当ブログは YAMDAS Project の更新履歴ページです。2019年よりはてなブログに移転しました。

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イーサン・ザッカーマンの「ソーシャルメディア図鑑:まえがき」を訳した

Technical Knockoutソーシャルメディア図鑑:まえがきを追加。Ethan Zuckerman の文章の日本語訳です。

knightcolumbia.org

このページに埋め込まれている PDF ファイルの Foreword を訳した。これ全体は Chand Rajendra-Nicolucci と Ethan Zuckerman の共著だが、Foreword 部分はイーサン・ザッカーマン単独のクレジットなのでそれに従っている。

このページはコロンビア大学の Knight First Amendment Institute のサイト上にあり、やはりイーサン・ザッカーマンが主導し今年の5月に開催されたインターネットの今後の十年を想像する仮想カンファレンス Reimagine the Internet に関連する形で書かれたものである。

リンク先を見れば分かるが、このカンファレンスの動画も YouTube 上ですべて公開されており、イーサン・ザッカーマン以外にもコリイ・ドクトロウや(ウィキメディア財団の CEO だった)キャサリン・マーといった本ブログになじみのある人も参加している。

さて、なんでこの文章を訳そうと思ったのか。理由はいくつかあり、まずは何よりこれがイーサン・ザッカーマンの手によるものだから。

wirelesswire.jp

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』に収録された連載の初期で彼の本を取り上げているのだが、結局邦訳は出ず、彼の仕事があまり日本で紹介されないのを残念に思っていたことがある。

近年では、彼の名前は伊藤穣一が MIT メディアラボ所長辞職にいたったジェフリー・エプスタインからの献金問題に関連して、最初に伊藤穣一に抗議して MIT メディアラボを辞職した気骨ある人物として名前が挙がったりした。

www.afpbb.com

そして、もうひとつは個人的な事情である。

wirelesswire.jp

この文章にも書いたが、ワタシは角川インターネット講座5 ネットコミュニティの設計と力 つながる私たちの時代の第1章「ソーシャルメディアの発生と進化」を担当している。

本文執筆時点で Kindle 版が紙版の4割以下の値段になっているので、気になる方は買っちゃいましょう!

この本については、率直に言って不愉快な思いをさせられた。それは『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』に収録した上記「ラストスタンド」の追記部分に書かせてもらったが(電子書籍の感想で、このボロカスに書いた追記部分を誰もとりあげないのが不思議なのだが、みんな優しいんだね)、少なくともワタシは死力を尽くしてソーシャルメディアについて書いたつもりである。

しかし、それから時は流れ、イーサン・ザッカーマンの文章にも引き合いに出される監視資本主義ではないが、とにかく Facebook をはじめとしてソーシャルメディアが素直に良いものと見られることは今では少ない。Facebook は Instagram が10代に悪影響を及ぼすことを把握していながら子供向けアプリ立ち上げを計画なんて記事を見ても、もはや誰も驚かない。

Facebook が社会の害悪なのはその通りとして、ソーシャルメディアにはもっと違った形もありうるのではないか? とは思っていたことで、イーサン・ザッカーマンの今回の仕事は、そのあたりのヒントになると思ったわけである。

それで「まえがき」部分を試しに訳してみたのだが、あともう1章くらいは訳すかもしれない。が、もはやワタシにかつての馬力はなく、このフィールドガイド全体を訳すことは無理っしょ。誰かこれを見て、我こそはと思う人が訳してくれないかなと思うからというのがある。CC BY 4.0 ライセンスなので、自由に公開できるよ。

それはそうと、角川インターネット講座に寄稿した「ソーシャルメディアの発生と進化」だけど、もう note とかに公開してもいいのかな?

ウィキペディアでもっとも編集された記事についてのニュースレターWeeklypedia

boingboing.net

このエントリで Weeklypedia というニュースレターが紹介されている。これは毎週、Wikipedia でもっとも編集された項目トップ20、もっとも活発に編集されている新規作成項目トップ10、もっとも活発に議論されている項目を集めたニュースレターで、こういう定点観測が Zeitgeist時代精神)を理解するのに役立つのではないでしょうか。

ニュースレターの隆盛については昨年も書いているが、その後もいろんな人の参入を見た。が、これは確か2014年から続いており、老舗と言える。こういうテーマこそ定期刊行(週刊)に合ったものだと思う。

あとこの Weeklypedia ニュースレターを作成するコードが、当たり前のように GitHub で公開されているのも今どきですね。

これを出しているのは Hatnote で……って、ワタシここを以前取り上げてるじゃん!

yamdas.hatenablog.com

ウィキペディアの編集をリアルタイムに「聞ける」」って何? と思われるかもしれないが、これは Hatnote のサイトに行けば分かります。なんというか「球体が奏でる音楽」という言葉を思い出す、少し神妙な気持ちにすらなりますな。

これぞWikiに適した映画館情報集積サイト「消えた映画館の記憶」

hekikaicinema.memo.wiki

確か Twitter のタイムラインに流れてきて知ったサイトだと思うが、「閉館した映画館を中心とする、日本の映画館の総合データベース」というのは、Wiki に適したコンテンツだと思う。

どうしてもワタシなど、自分が生まれ育った街ということで長崎市の映画館に目が行く。

長崎駅前映劇」について以下の記述がある。

所在地 : 長崎県長崎市大黒町9-26(1985年)、長崎県長崎市大黒町14-5(1988年)※1988年の所在地は正しくない可能性あり

長崎市の映画館 - 消えた映画館の記憶

ここはまだ小学生低学年の頃、『E.T.』を2回観に行った思い出の映画館だったりする。地元民としての情報を書いておくと、管理人の方の推測通り、長崎駅前映劇の住所は長崎県長崎市大黒町9-26が正しく、長崎県長崎市大黒町14-5は間違いだと思う(し、後年移転した記憶はないのだが、これについては単にワタシが知らなかっただけの可能性もある)。

こうしてみると、長崎市中心地の映画館は21世紀に入るとともにバタバタ閉館しているが、これはやはりシネコンへの集約が原因で、今ではユナイテッド・シネマ長崎と TOHO シネマズ長崎の2つのシネコン以外では、長崎セントラル劇場というアートシアター系の古い映画館が唯一だったりする。ここは何か理由をつけて定価の1800円を劇場側が値切ろうとする謎な経営方針を持つ映画館なのだが、どうかコロナ禍を生きのびてくれと願わずにはいられない。

個人的には「新世界」の名前が懐かしい。ここで『帝国の逆襲』を観たのがもっとも古い映画館の記憶だが、これは捏造された記憶の可能性もある。「吉田修一さんの「国宝」長崎の登場場所めぐりしてきた」というページに少し記述があるが、「新世界」は吉田修一『国宝』の中でも登場する。

あと若者期から中年期にいたる20年を過ごした福岡市の映画館も懐かしい。ワタシの生活圏だった1990年代後半以降、シネ・リーブル博多、シネサロンパヴェリア、シネテリエ天神といったアートシアター系の映画館が消えたっけ。

そうそう、シネテリエ天神が成人向け映画専門映画館になるというニュースに落胆して愚痴ったところ、柳下毅一郎さんから「それはいいニュース!」と返されたのを懐かしく思い出す。

シネテリエ天神の Wikipedia ページを見ると、残念ながら成人向け映画専門としても続かなかったようだ。

80年代の文化的アイコン、ジョン・ルーリーの回想録の邦訳を読みたい

note.com

確か Twitter のタイムラインに流れてきて知った文章だったか、これを読むまでジョン・ルーリーが回想録 The History of Bones を出したことを知らなかった。

個人的にジョン・ルーリーというと、ラウンジ・リザーズなどミュージシャンとしての本業よりも、やはり初期のジム・ジャームッシュ作品に代表される映画関係の仕事で知った人である。

彼は80年代から90年代にかけて、音楽にしろ映画にしろ、当時先端にいた多くの才能と仕事をしてきた、紛れもなくニューヨークのアートシーンの重要人物、というか一種の文化的アイコンだったわけで、そういう人の回想録だから面白いに決まっているのだが、内容は読んでてかなりツラそうだ。

 基本的に恨みつらみの本でもある。途中でこう書いている。「これを書いている2〜3年の間、『ジムを貶さないようにしよう』と自分に言い聞かせてきた。けど、結局それは不可能だった」。ジムとはジャームッシュのことだ。

骨の歴史 ジョン・ルーリー 回想録|山下泰司 Yasushi Yamashita|note

上に書いたように、ワタシはジョン・ルーリーというとジム・ジャームッシュ作品で知った人だし、近年の彼の作品だと『パターソン』は大好きなので、彼についての批判を少なからず含むのはいささか悲しいものがある。けど、本当なら仕方ない。

しかし、ジャームッシュだけでなく、ヴィム・ヴェンダースマーティン・スコセッシデヴィッド・リンチバリー・ソネンフェルドといった映画監督についてもだいたいネガティブな記述があるとのことで、それは読んでみたい。

あと、彼がジャン=ミシェル・バスキアと深い付き合いがあったのは知らなかった。彼との逸話はなんとも言えない切なさがある。

かつて、暗く、苦々しく、悲しい話にこそワタシは惹かれると書いたことがあるが、ワタシが回想録で読みたいのは、偉人の余裕から出る忖度やヨイショではなく、そういう話なんだよね。どこか邦訳を検討いただけないものだろうか。

以前原書を紹介した本の邦訳を紹介(『デタラメ データ社会の嘘を見抜く』、『インターネットは言葉をどう変えたか』)

yamdas.hatenablog.com

ちょうど一年前に紹介した『Calling Bullshit』だが、恥ずかしながら『デタラメ データ社会の嘘を見抜く』として7月に邦訳が出ていたのを今更知った。誰か教えてよ~

数字と科学と統計を引き合いに出して、あたかも厳密で正確なもののように装う「新型デタラメ」の見抜き方が主眼の本である。

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で紹介した本の邦訳がぼちぼち出る頃ですかね。

yamdas.hatenablog.com

こちらは原書を取り上げたのが2年以上前になるが、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)」にも書いたように、正直邦訳は難しいかと思っていた。

しかし、『インターネットは言葉をどう変えたか デジタル時代の〈言語〉地図』として出ていた! デザインが原書を踏襲しているが、これは版元らしい配慮なのかな。

これはデジタル時代の言語学ガイドブックですね。

それにしても千葉敏生さんについては以前にも触れたことがあるが、この数年相当な数の翻訳を手掛けておられる。まさに売れっ子翻訳者である。

そうそう、この本をばるぼらさんが早速取り上げていた。

新聞のデジタル版購読先を朝日新聞から毎日新聞に乗り換え(られなかっ)た話

まあ何事もちゃんとトレーニングしなければダメで、将棋ならたとえば詰将棋を相当コンスタントにこなさないと強くはなれないのだが、強くなったところでyomoyomoさんのように性格がひん曲がって寂しい人生を送るのがオチなので、暇つぶしと割り切って楽しくやっている。

Masayuki Hatta a.k.a. mhatta | すぐ勝てる!急戦矢倉 / 及川拓馬

すいません、上の引用は以下の内容に(あまり)関係ありません。

digital.asahi.com

srad.jp

今年の6月に、朝日新聞デジタル版のサービス内容変更の告知があった。

ワタシは紙の新聞は長らくどこもとっていないが、デジタル版は朝日新聞を購読しており、まさにサービス変更の対象となるシンプルコースの加入者だった。

これまでは月300本、だいたい1日10本の記事を閲覧可能で、気分的には読み放題というか、少なくともこれまで制約を感じたことは一度もなかった。それが月50本、1日あたり2本未満に減るのだから、壮絶なサービス内容改悪である。1日2本で済む人が元から月額980円の有料会員になっているか疑問だし、将棋ファンのワタシは毎日将棋欄で1本枠を使っているので、それを除けば変更後は読める記事は1日あたり1本未満になってしまう!

朝日新聞デジタル版には、昔も無料会員が読める本数が激減するサービス改悪をやられた恨みがあるが、あのときは無料会員なんだから文句は言えないと諦めがついた。しかし、今回は正規の有料会員へのサービス提供枠を6分の1にするのだからベラボウな話である。

この発表の少し前には、朝日新聞社3月期決算、11年ぶり赤字というニュースもあり、経営の厳しさを反映した改定なのは容易に想像がつく。実際、紙版の購読料値上げの発表も続いたが、そういうことだろう。

ワタシは昔から朝日新聞嫌いを公言している人間だが、なんでそのデジタル版に課金しているかというと、単に日本の新聞社のデジタル版サービスの中で一番リーズナブルに思えたから。実はこの時点で間違っていたのだが、それついてはここでは置く。要はワタシがケチの貧乏人だからと思っていただければよい。

なお、アメリカの新聞社では New York Times のデジタル版も購読していて、通常は週2ドルのはずが、75%オフの週0.5ドルの割引価格が常態化しており、ワタシもそれで加入したので、こちらはおよそ月2ドルの料金になる。世界中に購読者を見込める英語圏の新聞社と日本のそれを単純比較するのが酷なのは承知しているが、片やおよそ月2ドルで過去記事含めあらゆる記事にアクセスできるのを思えば、月額980円で月50本の制限はあまりにもお粗末に思える。

朝日新聞のデジタル版でも、スタンダードコースに乗り換えれば、文字通り無制限に記事を読めるようになる。しかし、それには月額1980円と現在の倍の料金になる。さすがに単に値段倍ではまずいと思ったか、スタンダードコースなら連載フォローやレコメンドといった新たな機能も使えると謳っている。が、ワタシはデジタル版をパソコンのブラウザからしか見ない人間なので(スマートフォンには朝日新聞のアプリもインストールしていない)、現状の使い方のままではそれらは乗り換えの訴求ポイントにはならない。

yomoyomoは激怒した。必ず、かのぼったくりの朝日新聞を除かなければならぬと決意した。yomoyomoには新聞経営がわからぬ。yomoyomoは、工場のライン工である……かはともかくとして、いくらなんでも客の足元見すぎだろう。こんなアコギな値上げには、サービス解約で抗議の意思を示す必要があると決意した。

しかし、朝日新聞のデジタル版のサービス内容自体には実は文句はなかった。ちゃんと新聞社の有料サービスを購読し、いろんな記事を読む利点は日々実感していた。今回の実質値上げにしても、元が安すぎたからやむなしという意見があるのは理解する。

さて、朝日新聞のデジタル版を解約するとして、同じくらいの値段でデジタル版を購読できる他の新聞社はあるかという話になるが、毎日新聞デジタルのスタンダードプランが月額980円で、朝日新聞デジタル版のシンプルコース(改めベーシックコース)と同額なので、受け皿になりそうだ。

毎日新聞デジタル版のスタンダードプランは記事閲覧無制限だし、ウォール・ストリート・ジャーナルとの提携もある。そして、個人的には一つ大きな利点があった。将棋の名人戦である。

これを米長邦雄永世棋聖の功績とは言えないだろうが、現在、将棋名人戦朝日新聞社毎日新聞社の共催である。それにより、将棋名人戦並びにその名人戦への挑戦者を決めるA級順位戦の観戦記は朝日新聞毎日新聞のいずれでも読める。将棋欄の内容に差異がないというのがワタシ的にはかなりでかかった(伏線)。

もちろん失われるものもある。朝日新聞のデジタル版で愛読していた連載、具体的には三谷幸喜のありふれた生活ブレイディみかこさんの「欧州季評」平民金子さんの「神戸の、その向こう」、他にも柳下毅一郎さんの映画評も読めなくなる。

そういうのを考え出すと気持ちが揺れもした。何度もここに書いている通り、ワタシは病的なものぐさで、こういう購読サービスひとつ変えるのも億劫な人間なのである。そもそも毎日新聞に対して特に好意的ではない。というか、過去の『ネット君臨』(asin:4620318361)や毎日デイリーニューズWaiWai問題などで、はっきりマイナスイメージもあった。

しかし、それも10年以上前の話である。周りで毎日新聞デジタルを購読する人に聞いても特に悪評はなかった。朝日新聞デジタル版の購読コース名と内容が変わる9月8日の近くまで悩んだが、ここは決断のときと毎日新聞デジタルに加入した。そこでケチの血が騒いで、少しでもお得にと、月あたり700円になる12か月コースを選択した。

これでむしろ出費を減らして新聞のデジタル版を無制限に読めるようになったわけだ。心機一転、ざまぁみろ朝日新聞

……で話は終わらなかったのである。

今のところ毎日新聞デジタルの大部分のサービス内容に不満はない。まぁ、こんなものでしょうという感じである。そのうち、毎日新聞ならではの面白い連載なども見つけるだろう(おススメのコンテンツをご存知の方は教えてください)。

しかし……ワタシ的にとても大きな落とし穴があった。将棋欄である。

これは手っ取り早く朝日新聞毎日新聞両方のデジタル版の将棋欄を画像で見ていただこう(正直意味ないとは思うが、棋譜部分は少し網掛けさせてもらった)。

まずは朝日新聞の将棋欄だが、棋戦名などが入った記事タイトル、対局者の名前と先後、局面図、棋譜、そして観戦記が続く。局面図はその日のはじまりの場面と終わりの場面の二つが見れる。内容的に紙の新聞の将棋欄と変わりがない。というか、これ以外の形式の将棋欄があるとは思わなかった。

続いて毎日新聞の将棋欄である。ある一点を除いて内容的には朝日新聞とだいたい変わりない。そう、局面図がない。その一点が致命的なのだ。棋譜だけ載ってても、その始まりの場面も、またその日の棋譜でどの場面まで行ったのか分からないのだから、これでは新聞の将棋欄の意味をなしてないだろうが!

何かワタシが見ているものがおかしいのかと思ったのだが、毎日新聞デジタルの将棋記事は、日々の将棋欄に限らず、どうもすべて「局面図」が省かれている。それでいて記事中には普通に指し手の記述があるのだから呆然となってしまう。これ……将棋ファンの読者から抗議はないのだろうか? それともデジタル版で将棋欄を見ている人間など全国で10人足らずなんだろうか?

そんなわけはなかろうが、なんかこれでワタシは一気に気持ちが萎えてしまった。今のところ他でこういう萎えポイントには行き当たってないが、他にもデジタル版が平気で粗末にされているところがないとも限らないではないか。

(一応言い訳しておくと、朝日新聞デジタル版の将棋欄は無料会員でも上掲画像の局面図と棋譜までは見れる。毎日新聞デジタル版の将棋欄は観戦記の最初の段落まで見れる。その下の有料部分に当然局面図があるに違いないと思い込んでいた。購読前には、この問題は分からなかったのだ)

将棋重視というワタシのニッチな嗜好が災いしてしまった形だが、これが月単位での購読だったらひと月で解約していただろう。しかし、既に年払い契約してしまっている。

不幸中の幸いと言えるかは知らないが、朝日新聞デジタル版の料金支払いがワタシの場合月末のため、9月8日前に解約せずに放置していた。現コースの月980円を払い続ければ、将棋のA級順位戦名人戦の観戦記は読める。将棋欄で1日1本、あと上で挙げた連載など個別記事を読むのに枠を使えばよいとも言える。しかし、それで毎日新聞デジタル版にもお金を払うなら、はじめから朝日新聞デジタル版でスタンダードコースに乗り換えたほうがすっきりしたじゃないか!

実際には、毎日新聞デジタル版は年払いなので、単に朝日新聞デジタル版でスタンダードコースに乗り換えるよりも出費自体は少なくて済んでいる。しかし、個人的な話になるが、先月ぐらいからネット通販での買い物で失敗のやらかしが続いたのもあって、今回の一件はその内実以上に凹んでしまったところがある。

さて、ここまでの話にもいろいろツッコミどころはあるだろう。普段はこの手の失敗話は書かないのだが、ワタシもそれなりに「パソコンの先生」というか「ネットにいっぱしに詳しい」と自負していたのが、上にも書いた今回の件を含む失敗続きで、ああ、こうして年寄りは苦手意識を増幅させていくのだな、と悟ったところがあり、他の人に何かの教訓となるかも思い、恥を忍んで書かせてもらった。

スタンフォード大の3人の教授がビッグテックがどこで間違ったか、どうやって政治が未来を変えられるかを説く『System Error』

新山祐介さんのツイートが目をひいた。

リンク先を見ると、オンラインインタビューを受けている三人が共著者の新刊 System Error: Where Big Tech Went Wrong and How We Can Reboot のプロモーションのようだ。

このインタビューの冒頭、限定された単語数で難しい質問に答える The Last Word というゲーム(この呼び名は一般的に使われるかは知らない)として、10語で新刊の内容を表現するように言われ、共著者の Rob Reich は、以下のように答えている。

ビッグテックにしかるべき規制をして民主主義の制度を再活性化する(Reenergizing democratic institutions through the sensible regulation of Big Tech)

この数年のトレンドである、ビッグテックは民主主義を毀損しているという認識を前提としたビッグテックの規制論ですね。

書籍の公式サイトの宣伝文句を訳すると以下の感じである。

数十年にわたり技術革命の最前線で取り組んできたスタンフォード大の三人の教授たちによる、いかにビッグテックの最適化と効率への執着が基本的な人間の価値を犠牲にしてきたかを明らかにし、我々が方向を転換し、民主主義を取り戻し、我々自身を救うためにできることをまとめた前向きなマニフェスト

もう少し詳しく書くと、テクノロジーは我々を解放する的なナイーブな楽観主義は、偏ったアルゴリズム監視資本主義仕事を奪うロボットといったもののディストピアな強迫観念にあっという間にとってかわっちゃったよね。でも、テクノロジーの進化を受け入れる以外の選択肢って実質ないじゃん? そうして、テクノロジストと彼らに金を与えるベンチャーキャピタリスト、そして連中に自由裁量権を与える政治家にデザインされた未来をただ受け入れているわけだ。でも、それじゃいかんでしょというわけ。

この本は、ビッグテックが差別を強化し、プライバシーを侵害し、労働者を追い出し、情報が汚染された未来を推進するビッグテックに反旗を翻す本ということですね。

著者の Rob Reich は、最近慈善活動に関する記事で名前をみかけて記憶に残っていたが(その1その2)、こういう本を書く人とは思ってなかった。同じく共著者の Mehran Sahami は、スタンフォード大学に来る前は Google で上級科学研究員だったとな。

ビッグテック支配がいかに間違っていたかについての本は既に多く出ており、この手の本では上でもリンクしたショシャナ・ズボフ『監視資本主義』が決定版ともいえるが、結論に具体的に対処する処方箋が書かれていないという批判もあったので、ビッグテック支配に対して政治が何ができるか、どう現状を正せるかをデザインする提言まで踏み込んだ内容なのが重要なんだろう。

Maker Faire Tokyo 2021を前にアナログMake本(?)を出してくれるオライリー・ジャパンを称えたい

makezine.jp

昨年に続き、今年も Maker Faire Tokyo が10月初旬に開催される。

今年はオンサイト(対面)イベントが行われないことが発表済で、それはもちろん残念に違いないのだけど、状況が状況だけに仕方がない。ワタシのように首都圏に住まない人間もオンラインで参加できると頭を切り替えていくしかない。

こんな状況下でもできる限りの Maker Faire Tokyo を続ける努力をするオライリー・ジャパンに感謝なのは当然として、加えてイベントだけでなく、地道に Make 分野の本の翻訳を出し続けているのもとても偉いと思う。

特に今月は、いわゆるデジタル工作や IoT プログラミングから離れた、「アナログ Make 本」なんて言葉があるか知らんが、Make の裾野を広げる(原書がオライリー本家から出たわけでもない)翻訳書が出る。尊い

makezine.jp

まずは5年前の『発酵の技法』に続くサンダー・キャッツの発酵本『メタファーとしての発酵』である。

サンダー・キャッツというと、「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で取り上げた『サンダー・キャッツの発酵世界旅行』(勝手邦題)はまだ原書も出ていないのにと驚いたが、その前の著書の邦訳なのか。

監訳者が Wired で「発酵メディア」研究連載をやっていたドミニク・チェンなのもピッタリだ。

makezine.jp

続いては、『段ボールで作る! 動く、飛ぶ、遊ぶ工作』である。段ボール工作本か!

よくこんな本を見つけてきたものだと思うが、こうしたアナログ工作分野もまぎれもなく Maker Faire がカバーする領域なんだよね。こうしてメイカーの裾野が広がるわけだ。ここまでくると、そろそろ手芸関係の本もいいかもしれない。

ジェニー・オデルのアテンションエコノミーへの反逆を説く本の邦訳『何もしない』が来月出る

yamdas.hatenablog.com

およそ2年前にジェニー・オデルの本を取り上げたときは、「何もしない方法」という奇妙なタイトルの本の邦訳は難しかろうなと正直思っていたが、『何もしない』として早川書房から10月に出るのを知った。木澤佐登志さん推薦とな。ワオ!

『監視資本主義』を引き合いに出すまでもなく、アテンションエコノミーに対する反感がそれだけ高まったのもあるし、インターネットが生活に欠かせないインフラになって久しいが、気が付けばネット全体が残念なノリになってるよねという意識の反映なのかもしれない。

さて、著者のジェニー・オデルは「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で紹介した新刊も出たばかりだが、こちらはページ数が70ページ程度の薄い本なので、本格的な第二作が出るのはまだ先の話だろう。

少し前にフランスの公共放送に出演して、取り残されることへの不安を指す「FOMO」の向こうを張って、NOMO(The necessity of missing out:見逃すことの必要性)を説いているあたり、さすが「何もしない方法」の著者らしいと思った。

その仕事が大いに教育的な役割を果たす堀越英美さんの翻訳本がこの秋二冊出る

堀越英美さんというと、ワタシにとっては1973年組の星の一人なのだけど、この秋彼女の翻訳本が二冊出る。

一冊目は、ギタンジャリ・ラオ『STEMで未来は変えられる』

著者のギタンジャリ・ラオ(Gitanjali Rao)については、版元関係のサイトに掲載されているインタビュー記事に詳しい。

「米TIME誌の表紙を飾った15歳の科学者」という謳い文句も目を惹くが、彼女が開発したものを見ると、水中に含まれる鉛探知機にしろ、オピオイド(鎮痛剤)の依存症状の早期診断デバイスにしろ、ネットいじめを防止するために AI を活用したアプリにしろ、いずれも今のアメリカの社会問題を反映したものなのがすごい。

STEM 教育の重要性は以前から言われているが、最低レベルともいわれる日本の STEM 教育の重要性がこの本で認識されるとよいと思います。

そうそう、今月末に大分県がギタンジャリ・ラオの特別講演会を行うみたい。

さて、二冊目はサラ・ヘンドリックス『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』である。

著者のサラ・ヘンドリックス(Sarah Hendrickx)は、自閉症などを対象とした訓練やコンサルティング、ビジネスをサポートする団体を運営する研究者にして、自らも自閉症スペクトラムの診断を受けている。

確か堀越英美さんの次女さんも自閉症スペクトラムの診断を受けていたと記憶する。そうした意味でこの本の翻訳は訳者自身にとっても実用性があり、切実な内容を含んでいたと推測する。

紹介した2冊とも教育的な本であるが、思えば堀越英美さんが昨年出した2冊の本も娘さんを持つ母親として、とても教育的な本であった。

『スゴ母列伝』が特にそうだが、堀越英美さんは女の子、そして娘を持つ母親の両方に力を与える教育的な仕事をずっとやっていることに気づく。しかもその仕事に説教臭さは微塵もなく、何より著者自身が刺激を受け、楽しんでいるのが分かる。今回紹介した翻訳書二冊もそういう仕事に違いないし、そのように仕事に一貫性というか、貫くものを持っている人をワタシは尊敬する。

追悼チャーリー・ワッツ ~ かつてワッツ夫人が語った「ローリング・ストーンズ」に対する深い怒り

rollingstonejapan.com

もはや説明の必要はないが、チャーリー・ワッツが亡くなった。ワタシが節約打法と呼ぶ、ハイハット抜きに特徴のある彼のドラミングを愛する者としてとても悲しい。ピーター・バラカン「チャーリーがいなければ、ストーンズはもう終わりでしょう。それとともに、あのロックの時代、僕らの時代の終わりを感じる」と言うのはよく分かる。

折角なので少し毛色の変わった記事を紹介しようと考え、rockin' on 1990年1月号(表紙はストーン・ローゼズ)に掲載された、「メンバー全員の妻たちが語るローリング・ストーンズ」という非常に珍しい企画を思い出した。というわけで、久方ぶりに、かつて読者だった雑誌ロッキング・オンのバックナンバーを引用する企画「ロック問はず語り」である。

時期的にはアルバム『Steel Wheels』をリリースし、久方ぶりの全米ツアーに出る前に取材されたもので、元々は Vanity Fair に掲載された記事の翻訳で……と調べてみたら、ちゃんと元記事が全文ウェブに公開されていた!

archive.vanityfair.com

以下の引用は飽くまで rockin' on 1990年1月号から。何しろ30年以上前の記事なので、現在一般的なジェンダー観からすれば問題になりそうな記述があることは予めお断りしておく。

Vanity Fair の記事の写真は、ロンドンのスタジオで撮影されたジェリー・ホール(当時のミック・ジャガーの内縁の妻)、パティ・ハンセン(キース・リチャーズ夫人)、ジョー・ウッド(当時のロン・ウッド夫人)、そしてシャーリー・ワッツ(チャーリー・ワッツ夫人)である。

記事の最初で、撮影スタジオに現れたジェリー・ホールが、ネックレス類を何本かわしづかみにして言う言葉が奮っている。

「でも、撮影は、ほら、あの人達から始めたらどうかしら。マリアンヌ・フェイスフルとか、アニタ・パレンバーグ、それとアストリッド・ワイマンとかね。で、タイトルは、そう、『ストーンズが捨てた女たち』でキマリ」

最終的にミック・ジャガーと4人もの子供をもうけることになるジェリー・ホールは自信満々の様子で、この翌年の1990年には電撃的に結婚式を行う。が、後に破局し、彼女も『ストーンズが捨てた女たち』に名前を加えたのはいささか皮肉である。

そういえばこのインタビューで、ジェリー・ホールはミックのことを「彼ほど読書量の多い人は見たことない」と称えているが、後にミックのソロ作発表を受けたインタビュー時、児島由紀子が「ジェリー・ホールさんが、あなたほど読書量の多い人を見たことがないと言ってましたよ」とヨイショしたところ、ミックの答えは「へぇ、ブライアン・フェリーってそんなに本を読まない男だったのかね」で、当時既に囁かれていたこの夫妻の不仲を裏付けた形となった。

この記事でも、アンディ・ウォーホルの日記(asin:4167309726asin:4167309734)に出てくるジェリー・ホールのゴシップ話などなかなかすごい内容もあるのだが、そのあたりは割愛する。

面白いのは、この記事におけるメンバーの妻たちとストーンズという集団の関係性についての分析である。

 ただ、いくら妻たちが夫たちを支えたところで、ロックンロール女房の生活というものが夫達の職業的な性格からして非常に孤独なものであることに変わりはない。そして、それに輪をかけるように、ストーンズという集団自体、元ジャガー夫人のビアンカジャガーがインタビューでかつて強く語ったように、全くの「男性秘密結社」なのだ。いつでも、ストーンズでは「バンド」が全てを優先してきたわけで、そうした時、妻たちとしては孤独を紛らわしてくれるのは自分達の家族以外誰もいないのだ。

「ロックンロール女房」って……。

 そして、こういう対応の仕方こそ、「ストーンズの女たち第一世代」――つまり、キースそして、ブライアン・ジョーンズの愛人だったアニタ・パレンバーグやミックの初代愛人マリアンヌ・フェイスフルやビアンカには全く欠けたものだった。あれほどこの世の春を謳歌したアニタ、マリアンヌ、そしてビアンカが犯した決定的な間違いは、自分達こそもストーンズの一員だと錯覚してしまったことなのだ。今日のストーンズの女たちと違って、アニタもマリアもビアンカも自分達の家族との繋りを持たない孤独な存在だったわけで、そうした自分達の孤独をストーンズで埋め合わせようとしたところに彼女達の悲しい結末が待っていたのだ。

なかなかキツいですな。この記事では、ここで名前が挙がっているアニタ・パレンバーグにも取材していて、彼女の証言もこの分析を裏付けている。

ロックンローラーと暮らすなんて、こんな孤独なことはないんだから。彼がどれほど自分のことを愛してくれようと、音楽に対する愛が絶対にそれに勝っているものなのよ。そして、キースが音楽に取り組み始めるとそれ以外のことはもう何も関係がなくなってしまう。(中略)女がもし、ロック・スターなんかと暮らすんだったら、彼とは全く関係のない自分の生活というものを持ってなきゃ絶対にやっていけないものなのよね

この記事において、そうしたロックスターである夫とは「全く関係のない自分の生活」をもっとも確かに持った人は、ジェリー・ホールやパティ・ハンセンではなく、ツアーへの帯同を宣言するジョー・ウッドでもなく、ましてや当時ビル・ワイマンと結婚したばかりだった当時まだ十代のマンディ・スミス(ビルより34歳年下でスキャンダルとなった)でもなく、チャーリー・ワッツ夫人のシャーリーだったと今になって分かる。そして重要なのは、その佇まいがチャーリー自身にも重なることだ。

キースをはじめとしてストーンズの面々が麻薬中毒から脱しクリーンになった後、1980年代にチャーリーがひっそりヘロイン中毒に陥っていたことは知られるが、この頃には夫妻の確固たる生活を取り戻しているのが記事を読むと分かる。

 別々で眺めているとチャーリーとシャーリーは非常にキリッとした感じのカップルなのだが、二人一緒に並ぶとおそろしくセクシーな雰囲気だ。まるで、50代を迎えるのが待ち遠しかったかのようだ。

そしてシャーリーは、チャーリーについて「でも、考えてみるとチャーリーはいつだって50男だったというような気がするのよね」と語っている。当時の彼は48歳。思えば、もう少ししたらワタシその48歳になり、当時の彼に追いつく。この記事を読んでいた、当時高校生だったワタシは、自分がそんな年齢になるなんて想像もできなかった。で、その歳になってみたら、当時のチャーリーが持っていた気品、落ち着き、セクシーさを自分はまったく持ち合わせていないことに情けなくなる。

さて、ワタシの泣き言はどうでもいいとして、ロックンロールライフから完全に離れた生活を貫いたシャーリーの発言は、今読んでもとても重いものがある。

「だからそんな感じでチャーリーの趣味はいつも他の誰とも違っていたわ。それに、正直言って、いつだってチャーリーがあのバンドの一員だなんてとても信じられなかった。大体、突然ローリング・ストーンズの生活の中に放り込まれた日には私、もう愕然としてしまったわ。もう、何が何だか全くわからなくなってしまった。それも25年ズーッとよ。で、未だに、あの生活をどう考えていいのかわからないもの。当然、私としては怒りを感じたことが度々あったわ。それもすごく深いところでね。バンドの人達に関して言えば、皆好い人だとは思うの。ある限界を越えなければの話だけど。でも、私なんかはロックと音楽業界そのもの、その中でも特にストーンズの女性に対する扱いというものが許せないと思ってきたのよ。侮辱してるとしか思えないのよね」

1964年に結婚した二人は、このとき結婚生活25年、日本風(?)に言えば銀婚式ですか。そして、この夫妻はその後チャーリーの死が二人を分かつまでまで夫婦であり続けた。

この記事は、他の妻たちの証言にしろ、ビル・ワイマンの性豪伝説にしろ面白い話が他にもあるのだが、それはまた後の機会に紹介したい。

rollingstonejapan.com

『Tatoo You(刺青の男)』から40年になるんだな(来月には40周年記念エディションが発売される)。"Start Me Up" は、ワタシが初めて聴いたストーンズの曲であり、今なお彼らの曲で一番好きなのだけど、あのキースのギターリフこそがあの曲の最大の美点と思ってきたのだけど、チャーリーのビートもそれと同じくらいの美点なのだなぁ。

「プロモーションビデオの中でドラムを叩くチャーリーは、目の前のロックスターたちがどんなに激しくポーズを取ろうが、無表情を貫いた。むしろ、ミックのダンスに困惑の表情すら浮かべている」ってホントそうだよね。

そういえばこのアルバムのラストは "Waiting On A Friend" で、この曲はソニー・ロリンズのサックスソロが印象的だけど、彼を推薦したのも確かチャーリーだったはず。

これは個人的な思い出話になるが、ワタシがストーンズのライブを見たのは、1995年3月の福岡ドーム公演一度きりである。ライブ中のメンバー紹介で、チャーリーに対する声援がずっと止まず、そのときにもチャーリーは控えめに困惑の表情を浮かべていたっけ。

本当にストーンズのドラムがチャーリー・ワッツでよかった。彼に改めて感謝したい。

Tattoo You

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フィリップ・グラスが人工知能と芸術について語る

auderdy.com

現代音楽の巨匠、あるいは『めぐりあう時間たち』や『あるスキャンダルについての覚え書き』などの映画音楽でも知られるフィリップ・グラス……といいつつ、ワタシのようなロックリスナーが最初に触れた彼の作品は、デヴィッド・ボウイの『Low』や『"Heroes"』のシンフォニー化なのだけど。その彼が OpenAI と提携したプロジェクトに取り組んでいるのか。80代半ばにして、すごいねぇ。

フィリップ・グラスの作品をコーパスニューラルネットを訓練したもので、このプロジェクトの目標は、アートの新しい媒体としての人工知能の能力を見極め、ひいてはフィリップ・グラスと共同で作曲を行うことだそうな。

グラスは現時点の成果として作られた音楽、そして作曲や芸術についてもコメントしている。30分弱の文字起こしはかなりな分量になるので、グラス先生が AI や芸術の創造について語る言葉を少しだけ引用しておく。

私が感心するのは、我々人間が行う判断を機械がしないことだ。我々は「ああ、そのパートいいね。もう一度聞けるかな?」と言うだろう。機械はそれをやらないけど、作曲家はそれをやる。この曲の弱点は、誰もそれを聴いていないということだ。でもね、それは重要な部分なんだ。これが機械と人間の違いなんだよ。人間には記憶があり、好みがある。人間は「それもう一度聴きたいね」と言うが、機械はそんな判断はしない。機械がやってるのは、最初にやったもののバリエーションを生み出すだけで、それだけでは満足な音楽は作れないんだよ。

ほら、ダンス作品を観ていても同じように分析するだろう? 音楽を聴くでも、詩を読むでも、同じように分析するわけだ。感情面と構造がつながっているんだよ。

作品を聴いて、人間の感情面に照らして分析・評価することの重要性である。AI はそれをやらない、と。グラスはこの後、「これがアートと感情的な方向性を持たない一連のアイデアとの違いなんだ」「機械はとても役に立つものだが、あなたが見せてくれたものは、機械の限界も示している」と語っている。

yamdas.hatenablog.com

このあたりのテーマについて、ワタシも少しブログに書いたことがあるが、果たして人間と AI の共同作業はどんな新しい作品を生み出しうるのだろうか。

グラスと @auderdy のやりとりはその後も続くので、詳しくは原文をあたってくだされ。

ネタ元は kottke.org

ドン・タプスコットのブロックチェーン三部作の最後を飾る(?)『Platform Revolution』が来月刊行される

ドン・タプスコット(Don Tapscott)というと、『ウィキノミクス』『マクロウィキノミクス』は今や昔、近年は『ブロックチェーン・レボリューション』をブチ上げ、Blockchain Research Institute を立ち上げるなど、すっかりブロックチェーンにご執心である。

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)で、『ブロックチェーン・レボリューション』の続編と言える『Supply Chain Revolution』を紹介したが、今年10月に『Platform Revolution』という彼の編著が出るのを知る。

既に同じタイトルの本があったりするが(asin:4478100039)、こちらの副題は「デジタル時代のオペレーティングシステムとしてのブロックチェーン技術」なので、やはりブロックチェーン本であり、前二冊と合わせてドン・タプスコットの「ブロックチェーン三部作」といってよいのではないだろうか。

彼も今年で75歳だが、その歳まで新しいテクノロジーに首を突っ込めるのはすごいよな。

『Platform Revolution』の推薦者を見ると、Brian Behlendorf の名前が一番上にあってのけぞる。ワタシの世代にとって、彼はなんといっても Apache ウェブサーバの開発者なのだけど(というか、彼はワタシと同い年なんだな)、現在は Linux Foundation でブロックチェーンにも噛んでいるようで、なるほど、この本に推薦文を寄せるのも不思議でないわけだ。

天才ネイサン・ミアボルドの驚異の料理科学本第三弾はピザがテーマ

yamdas.hatenablog.com

yamdas.hatenablog.com

ネイサン・ミアボルドの驚異の料理科学本をここでも取り上げてきたわけだが(第一弾はコンパクト版の邦訳が出てるよ)、調べものをしていて、その第三弾となる Modernist Pizza が10月に出るのを知った。

前作はパンがテーマだったが、今回はピザがテーマとな。全3巻(+キッチンマニュアル)、1700ページ超、そして日本円で5万円超という例によってとんでもないボリュームで、ピザの製法を科学的に解明するだけでなく、(東京を含む)世界中のピザ探訪もやっており、金持ちの豪快な道楽ぶりである。

それでは予告編動画をどうぞ。

フリー・ガイ

また映画館に行くのに二月ほど空いてしまった。まだ安心できる状態にはほど遠いが、本作はワタシの周りで評判が良かったので観たかった。一日一回の上映になってようやく観れたが、観客は(一つ空けとはいえ)かなり埋まっていた。

ライアン・レイノルズの製作、主演作で、『デッドプール』シリーズで彼に対する信用が高まっていたので期待値が上がっていた。

ゲームの NPC(字幕では「モブキャラ」)が主役になったらという映画で、前半は『パーム・スプリングス』を連想するが、ゲーム世界の映画化という意味で、やはり『レディ・プレイヤー1』が一番の比較対象になるだろう。あれはあれでワタシも楽しんだけど、ゲーム世界の描写がミームを過去のみに準拠する現役感のない、映像ももっさりした中年オタク接待映画な『レディ・プレイヤー1』より本作のほうが優れていると思う。

個人的に本作で一番良かったのは、キーズを演じるジョー・キーリーで、彼が想いを伝える場面で自分でもまったく思いもよらず泣き出してしまい(しかし、その時点で相手に伝わっていないのにあとで驚いてしまうのだけど)、あとは後述するある場面を除いてだいたいずっと泣いてた。

ジョー・キーリーを知ったのはご多分に漏れず『ストレンジャー・シングス 未知の世界』だが、以前書いたようにこれのシーズン3が、彼が演じるスティーブのシーズンだと断言したくなるほど彼が良かった。その記憶が、彼に対する好感に間違いなく影響している。

ストレンジャー・シングス』のキャストも、フィン・ヴォルフハルトが『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』二部作、ミリー・ボビー・ブラウン『エノーラ・ホームズの事件簿』など映画にも進出しているが、ジョー・キーリーも本作のような優れた作品で活躍できてよかった、よかった。

最新のゲームについての知識が疎いワタシでも、ゲームのヴィジュアル、オーディオがもはや映画だろというところまできていることは知っている。しかも、本作でも揶揄されるように違法なことでもやりたい放題で楽しめる自由度もある。本作におけるオンラインゲームのルックは最新という感じではないが、ゲームの NPC が映画の主人公になるところまできた。

果たして映画にゲームにないものはあるのか? 本作は、主人公を固唾をのんで見守るしかないことでその答えを一つ出しているのかもしれない。

このように観てよかった作品だけど、終盤の本来ならドッと盛り上がるガジェット登場の小ネタの場面で、あー、マーベルもスターウォーズもディズニーのものなんですね、とそこだけ急に冷静になってしまった。

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