理解してもらえないかもしれないと思いなおして分かりやすい箇所を引用した。

実際に「愛の彼方の変わることなき死」を読んだ方ならお分かりだろうが、これは一種のギャグである。

ウィキペディアの「長期にわたり荒らし行為を行っている利用者リスト」が面白い

boingboing.net

この記事を読んで、Wikipedia長期にわたり荒らし行為を行っている利用者リストを管理しているのを初めて知った。

これを見ると、音楽に関するページに架空の情報を執拗に追加しようとする人や、軍用機に関して出典なしに好き勝手書こうとするなどいろんな人がいるんだな、そしてそれをよくここまでリスト化したものだと呆れてしまう。Boing Boing の記事タイトルにある「哀れなスーパーヴィランの名簿」というたとえに苦笑い。

……と思ったら、このページ日本語版もあるな。はてなブックマークを見ると、ワタシが知らなかっただけで、10年以上前から一部では有名なページらしい。

日本語版は逆時系列かつアルファベット順のため、(本文執筆時点で)リストの一番上に名前が載っている人が「自称「禁煙ファシズムと戦う会代表」の小谷野敦」で、思わず「うっ」と声をあげてしまったよ……まさかこんなところで著名な方の名前にでくわすとは。

『AMETORA』のデーヴィッド・マークスの新作は「社会階級とファッション」がテーマ

whyisthisinteresting.substack.com

思い切り旧聞に属するが、今年の1月に Boing Boing 経由でこの記事を知り、かの『Whole Earth Catalog』が日本の雑誌文化に影響を与えていたなんて面白い話じゃないか! とこのブログで紹介しようかと思ったが、よく読んだらこれはデーヴィッド・マークス『AMETORA(アメトラ) 日本がアメリカンスタイルを救った物語』(asin:4866470054)からの抜粋じゃないかと気づいたことがあった。

少し前に、まったく別口でまた『AMETORA』のことが引き合いに出されている記事を読み、そういえばこれの著者は今何しているのだろうと調べてみたら、新刊 Status and Culture が来月出るのを知った。

これは現代社会におけるアイデンティティがどのように形成されるか、文化がどのように機能するのか、人間の行動様式の変化と定着についての本のようだ。

さらに調べてみると、著者の W. David Marx の面白いインタビュー記事「W. デーヴィッド・ マークスと朝食を」を見つけた。

第一作が日本を舞台にし、また現在まで住んでいるのもあって、日本についてのコメントは的確としか言いようがない。

単にもう若者がいない。それに金もない。2000年頃から所得が下り坂なんだ。僕は2004年にブログを始めてから、日本が衰退して終末を迎えるとしか思えなくなった。僕の理論だと、日本のファッションや音楽があれほど素晴らしかったのは、末端に至るまで潤沢な資金が注がれたから。80年代のバブル経済が金の爆発だとしたら、90年代はセンスの爆発だった。そこから2000年代の消費トレンドを見ると、「うわ、もう誰も何も買ってない。一体どういうことなんだ?」って感じだったよ。表参道へ行っても「これじゃ無理だ。こんな調子じゃやっていけない」と思わずにはいられなかった。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/breakfast-with-w-david-marx

そして、彼は続けてこう語っている。

ひとつ僕が予測できなかったこと、僕の大きな誤算だったのは、外国人旅行者の増加。特にアジアからの旅行者が増えたおかげで、そういう場所が生き延びる資金が入ってきたんだ。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/breakfast-with-w-david-marx

この記事には日付がないので、このインタビューがいつ行われたものか分からないのだが、その望みの綱の「外国人旅行者の増加」も、ご存じの通り、コロナ禍で全部吹っ飛んでしまった。このインタビューは、そのコロナ禍前の観光都市東京の雰囲気も伝わる。

そして、このインタビューで新刊の内容についても語っている。

ポップ カルチャーの一般理論を説明して、消費者が購入する商品を決めるときの基本原則と消費者の決定が集合してトレンドが生じる流れを、段階を追って検証するつもりなんだ。ドイツの社会学ゲオルク・ジンメル(Georg Simmel)が早くから解明していたのは、人との違いを表すためだけじゃなくて、自分がなりたいと思う人と同じになるために、ファッションが機能すること。ジンメルの時代には、ファッションは社会経済的な階級と結びついていたんだ。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/breakfast-with-w-david-marx

現代では、ファッションが関連するのは単に階級だけじゃない。その上、幅がある。すごく模倣的な人もいれば、すごく個性的な人もいるけど、全員がその振れ幅のどこかに存在してる。そういう差異化/同調化の法則を拡大すると、ポップ カルチャーの仕組みも説明できるんだ。僕がやろうとしてるのは、それを使って、あらゆる法則を系統的に説明すること。数学の証明のパロディみたいだけど。

https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/breakfast-with-w-david-marx

著者は新刊について、トム・ヴァンダービルト『ハマりたがる脳──「好き」の科学』に近いと語っている。

今回の新刊は、日本は舞台とはなっていないと推測されるが、果たして邦訳は出るのでしょうかね。

ジェームズ ネスター『BREATH──呼吸の科学』が既に出ていた

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)で取り上げた James Nestor『Breath』の邦訳が『BREATH──呼吸の科学』として6月に出ているのをいまさら知った。

原書の刊行は2020年5月で、COVID19 のパンデミックより前に書かれた本だが、この2年あまり、我々は図らずもこの「呼吸」の重要性を思い知ったわけである。

ワタシ自身、この本が扱う現代病の(少なくとも)ひとつを抱えており、本書の内容は他人事ではないのである。

こういうノンフィクションも、当たり前のように早川書房が持っていくようになったなー。

もっとも影響力の大きい25のミュージックビデオ

www.yardbarker.com

もっとも影響力の大きい25のミュージックビデオを紹介するページで、ありがちな企画といえるが、1980年代という MTV の時代にティーンエイジャーだったロック年寄り的にはこういうページは読んでしまうわけである。

誰もが取り上げるマイケル・ジャクソンやマドンナといったビッグネームのビデオはシカトさせてもらい、それ以外でいくつか取り上げておく。

まずはボブ・ディランの "Subterranean Homesick Blues"。

これが作られた当時、ミュージックビデオ、プロモーションビデオという概念自体あったのかも分からないが、紙に書かれた歌詞をどんどん見せていく手法は斬新で、多くのパロディを生んだ元祖に違いない。

次はバグルスの "Video Killed the Radio Star"(ラジオスターの悲劇)。

今これを単体で見てもなんとも思わないが、MTV の開局時にこの「ビデオがラジオスターを殺した」というタイトルの曲が一番最初に流れたというのはあまりに象徴的というか出来すぎである。

お次はトーキング・ヘッズの "Once in a Lifetime"。

日本人的には、このビデオのバックに竹の子族の映像が流れ(デヴィッド・バーンのダンスに影響を与え)ているのに目がいくが、トーキング・ヘッズニュー・オーダー、そしてユーリズミックスこそ、1980年代一貫して優れたビデオを作り続けた3大バンドとワタシは思うのよね。

お次はハービー・ハンコックの "Rockit"。

この曲は、このエントリの下で名前が出てくる OK Go のダミアン・クーラッシュの人生を変えた曲なのだけど、この曲のヒットにビデオの果たした役割も大きかったろう。

80年代最高のビデオ作家ゴドレイ&クレームの作品でリスト入りしているのはこれだけかな。

続いてはダイアー・ストレイツの "Money for Nothing"。

この曲には何重にも皮肉がある。この曲はマーク・ノップラーとスティングの共作だが、スティングが歌う "I want my MTV" というフレーズは MTV 開局時のキャッチフレーズで、この曲自体 MTV 批判だったりする。しかし、その曲が MTV アウォードで「ビデオ・オブ・ジ・イヤー」賞をとってしまったという第一の皮肉。そして、いまこのビデオを見ると、当時斬新と言われたコンピュータアニメーションが全然すごく見えないという第二の皮肉。

そして、第三の皮肉として、今ではこの曲のオンエア自体が論議を呼ぶこと。なぜか?

上でこの曲は MTV 批判と書いたが、曲の歌詞は家電を配達する労働者の視点から書かれている。そして、その中で faggot という単語が複数回出てくる。この単語があるため、現代イギリスでもっとも人気のあるクリスマスソングである "Fairlytale of New York" のオンエアが近年問題となる話は、北村紗衣さんの文章に詳しい。

"Fairlytale of New York" に登場する faggot は、北村さんが解説するように、この曲が書かれた当時のイギリスでは同性愛者に対する差別的な表現では必ずしもなかったのが議論をややこしくしているのだが、それより前に発表された "Money for Nothing" における faggot は、はっきり同性愛者差別的な用法だとワタシは考える。

しかし、である。ワタシ自身はそれでもこの曲は(オンエアするなら)そのままオンエアすべきと考える人間である。つまり、1980年代の労働者階級の人間が、MTV に出てくるヘアメタルのバンド(一説にはモトリー・クルーがモデルとされる)を見て、「なんだぁ、この長髪の連中は。カマ野郎かよ」と悪態をつく感じをリアルに表現しているからだ。

まぁ、自分のそういう価値観が多数派ではないのは理解していますが。

さて、続いてはピーター・ガブリエルの "Sledgehammer"。

このビデオについてはおよそ10年前に書いており、基本的な考えは変わっていないが、当時「史上最高のビデオ」と判で押したように言われたこのビデオも、さすがに同じように言う人は少ないだろう。それはこの数十年の映像技術の進歩が大きいが、それでもこのビデオの持つ不気味さは今なお新鮮さを保っている。

ここからは1990年代で、ニルヴァーナの "Smells Like Teen Spirit"。

以前何かでこのビデオの監督の話を読んだことがあり、最初チアリーダーをはじめエキストラはいかにもつまんなそうにして、後半ノッてくる感じにしたかったのだが、この曲を流すと皆が恐ろしくエキサイトしてしまい、監督はメガホンで「お前ら静かにしろ!」と叫びまくらなければならなかったという。

昨年、デイヴ・グロールがこの曲の印象的なイントロのドラムの元ネタがディスコなのを明かして話題になりましたね。

続いてはビースティ・ボーイズの "Sabotage"。

このリストでは、この曲とウィーザー"Buddy Holly" という2曲のスパイク・ジョーンズの監督作が選ばれているが、のちに Directors Label の元にまとめられる監督の作品(asin:B0000TXOHWasin:B000AC8OVK)では、ジョーンズの作品しか入ってないのはこのリストのダメところ。

そして、ワタシ的にはスパイス・ガールズの "Wannabe" は外せませんね。

冗談や皮肉ではなく、ワタシはこのビデオが今でも大好きである。

このビデオは厳密には一発撮りではないが、その範疇で優れているというのもあるし、いま見ると問題になるところを含め、デビュー当時のスパイス・ガールズの狂気をとてもよく表現しているからだ。

そして、最後は OK Go の "Here it Goes Again"。

「もっとも影響力の大きいミュージックビデオ」リストの最後が2006年で終わるのに文句がある人もいるだろうが、OK Go のこれは今見ても素晴らしいと思う。

まぁ、ワタシは今でも彼らのもっとも優れたビデオは製作費がほとんどかかっていない "A Million Ways" だと思うが、一発撮りビデオで一躍有名になってしまったため、その後のビデオ制作のハードルが上がりまくり、バンドもそれを逃げずに果敢に挑戦したのはアッパレな話だと思う。

リコリス・ピザ

多忙によりひと月以上映画館に行けなかったのだが(そのため WirelessWire 連載も……)、ようやくひと段落したので、以前から楽しみだったポール・トーマス・アンダーソンの新作を観に行った。

タイトルからピザ屋が主要な舞台なのかと思ったら、全然違った。「リコリス・ピザ」とは、レコードチェーンの名前らしい(が、劇中その店は出てきたっけ?)。本作は1973年のロサンゼルスが舞台となっており(1973年のピンボール!)、主人公である高校生のゲイリー・ヴァレンタインは、年齢設定上、ポール・トーマス・アンダーソン当人とは10歳以上差があるが、舞台設定からしてパーソナルな作品なのは間違いない。

そのゲイリーを演じるクーパー・ホフマンは、もう一人の主人公であるアラナ・ケインを演じるアラナ・ハイムが20代半ばでもおかしくないのに対して、10代半ばには見えなくて個人的には違和感があったが、鑑賞後調べてみたら彼はまだ10代で、撮影時期を考えたら全然おかしくなかった。すいません。

ポール・トーマス・アンダーソンとハイムと言えば、Summer Girl のビデオでもとても良い感触があったが、本作はとにかくアラナ・ハイムの演技が素晴らしくて(しかし、ハイム一家全員登場とは思わなかったな)、彼女の演技の魅力が作品の魅力に直結している。

一方でクーパー・ホフマンには、ワタシはどうしても点が辛くなってしまうところがあり、それは彼の父親であるフィリップ・シーモア・ホフマンがワタシにとって大きな存在であることの裏返しでもある。本作は今どき珍しいくらいの「ボーイ・ミーツ・ガール」映画だが、主人公であるゲイリーのイヤなところも描かれており、それをちゃんと見せているのはクーパー・ホフマンの貢献なのだろう。

しかし、何度も書くが、本作はアラナ・ハイムが素晴らしい映画である。

本作には、明らかにウィリアム・ホールデンを模した人物をショーン・ペンが演じており、そこに現れる映画監督役のトム・ウェイツのいかにもらしい曲者ぶりとあわせて当時の男性性のはた迷惑ぶりを体現しているが、そうした故人を一応は架空の人物にしている一方で、存命のジョン・ピーターズは実名で、しかも当時の彼のパートナーであるバーブラ・ストライサンドの名前に執拗に言及する必然性がワタシには正直よく分からんかった。

そうした登場人物の佇まいもあるし、1970年代前半の描写が見事な作品である。音楽もとても気持ちがよいのだが(ある場面で、えっ、これ "Breathless"? と思ったら、やはりトッド・ラングレンで嬉しくなった)、本作をみていて思い出したのは、少し前に書いた以下のエントリである。

yamdas.hatenablog.com

なんというか『アベンジャーズ/エンドゲーム』とは違った意味で、「アメリカ映画」の黄昏、ひとつの終わりの季節みたいなものを感じてしまった。

あと本作について、日本人の英語をバカにしている場面が問題になっているという話を小耳に挟んでいたが、もうそういう難癖やめろよな。

それにしても本作は、主人公二人が走る場面が多い。「主人公が走る画がよく撮られた映画に悪いのはない」とワタシも昔書いており、それは本作にも当てはまるが、主人公二人の恋愛って、かなり吊り橋効果的と思ってしまったところもある。

エルヴィス

本作の予告編を映画館で観たとき、「今更エルヴィス・プレスリーの伝記映画?」と思ってしまったところがあり、しかも監督がバズ・ラーマンというので、これは観に行くことはないなと決めつけていた。

バズ・ラーマンというと、とにかく装飾過多のイメージがあり、彼の出世作『ロミオ+ジュリエット』は割と好きなのに(クレア・デーンズが主役なので)、なぜかその後の彼の映画はすべてパスしてきた。まさに食わず嫌いですね。

しかし、「宇野維正のMOVIE DRIVER」第2回を見て、これは観るべきかと考え直し、『リコリス・ピザ』の翌日に出向いた。

本作はエルヴィス・プレスリーの黒人音楽との関わり、特にブルースのダイナミズムがちゃんと描かれており、BGM で当たり前のようにラップも入るあたり巧みだし、何より選曲がとてもよく考えられており、音楽映画としてしかるべき迫力がある。

宇野さんが言及する、プレスリーを糾弾したパブリック・エナミーの "Fight the Power" のリリックについては、ワタシ自身は当時もそれはあまり真に受けてなかった。ただエルヴィスが歌った曲の原作者がしかるべき報酬を得なかったというのはずっと引っかかっていたし、個人的にはオーティス・ブラックウェルの『These Are My Songs!』(asin:B001LIM9EA)を初めて聴いた時のショックは忘れられない(このタイトルが何を意味しているかは言うまでもないですよね?)。

ただ、それってエルヴィス個人が悪いんじゃないのよね。本作にはエルヴィスの黒人音楽へのリスペクト、というかそれをいかに自然に体現したかが描かれている。「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれるのに対して、「彼こそが本当はそうなんだよ」とファッツ・ドミノに言うシーンは、他の黒人ミュージシャンの描写と比べて言い訳的にも見えたけど。

そうした意味で、エルヴィスの人生における「搾取」を体現するのがトム・パーカー大佐なのだが、この悪役をトム・ハンクスが見事に演じていて、さすがとしか言いようがない。

本作のエルヴィスは割と一貫して悩みを抱えているように感じたが、母親とのくだりは少し前に観た『jeen-yuhs』第一部のカニエ・ウエストにドンダさんが語りかける場面を思い出したりした。

最後の最後にエルヴィス本人を晩年の映像に頼ってしまうところに弱さを感じたが、それでも21世紀の今によくぞこれだけエルヴィスについて正面から映画を作ったものだとは思った。

シャノン・マターン『都市はコンピュータではない』はやはり邦訳が出るべきではないか

opensource.com

夏休みに読む本をお勧めする、よくあるサマーリーディングリスト企画を Opensource.com がやっているのだが、意外にもオープンソースに直接関係ない本も多い。

個人的には以前もここで取り上げたシャノン・マターンの A City Is Not a Computer がリスト入りしているのが目をひいた。

yamdas.hatenablog.com

これをお勧めしている Scott Nesbitt は、近頃なんでもスマート化と言われ、それが都市にも及んでいるが、スマートシティは市民によりよいサービスを提供するのが目的なはずなのに、市民が都市の統治に積極的に参加するのを推奨するのでなしに、「テクノクラート的管理主義と公共サービスを融合し、市民を「消費者」や「ユーザ」として再プログラムするのを目的としている」と書いている。

これはやはり邦訳が出るべき本だと思いますね。話が既にどこぞの版元で進んでいればいいのだけど。

このリストでは7冊の本が挙げられているが、邦訳があるのはトレイシー・キダー『超マシン誕生』くらいかな? これは文句なしに今でもワタシもおススメします。

他には、Kevlin Henney による『プログラマが知るべき97のこと』の続編といえる 97 Things Every Java Programmer Should Know がおよそ2年前に出ているのを知った。これはさすがに邦訳出るんじゃないかな。

他には、『グリッドロック経済』(asin:4750515639)の邦訳があるマイケル・ヘラーの新刊(共著)Mine!: How the Hidden Rules of Ownership Control Our Lives が出ているのもこれで知った。

ジミー・ウェールズが立ち上げた広告モデルに依存しないSNSが苦境にあるようだ

tech.slashdot.org

Wikipedia の共同創始者であるジミー・ウェールズが立ち上げた WT.Social(WikiTribune Social)は広告モデルに依存しない SNS を掲げているが、資金が大幅に不足しているとユーザに寄付を求めている。

ふーん、そんなのやってたんだ……と念のため、自分のブログを検索したら、2019年の立ち上げ時にワタシも取り上げてましたね。

yamdas.hatenablog.com

まだ3年も経たないのに忘れるとはひどい話だが、その後、ほとんどネットで話題にもなってないみたいだし、それもむべなるかなというのが正直なところ。

立ち上げ当初は、「当然、私が望んでいるのは5万人でも50万人でもなく、5000万人、5億人だ」とジミー・ウェールズも強気にぶちあげていたが、現在のユーザ数は50万人足らずで、全然足りてない。

www.wired.co.uk

SNS をスイッチするのは国境をこえるのよりも難しい、という問題がここでも大きな壁になっているわけだ。

だからこそ、上場以降も大して利益をあげてない Twitterイーロン・マスクが買収すると言っただけで大騒ぎになる。現実は、さんざんかき回した挙句、イーロン・マスクTwitter に買収合意打ち切りを通告したが、マスクのテスラ株売却の隠れ蓑にされただけという話がおそらくは当たっているのではないか。Twitterリストラを断行したりスパムアカウント削除に努めたのに残念でした。

それはともかく WT.Social は飽くまでジミー・ウェールズのプロジェクトであり、ウィキメディア財団が手がけるプロジェクトには含まれないが、それらのプロジェクトを支える広告フリーで寄付に頼るモデルは、SNS に適用するにはまだ難しすぎるのだろうな。

ロバート・フリップの初の著書『The Guitar Circle』が9月に刊行される

www.dgmlive.com

ロバート・フリップ御大が初の著書 The Guitar Circle を刊行する。

The Guitar Circle

The Guitar Circle

Amazon

彼のファンならそのタイトルを見ただけでピンとくるだろうが、この本はロバート・フリップが90年代から取り組んできたギター教室である Guitar CraftWikipedia)についての本である。

書名の The Guitar Circle は、Guitar Craft の現在の名前なんですね。今年も8月に開催予定である。

Guitar Craft からは、後にキング・クリムゾンのメンバーにもなるトレイ・ガンカリフォルニア・ギター・トリオを輩出している。これに参加すると、ギター初心者でもコースが終わる頃にはロバフリの変則チューニングでロバフリ奏法ができるようになるという話を昔のロキノンで読んだ覚えがある。

ロバート・フリップ並びにギター・クラフトに取材した本ではエリック・タム『ロバート・フリップキング・クリムゾンからギター・クラフトまで』(asin:479660653X)があるが、やはり御大自身による本となると決定版といえる。

しかし、フリップ先生もトーヤさんと夫婦漫談シリーズをやるだけでなく、真面目な仕事にも取り組んでいたんだなと再確認できるが、一方でトーヤさんとその夫婦漫談シリーズ「Sunday Lunch」のツアーを来年開催とのことで、さすがにワタシもこのニュースには頭を抱えてしまった。日本にも来るんだろうか……。

2022年上半期にNetflixなどで観た映画の感想まとめ

2021年上半期下半期Netflix で観た映画の感想まとめをやったので、今年の上半期もまとめて書いておきたい(まだ数日残っているが)。

今回、「Netflixなど」となっているのには理由があるが、それについては後述する。

jeen-yuhs カニエ・ウェスト3部作(公式サイトNetflix

この計4時間半に及ぶ三部作を「映画」ととらえていいのか正直分からないのだが、まぁ、ドキュメンタリー映画ということで。ワタシは必ずしもカニエ・ウェストの熱狂的なリスナーではないが、『Donda』まで結局ずっと作品は聴いてきたわけで。

三部作ということで、こってり彼のキャリアを追ったものかと思いきや、第一部はラッパーとしてレコード契約を果たすまで、第二部はデビューして『The College Dropout』が成功を収め、グラミー賞受賞まで、そして第三部はそれ以降、という単純にキャリアを三分割したものではまったくない。でも、それがいい。

その理由は、まぁ、観て下さいとしかいいようがないのだけど、ワタシはヒップホップの世界を分かってないからだが、売れっ子トラックメイカーでプロデューサーでも軽くみられるので、とにかくカニエがラッパーとしてのデビューを必死に目指すあたりにそんなものなんだ、と思ったりした。

第一部では彼の母親のドンダさんが地に足のついた言葉で温かくカニエを諭す場面がすごい説得力で、彼女を喪ったカニエの迷走をみるにつけ、彼女に代わって彼にそうした言葉をかけられる人間はいないんだろうなと思ってしまった。

第二部の最後あたりに既にその兆候があるが、第三部にいたって、本作の監督であるクーディと乱気流ライフの色を濃くしていくカニエの間にどんどん距離ができるあたりの描写がなんとも切ないものがある。

第二部あたりまでがとにかく濃密というか、とにかく21世紀のヒップホップ史に残る映像というか、歴史的な面々が当たり前のようにさらっと映り、カニエと軽口を交わしてたりしてるんだよな。すごいよね。


ようこそ映画音響の世界へ(公式サイトNetflix

これはコロナ禍のために映画館で観れなかったので、Netflix に入っていると知って喜んで観た。

が、実はワタシはこれを「映画音楽」についての映画だと勘違いしていた。飽くまで「映画音響」の映画なんですね。

まぁ、ためになったのは間違いないのでよしとする。映画における「音」は、Voice、Sound Effects、Music の三つからなるわけだが、その信頼の輪の重要さを再確認。

もっとも近年は役者の台詞が聞き取りづらいというのも言われるが、映画におけるより良い「音」の追求も進んでほしいですな。


パワー・オブ・ザ・ドッグ(Netflix

オスカー最有力と言われながら、みんな大好き『Coda コーダ あいのうた』にもっていかれちゃった映画である。

しかし、Netflix はなんで『ROMA/ローマ』といい、『アイリッシュマン』といい、本作といい、映画館で観るべき、しかし、あんまり好感度の高くない映画ばかり力を入れるのか。

本作には嫁入り苦労譚なのだが、映画的にはベネディクト・カンバーバッチとコディ・スミット=マクフィーの絡みがすべてというか、キルスティン・ダンストはすっこんでろとしか思えなくて、本作はあまり高く評価できない。のだけど、同性愛の色濃い文芸映画かと思ったら、サイコパスによる殺人の完遂をみせられるだけという肩透かし加減は面白く感じた。


私ときどきレッサーパンダ公式ページディズニープラス

事情があって、ひと月だけディズニープラスに加入した。が、『ザ・ビートルズ:Get Back』を観るだけでほとんど時間切れになり、慌てて最新のピクサー映画を観た次第である。

本作もコロナ禍のため映画館に観に行けなかった作品だが、正直まったく面白くなかった。

ピクサーには多大な信頼の蓄積があり、初めてアジア系の主人公というのにも興味があったのに、びっくりするくらいワタシには刺さらなかった。世評は非常に高いので、ワタシの感性がおかしいのだろうが、主人公やその家族にイライラしてしまってどうしようもなかった。

サマー・オブ・ソウル(あるいは、革命がテレビ放映されなかった時)(公式ページ

これも例によってコロナ禍のため、映画館で観れなかったので、ディズニープラスの契約期間終了間際に慌てて観た。

スティーヴィー・ワンダー、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ニーナ・シモンB.B.キング、グラディス・ナイト、ステイプル・シンガーズ……と書いていくだけでスゴい面々が参加したハーレム・カルチュラル・フェスティバルの映像が、同時期に開催されたウッドストック・フェスティバルと正反対に半世紀ほぼお蔵入り状態だったというのが信じられない。

参加したアクトそれぞれに立ち位置の違いがあり、スティーヴィー・ワンダーデヴィッド・ラフィンのようなアイドル期を終えたモータウン組、白人向け視されてたためこうしたフェスに出れたのがとにかく嬉しそうなフィフス・ディメンション、当時はまだグイグイ盛り上げるスライ&ザ・ファミリー・ストーン(しかし、この時点でもうドタキャンもおかしくない存在だったんだな)、そして明確に好戦的で攻撃的なニーナ・シモンが共存しているのが面白い。

この映像をまとめあげたクエストラヴに感謝したいが、よりにもよってアカデミー長編ドキュメンタリー映画賞を受賞というそのクラマックスといえる晴れの舞台を、クリス・ロックに台無しにされたのがひたすら気の毒でならない。


アポロ10号 1/2: 宇宙時代のアドベンチャーNetflix

リチャード・リンクレイターの新作ということで、これは観ないわけにはいかない! と意気込んで観たら……彼のアニメーション映画では『スキャナー・ダークリー』以来になるが、あれほどの痛切さはない。

タイトルからアポロ計画が絡むことは予想でき、それにフェリーニの『8 1/2』な捻りがあるんだろうと期待していたら、じきに宇宙の話は後ろに退き、それよりなによりリンクレイターの子供時代の描写が主眼の映画だった。ワタシはこうした昔のアメリカの少年時代を描いた作品とか好物なので、そうした意味で本作は楽しめたのだけど、本当に淡々とし過ぎなんだよな。

『スクール・オブ・ロック』『バーニー みんなが愛した殺人者』以来のジャック・ブラックの起用だが、声芸を発揮するチャンスもほぼない、ひたすら徹頭徹尾淡々としたナレーションで、言われなければ彼と気づかないくらい。

ジョン・ハンケが語るWeb3、ティム・バーナーズ=リーが懐疑的なブロックチェーン

www.techno-edge.net

さきごろ創刊したテクノエッジの最初の目玉コンテンツと言える Niantic のジョン・ハンケのインタビューだが、ワタシは IngressポケモンGOもまったくたしなまないという奇特な人間なので、そちら方面の話題には実は興味がなく、「メタバースはディストピアの悪夢です。より良い現実の構築に焦点を当てましょう。」の話も、まぁ、そうでしょうなという感じだった。

それならなぜこのインタビューを取り上げているのかというと、今月はじめに「Web3の「魂」は何なのか?」という文章を公開したワタシ的には、彼が Web3 についてコメントしているからだ。

彼はまず「わたしにとっては、Web3はすなわちブロックチェーン技術という意味です」と明確に語っており、オレオレ Web3 定義をかますことはないあたりさすがである。

もうひとつは、ウェブを非集権化 / 分散化すること。現在のウェブは、決済やアイデンティフィケーションについてとても集権化しています。App StoreGoogleログイン、Facebookログインのような、ごく少数のサービスに依存する仕組みです。

ブロックチェーン技術で決済を分散化する、つまり暗号通貨を使うのは分かりやすい例ですが、もうひとつ、いわゆるSSI (Self Sovereign Identity、 自己主権型ID)を可能にする使い方もあります。

Niantic創業CEOジョン・ハンケ氏インタビュー:『メタバースは悪夢』の真意とWeb3の可能性(後編) | TechnoEdge テクノエッジ

そしてやはり decentrization なんですよね。これもまた明快であり、ズレてない。そして、以下のくだりが個人的には最も興味深かった。

現在のようにGoogleFacebookなどにログインやアイデンティフィケーションを依存すると、多くの場合は行動履歴が収集・集約されることになり、プライバシーにとって良いとはいえません。現在の集権化したログインの仕組みでは、オンラインの活動を監視したり、履歴を蓄積してどんな人物かプロファイルを作ることができてしまう。SSIを使うことで、ユーザーはどの企業にどの情報を渡すか自分でコントロールできるようになります。

Niantic創業CEOジョン・ハンケ氏インタビュー:『メタバースは悪夢』の真意とWeb3の可能性(後編) | TechnoEdge テクノエッジ

当たり前のこと言ってるだけじゃん、と思われるかもしれないが、ジョン・ハンケはショシャナ・ズボフ『監視資本主義』において、「監視資本主義」の重要人物として糾弾に近い書かれ方をしていて、その彼が行動履歴とプライバシーの関係を語っているのが興味深かった。

ここで『監視資本主義』の書名をジョン・ハンケにぶつけたらさらに貴重なインタビューになったはずだが、日本のジャーナリストにそれができる人はいないか。

thenextweb.com

いっぽうで World Wide Web の発明者ティム・バーナーズ=リーは Web3 をこきおろしている。彼もビッグテックから人々の手にデータを取り戻すというビジョンは共有していて、それは例えば彼の以下の文章を読んでも分かるだろう(と翻訳の宣伝)。

しかし、彼はブロックチェーン技術には懐疑的だ。彼が推す Solid のプラットフォームなら、うまく機能しないブロックチェーンなしでも脱中央集権化したインターネットは可能だよ、というわけ。

ティム・バーナーズ=リーは偉大な発明者だが、近年手がけるものは Solid を含め成功と言えるものはないので、そうした意味では彼の未来予測の精度は高いとは言えないのだけど、加藤和良さんが「Re: Web3の「魂」は何なのか?」で紹介していた、ティム・ブレイ、ミゲル・デ・イカザ、コリィ・ドクトロウ、ブルース・シュナイアーといった錚々たる面々が署名した Letter in Support of Responsible Fintech Policy に彼の立場も近いのだろうな。

遂にLinuxカーネルにRust言語のコードが取り込まれるとな

venturebeat.com

Linux をてがけて30年経った今なお、リーナス・トーバルズは自身が作ったオープンソースオペレーティングシステムとそれがこれからもたらすイノベーションの見通しに夢中である」という文章で始まる記事だが、先日開催された Open Source Summit North America を取材した記事である。

いろいろ読みどころはあるだろうが、やはりもっとも目を惹くのは、「Rust is coming to Linux」の見出しである。

実は、ワタシもこの話題を何度かこのブログで取り上げている。

どうやら2022年が Linux カーネルにおける Rust 元年になりそうだ。

www.phoronix.com

こちらはその話題にフォーカスした記事である。2020年のときと同様、おなじみ Dirk Hohndel との対談でリーナス・トーバルズが、もう直近のリリース、つまりはバージョン5.20で Rust のインフラストラクチャが Linux カーネルにマージされるだろうよと語っている。

news.mynavi.jp

これまた先日公開された Stack Overflow の開発者調査でも、Rust はもっとも開発者に愛されるプログラミング言語、もっとも使いたい言語に選ばれており、Linux カーネルが受け入れるのも自然な時の流れなのだろうか。

ロバート・スキデルスキー『経済学のどこが問題なのか』が出ていた

yamdas.hatenablog.com

実に2年以上前にロバート・スキデルスキーの新刊を取り上げていたのだが、調べものをしていて、この邦訳『経済学のどこが問題なのか』が今月出ていたのを知る。

正直、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」で取り上げた本の邦訳が今頃出るとは思わなかったねぇ。

allreviews.jp

ALL REVIEWS で訳者あとがきを読めます。それで知ったが、彼の前作は今年文庫入りしてるんだね。

ヴェルナー・ヘルツォークが小野田寛郎を題材に小説を書いていた

www.openculture.com

恥ずかしながらワタシはこの記事で知ったのだが、ドイツを代表する映画監督であるヴェルナー・ヘルツォークが、初めての小説 The Twilight World を書いてたんですね。ドイツ語版から翻訳された英語版が出ていた。

近年もドキュメンタリーを撮ったり映画制作のオンライン講座で教鞭をとったり、精力的に活動しているのは知っているが、それでも80歳近くにして初めての小説とはすごいねぇと素直に思う。

で、気になるのは、この小説が「降伏を拒否した有名な第二次世界大戦日本兵」を扱ったものであること、そう、小野田寛郎のことである。

なんでもヘルツォークは1997年にオペラ(おそらく『忠臣蔵』だろう)の演出のため東京に滞在していたのだが、そこで会いたい人は誰かいるかと問われ、即座に小野田寛郎の名前を挙げたという(そのときはまだ彼は存命だったんだな!)。この小説自体、長年温めていた題材なのかもしれない。

小野田寛郎というと、昨年『ONODA 一万夜を越えて』という映画が公開されている。

小野田寛郎はいろいろと論議のある人物であり、なんで今彼なのかというのは思ったりするが、ヴェルナー・ヘルツォークの小説となればさすがに邦訳が出ると思うので、楽しみではある。

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