当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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長崎に移住した人のYouTubeチャンネル「長崎暮らし」を楽しく見ている

本ブログでは珍しく、個人の事情に寄った話をしたい。

皆さん、いろいろ贔屓の YouTube チャンネルがあるだろう。ワタシの場合、YouTubeネットラジオ代わりに音楽系のチャンネルを聴くことが多く、この期に及んでユーチューバーとか未だほとんど知らなかったりする。

www.youtube.com

そんなワタシだが、例外的に定期的に見ている YouTube チャンネルが「長崎暮らし」である。これを作っているのは、確か昨年に長崎に移住したしながわさん(@sho_mnmn_28)。

要はワタシが長崎出身だからなのだが、(「そう」が口癖の)しながわさんの街歩き動画がことごとくワタシの(帰省時の)生活圏内であるため、いつも楽しく見させてもらっている。

事情により比較的多めに帰省しているとはいえ、当然ながら日常生活は故郷から離れており、例えば今年であれば、このチャンネルの動画で長崎駅の変化を知ることができるなど実用的な面もある。

さて、せっかくなのでこのチャンネルからいくつか動画を選びたいと思うのだが、繁華街など観光客が行くスポットの動画をワタシが選んでも仕方がないので、それからは少し外れた、個人的にグッとくるニッチな動画を挙げておきたい。

これは長崎駅から長崎市街地を歩くものだが、実は途中までワタシが長崎駅から実家に帰るときに歩くコースほぼそのままで、つまり、この動画はすべてまんまワタシの行動範囲なのである。

またこの動画を見て、西勝寺が『沈黙 -サイレンス-』で重要な場面の舞台になったことを初めて知った(ロドリゴとフィレイラが再会するシーンのモデルになった寺らしい)。

この動画の前半は、ワタシの中学時代の帰宅コースそのものだったりする。懐かしい。

「道の真ん中に大木」というのに覚えがある人も少しいるかもしれない。これはかつてデイリーポータルZで、T・斎藤さん(@tsaito)が「長崎の巨木ロード」として取り上げている道である。

ワタシも車で通ったことはあるが、分かっていても巨木の左右どちらを通り抜けたものか一瞬悩んでしまう。

長崎というと平地が少なく坂ばかりというのは知られているが、ただ斜面地をくだるだけでなかなか趣のある動画が撮れてしまうのである。なお、この動画はワタシの高校時代の帰宅コースそのものではないが、それにかなり近い。

例えば、『ペコロスの母に会いに行く』の原作者の岡野雄一さんのご実家もこうした「立山」の斜面地にあるはずである。

この動画は最後に長崎歴史文化博物館が前に見えるところまできて終わるが、そこで180度方向転換し、真後ろを見たらどうなるかというと、これまたデイリーポータルZで、T・斎藤さんが「長崎の巨大要塞」と紹介していた最初の写真になるんですね。

要は、この動画はそうした「巨大要塞」を歩く動画とも言えるわけだ。

さて、ワタシの故郷の長崎だが、群馬県知事がブチ切れた都道府県の「魅力度ランキング」とやらでトップ10に入っていて、ワタシなどこれはつくづく当てにならないランキングだと呆れてしまった。

もちろんこの手の「魅力度ランキング」とやらは生活者ではなく観光客をターゲットとしたものだと察しはつくが、そんな魅力度の高い県が人口流出2年連続ワースト1位になるわけなかろうよ、くらい言いたくなる。

ワタシだって何も知らずにこのしながわさんのように長崎に移住してきた方と話をする機会があったら、「ええ?! なんで東京から長崎に移住してきたんですか?長崎には何もないのに!」と口走るかもしれない。

そうした意味で、しながわさんの「長崎で、仕事を作る」という願いが、心を折ることなく成就してほしいと心から応援したくなる。

こちらは最近アップロードされた外海地区の動画だが、ワタシの父方の実家がこの外海にあったため、この動画はワタシ的にも盛り上がるものがあった(そういえば、昔遠藤周作文学館から撮った写真をあげていた)。

あんな辺鄙なところ(子供のころは、墓参りなど退屈なイメージしかなかったのでどうしてもそう言いたくなる)を楽しんでくれてありがとうとしながわさんに言いたくなるが、余談ながら、この動画の最後でしながわさんが弁当食べているのは中町公園ですね。

さて、ついでなので、週末の帰省時にワタシが撮影した画像も載せておきたい。

店主が御高齢のため、一年以上(!)休店状態だったこともあり、またコロナ禍もあり、もう二度と行けないのではと危惧していたおでん屋に数年ぶりに行けた。

キース・ジャレットの唸り声に耳を傾けながらギネスビールを飲む。

バーで飲んでいたら、高齢の女性客になぜかパンダ杏仁豆腐をいただいた。いくつも持ち歩いているのだろうか?

別のバーで飲んでいたら、福砂屋のカステラをラスクにした「ビスコチョ」をお土産にいただいた。ありがたいことである。

伯母の家で会食をしたのだが、場の主役は完全にいとこ夫妻の家で飼い始めたトイプードルだった。

最初上の掲示を見て、関西からの客ならいいんかい! と内心突っ込んで下を見たら、県外客はすべて拒否されていた。

県外客は拒否するお店ですが、お魚はとても美味しかったです!

長崎では、福山雅治が『龍馬伝』で演じて以降、坂本龍馬銅像が増え続けているが、そのニューカマーが近場にできたと聞いて見に行ったら、坂本小龍馬かと言いたくなるミニサイズぶりに失笑(誤用)。映画『スパイナル・タップ』ストーンヘンジの場面を思い出してしまったよ。

長崎の龍馬の銅像は、この小龍馬で最後にしていただきたい。

インターネット・アーカイブが今週創設25周年を迎える

www.voyager.co.jp

このボイジャーのページで知ったのだが、今週の10月29日で Internet Archive は創設25周年を迎えるのな。

Internet Archive にも25周年を記念したページができているが、まずはその25年前当時を振り返る動画は、日本語吹替/字幕付きなので是非見ておきましょう。

あと『共に歩んだデジタルの道 Internet Archiveとボイジャー』も貴重な歴史証言である。ボイジャーというと、ちょうどスマートワーク総研に鎌田純子社長のインタビューも公開されている。これもまた貴重な歴史証言に違いない。

ワタシも『マニフェスト 本の未来』(asin:4862391176)翻訳を少し担当した関係で、鎌田さんとはお仕事をしている。氏がメールで「催促なくして原稿なし」がボイジャーのモットーであることを高らかに宣言されていて、深い感銘を受けたものである。

閑話休題Internet Archive というと、多くの人にとっては未だになにより Wayback Machine なのかもしれないが、ワタシはそれ以外のアーカイブについてもいろいろ取り上げてきたつもりで、以下のリンクはその一例である。

そうそう、かつてはマガジン航でもインターネット・アーカイブ(やその創始者ブリュースター・ケール)に関する文章執筆や翻訳で微力ながら貢献している。

そういえば少し前にも Internet Archive は25年後となる2046年のディストピアな未来のインターネット像を公開したのが話題になったが(というか、これ自体25周年企画の一環だったのね)、ウェブがインターネット・アーカイブと同義になる恐ろしく悲しい未来について書いたことのある、というか『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の著者であるワタシにとっても他人事ではない。できればそういうディストピアな未来のインターネット(ウェブ)は避けたいもので、それは我々次第ということなのだろう。

トム・スタンデージが新刊で説く「車の黄金時代の終焉」

bigthink.com

『謎のチェス指し人形「ターク」』『ヴィクトリア朝時代のインターネット』など古いテクノロジーに関する面白い歴史話を書かせると一流なトム・スタンデージの新刊 A Brief History of Motion: From the Wheel to the Car to What Comes Next が出ていた。

21世紀以降のテレビドラマの黄金時代を指す peak TV という言葉があるが、スタンデージはその新刊で、我々は「peak car」に達したのではないかと書いている。つまり、「車の黄金時代」ということですね。そして、その「ピーク」は既に過ぎているのかもしれない、とのこと。

車の生産台数は2017年がピークで、以降は緩やかな停滞にある。西欧諸国では車の利用や所有率、運転免許証の取得率などは下がっており、今後ますます ride-hailing が進むよ、という話を展開している。

欧米はともかく、中国市場とかまだまだ伸びしろあるだろう、またコロナ禍で公共交通機関よりも自家用車の優位性がクローズアップされたのでは、といった疑問はいくつか浮かぶが、もちろんスタンデージはそれを承知の上で書いており、これは邦訳を読んでみたいところ。

www.theguardian.com

こちらはスタンデージの新刊からの別の箇所の抜粋だけど、「1897年、アメリカでもっとも売れた車は電気自動車だった」という、読んでて「ええっ!?」と思ってしまうことを書いていて、そのあたりの引きの強さもさすがスタンデージというべきか。

ネタ元は kottke.org

ファンによる労作「プリンスのスタジオレコーディング記録(1973年-1989年)」

prince.org

Anil Dash のブログで知ったが、プリンスがキャリア初期の1973年(当時彼は15歳)から1989年まで、スタジオでどの曲をレコーディングし、それはリリースされたのかといった情報をまとめたスプレッドシートが公開されている。

ウェブで見れるよう Goolge スプレッドシート版もあるが、ともかくファンによるものすごい労作である。Anil Dash も指摘しているように、記載方式に文句をつけたくなるところもあるが、よくぞここまでまとめてくれたものだと思う。

プリンスには Prince Vault という優れた情報集積 Wiki サイトや、彼のキャリア初期にフォーカスした Becoing Prince など、ファンによる優れたウェブリソースがいくつもある。それも彼の遺産と言える。

amass.jp

そうそう、少し前に話題になった、プリンスのライヴ演奏を記録した最古の映像だけど、これは1974年11月なのか。音が入っているのはほんの少しだけど、それだけでプリンスと分かるのがすごいよね。

プリンスのスタジオレコーディング記録だが、1990年代以降、彼の死まで網羅される日は来るのだろうか?

Welcome 2 America

Welcome 2 America

  • アーティスト:Prince
  • Legacy Recordings
Amazon

DUNE/デューン 砂の惑星

またしばらく映画館から足が遠のいていたが、状況がいくらか好転しているのもあり、何よりこの作品は絶対 IMAX で観るべきだろうと出向いた。

ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画は『メッセージ』『ブレードランナー 2049』を観ており、いずれも高く評価しているが、本作は難作と予想できた。

前作『ブレードランナー 2049』が『ブレードランナー』を観てないとどうしようもないように、本作は原作を読んでないとどうしようもないという評判は聞いていた。で、ワタシはその原作未読勢なのである。『ホドロフスキーのDUNE』は最高だったが、デヴィッド・リンチ版もテレビ放映時に部分的にしか観ていない。

案の定、本作はヴィルヌーヴの映画らしく説明的な台詞を排した超然とした作りになっている。ワタシ同様、原作を読んでいないが本作を観たい人には、原作の Wikipedia ページ(のプロット部分を翻訳するなりして)でストーリーを把握した上で、ハヤカワが用意しているキーワードページを読んでおくことをお勧めする。

よって、ワタシは本作を十全に理解したなどと言うつもりはなく、見事な映像(これは IMAX で観ないと意味ない映画です)にただただ身を任せることができて満足というより他ない。本作で描かれる砂の惑星の質感表現は特によくできている。『メッセージ』で初めてヴィルヌーヴ作品に触れたときの感動に近いものを少し思い出した。

さて、本作の音楽は例によってハンス・ジマーで、いつも通り圧迫感のある音を、いつも以上にけたたましく鳴らしている。ワタシは彼の映画音楽が好きなのでいいのだけど、ニルヴァーナ以降、グランジに分類されないものを含め、90年代のバンドの多くがブラック・サバス直系の重いギター音像をまとったのを連想し、後世の映画ファンは、2010年代以降の映画音楽はなんでこんな圧迫感があるんだと不思議に思わないだろうかと思ったりした。ヨハン・ヨハンソンだったら本作にどんな音楽をつけていただろう。

今はただ、ヴィルヌーヴの構想通り、パート2が作られることを願うばかりである。

イーサン・ザッカーマンの「ソーシャルメディア図鑑:まえがき」を訳した

Technical Knockoutソーシャルメディア図鑑:まえがきを追加。Ethan Zuckerman の文章の日本語訳です。

knightcolumbia.org

このページに埋め込まれている PDF ファイルの Foreword を訳した。これ全体は Chand Rajendra-Nicolucci と Ethan Zuckerman の共著だが、Foreword 部分はイーサン・ザッカーマン単独のクレジットなのでそれに従っている。

このページはコロンビア大学の Knight First Amendment Institute のサイト上にあり、やはりイーサン・ザッカーマンが主導し今年の5月に開催されたインターネットの今後の十年を想像する仮想カンファレンス Reimagine the Internet に関連する形で書かれたものである。

リンク先を見れば分かるが、このカンファレンスの動画も YouTube 上ですべて公開されており、イーサン・ザッカーマン以外にもコリイ・ドクトロウや(ウィキメディア財団の CEO だった)キャサリン・マーといった本ブログになじみのある人も参加している。

さて、なんでこの文章を訳そうと思ったのか。理由はいくつかあり、まずは何よりこれがイーサン・ザッカーマンの手によるものだから。

wirelesswire.jp

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』に収録された連載の初期で彼の本を取り上げているのだが、結局邦訳は出ず、彼の仕事があまり日本で紹介されないのを残念に思っていたことがある。

近年では、彼の名前は伊藤穣一が MIT メディアラボ所長辞職にいたったジェフリー・エプスタインからの献金問題に関連して、最初に伊藤穣一に抗議して MIT メディアラボを辞職した気骨ある人物として名前が挙がったりした。

www.afpbb.com

そして、もうひとつは個人的な事情である。

wirelesswire.jp

この文章にも書いたが、ワタシは角川インターネット講座5 ネットコミュニティの設計と力 つながる私たちの時代の第1章「ソーシャルメディアの発生と進化」を担当している。

本文執筆時点で Kindle 版が紙版の4割以下の値段になっているので、気になる方は買っちゃいましょう!

この本については、率直に言って不愉快な思いをさせられた。それは『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』に収録した上記「ラストスタンド」の追記部分に書かせてもらったが(電子書籍の感想で、このボロカスに書いた追記部分を誰もとりあげないのが不思議なのだが、みんな優しいんだね)、少なくともワタシは死力を尽くしてソーシャルメディアについて書いたつもりである。

しかし、それから時は流れ、イーサン・ザッカーマンの文章にも引き合いに出される監視資本主義ではないが、とにかく Facebook をはじめとしてソーシャルメディアが素直に良いものと見られることは今では少ない。Facebook は Instagram が10代に悪影響を及ぼすことを把握していながら子供向けアプリ立ち上げを計画なんて記事を見ても、もはや誰も驚かない。

Facebook が社会の害悪なのはその通りとして、ソーシャルメディアにはもっと違った形もありうるのではないか? とは思っていたことで、イーサン・ザッカーマンの今回の仕事は、そのあたりのヒントになると思ったわけである。

それで「まえがき」部分を試しに訳してみたのだが、あともう1章くらいは訳すかもしれない。が、もはやワタシにかつての馬力はなく、このフィールドガイド全体を訳すことは無理っしょ。誰かこれを見て、我こそはと思う人が訳してくれないかなと思うからというのがある。CC BY 4.0 ライセンスなので、自由に公開できるよ。

それはそうと、角川インターネット講座に寄稿した「ソーシャルメディアの発生と進化」だけど、もう note とかに公開してもいいのかな?

ウィキペディアでもっとも編集された記事についてのニュースレターWeeklypedia

boingboing.net

このエントリで Weeklypedia というニュースレターが紹介されている。これは毎週、Wikipedia でもっとも編集された項目トップ20、もっとも活発に編集されている新規作成項目トップ10、もっとも活発に議論されている項目を集めたニュースレターで、こういう定点観測が Zeitgeist時代精神)を理解するのに役立つのではないでしょうか。

ニュースレターの隆盛については昨年も書いているが、その後もいろんな人の参入を見た。が、これは確か2014年から続いており、老舗と言える。こういうテーマこそ定期刊行(週刊)に合ったものだと思う。

あとこの Weeklypedia ニュースレターを作成するコードが、当たり前のように GitHub で公開されているのも今どきですね。

これを出しているのは Hatnote で……って、ワタシここを以前取り上げてるじゃん!

yamdas.hatenablog.com

ウィキペディアの編集をリアルタイムに「聞ける」」って何? と思われるかもしれないが、これは Hatnote のサイトに行けば分かります。なんというか「球体が奏でる音楽」という言葉を思い出す、少し神妙な気持ちにすらなりますな。

これぞWikiに適した映画館情報集積サイト「消えた映画館の記憶」

hekikaicinema.memo.wiki

確か Twitter のタイムラインに流れてきて知ったサイトだと思うが、「閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベース」というのは、Wiki に適したコンテンツだと思う。

どうしてもワタシなど、自分が生まれ育った街ということで長崎市の映画館に目が行く。

長崎駅前映劇」について以下の記述がある。

所在地 : 長崎県長崎市大黒町9-26(1985年)、長崎県長崎市大黒町14-5(1988年)※1988年の所在地は正しくない可能性あり

長崎市の映画館 - 消えた映画館の記憶

ここはまだ小学生低学年の頃、『E.T.』を2回観に行った思い出の映画館だったりする。地元民としての情報を書いておくと、管理人の方の推測通り、長崎駅前映劇の住所は長崎県長崎市大黒町9-26が正しく、長崎県長崎市大黒町14-5は間違いだと思う(し、後年移転した記憶はないのだが、これについては単にワタシが知らなかっただけの可能性もある)。

こうしてみると、長崎市中心地の映画館は21世紀に入るとともにバタバタ閉館しているが、これはやはりシネコンへの集約が原因で、今ではユナイテッド・シネマ長崎と TOHO シネマズ長崎の2つのシネコン以外では、長崎セントラル劇場というアートシアター系の古い映画館が唯一だったりする。ここは何か理由をつけて定価の1800円を劇場側が値切ろうとする謎な経営方針を持つ映画館なのだが、どうかコロナ禍を生きのびてくれと願わずにはいられない。

個人的には「新世界」の名前が懐かしい。ここで『帝国の逆襲』を観たのがもっとも古い映画館の記憶だが、これは捏造された記憶の可能性もある。「吉田修一さんの「国宝」長崎の登場場所めぐりしてきた」というページに少し記述があるが、「新世界」は吉田修一『国宝』の中でも登場する。

あと若者期から中年期にいたる20年を過ごした福岡市の映画館も懐かしい。ワタシの生活圏だった1990年代後半以降、シネ・リーブル博多、シネサロンパヴェリア、シネテリエ天神といったアートシアター系の映画館が消えたっけ。

そうそう、シネテリエ天神が成人向け映画専門映画館になるというニュースに落胆して愚痴ったところ、柳下毅一郎さんから「それはいいニュース!」と返されたのを懐かしく思い出す。

シネテリエ天神の Wikipedia ページを見ると、残念ながら成人向け映画専門としても続かなかったようだ。

80年代の文化的アイコン、ジョン・ルーリーの回想録の邦訳を読みたい

note.com

確か Twitter のタイムラインに流れてきて知った文章だったか、これを読むまでジョン・ルーリーが回想録 The History of Bones を出したことを知らなかった。

個人的にジョン・ルーリーというと、ラウンジ・リザーズなどミュージシャンとしての本業よりも、やはり初期のジム・ジャームッシュ作品に代表される映画関係の仕事で知った人である。

彼は80年代から90年代にかけて、音楽にしろ映画にしろ、当時先端にいた多くの才能と仕事をしてきた、紛れもなくニューヨークのアートシーンの重要人物、というか一種の文化的アイコンだったわけで、そういう人の回想録だから面白いに決まっているのだが、内容は読んでてかなりツラそうだ。

 基本的に恨みつらみの本でもある。途中でこう書いている。「これを書いている2〜3年の間、『ジムを貶さないようにしよう』と自分に言い聞かせてきた。けど、結局それは不可能だった」。ジムとはジャームッシュのことだ。

骨の歴史 ジョン・ルーリー 回想録|山下泰司 Yasushi Yamashita|note

上に書いたように、ワタシはジョン・ルーリーというとジム・ジャームッシュ作品で知った人だし、近年の彼の作品だと『パターソン』は大好きなので、彼についての批判を少なからず含むのはいささか悲しいものがある。けど、本当なら仕方ない。

しかし、ジャームッシュだけでなく、ヴィム・ヴェンダースマーティン・スコセッシデヴィッド・リンチバリー・ソネンフェルドといった映画監督についてもだいたいネガティブな記述があるとのことで、それは読んでみたい。

あと、彼がジャン=ミシェル・バスキアと深い付き合いがあったのは知らなかった。彼との逸話はなんとも言えない切なさがある。

かつて、暗く、苦々しく、悲しい話にこそワタシは惹かれると書いたことがあるが、ワタシが回想録で読みたいのは、偉人の余裕から出る忖度やヨイショではなく、そういう話なんだよね。どこか邦訳を検討いただけないものだろうか。

以前原書を紹介した本の邦訳を紹介(『デタラメ データ社会の嘘を見抜く』、『インターネットは言葉をどう変えたか』)

yamdas.hatenablog.com

ちょうど一年前に紹介した『Calling Bullshit』だが、恥ずかしながら『デタラメ データ社会の嘘を見抜く』として7月に邦訳が出ていたのを今更知った。誰か教えてよ~

数字と科学と統計を引き合いに出して、あたかも厳密で正確なもののように装う「新型デタラメ」の見抜き方が主眼の本である。

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で紹介した本の邦訳がぼちぼち出る頃ですかね。

yamdas.hatenablog.com

こちらは原書を取り上げたのが2年以上前になるが、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」にも書いたように、正直邦訳は難しいかと思っていた。

しかし、『インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の〈言語〉地図』として出ていた! デザインが原書を踏襲しているが、これは版元らしい配慮なのかな。

これはデジタル時代の言語学ガイドブックですね。

それにしても千葉敏生さんについては以前にも触れたことがあるが、この数年相当な数の翻訳を手掛けておられる。まさに売れっ子翻訳者である。

そうそう、この本をばるぼらさんが早速取り上げていた。

新聞のデジタル版購読先を朝日新聞から毎日新聞に乗り換え(られなかっ)た話

まあ何事もちゃんとトレーニングしなければダメで、将棋ならたとえば詰将棋を相当コンスタントにこなさないと強くはなれないのだが、強くなったところでyomoyomoさんのように性格がひん曲がって寂しい人生を送るのがオチなので、暇つぶしと割り切って楽しくやっている。

Masayuki Hatta a.k.a. mhatta | すぐ勝てる!急戦矢倉 / 及川拓馬

すいません、上の引用は以下の内容に(あまり)関係ありません。

digital.asahi.com

srad.jp

今年の6月に、朝日新聞デジタル版のサービス内容変更の告知があった。

ワタシは紙の新聞は長らくどこもとっていないが、デジタル版は朝日新聞を購読しており、まさにサービス変更の対象となるシンプルコースの加入者だった。

これまでは月300本、だいたい1日10本の記事を閲覧可能で、気分的には読み放題というか、少なくともこれまで制約を感じたことは一度もなかった。それが月50本、1日あたり2本未満に減るのだから、壮絶なサービス内容改悪である。1日2本で済む人が元から月額980円の有料会員になっているか疑問だし、将棋ファンのワタシは毎日将棋欄で1本枠を使っているので、それを除けば変更後は読める記事は1日あたり1本未満になってしまう!

朝日新聞デジタル版には、昔も無料会員が読める本数が激減するサービス改悪をやられた恨みがあるが、あのときは無料会員なんだから文句は言えないと諦めがついた。しかし、今回は正規の有料会員へのサービス提供枠を6分の1にするのだからベラボウな話である。

この発表の少し前には、朝日新聞社3月期決算、11年ぶり赤字というニュースもあり、経営の厳しさを反映した改定なのは容易に想像がつく。実際、紙版の購読料値上げの発表も続いたが、そういうことだろう。

ワタシは昔から朝日新聞嫌いを公言している人間だが、なんでそのデジタル版に課金しているかというと、単に日本の新聞社のデジタル版サービスの中で一番リーズナブルに思えたから。実はこの時点で間違っていたのだが、それついてはここでは置く。要はワタシがケチの貧乏人だからと思っていただければよい。

なお、アメリカの新聞社では New York Times のデジタル版も購読していて、通常は週2ドルのはずが、75%オフの週0.5ドルの割引価格が常態化しており、ワタシもそれで加入したので、こちらはおよそ月2ドルの料金になる。世界中に購読者を見込める英語圏の新聞社と日本のそれを単純比較するのが酷なのは承知しているが、片やおよそ月2ドルで過去記事含めあらゆる記事にアクセスできるのを思えば、月額980円で月50本の制限はあまりにもお粗末に思える。

朝日新聞のデジタル版でも、スタンダードコースに乗り換えれば、文字通り無制限に記事を読めるようになる。しかし、それには月額1980円と現在の倍の料金になる。さすがに単に値段倍ではまずいと思ったか、スタンダードコースなら連載フォローやレコメンドといった新たな機能も使えると謳っている。が、ワタシはデジタル版をパソコンのブラウザからしか見ない人間なので(スマートフォンには朝日新聞のアプリもインストールしていない)、現状の使い方のままではそれらは乗り換えの訴求ポイントにはならない。

yomoyomoは激怒した。必ず、かのぼったくりの朝日新聞を除かなければならぬと決意した。yomoyomoには新聞経営がわからぬ。yomoyomoは、工場のライン工である……かはともかくとして、いくらなんでも客の足元見すぎだろう。こんなアコギな値上げには、サービス解約で抗議の意思を示す必要があると決意した。

しかし、朝日新聞のデジタル版のサービス内容自体には実は文句はなかった。ちゃんと新聞社の有料サービスを購読し、いろんな記事を読む利点は日々実感していた。今回の実質値上げにしても、元が安すぎたからやむなしという意見があるのは理解する。

さて、朝日新聞のデジタル版を解約するとして、同じくらいの値段でデジタル版を購読できる他の新聞社はあるかという話になるが、毎日新聞デジタルのスタンダードプランが月額980円で、朝日新聞デジタル版のシンプルコース(改めベーシックコース)と同額なので、受け皿になりそうだ。

毎日新聞デジタル版のスタンダードプランは記事閲覧無制限だし、ウォール・ストリート・ジャーナルとの提携もある。そして、個人的には一つ大きな利点があった。将棋の名人戦である。

これを米長邦雄永世棋聖の功績とは言えないだろうが、現在、将棋名人戦朝日新聞社毎日新聞社の共催である。それにより、将棋名人戦並びにその名人戦への挑戦者を決めるA級順位戦の観戦記は朝日新聞毎日新聞のいずれでも読める。将棋欄の内容に差異がないというのがワタシ的にはかなりでかかった(伏線)。

もちろん失われるものもある。朝日新聞のデジタル版で愛読していた連載、具体的には三谷幸喜のありふれた生活ブレイディみかこさんの「欧州季評」平民金子さんの「神戸の、その向こう」、他にも柳下毅一郎さんの映画評も読めなくなる。

そういうのを考え出すと気持ちが揺れもした。何度もここに書いている通り、ワタシは病的なものぐさで、こういう購読サービスひとつ変えるのも億劫な人間なのである。そもそも毎日新聞に対して特に好意的ではない。というか、過去の『ネット君臨』(asin:4620318361)や毎日デイリーニューズWaiWai問題などで、はっきりマイナスイメージもあった。

しかし、それも10年以上前の話である。周りで毎日新聞デジタルを購読する人に聞いても特に悪評はなかった。朝日新聞デジタル版の購読コース名と内容が変わる9月8日の近くまで悩んだが、ここは決断のときと毎日新聞デジタルに加入した。そこでケチの血が騒いで、少しでもお得にと、月あたり700円になる12か月コースを選択した。

これでむしろ出費を減らして新聞のデジタル版を無制限に読めるようになったわけだ。心機一転、ざまぁみろ朝日新聞

……で話は終わらなかったのである。

今のところ毎日新聞デジタルの大部分のサービス内容に不満はない。まぁ、こんなものでしょうという感じである。そのうち、毎日新聞ならではの面白い連載なども見つけるだろう(おススメのコンテンツをご存知の方は教えてください)。

しかし……ワタシ的にとても大きな落とし穴があった。将棋欄である。

これは手っ取り早く朝日新聞毎日新聞両方のデジタル版の将棋欄を画像で見ていただこう(正直意味ないとは思うが、棋譜部分は少し網掛けさせてもらった)。

まずは朝日新聞の将棋欄だが、棋戦名などが入った記事タイトル、対局者の名前と先後、局面図、棋譜、そして観戦記が続く。局面図はその日のはじまりの場面と終わりの場面の二つが見れる。内容的に紙の新聞の将棋欄と変わりがない。というか、これ以外の形式の将棋欄があるとは思わなかった。

続いて毎日新聞の将棋欄である。ある一点を除いて内容的には朝日新聞とだいたい変わりない。そう、局面図がない。その一点が致命的なのだ。棋譜だけ載ってても、その始まりの場面も、またその日の棋譜でどの場面まで行ったのか分からないのだから、これでは新聞の将棋欄の意味をなしてないだろうが!

何かワタシが見ているものがおかしいのかと思ったのだが、毎日新聞デジタルの将棋記事は、日々の将棋欄に限らず、どうもすべて「局面図」が省かれている。それでいて記事中には普通に指し手の記述があるのだから呆然となってしまう。これ……将棋ファンの読者から抗議はないのだろうか? それともデジタル版で将棋欄を見ている人間など全国で10人足らずなんだろうか?

そんなわけはなかろうが、なんかこれでワタシは一気に気持ちが萎えてしまった。今のところ他でこういう萎えポイントには行き当たってないが、他にもデジタル版が平気で粗末にされているところがないとも限らないではないか。

(一応言い訳しておくと、朝日新聞デジタル版の将棋欄は無料会員でも上掲画像の局面図と棋譜までは見れる。毎日新聞デジタル版の将棋欄は観戦記の最初の段落まで見れる。その下の有料部分に当然局面図があるに違いないと思い込んでいた。購読前には、この問題は分からなかったのだ)

将棋重視というワタシのニッチな嗜好が災いしてしまった形だが、これが月単位での購読だったらひと月で解約していただろう。しかし、既に年払い契約してしまっている。

不幸中の幸いと言えるかは知らないが、朝日新聞デジタル版の料金支払いがワタシの場合月末のため、9月8日前に解約せずに放置していた。現コースの月980円を払い続ければ、将棋のA級順位戦名人戦の観戦記は読める。将棋欄で1日1本、あと上で挙げた連載など個別記事を読むのに枠を使えばよいとも言える。しかし、それで毎日新聞デジタル版にもお金を払うなら、はじめから朝日新聞デジタル版でスタンダードコースに乗り換えたほうがすっきりしたじゃないか!

実際には、毎日新聞デジタル版は年払いなので、単に朝日新聞デジタル版でスタンダードコースに乗り換えるよりも出費自体は少なくて済んでいる。しかし、個人的な話になるが、先月ぐらいからネット通販での買い物で失敗のやらかしが続いたのもあって、今回の一件はその内実以上に凹んでしまったところがある。

さて、ここまでの話にもいろいろツッコミどころはあるだろう。普段はこの手の失敗話は書かないのだが、ワタシもそれなりに「パソコンの先生」というか「ネットにいっぱしに詳しい」と自負していたのが、上にも書いた今回の件を含む失敗続きで、ああ、こうして年寄りは苦手意識を増幅させていくのだな、と悟ったところがあり、他の人に何かの教訓となるかも思い、恥を忍んで書かせてもらった。

スタンフォード大の3人の教授がビッグテックがどこで間違ったか、どうやって政治が未来を変えられるかを説く『System Error』

新山祐介さんのツイートが目をひいた。

リンク先を見ると、オンラインインタビューを受けている三人が共著者の新刊 System Error: Where Big Tech Went Wrong and How We Can Reboot のプロモーションのようだ。

このインタビューの冒頭、限定された単語数で難しい質問に答える The Last Word というゲーム(この呼び名は一般的に使われるかは知らない)として、10語で新刊の内容を表現するように言われ、共著者の Rob Reich は、以下のように答えている。

ビッグテックにしかるべき規制をして民主主義の制度を再活性化する(Reenergizing democratic institutions through the sensible regulation of Big Tech)

この数年のトレンドである、ビッグテックは民主主義を毀損しているという認識を前提としたビッグテックの規制論ですね。

書籍の公式サイトの宣伝文句を訳すると以下の感じである。

数十年にわたり技術革命の最前線で取り組んできたスタンフォード大の三人の教授たちによる、いかにビッグテックの最適化と効率への執着が基本的な人間の価値を犠牲にしてきたかを明らかにし、我々が方向を転換し、民主主義を取り戻し、我々自身を救うためにできることをまとめた前向きなマニフェスト

もう少し詳しく書くと、テクノロジーは我々を解放する的なナイーブな楽観主義は、偏ったアルゴリズム監視資本主義仕事を奪うロボットといったもののディストピアな強迫観念にあっという間にとってかわっちゃったよね。でも、テクノロジーの進化を受け入れる以外の選択肢って実質ないじゃん? そうして、テクノロジストと彼らに金を与えるベンチャーキャピタリスト、そして連中に自由裁量権を与える政治家にデザインされた未来をただ受け入れているわけだ。でも、それじゃいかんでしょというわけ。

この本は、ビッグテックが差別を強化し、プライバシーを侵害し、労働者を追い出し、情報が汚染された未来を推進するビッグテックに反旗を翻す本ということですね。

著者の Rob Reich は、最近慈善活動に関する記事で名前をみかけて記憶に残っていたが(その1その2)、こういう本を書く人とは思ってなかった。同じく共著者の Mehran Sahami は、スタンフォード大学に来る前は Google で上級科学研究員だったとな。

ビッグテック支配がいかに間違っていたかについての本は既に多く出ており、この手の本では上でもリンクしたショシャナ・ズボフ『監視資本主義』が決定版ともいえるが、結論に具体的に対処する処方箋が書かれていないという批判もあったので、ビッグテック支配に対して政治が何ができるか、どう現状を正せるかをデザインする提言まで踏み込んだ内容なのが重要なんだろう。

Maker Faire Tokyo 2021を前にアナログMake本(?)を出してくれるオライリー・ジャパンを称えたい

makezine.jp

昨年に続き、今年も Maker Faire Tokyo が10月初旬に開催される。

今年はオンサイト(対面)イベントが行われないことが発表済で、それはもちろん残念に違いないのだけど、状況が状況だけに仕方がない。ワタシのように首都圏に住まない人間もオンラインで参加できると頭を切り替えていくしかない。

こんな状況下でもできる限りの Maker Faire Tokyo を続ける努力をするオライリー・ジャパンに感謝なのは当然として、加えてイベントだけでなく、地道に Make 分野の本の翻訳を出し続けているのもとても偉いと思う。

特に今月は、いわゆるデジタル工作や IoT プログラミングから離れた、「アナログ Make 本」なんて言葉があるか知らんが、Make の裾野を広げる(原書がオライリー本家から出たわけでもない)翻訳書が出る。尊い

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まずは5年前の『発酵の技法』に続くサンダー・キャッツの発酵本『メタファーとしての発酵』である。

サンダー・キャッツというと、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で取り上げた『サンダー・キャッツの発酵世界旅行』(勝手邦題)はまだ原書も出ていないのにと驚いたが、その前の著書の邦訳なのか。

監訳者が Wired で「発酵メディア」研究連載をやっていたドミニク・チェンなのもピッタリだ。

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続いては、『段ボールで作る! 動く、飛ぶ、遊ぶ工作』である。段ボール工作本か!

よくこんな本を見つけてきたものだと思うが、こうしたアナログ工作分野もまぎれもなく Maker Faire がカバーする領域なんだよね。こうしてメイカーの裾野が広がるわけだ。ここまでくると、そろそろ手芸関係の本もいいかもしれない。

ジェニー・オデルのアテンションエコノミーへの反逆を説く本の邦訳『何もしない』が来月出る

yamdas.hatenablog.com

およそ2年前にジェニー・オデルの本を取り上げたときは、「何もしない方法」という奇妙なタイトルの本の邦訳は難しかろうなと正直思っていたが、『何もしない』として早川書房から10月に出るのを知った。木澤佐登志さん推薦とな。ワオ!

『監視資本主義』を引き合いに出すまでもなく、アテンションエコノミーに対する反感がそれだけ高まったのもあるし、インターネットが生活に欠かせないインフラになって久しいが、気が付けばネット全体が残念なノリになってるよねという意識の反映なのかもしれない。

さて、著者のジェニー・オデルは「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で紹介した新刊も出たばかりだが、こちらはページ数が70ページ程度の薄い本なので、本格的な第二作が出るのはまだ先の話だろう。

少し前にフランスの公共放送に出演して、取り残されることへの不安を指す「FOMO」の向こうを張って、NOMO(The necessity of missing out:見逃すことの必要性)を説いているあたり、さすが「何もしない方法」の著者らしいと思った。

その仕事が大いに教育的な役割を果たす堀越英美さんの翻訳本がこの秋二冊出る

堀越英美さんというと、ワタシにとっては1973年組の星の一人なのだけど、この秋彼女の翻訳本が二冊出る。

一冊目は、ギタンジャリ・ラオ『STEMで未来は変えられる』

著者のギタンジャリ・ラオ(Gitanjali Rao)については、版元関係のサイトに掲載されているインタビュー記事に詳しい。

「米TIME誌の表紙を飾った15歳の科学者」という謳い文句も目を惹くが、彼女が開発したものを見ると、水中に含まれる鉛探知機にしろ、オピオイド(鎮痛剤)の依存症状の早期診断デバイスにしろ、ネットいじめを防止するために AI を活用したアプリにしろ、いずれも今のアメリカの社会問題を反映したものなのがすごい。

STEM 教育の重要性は以前から言われているが、最低レベルともいわれる日本の STEM 教育の重要性がこの本で認識されるとよいと思います。

そうそう、今月末に大分県がギタンジャリ・ラオの特別講演会を行うみたい。

さて、二冊目はサラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』である。

著者のサラ・ヘンドリックス(Sarah Hendrickx)は、自閉症などを対象とした訓練やコンサルティング、ビジネスをサポートする団体を運営する研究者にして、自らも自閉症スペクトラムの診断を受けている。

確か堀越英美さんの次女さんも自閉症スペクトラムの診断を受けていたと記憶する。そうした意味でこの本の翻訳は訳者自身にとっても実用性があり、切実な内容を含んでいたと推測する。

紹介した2冊とも教育的な本であるが、思えば堀越英美さんが昨年出した2冊の本も娘さんを持つ母親として、とても教育的な本であった。

『スゴ母列伝』が特にそうだが、堀越英美さんは女の子、そして娘を持つ母親の両方に力を与える教育的な仕事をずっとやっていることに気づく。しかもその仕事に説教臭さは微塵もなく、何より著者自身が刺激を受け、楽しんでいるのが分かる。今回紹介した翻訳書二冊もそういう仕事に違いないし、そのように仕事に一貫性というか、貫くものを持っている人をワタシは尊敬する。

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