当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

Twitter はてなアンテナに追加 Feedlyに登録 RSS

佐渡秀治さんの渾身の退職エントリ「日米OSDN離合集散、苦闘の21年史」の書籍化を希望する

shujisado.com

本当はブログの更新予定ではなかったのだが、感想を書くつもりの本を読み終わるのに思ったより時間がかかりそうなのと、何より佐渡秀治さんの渾身の退職エントリがすごかったので、予定を変更してこちらを取り上げておきたい。

ワタシが佐渡秀治さんのツイートに乗っかったのが、およそひと月前。

一昨日、佐渡さんに「書きましたよ」と言われてなんだと思ったら、冗談抜きで感動スペクタクル退職エントリであった。

ワタシの名前を引き合いに出していただいて嬉しかったのだが、いつの日か、日本のブログ史が書かれる場合、「退職エントリ」に一章割かれるとワタシは思うのだが、「全17章、特別コラム2本」という破格の量に加え、21年に及ぶ苦闘の歴史を凝縮した質、資料性の高さの意味でもこれは歴史に残るエントリに違いない。

このブログの読者で読んでない人はいないと思うのだが、もしや見逃していた人がいたら、これを機にご一読いただきたい。

時は1999年に始まり、その前年の1998年の Linux Conference の話が出てくるが、ワタシはそれが開催された Internet Week に参加しており、1999年2月にウェブサイトを立ち上げ、雑文書きを始めた。つまり、佐渡さんの「苦闘の21年史」は、yomoyomo としてのワタシのネット歴にぴったりと重なる。

もちろんネットへの貢献という点でワタシは佐渡さんの足元にも及ばないのだが、佐渡さんが VA Linux Systems Japan~OSDN Japan でなされた仕事は、ワタシも主に Slashdot Japan 改めスラドを中心にずっと触れてきたわけだ。

その点、佐渡さんが以前に書かれた米 VA Linux の崩壊シリーズに比べると身近なのだが、当たり前だが外から見ているだけでは分からないところが多く、実際その内実を把握していた佐渡さんの文章をもって、ようやく事情が掴めるところが多い。やはり(GitHub になれなかった)SourceForge の話がもっとも興味深い。

読んでいて浮かぶのは「薄氷」という言葉が相応しく、頻繁にトップ、体制、そして方針が変わる米国側との駆け引きの大変さに読んでいて、こちらが頭を抱えたくなるくらいだが、日本側で一貫性を持たせてきた佐渡さんの仕事はとても重いものがある。

自分の側に話を引き寄せるなら、ワタシは『情報共有の未来』『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』という二冊の電子書籍を発表したが、連載名はずっと「情報共有の未来」だった。

情報共有について書くとき、それは例えばブログであったり Wiki であったりのツールの話である場合もあるが、その土台にあったのはフリーソフトウェアオープンソースであった。そうした意味でこの文章を読み、日本におけるオープンソースのエコシステムを支え続けた(ご本人の表現を借りれば「様々な尻拭いを続けてきた」)佐渡秀治さんに改めて深い感謝の念が湧く。

今後は、Chris DiBona(彼が編者を務めた『Open Sources 2.0』は結局邦訳出なかったねぇ……)という懐かしい名前、そして Slashdot.org の創業者の一人 Jeff Bates らと仕事をされるとのことで、上で引用したツイートによると「さらにオープンソースにコミットする役割に就いていますので、社長時代よりは外に出てくる機会が多くなるかも」とのことで、今後のご活躍に期待します!

そして……今回の退職エントリ、そして米 VA Linux の崩壊シリーズを組み合わせて書籍化してほしいなとやはり思うのだ。それが実現すれば、オープンソースの歴史におけるとても重要で貴重な本になるはずだ。名乗りを上げる出版社はないものか……達人出版会の高橋さん、いかがですか?

ウィキメディア財団が企業向けにウィキペディアのコンテンツの再利用のためのAPIを手がけるWikimedia Enterpriseを立ちあげ

wikimediafoundation.org

なぜかまったく話題になっていないので取り上げておきたい。ウィキメディア財団が企業や団体向けにウィキペディアウィキメディアのプロジェクトのコンテンツを容易に再利用できるようにする製品を手がける Wikimedia Enterprise を立ち上げている。

enterprise.wikimedia.com

さて、その「製品」とは何かということなのだけど、それこのサイトにもあるように要は Modern REST APIs で、これは急に出てきた話ではなく、今年の3月に報じられている。

gigazine.net

それからおよそ半年で本格始動とのことだろう。企業によるウィキペディアなどウィキメディア財団が管理するコンテンツの有料利用が進み、この事業が軌道に乗れば、ウィキペディア利用者への寄付依頼のスペースが少しは小さくなるかもしれないので、是非これは成功してほしいところだ。

データプラットフォームとしてのウィキペディアというとワタシも何か書いていたような……と記憶を辿ったら10年前(!)に「Wikipediaがプラットフォームになるのを妨げているもの」という文章を書いていた。

エドワード・スノーデンのニュースレターで艾未未(アイ・ウェイウェイ)の新刊『喜びと悲しみの千年』を知る

edwardsnowden.substack.com

エドワード・スノーデンのニュースレターなのだけど、人民服を着て習近平の本を抱くマーク・ザッカーバーグの画にまず笑ってしまった。それでタイトルが Cultural Revolutions(文化大革命の複数形?)とくれば、これは Facebook あらため「俺ら民主主義の癌で、権威主義体制を強化して、市民社会を破壊するグローバルな監視プロパガンダマシンに移行しやす……利益のためにな!」でおなじみ Meta さんへの壮大な皮肉か! と思ったらそうではなかった(ワタシも Facebook の改名やメタバース周りについては準備しているが、エントリ書けるかねぇ)。

エドワード・スノーデンが取り上げるのは、中国を代表する現代美術家艾未未(アイ・ウェイウェイ)回顧録 1000 Years of Joys and Sorrows で、ワタシも初めてこの本のことを知った。

彼については『アイ・ウェイウェイは謝らない』というドキュメンタリー映画も作られているが、中国当局と対立し、拘束されたり軟禁状態にも置かれた彼にエドワード・スノーデンがシンパシーを抱くのは理解できる。

この本の前半は、文化大革命の恐怖を前にして不屈の意思を持ち続けた(しかし、思想や表現の統制が生存を脅かすレベルに達したとき、自己批判同調圧力に屈して内心に反した行動をとる)艾未未の父親について書かれており、また中国の暴力的不寛容がいかにして急速に国策として常態化していったのかについてに価値ある記録だとスノーデンは読んでいる。

その上で、スノーデンは、イデオロギーの浄化が、全体主義体制の下だけではなく、形を変えて西欧の自由民主主義国家にも存在していることを艾未未が指摘していることを強調している。その意図は言うまでもない。艾未未が中国を理解しようとしているように、スノーデンもアメリカを理解しようとしている。それを画にしたら、「人民服を着て習近平の本を抱くマーク・ザッカーバーグ」ということになるのだろうか。

このエントリの副題である "Freedom is not a goal, but a direction." というフレーズは、艾未未の本の最後のページに出てくるようだ。

元素周期表と俳句の出会い「Elemental haiku」

vis.sciencemag.org

Boing Boing で知った Elemental haiku が面白い。

これ自体は2017年8月に Science のサイトで公開されたページだが、知らなかったねぇ。

元素周期表の各元素にマウスポインタを持っていくと、その元素に対応した俳句が表示される。つまりは、このページには119もの俳句が用意されてるわけですな。

ただそれだけと言ってしまえばそれまでなのだが、各元素に合わせた英語の俳句がなんとも言えない味わいがある。

これを俳句の本場日本でやったらどんな感じなんでしょうな……と思ったら、少しそういうのをやっている方もいますな。

monogatary.com

monogatary.com

この20年でもっとも過小評価されている映画20選

www.wired.com

この記事自体は2020年末に公開されたものだが、過小評価されている映画と言われると気になるということ、そして、ここに挙げられている映画を見事にワタシ自身観てなかったので取り上げておきたい。

各映画の評価については原文にあたっていただくとして、この記事には以下の20の映画が挙げられている。

日本未公開の作品もそこそこあるが、『バニラ・スカイ』のようなメジャー作、あとドゥニ・ヴィルヌーヴダーレン・アロノフスキーといった当代を代表する映画監督の作品、あるいはライアン・ゴスリングやマシュー・マコノヒーといった人気役者の主演作も入っているのに、ものの見事に一つも観ていない。

なので残念ながら(と書いていいか分からないが)、Rotten Tomatoes で批評家の評価は低いがワタシは好きな映画でここに入っているものはない。

『アナイアレイション』とか Netflix で観れたが、ちょっとグロそうで敬遠したんだよな。あと『ストレンジャーズ/戦慄の訪問者』のことを知ったときにブログに書いているが、やはり観ていない。

いかんねぇ、Netflix で観れる『バニラ・スカイ』くらいは観ておくかなぁ。

ネタ元は Boing Boing

デヴィッド・グレーバーの遺作を知り、ブレイディみかこさんに謝りたくなったのを思い出した

昨年9月に惜しくも亡くなったデヴィッド・グレーバーの新作 The Dawn of Everything(考古学者のデヴィッド・ウェングローとの共著)が出るのを、恥ずかしながらこれを読んで初めて知った。

早くもできている Wikipedia のページから辿った New York Times の記事によると、グレーバーの死の直前である2020年8月に完成させていたらしい。これが彼の遺作になるということか。

この書評を書いているのは、『優秀なる羊たち: 米国エリート教育の失敗に学ぶ』(asin:4385365784)の邦訳もあるウィリアム・デレズウィッツだが、彼によるデヴィッド・グレーバーの初対面の印象についての描写は鮮烈だ。

二人で昼食を取り始めて5分後、私は自分が天才を前にしていることに気づいた。ものすごく頭がいいのではなく、天才だ。そこには質的なちがいがある。テーブルを挟んでそこにいる人間は、私とは別の秩序世界に属しているかのようで、まるでもっと高い次元からの訪問者のようだった。そんなことはそれまで経験したことがなかった。

翻訳日記: 人類の歴史をもう一度書き直したら

さて、その遺作はどういう本なのだろうか。

『The Dawn of Everything』は、ホッブズとルソーが最初に展開し、その後の思想家たちが練り上げ、今日ではジャレド・ダイアモンド、ユヴァル・ノア・ハラリ、スティーブン・ピンカーらによって一般に普及し、多かれ少なかれ世界中で受け入れられている人類の社会史に関する従来の説明に対抗して書かれている。

翻訳日記: 人類の歴史をもう一度書き直したら

そしてこの物語は、グレーバーとウェングローによれば、完全にまちがっている。世界中で発見されている最新の豊かな考古学的発見や、軽視されがちな歴史的資料の深い読み込み(彼らの参考文献目録は63ページにも及ぶ)を駆使して、二人はこれまでの説明のあらゆる要素だけでなく、その前提条件となっている仮説をも解体している。

翻訳日記: 人類の歴史をもう一度書き直したら

詳しくはその先を読んでいただくとして、グレーバーらしい挑戦的な本なのは間違いないようだ。ただ著者二人の論説に対しては、進化人類学者のピーター・ターチンが既に詳細な批判を行っているので注意が必要である(その1その2)。

かなりの大著なので、邦訳が出るとしても3年くらい先だろうか。それはともかく、ワタシは以下のくだりを読んで、はっとさせられた。

「文明」にはそれだけの価値があるのか、と著者は問いかけている。文明は――それが古代エジプト、アステカ、帝政ローマ、国家の暴力によって強制される現代の官僚的資本主義体制などを指すのであれば――著者が考える私たちの3つの基本的な自由である「命令に従わない自由」「どこか別のところに行く自由」「新しい社会的取り決めを作る自由」を失うことを意味するのではないか? あるいは、文明とはむしろ「相互扶助、社会的協力、市民活動、ホスピタリティ、そして単純に他人を思いやること」を意味するのだろうか?

これらは、献身的なアナーキストであるグレーバーが(彼はアナーキーなのではなく、政府がなくても人々はうまくやっていけるというアナーキズムの提唱者だ)キャリアを通じて問いかけてきた問題だ。

翻訳日記: 人類の歴史をもう一度書き直したら

ここを読んで、ワタシはブレイディみかこさんのことを思い出した。

ブレイディみかこさんが『負債論』『ブルシット・ジョブ』といったグレーバーの仕事に大きな影響を受けているのは確かだが、それだけではない。

ベストセラー『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にワタシがあげた福砂屋の紙袋が登場していたのも今や昔というか、今年はブレイディみかこさんを普通にテレビで見かける機会も多かった。そして今年も彼女は何冊も本を出しているが、『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』は特に印象的な仕事だった。

この本は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で著者の意図をこえて注目された「エンパシー」をテーマにしている。このエンパシーについて、コグニティヴ(認知的)・エンパシー、エモーショナル(感情的)・エンパシーなど定説となっている分類はもちろんきちんと紹介されるが、それに対して副題にもある「アナーキック・エンパシー」を提唱しているのが著者らしい。

アナーキック、アナーキーといった単語自体は、『アナキズム・イン・ザ・UK -壊れた英国とパンク保育士奮闘記』といった書名に冠せられているものでなくても、ブレイディみかこさんの本に何度も登場しており、この副題に驚くことはなかった。

しかし、エンパシーの本であるとともに実はアナーキーアナキズムの本ともいえる『他者の靴を履く』を読むうちに、自分の中にあるこれらの言葉に対するイメージが、カオスであったり無秩序であったり暴力的であったり、要はこの言葉に出会ったロンドンパンクの(メディア上の)イメージあたりで止まったままのに気づいて愕然とし、なんという浅さだと自分を恥ずかしく思った。

ましてや自分はブレイディみかこさんの本を何冊も読んでおり、自立(自律)としてのアナーキーアナキズムについて認識を更新していてしかるべきはずなのに、実は内心のイメージは古色蒼然というか、単に的外れなままだったとは、今まで何を読んでいたのだ――と『他者の靴を履く』はワタシを密かに恥じ入らせ、反省を強いる本だった。

www.hayakawabooks.com

自立(自律)としてのアナキズムという話は、最近ではジェニー・オデル『何もしない』にも色濃くあり、伊藤聡さんがこの本を語る際にデヴィッド・グレーバーの名前を引き合いに出しているのも納得である。

そして、今回「献身的なアナーキストであるグレーバー」というフレーズを目にし、一度ブレイディみかこさんにメールで書こうと思いながら、恥ずかしくて出せなかった内容をここに書き残しておこうと思った次第である。

以下は余談。

「アナーキック・エンパシー」を提唱し、自分という主語を確立することの重要さを伝える『他者の靴を履く』だが、個人的にもっとも面白かったのは、マーガレット・サッチャーについて書かれる第4章「彼女にはエンパシーがなかった」だった。

ただこの章で、サッチャーについて「経済についてダーウィンの進化論のような考え方」「経済ダーウィニズム」という表現を用いているところは唯一不満というか、別にダーウィンの進化論は強者生存や優勝劣敗を説くものではないのに、と思ってしまった。もっとも、特に「経済ダーウィニズム」が人口に膾炙した表現であるのは理解しており、本書だけの話ではない。

そのあたりが特に気になったのは、単に『他者の靴を履く』を読む直前に吉川浩満『理不尽な進化 増補新版』を読んでいたから、そしてこれがとても良い本だったから、という個人的な事情に依るのだけど。

ジェフ・ベゾスの文章集『Invent & Wander』の邦訳が来月出るぞ

調べものをしていて、ジェフ・ベゾスが著者の本が来月出るのを知った。

ジェフ・ベゾスウォルター・アイザックソンという2人のビッグネームがクレジットされていて、本文執筆時点で Amazon のページでは二人とも「その他」扱いなのが謎だが、これはまず間違いなく ジェフ・ベゾスの文章集にウォルター・アイザックソンが序文を寄せた Invent and Wander: The Collected Writings of Jeff Bezos, With an Introduction by Walter Isaacson の邦訳ですね。

ジェフ・ベゾスは少し前に Amazon の CEO の座を降りているが、それまで超多忙だった彼が一冊本を書きおろせるわけはなく、既に発表済の文章、Amazon の株主宛てのレター、講演、インタビューなどを収録したもので、それを通して彼のビジネスに関する基本理念と哲学を伝える本である。

そういえば版元はダイヤモンド社だが、訳者の関美和さんはここから『13歳からの億万長者入門』翻訳を出したばかりで、何冊もすごいなぁと思ってしまう。

カート・ヴォネガットの伝記映画『Kurt Vonnegut: Unstuck in Time』が作られていた

カート・ヴォネガット亡くなったのは2007年だから、もう14年になる。彼の死後、本格的な評伝『人生なんて、そんなものさ』が出たが、彼のかなりダークな面も描かれており、一部の遺族から内容に異議が唱えられている(参考:荒野に向かって、吼えない…)。

彼の伝記映画って作られていないのかと思ったら、Kurt Vonnegut: Unstuck in Time というカート・ヴォネガットドキュメンタリー映画が作られているのを知る。

公式サイトによると、この映画の制作は以下のようにして始まったそうな。

1982年、ある若き映画製作者が、彼の文学上のアイドルに、彼の人生と業績についてのドキュメンタリーを提案する手紙を書いた。カート・ヴォネガットはすぐにロバート・ウェイドに会い、ドキュメンタリーの制作を許可した。ウェイドは必要な資金調達に数か月かかるが、映画はその年のうちに完成できるだろうと考えていた。それが33年前のことだった。

ロバート・ウェイドってどこかで名前を見たことがあったな……と記憶を辿ったら、「Directed by Robert B Weide」ミームの人か!

1982年に彼がヴォネガットに出した一通の手紙からドキュメンタリー映画の制作が始まったわけだが、それからおよそ40年近く、ヴォネガットの死からも14年経っての完成ということになる。ウェイドはヴォネガットと親交を深め、その友情自体も映画の重要な要素みたい(だが、個人的にはそのあたりに少し不安を感じる)。

このトレイラーにも出てくるが、Unstuck in Time とは彼の最高傑作『スローターハウス5』再映画化の話はその後進んでいるのだろうか?)で、主人公ビリー・ピルグリムについてまず宣言される一文からの引用ですね。

その出来が気になるが、この作品が日本の映画館で観れる日が来ればと思う。

ネタ元は kottke.org

『DUNE/デューン 砂の惑星』の脚本はMS-DOS上で執筆された

www.vice.com

日本での興行成績は物足りない感じだったものの、本国では無事にヒットしてパート2制作が正式決定した『DUNE/デューン 砂の惑星』だが、この話はちょっと驚いたね。

『DUNE/デューン 砂の惑星』の脚本を執筆したのは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』や『ミュンヘン』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』や『アリー/ スター誕生』で知られるエリック・ロスだが、MS-DOS 上で動く Movie Master という40ページ書けばメモリがいっぱいになるプログラムで書かれたそうな。

この2014年公開の動画の1:30あたり、正確には Windows XP マシンの DOS プロンプトから Movie Master 3.09 を起動してるのかな。このマシンはインターネットに接続されていないのだろうな。

この記事の最後にも触れられているが、MS-DOS を使って執筆というのは彼だけの話ではなく、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の原作である『氷と炎の歌』シリーズをジョージ・R・R・マーティンが、やはり MS-DOS のプログラム WordStar で執筆したのは有名である。

ネタ元は Slashdot

BBCが選ぶ今世紀最高のテレビドラマ100選

www.bbc.com

kingink さんのツイートで知ったが、43か国の206人から集計した今世紀のテレビドラマのランキングである。

この100選の中でワタシが観たことがあるのは以下のあたり。

23本、うーん、少ないね。『ゲーム・オブ・スローンズ』はあまり楽しめないままシーズン2に入ったところで脱落したので入れてません。

観ているものについてはどれも見応えがあったので他の人にも文句なくおススメする。近年 Netflix を中心に観た作品はワタシが改めて何か書く必要は特にないと思うけど、アメリカのドラマシリーズを続けて観る契機となったという意味で、今では語る人も少ない『24』と『LOST』のワタシの中での大きさは書いておきたい。

あと『チェルノブイリ』と『ウォッチメン』は、昨年秋に近所のレンタル屋が閉店するのを知って(やはりコロナ禍のせいだろうか)、この二作だけは完走しようと慌てて借りまくって観た思い出がある。

やはりというべきかアメリカのドラマが圧倒的だけど、個人的にはオリジナルの『The Office』がトップ10に入っているところに英国らしさを感じた。

ドラマ本編が居心地の悪い笑いを押し通した挙句ものすごい虚ろさで終わり、その後のクリスマススペシャルで登場人物は皆まったく変わっていないのにまさかの感動のラストという奇跡的なドラマだった。

長崎に移住した人のYouTubeチャンネル「長崎暮らし」を楽しく見ている

本ブログでは珍しく、個人の事情に寄った話をしたい。

皆さん、いろいろ贔屓の YouTube チャンネルがあるだろう。ワタシの場合、YouTubeネットラジオ代わりに音楽系のチャンネルを聴くことが多く、この期に及んでユーチューバーとか未だほとんど知らなかったりする。

www.youtube.com

そんなワタシだが、例外的に定期的に見ている YouTube チャンネルが「長崎暮らし」である。これを作っているのは、確か昨年に長崎に移住したしながわさん(@sho_mnmn_28)。

要はワタシが長崎出身だからなのだが、(「そう」が口癖の)しながわさんの街歩き動画がことごとくワタシの(帰省時の)生活圏内であるため、いつも楽しく見させてもらっている。

事情により比較的多めに帰省しているとはいえ、当然ながら日常生活は故郷から離れており、例えば今年であれば、このチャンネルの動画で長崎駅の変化を知ることができるなど実用的な面もある。

さて、せっかくなのでこのチャンネルからいくつか動画を選びたいと思うのだが、繁華街など観光客が行くスポットの動画をワタシが選んでも仕方がないので、それからは少し外れた、個人的にグッとくるニッチな動画を挙げておきたい。

これは長崎駅から長崎市街地を歩くものだが、実は途中までワタシが長崎駅から実家に帰るときに歩くコースほぼそのままで、つまり、この動画はすべてまんまワタシの行動範囲なのである。

またこの動画を見て、西勝寺が『沈黙 -サイレンス-』で重要な場面の舞台になったことを初めて知った(ロドリゴとフィレイラが再会するシーンのモデルになった寺らしい)。

この動画の前半は、ワタシの中学時代の帰宅コースそのものだったりする。懐かしい。

「道の真ん中に大木」というのに覚えがある人も少しいるかもしれない。これはかつてデイリーポータルZで、T・斎藤さん(@tsaito)が「長崎の巨木ロード」として取り上げている道である。

ワタシも車で通ったことはあるが、分かっていても巨木の左右どちらを通り抜けたものか一瞬悩んでしまう。

長崎というと平地が少なく坂ばかりというのは知られているが、ただ斜面地をくだるだけでなかなか趣のある動画が撮れてしまうのである。なお、この動画はワタシの高校時代の帰宅コースそのものではないが、それにかなり近い。

例えば、『ペコロスの母に会いに行く』の原作者の岡野雄一さんのご実家もこうした「立山」の斜面地にあるはずである。

この動画は最後に長崎歴史文化博物館が前に見えるところまできて終わるが、そこで180度方向転換し、真後ろを見たらどうなるかというと、これまたデイリーポータルZで、T・斎藤さんが「長崎の巨大要塞」と紹介していた最初の写真になるんですね。

要は、この動画はそうした「巨大要塞」を歩く動画とも言えるわけだ。

さて、ワタシの故郷の長崎だが、群馬県知事がブチ切れた都道府県の「魅力度ランキング」とやらでトップ10に入っていて、ワタシなどこれはつくづく当てにならないランキングだと呆れてしまった。

もちろんこの手の「魅力度ランキング」とやらは生活者ではなく観光客をターゲットとしたものだと察しはつくが、そんな魅力度の高い県が人口流出2年連続ワースト1位になるわけなかろうよ、くらい言いたくなる。

ワタシだって何も知らずにこのしながわさんのように長崎に移住してきた方と話をする機会があったら、「ええ?! なんで東京から長崎に移住してきたんですか?長崎には何もないのに!」と口走るかもしれない。

そうした意味で、しながわさんの「長崎で、仕事を作る」という願いが、心を折ることなく成就してほしいと心から応援したくなる。

こちらは最近アップロードされた外海地区の動画だが、ワタシの父方の実家がこの外海にあったため、この動画はワタシ的にも盛り上がるものがあった(そういえば、昔遠藤周作文学館から撮った写真をあげていた)。

あんな辺鄙なところ(子供のころは、墓参りなど退屈なイメージしかなかったのでどうしてもそう言いたくなる)を楽しんでくれてありがとうとしながわさんに言いたくなるが、余談ながら、この動画の最後でしながわさんが弁当食べているのは中町公園ですね。

さて、ついでなので、週末の帰省時にワタシが撮影した画像も載せておきたい。

店主が御高齢のため、一年以上(!)休店状態だったこともあり、またコロナ禍もあり、もう二度と行けないのではと危惧していたおでん屋に数年ぶりに行けた。

キース・ジャレットの唸り声に耳を傾けながらギネスビールを飲む。

バーで飲んでいたら、高齢の女性客になぜかパンダ杏仁豆腐をいただいた。いくつも持ち歩いているのだろうか?

別のバーで飲んでいたら、福砂屋のカステラをラスクにした「ビスコチョ」をお土産にいただいた。ありがたいことである。

伯母の家で会食をしたのだが、場の主役は完全にいとこ夫妻の家で飼い始めたトイプードルだった。

最初上の掲示を見て、関西からの客ならいいんかい! と内心突っ込んで下を見たら、県外客はすべて拒否されていた。

県外客は拒否するお店ですが、お魚はとても美味しかったです!

長崎では、福山雅治が『龍馬伝』で演じて以降、坂本龍馬銅像が増え続けているが、そのニューカマーが近場にできたと聞いて見に行ったら、坂本小龍馬かと言いたくなるミニサイズぶりに失笑(誤用)。映画『スパイナル・タップ』ストーンヘンジの場面を思い出してしまったよ。

長崎の龍馬の銅像は、この小龍馬で最後にしていただきたい。

インターネット・アーカイブが今週創設25周年を迎える

www.voyager.co.jp

このボイジャーのページで知ったのだが、今週の10月29日で Internet Archive は創設25周年を迎えるのな。

Internet Archive にも25周年を記念したページができているが、まずはその25年前当時を振り返る動画は、日本語吹替/字幕付きなので是非見ておきましょう。

あと『共に歩んだデジタルの道 Internet Archiveとボイジャー』も貴重な歴史証言である。ボイジャーというと、ちょうどスマートワーク総研に鎌田純子社長のインタビューも公開されている。これもまた貴重な歴史証言に違いない。

ワタシも『マニフェスト 本の未来』(asin:4862391176)翻訳を少し担当した関係で、鎌田さんとはお仕事をしている。氏がメールで「催促なくして原稿なし」がボイジャーのモットーであることを高らかに宣言されていて、深い感銘を受けたものである。

閑話休題Internet Archive というと、多くの人にとっては未だになにより Wayback Machine なのかもしれないが、ワタシはそれ以外のアーカイブについてもいろいろ取り上げてきたつもりで、以下のリンクはその一例である。

そうそう、かつてはマガジン航でもインターネット・アーカイブ(やその創始者ブリュースター・ケール)に関する文章執筆や翻訳で微力ながら貢献している。

そういえば少し前にも Internet Archive は25年後となる2046年のディストピアな未来のインターネット像を公開したのが話題になったが(というか、これ自体25周年企画の一環だったのね)、ウェブがインターネット・アーカイブと同義になる恐ろしく悲しい未来について書いたことのある、というか『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』の著者であるワタシにとっても他人事ではない。できればそういうディストピアな未来のインターネット(ウェブ)は避けたいもので、それは我々次第ということなのだろう。

トム・スタンデージが新刊で説く「車の黄金時代の終焉」

bigthink.com

『謎のチェス指し人形「ターク」』『ヴィクトリア朝時代のインターネット』など古いテクノロジーに関する面白い歴史話を書かせると一流なトム・スタンデージの新刊 A Brief History of Motion: From the Wheel to the Car to What Comes Next が出ていた。

21世紀以降のテレビドラマの黄金時代を指す peak TV という言葉があるが、スタンデージはその新刊で、我々は「peak car」に達したのではないかと書いている。つまり、「車の黄金時代」ということですね。そして、その「ピーク」は既に過ぎているのかもしれない、とのこと。

車の生産台数は2017年がピークで、以降は緩やかな停滞にある。西欧諸国では車の利用や所有率、運転免許証の取得率などは下がっており、今後ますます ride-hailing が進むよ、という話を展開している。

欧米はともかく、中国市場とかまだまだ伸びしろあるだろう、またコロナ禍で公共交通機関よりも自家用車の優位性がクローズアップされたのでは、といった疑問はいくつか浮かぶが、もちろんスタンデージはそれを承知の上で書いており、これは邦訳を読んでみたいところ。

www.theguardian.com

こちらはスタンデージの新刊からの別の箇所の抜粋だけど、「1897年、アメリカでもっとも売れた車は電気自動車だった」という、読んでて「ええっ!?」と思ってしまうことを書いていて、そのあたりの引きの強さもさすがスタンデージというべきか。

ネタ元は kottke.org

ファンによる労作「プリンスのスタジオレコーディング記録(1973年-1989年)」

prince.org

Anil Dash のブログで知ったが、プリンスがキャリア初期の1973年(当時彼は15歳)から1989年まで、スタジオでどの曲をレコーディングし、それはリリースされたのかといった情報をまとめたスプレッドシートが公開されている。

ウェブで見れるよう Goolge スプレッドシート版もあるが、ともかくファンによるものすごい労作である。Anil Dash も指摘しているように、記載方式に文句をつけたくなるところもあるが、よくぞここまでまとめてくれたものだと思う。

プリンスには Prince Vault という優れた情報集積 Wiki サイトや、彼のキャリア初期にフォーカスした Becoing Prince など、ファンによる優れたウェブリソースがいくつもある。それも彼の遺産と言える。

amass.jp

そうそう、少し前に話題になった、プリンスのライヴ演奏を記録した最古の映像だけど、これは1974年11月なのか。音が入っているのはほんの少しだけど、それだけでプリンスと分かるのがすごいよね。

プリンスのスタジオレコーディング記録だが、1990年代以降、彼の死まで網羅される日は来るのだろうか?

Welcome 2 America

Welcome 2 America

  • アーティスト:Prince
  • Legacy Recordings
Amazon

DUNE/デューン 砂の惑星

またしばらく映画館から足が遠のいていたが、状況がいくらか好転しているのもあり、何よりこの作品は絶対 IMAX で観るべきだろうと出向いた。

ドゥニ・ヴィルヌーヴの映画は『メッセージ』『ブレードランナー 2049』を観ており、いずれも高く評価しているが、本作は難作と予想できた。

前作『ブレードランナー 2049』が『ブレードランナー』を観てないとどうしようもないように、本作は原作を読んでないとどうしようもないという評判は聞いていた。で、ワタシはその原作未読勢なのである。『ホドロフスキーのDUNE』は最高だったが、デヴィッド・リンチ版もテレビ放映時に部分的にしか観ていない。

案の定、本作はヴィルヌーヴの映画らしく説明的な台詞を排した超然とした作りになっている。ワタシ同様、原作を読んでいないが本作を観たい人には、原作の Wikipedia ページ(のプロット部分を翻訳するなりして)でストーリーを把握した上で、ハヤカワが用意しているキーワードページを読んでおくことをお勧めする。

よって、ワタシは本作を十全に理解したなどと言うつもりはなく、見事な映像(これは IMAX で観ないと意味ない映画です)にただただ身を任せることができて満足というより他ない。本作で描かれる砂の惑星の質感表現は特によくできている。『メッセージ』で初めてヴィルヌーヴ作品に触れたときの感動に近いものを少し思い出した。

さて、本作の音楽は例によってハンス・ジマーで、いつも通り圧迫感のある音を、いつも以上にけたたましく鳴らしている。ワタシは彼の映画音楽が好きなのでいいのだけど、ニルヴァーナ以降、グランジに分類されないものを含め、90年代のバンドの多くがブラック・サバス直系の重いギター音像をまとったのを連想し、後世の映画ファンは、2010年代以降の映画音楽はなんでこんな圧迫感があるんだと不思議に思わないだろうかと思ったりした。ヨハン・ヨハンソンだったら本作にどんな音楽をつけていただろう。

今はただ、ヴィルヌーヴの構想通り、パート2が作られることを願うばかりである。

[YAMDAS Projectトップページ]


クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
YAMDAS現更新履歴のテキストは、クリエイティブ・コモンズ 表示 - 非営利 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されています。

Copyright (c) 2003-2023 yomoyomo (E-mail: ymgrtq at yamdas dot org)