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レベッカ・ブラッド『ウェブログ・ハンドブック』から引用するネット老人会的歴史証言

少し前におよそ20年前のブログの歴史周りのことが少し話題になっていた。

このあたりはワタシにとっても懐かしい話なので、一週間経って沈静化したところで(これがウェブで長続きするヒケツ)、レベッカ・ブラッド『ウェブログ・ハンドブック』を引用して、アメリカ人である著者の目線を中心に当時のことを振り返っておきたい。

もちろんアメリカでもブログ自体は2001/9/11(アメリカ同時多発テロ事件)より前からあったわけだが、レベッカ・ブラッドは、自身がウェブログを始めた当時(1999年4月だったかな)を振り返って以下のように書いている。

 私がRebecca's Pocketを始めたとき,ウェブログの数は全部で50から100の間だった――念入りに追うには多過ぎるが,新顔がリストに加えられたら,皆が気付く程度には少なかった。そのとき,私はゲームに出遅れたことをわずかに恥ずかしく感じた。でも,その後,最初のウェブログ管理ツールが登場すると,たった数ヶ月のうちに,私は古参ウェブロガーの一人と見なされるようになった。ウェブログの数が爆発的に増えたのだ。突如として,誰もいくつのウェブログが存在するのか,そして,その半分でも見たいという願いが適うのかもわからなくなった。(p.142)

これだけ見ると、日本のウェブ日記コミュニティのほうが4、5年くらい進んでいたようにも読める。

1999年時点でレベッカ・ブラッドには「乗り遅れた!」という感覚があったわけだ。しかし、同年に「最初のウェブログ管理ツール」が登場すると、ブログの数は爆発的に増えた。それは(現在は Google が所有する)Blogger である。

 ウェブログの定義に関する議論は,1999年8月にBloggerが登場したことで激しさを増した。Bloggerは,ウェブログの更新を自動化したいくつかのサービスのうちの1つに過ぎないが,間違いなく一番普及した。簡単に使えるソフトウェアだったため,誰もがウェブログを公開できるようにしたツールとして広く知られることとなり,HTMLを知らない多くのユーザーを惹き付けた。Bloggerは,投稿にリンクを簡単に追加できるインターフェイスを提供していなかったので,Bloggerによって作られた新しいサイトは,お喋りや個人的な意見からなるエントリが続くことになり,他サイトへのリンクは,あったとしても少しだった。そうしたサイトを作るのに使われたソフトウェアの名前がBloggerだったものだから,それを使う人達は皆,自分達のサイトをウェブログとみなした。
 かつてはリンクが重要だったウェブログは,突如,巨大で,なおかつ成長を続けているコミュニティによって覆われてしまった。そこでは,Bloggerを使い,それまでのウェブログとは全く異なる種類のサイトが作られていた。文字通り数千もの新しいBloggerサイトが,ものの数カ月で作られたのだ。マスコミは,その会社の,若く,カリスマ性のある創業者の周りに群がり,その公開ツールとコミュニティを混同した。スタートアップ企業向けの資金を求めており,どんなマスコミへの露出もありがたかったMeg HourihanとEvan Williamsは,自分達の製品を説明し,増大するユーザーベースを大げさに宣伝した。次から次へと記事が掲載され,そこではBloggerで作成されたウェブサイトこそがウェブログであると定義された。MegかEvがこの考えを打ち消すことを何か言ってさえいれば,そうした定義は出版された記事には決して載らなかっただろう。(pp.204-205)

これを読めば、レベッカ・ブラッドが Blogger をあまり高く評価していないのが伝わるだろう。彼女はウェブログを、短文からなる日記に近い「ブログ」、コンテンツが長めの「ノートブック」、外部サイトへのリンク中心の「フィルタ」の三つに分類していて、フィルタこそを古典的な、つまりは本来あるべきウェブログのスタイルと考えている節がある。その価値観からすれば、Blogger によって急激に増えた「ブログ」は違和感を覚えるものだったということだ。

その後彼女は認識をある程度変えたことも『ウェブログ・ハンドブック』にあるのを念のため書いておくが、自分が精通したスタイルこそ正統と考え、そこから外れた新興勢力を邪道と見なすのは、多かれ少なかれ誰にもでもある傾向だろう。

これは1999年の話だが、それから10年後の2009年に、ワタシは「敢えてブログは重要だと言いたい」という文章を書いている。そこで取り上げた The Blogosphere 2.0 というブログエントリで、当時ブログがつまらなくなった理由に「Huffington Post」が挙げられていて、Huffington Post のブログ記事が「他のブログにリンクしないなど従来のブロゴスフィアを形造ってきた規範に従っていない」という指摘に、メジャーなものが出てくると「あれは自分たちの流儀に反している」というパターンを繰り返すんだなと思った覚えがある。

当然『ウェブログ・ハンドブック』はレベッカ・ブラッドの主観をベースとしており、それがとても良いのだけど、それとはまた違った見方でのブログ史として、実はこの文章で取り上げてる本の邦訳であるスコット・ローゼンバーグ『ブログ誕生 ―総表現社会を切り拓いてきた人々とメディア』を今でもおススメします。

1999 年においても,ウェブログはちっとも新しいものではなかった。新しかったのは,この種のサイトの周りにできたコミュニティである。(p.207)

そうしたレベッカ・ブラッドなので、9.11がブログコミュニティにもたらした影響についての語りも、通り一遍ではない。

 9.11の後,生存者が大きな悲劇の目撃者の証言を共有するにつれ,自然発生的なストーリーテリングの力が明らかになった。フィルタタイプのウェブログは,かつてよりも多くのオーディエンスを惹き付け,人間による選別の力と有益さを決定的に示すことで,今一度最先端の位置に浮上した。また,9.11 は「ウォーブログ(warblogs)」世代を生んだ。ウォーブログの大半は,テロリストの攻撃に対する合衆国の反応に焦点を絞ったタカ派のサイトだった。ウォーブログは,元々左寄りだったコミュニティに,保守派やリバータリアンの主張をもたらすことにもなった。
 9.11後には,メインストリームのメディアから,よくできた1つのウェブログが,コミュニティにもたらされた。(pp.211-212)

この後書かれるのはコラムニスト/ジャーナリストのブログ参入による pro-blogger 化の話で、そうした意味で「ブログというメディアが広がったのは、20年前の9/11テロがきっかけ」というのも必ずしも間違いではない。

こちらについても触れておくと、確かに Slashdot はブログなのか? そうでないのか? というのも昔話題になったものだが、レベッカ・ブラッドは以下のように書いている。

 オンライン雑誌コミュニティに属するメンバーの何人かは,ウェブログの「主張のなさ」を非難し,ウェブログを下らないリンクの羅列だと評すことで,大っぴらに敵意を示した。この新しい形態に興奮し,より大きなオンラインコミュニティの地位を占めることを熱望していたウェブロガーは,不意打ちを食らった格好となった。怒りに満ちたウェブログエントリが,コミュニティ全体の注意を,「個人ウェブサイトマフィア」のいろんなメンバーによって書かれた文章に向けた。それらの記事は,敵対的なものから単に横柄なだけのものまで,多岐に渡っていた。Slashdotでは,Jon Katzがオンラインコミュニティを扱った論説の中で,ウェブログ現象に言及した。しかし,Slashdotコミュニティは興味なさげだった。
 さて,ここが重要なところである。というのも,ウェブログの歴史に関する議論は,形態よりもコミュニティが重視されるからだ。1997年に始まったSlashdotは,しばしば初期のウェブログとして引き合いに出されるが,同じくらいの頻度で議論フォーラムとしても位置付けられている。Slashdotの編集者は,自分達のサイトを「News for Nerds(ヲタクのためのニュース)」と呼んでいるが,毎日面白い記事のリンクを掲載し,最新のリンクがページの1 番上に表示される。サイト内では,コミュニティのメンバーがコメントを投稿する。偏見抜きで見れば,Slashdotは議論掲示板付きの共同制作のウェブログではあるが,ウェブログムーブメントが根付く前に,ウェブにおける地位を十分に確立していたため,この2 つのコミュニティは決して合流しなかった。

これは貴重な歴史証言で、当時の雰囲気をよく伝えている。Slashdot は初期のウェブログとして引き合いに出されるし、佐渡秀治さんが書かれるようにそのコミュニティの力がオープンソース運動に寄与したのは間違いない。

Jon KatzSlashdotウェブログムーブメントに言及しても、Slashdot コミュニティは興味なさげだったという話は興味深い。つまり、これは Slashdot に当時(1999年)既に確固たるコミュニティがあった裏返しでもある。これはレベッカ・ブラッドがウェブログコミュニティの価値を強調するのとパラレルな話で、この新しいムーブメントとつながるところがありますよと誘い水を向けられても、いや、SlashdotSlashdot でオリジナルだし、栄えてるし、ぽっと出の何かと仲間にされてもね、と当時の Slashdot ユーザが考えても不思議ではなかったわけだ。

レベッカ・ブラッド『ウェブログ・ハンドブック』も原著は2002年、邦訳は2003年刊行で、要は20年近く前の本ということになる(うげっ!)。久しぶりに読んで、こうやってそこから引用してワタシが連想するのは、「歴史は繰り返さず、韻を踏む(History doesn't repeat itself, but it does rhyme.)」というマーク・トウェインの言葉だったりする。

「デザイン思考」の次に流行るであろう「SF思考/SFプロトタイピング」に関する重要人物

toyokeizai.net

www.nikkei.com

先週、まさに「突如」という感じでビジネス界の「SF」への熱い視線について書かれた記事を二つ見かけた。

記事を読んでみると、サイエンスフィクションの想像力は昔からビジネス、というかイノベーションに貢献してきたのが分かるのだけど、コロナ禍により注目された作品に SF がいくつもあったこと、また企業が抱える閉塞感の打破の欲求に未来を描く SF 作品からの「逆算」が期待されることで、SF(作家)に期待が高まった流れが伝わる。

そうした意味で、個人的には2020年夏からフジテレビで放送された世界SF作家会議(番組は現在も YouTube8.8 channel ですべて見れるはず)の役割は大きかったと思う。

おっちょこちょいなワタシなど(書名に冠した本がいっぱい出た)「デザイン思考」の次は「SF思考」だ! とか軽薄なトレンド分析もどきをしそうになるが、「SFを通じた未来予測から、未来に向けたビジョンを探究し、今後起こる問題への解決法を見つけ出す手法」としての「SFプロトタイピング」という言葉も、またしても軽薄なトレンド分析もどきとして書くなら、2021年の流行語大賞にランク入りするのではと今から勝手に予想しておく。

「SFプロトタイピング」についてもっとも早くから本腰で取り組んでいたところでは、ちょうど一年前に雑誌連動特集『Sci-Fiプロトタイピング』として「SFがプロトタイプする未来」を打ち出し、その後もWIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所を立ち上げた Wired ではないだろうか。

Wired の編集長の松島倫明さんは、大変な才人だとお見受けする。

鈍いワタシもさすがにこれで「SFプロトタイピング」という言葉を知ったのだが、この企画(や世界SF作家会議)に参加している樋口恭介さんTwitter でフォローしているおかげで、氏のイキり威勢のいいツイート経由でこの話題もなんとか追うことができた。

さて、先週「SF思考/SFプロトタイピング」についての記事がたて続けに出たのは、つまりはこれをテーマとする書籍がこの夏いくつも出るということでもある。

その中に樋口恭介さんの新刊、共著が含まれるのは言うまでもない。

樋口恭介さんの本では、およそ一年前に刊行された『すべて名もなき未来』もかなり面白かったが、「SFマガジン」2021年6月号の異常論文特集の監修といいすごい勢いである。多くの若い人がこの重要人物の仕事に感化され、乱反射してくれると面白いことになると思う。

『スタートアップ・マネジメント』邦訳が出たと思ったら、原著者の新刊『Startup CXO』も出ていた

avc.com

フレッド・ウィルソンが、友人であるマット・ブラムバーグの新刊『Startup CXO』を紹介している。640ページの分量のため、真っ先に出た言葉が「こいつは重い本だな!」だったりする(笑)。

ウィルソンは、これは(おそらくは頭から読み通す)本ではないと書く。これは経営陣や企業をスケールする「フィールドマニュアル」で、会社の机に入れておき、折に触れて取り出しては問題への取り組みを理解したり、経営者のその取り組み方を理解するための本だと(だから Kindle 版よりハードカバー買ったほうがいいよ)とのこと。

著者について調べ始めたら The Startup CEO blog に行き当たり、この著者って『The Startup CEO』の著者だったのかと思い当たった。

さらに調べると、『The Startup CEO』は少し前に『スタートアップ・マネジメント』として邦訳が出たばかりだった。

日本を代表するユニコーン企業・PaidyのCEO杉江陸が、座右の書『Startup CEO』を自ら翻訳。

スタートアップ・マネジメント | 書籍 | ダイヤモンド社

これが内容紹介の最初に書かれているのに少し面食らったが、それだけ Paidy 並びにその CEO にネームバリューがあるのだろうか。ワタシなど昨年はじめにあった事件で認識が止まっていたので、それを改めないといけない。

『スタートアップ・マネジメント』が売れたら『Startup CXO』の邦訳も出やすくなるだろうが、何しろ640ページのボリュームなので難しいか。

歌川広重が遺した11枚の影絵がなんとも楽しく、心を和ませる

kottke.org

歌川広重(かつては安藤広重とも呼ばれた)というと江戸時代の浮世絵師で、「東海道五十三次」「名所江戸百景」といった作品で知られる……とか通り一遍のことしかワタシも知らないのだが、彼が描いた影絵の連作が取り上げられている。

影絵の一覧を見ていただければ、人が様々なポーズをとった絵、そしてそれが光に照らされてできる影絵のいずれもどこかユーモラスで、心が和ませるものがあると賛同いただけるのではないだろうか。

さて、この浮世絵検索サイト日本語版)だが、はてなブックマークを見る限り、2013年には存在していたようだ。しかもこのサイトって jQuery の作者として知られる John Resig が作ったものなのか! 恥ずかしながら知らなんだ。

こうやって浮世絵を自由に検索でき、またそれをブログにコピーできるのは、それがパブリックドメインだからと言える。浮世絵とパブリックドメインというと、2年前に「葛飾北斎の傑作「神奈川沖浪裏」が博物館、著作権、そして今日のオンラインコレクションについて教えてくれること」というエントリを書いているが、こうした先人の偉業を人類に知らしめる仕事をもっと日本政府がやっていいとも思うのだが、つくづくそうした面での期待というか信頼が失われたのがこの一年あまりというのも現実なわけで。

ファーザー

先日帰省した際に時間に空きができたので観に行った。数か月前の『ノマドランド』もそうだが、なんか映画を観に帰省しているような気すらするよ。それにしてもコロナ禍のせいで行けなかった映画がいくつもあって恨めしい。本作は終映近かったためか、客はワタシとあともう一人の年輩男性のみで、これはワタシ的に新記録(?)だった。

さて、本作でアンソニー・ホプキンスは、今年のアカデミー賞において『マ・レイニーのブラックボトム』のチャドウィック・ボーズマンが本命視される中、二度目のアカデミー主演男優賞をかっさらってそのままほぼ沈黙のままテレビ中継が終了という放送事故に近い事態を引き起こした。

『マ・レイニーのブラックボトム』については別途感想を書くつもりで、舞台劇が元になった映画なのが観ていて伝わるのが本作と共通しているが、純粋に主演男優の演技のみを評価するならば、アンソニー・ホプキンスの受賞は妥当としか言いようがない。

やはり一般には『羊たちの沈黙』レクター博士役になるのだろうが、それがなくてもイギリスを代表する名優である。近年の作品では『ヒッチコック』はあまり感心しなかったが、『2人のローマ教皇』は良かった。

その彼が認知症の老人を演じる本作は、時にチャーミングだったり意地悪かったり目まぐるしく感情の表現を変える、快活な老人の自負がただの思い込みでしかなく、基本的な世界の認知(ここは私のフラットだ! ……よね?)が揺らぐ際の動揺まで表現するアンソニー・ホプキンスの演技がやはりすごい。最後になって、自分がある場所に来たことを理解した主人公(役名もアンソニー)が感情をさらけ出すところは、彼の存在あってこそとどうしても思ってしまう。

面白いのは、認知症患者から見た世界にその彼の世話をする家族の感覚まで(老人虐待の問題も含め)シームレスに侵入する描き方により、観ている側にも微妙な緊張を強い、ほとんど心理ホラーの領域に達しているところ。

ワタシは本作を観ながら伯母のことを思い出していた。2年半前の年末、美容院でパーマをかけている途中でなぜか洗濯物を思い出して帰宅し、自宅の玄関で転び大けがを負ったのだが、その日帰省したワタシはその伯母と彼女の家で食事を共にする予定だったため、いくら電話しても通じず、事態を知って仰天したものである(ことの始まりの時点でなんだかなぁなのだが、老人介護の現場はそれの積み重ねなのだ)。

腕の骨を折り、また顔にもインパクトのある損傷を負って入院した伯母を翌日から何度か見舞ったが、前回ワタシが来たことを見事に覚えておらず、およそ5年前に亡くなった娘(ワタシからすればいとこ)がやってきたとワタシに訴え、看護師が来れば、家族が来たから今すぐここから出してくれと訴える伯母を見て、これはもうここから出られるまで回復することはないのではないかと正直思ったくらいである。

娘がやってきたというのを除いても、彼女がベッドで語る話はもはやマジックリアリズムの域に達していた。ただワタシぐらいの歳になると、例えば高熱を出した時に見る悪夢の類を思い出し、彼女の状態もそれなりに想像できる。高齢で唐突に身体の自由が利かなくなった伯母は、そうした不快な現実に耐えていたのだ。

ありがたいことに二月あまりかかったが伯母は退院でき、その後現在まで息子夫婦と福祉の力を借りながら、一人の生活を成り立たせている。退院後、彼女の家で一緒に食事することも叶ったが、ご存知の通りコロナ禍により(県外の人間と会うと、二週間介護ケアを受けられないため)、昨年の2月を最後に一年以上会えていない。月に一度以上は電話を入れているが、先日電話したときも、急に改まった感じで、「あんたには言っておかなくてはならない」と言い出したので何かと思ったら、「娘がやってきて、ずっと私に謝るのだがどういう言うだろうか?」という話だった。

正式に診断を行えば、伯母は認知症に分類されるのだろう。だけど、だからなんだと言うのだ? 本作で描かれる過去と現在の意識の混濁、(おそらく)主人公の夢として現れる思い出したくない次女の悲劇を見て、ワタシは伯母のことをどうしても思い出し、この映画を多くの日本人に観てほしいと思ったし、そして早くまた伯母と会える日が来てほしいと切に思った。

クリエイティブ・コモンズ設立20周年を祝い、久方ぶりに寄付をした #CCTurns20

creativecommons.org

2001年にローレンス・レッシグによって立ち上げられた Creative Commons が今年20周年を迎えている。

やはり今年 Wikipedia も20周年を迎えているが、クリエイティブ・コモンズの場合、ウィキペディアほど人口に膾炙していない。それでもよくここまで活動が続いてきたものだと敬意を払わずにはいられない。

20 Years: Better Sharing, Brighter Future という特設ページができているが、やはりそこで真っ先に訴えられているのは寄付のお願いである。

思えば、Creative Commons には2015年以来寄付をしていない(折角の機会なので、自分のメールを検索したら、Mozilla Foundation には2018年、Internet Archive には2019年、Wikimedia Foundation には2020年に寄付している)。

www.classy.org

そういうわけで、今回も大した額ではないが、キャンペーンページから久方ぶりに寄付をさせてもらった。CC は寄付をするとTシャツがもらえるのが楽しみだったが、もうそういうのはなくなったのかな。

思えばこのブログ自体 Creative Commons ライセンスの表示 - 非営利 - 継承 4.0 国際 — CC BY-NC-SA 4.0を指定しているし、昔「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスのブログ翻訳のススメ」なんて文章を書いたものだ(遠い目)。

「情報共有の未来」と題した連載を ワイアードビジョンワイヤレスワイヤーニュースと媒体をまたいでやっていた人間にとって、Creative Commons が掲げる「シェア」の理念は重要なものに違いないわけで。

『インスタグラム:野望の果ての真実』が2021年版洋書紹介特集本で最初の邦訳本になるようだ

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で紹介した本の中で、果たしてどの本の邦訳が最初に出るか(ワタシだけが)気になるところだったのだが、サラ・フライヤーのインスタグラム創業物語がそれになる模様。

原書のハードカバーが出たのが昨年4月なので、比較的早い邦訳登場と言えるでしょうね。

「「暴君」Facebookの傘下でもがくInstagramの理想と野望、そして裏切り。100%の共感と教訓に満ちた実録ビジネスドラマ」とのことで、これは楽しみですね。もう少し中身を知りたい方はカタパルトスープレックスの書評をどうぞ。

www.catapultsuplex.com

さて、この本の版元はNewsPicksパブリッシングなのだけど、ここって刊行している本の個別ページがないようで、刊行書籍一覧からのリンク先はすべて Amazon である割り切りである。その代わりに公式 note があるところが今どきなんでしょうな。

サイバーセキュリティと言えばニンジャ? Cyberjutsu(サイバー術)というセキュリティ本が面白そうだ

確か Facebook 経由で知ったはずだが、No Starch Press から Cyberjutsu という本が出ていて受けてしまった。

「サイバー術」ってなんじゃそりゃと思うが、"Cybersecurity for the Modern Ninja" という副題からも分かる通り、これはサイバーセキュリティ本なんですね。忍者のテクニック、戦術、流儀に基づく実践的なサイバーセキュリティのフィールドガイドとのこと。マジかよ。

本の公式サイトができているが、著者の Ben McCarty はアメリカ国家安全保障局NSA)やアメリカ陸軍での勤務経験があるサイバーセキュリティ分野におけるエキスパートとのこと。

おいおい(笑)と思うが、こういうの憎めないんだよねぇ。アジャイルがサムライなら、セキュリティはニンジャというわけか? 邦訳が期待ですな。

アマチュア天文家から世界的な太陽観測者となった小山ひさ子は日本版『Hidden Figures』なのか?

自らの不明を恥じる、という表現が適切だと思うが、kottke.org 経由で知った TED-EdYouTube チャンネルで先月公開された動画を見て驚いた。

この動画で「The woman who stared at the sun(太陽を見つめた女性)」と紹介されている小山ひさ子のことをまったく知らなかったからだ。

でも、それはワタシだけではないのかもしれない。だいたい Wikipedia 英語版には Hisako Koyama というページができているが、日本語版がない!

それにこの TED-Ed 動画自体、本文執筆時点で7か国語の字幕がついているが、その中に日本語はない。なんてこったい。

彼女の著書を探したが、Amazon には一冊しか登録がなく、しかも書影が明らかに別の本だったりする。ヒドい話だ。

www.pbs.org

2017年には PBS に小山ひさ子を日本の「hidden figure」と紹介する記事が公開されているが、その少し前に公開された映画『Hidden Figures』(邦題は『ドリーム』)にかけているのは言うまでもない。

日本語で読める彼女の紹介記事は以下の二つが代表的なものかな。

女性が科学者になるのが今よりずっと難しかった時代に太陽の観測、特に黒点の記録を数十年に渡って続け(同じ人物が同じ望遠鏡、同じ観測方法で太陽を記録し続けた例はほとんどない!)、彼女の死後、ガリレオ以来の太陽の黒点観測記録の見直しが行われる過程で彼女の粘り強い仕事が(TED-Ed の動画から引用すれば)「人類史における太陽活動のもっとも重要な記録」として高く評価されるようになったという。すごい話ではないか。TED-Ed の動画に早く日本語字幕がつくことを願う。

映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の内容はでっち上げで、フランク・アバグネイルの自己宣伝こそ彼の最高の詐欺だった?

whyy.org

スティーヴン・スピルバーグの映画『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』はワタシも公開時に観て楽しんだが、ブログの感想をリンクしようと探したが見つからない。この映画は、ワタシがはてなダイアリーでブログを書くようになる少し前に公開された映画なんだね。

さて、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の元となったフランク・アバグネイルの自伝小説の信憑性については以前から議論があり、フランク・アバグネイル自身本の共著者に責任を被せるような言い訳をしているが、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』の主人公である詐欺師の「神話」を作り上げたことこそが、フランク・アバグネイルが実際に行った最高の詐欺だというのが新しく出た本のテーマらしい。

つまり、あるティーンエイジャーが、あるときはパンアメリカン航空パイロット、あるときは医師、あるときは弁護士と職業を偽装しながら、各地で偽造小切手を使った詐欺事件を起こしながら FBI の捜査官から逃げおおせたという話自体がほぼ作り話だというのだ。

実際には、アバグネイルはトランス・ワールド航空のパイロットを装い、ポーラ・パークスという客室乗務員を追いかけまわし、ほとんどストーキングの勢いで交際を迫ったという。彼女がバトンルージュの両親を訪ねると彼もついてきて、彼女はそうではなかったが、彼女の家族が彼のことを信用し、親切心を起こした。アバグネイルは彼らの小切手を盗むことでその恩を仇で返した。彼が小切手詐欺で騙したのはホテルや銀行、という話はウソなんですね。

この件でアバグネイルは逮捕されるわけだが、ティーンエイジャーだった彼が FBI に追われてそれこそ世界中を逃げ回ったという話は完全にフィクションで、その期間のほとんどを彼は刑務所に収監されていたのだ。

1974年に仮釈放されたアバグネイルはすぐに窃盗で逮捕されてしまうのだが、保護観察官に勧められて自分の話を売り込むことで彼の人生は変わる。最初は小規模な講演会で自分が犯した罪の話をしていたのが、どんどん話が大きくなっていき、1977年には To Tell the Truth という全国放送のテレビ番組への出演を果たしてしまう。このテレビ番組は実は現在も放送されているのだが、なんというか皮肉な番組名である。

そこでアバグネイルが披露した(嘘の)話が大受け。すぐ後に「トゥデイ」ジョニー・カーソンの「ザ・トゥナイト・ショー」と全国区のテレビ番組に次々と出演するようになる。

1978年にはサンフランシスコ・クロニクルの記者がアバグネイルの話を検証し、アバグネイルが吹聴する話が本当でないことを記事にし、その後にもアバグネイルの嘘を暴く記者が続くのだが、インターネットなどない時代、彼らの検証記事は広まらず、巧みに語られるアバグネイルの魅力的な法螺話のほうが人々の記憶に残り、しまいには『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』として映画化されてしまう。

そこで、フランク・アバグネイルの自己宣伝によって詐欺師の「神話」を作り上げたことこそが、彼が行った最高の詐欺だという結論になるのだが、それならインターネットがある現在ならアバグネイルの嘘はすぐに潰されたのだろうか?

そうかもしれないが、今回アバグネイルの嘘を検証する本を書いたアラン・ローガンは、誤情報がすごい勢いで広まることは十分に証明されており、特に有名人が陰謀論を支持すると、真実がどこにあるのかを理解するのが難しくなる、という話をしているのが面白い。

そこで一歩身を引き、一息ついて考えてみる健全な懐疑心を持つことが大切という教訓が導き出せるわけだが、やはりインターネットがあろうがなかろうが誰でもある種の話に騙される可能性はあり、自分だけが例外と思っちゃいけないということだろう。

ネタ元は Boing Boing

Rotten Tomatoesで批評家の評価は低いがワタシは好きな映画を集めてみた

最近では映画の宣伝でも「ロッテントマトで9X点!」とか普通に使われることが多くて、そういうものを見るとダセーっとか思ったりもするが、とか言いつつ小心者のワタシも残された短い時間を面白くない映画でムダにしたくないと Rotten Tomatoes を参照することが確かにある。

もっとも、そうやって選んだ映画評論家受けする映画を観に行って全然ピンとこなかったほうがよほど陰惨な気持ちになったりもするのだが。

さて、Rotten Tomatoes(や同種のサイト)の点数を切り口にした映画のおススメリストというのも定番コンテンツだが、ここでむしろ Rotten Tomatoes では低評価だが好きな映画リストというのどうだろうと思った次第である。

ここでの低評価は、批評家評価のトマトが赤色でなくなる60点(60%)未満を基準とする。

ただワタシの場合、映画の趣味に特にクセがなく、Rotten Tomatoes の点数と評価が明らかに食い違う作品は意外に少なかったりもするので、そんな変わったリストにはならなかった。これを見て、批評家受けは悪いが我こそ面白いと思う逸品映画を(ブックマーク)コメントなりで教えてほしいというのが真の趣旨だったりする。

以下、だいたい公開年が古い順に並べている。Rotten Tomatoes の評価は飽くまで本文執筆時点。

マイケル・サーン『マイラ ―むかし、マイラは男だった―』(1970年)(RT:27%ワタシの感想

これは今観ても新鮮な映画で、斬新過ぎて当時の批評家には理解できなかった可能性もある。この映画が大不評だった理由は、岸田裁月さんの文章を参照いただきたい。

ジョン・ランディスサボテン・ブラザーズ』(1986年)(RT:46%

ワタシはかつて『ギャラクシー・クエスト』について、「この映画は『サボテン・ブラザーズ』と大体同じ話だけどそれを凌駕している」と書いていて、その評価は今でも変わらないが、『サボテン・ブラザーズ』も好きである。

この映画は、Saturday Night Live の製作者のローン・マイケルズと、数々の優れた映画音楽をてがけてきたランディ・ニューマンが、それぞれ本業の製作、音楽だけでなく脚本にクレジットされている極めて珍しい作品でもある。

サボテン・ブラザース [DVD]

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  • 発売日: 2008/10/16
  • メディア: DVD

ロバート・ハーモン『ヒッチャー』(1986年)(RT:62%

おい、60%超えてるじゃないかと言われそうだが、これは近年の再評価で点数が上がっているのが原因で、公開当時はロジャー・イーバートが星ゼロ個の評を書くなどはっきり批評家受けは悪かったので、あえて入れさせてもらった。

ワタシはこの映画を「ホラー映画ベストテン」の8位に入れるくらい評価している。ルトガー・ハウアーがとにかく怖いのだ。

小説家の藤野可織さんが好きな映画でもあり、今年『ヒッチャー ニューマスター版』が公開された際には、「殺人鬼たちの正体を教えてくれた映画として、暗黒青春映画として、「ヒッチャー」はいつまでも私のもっとも大切な映画のひとつだ」と賛辞を寄せている

オリバー・ストーンナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)(RT:48%

今観るとロバート・ダウニー・Jrトミー・リー・ジョーンズのオーバーアクトがウザいかもしれないが、ジュリエット・ルイスのベストワークという意味で、この映画は嫌いになれない。

ロバート・マンデル『野獣教師』(1996年)(RT:42%ワタシの感想

『ミスター・グッドバーを探して』のラストで鮮烈な登場を果たしたトム・ベレンジャーは、『プラトーン』の悪役でオスカー候補となり、『メジャーリーグ』のような良質な娯楽ヒット作に出ていた頃あたりが絶頂期で、本作も『インセプション』でメジャー作に復帰するまでに多く出たB級作品の一つなのかもしれないが、ワタシは好き。(未だ批評が載っていた頃の)allcinema の評も参考まで。

DVD 出てないんか……。

フレッド・スケピシ、ロバート・ヤング『危険な動物たち』(1997年)(RT:55%ワタシの感想

まぁ、ジョン・クリーズ先生に対する贔屓目ということで。『ワンダとダイヤと優しい奴ら』と同等の傑作とはワタシも言わないが、これはこれで良くできてると思うわけで、『ワンダ』の反動の過小評価はあると思う。

危険な動物たち [DVD]

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  • 発売日: 2001/06/22
  • メディア: DVD

スティーヴン・ソマーズザ・グリード』(1998年)(RT:28%

えーっ、この映画B級活劇としてすごく面白いのにすごく評価低いね。モンスターが強力で人を殺しまくるのは当然として、登場人物がいずれもひとクセあってキャラが立ってるのがいいのだ。岸田裁月さんの評も参考まで。

この映画で手腕を認められた監督が次に手がけて大当たりしたのが『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』なわけで、この映画の低評価は批評家に見る目がなかったと言いたくなる。

ザ・グリード [DVD]

ザ・グリード [DVD]

  • 発売日: 1999/04/23
  • メディア: DVD

テリー・ギリアムラスベガスをやっつけろ』(1998年)(RT:49%ワタシの感想

当時絶頂期にあったジョニー・デップのかっこいい姿を期待して観に言ったらハゲ親父をやってて、しかもベニチオ・デル・トロもデブの弁護士役、しかもこいつらの行状がとにかく不快という、間違いなく不機嫌になる映画なのだけど、それこそテリー・ギリアムが目指したものだから仕方ないのである。

ラスベガスをやっつけろ [Blu-ray]

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  • 発売日: 2014/10/08
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スティーヴン・ノリントンブレイド』(1998年)(RT:55%

ギレルモ・デル・トロが手がけた2作目のほうが批評家受けはいいのかもしれないが、ワタシはこの1作目のほうが好き。

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  • 発売日: 2012/12/19
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カート・ウィマー『リベリオン』(2002年)(RT:41%ワタシの感想

ガン=カタが堪能できる以上の何を望むって言うんだ? この映画の監督の現時点での最新作『X-ミッション』もなかなか狂ってるらしいが、観れてない。

リベリオン-反逆者- [Blu-ray]

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  • 発売日: 2009/06/03
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エリック・ブレス、J・マッキー・グルーバー『バタフライ・エフェクト』(2004年)(RT:33%ワタシの感想

これを「SF映画ベストテン」に選出するのはワタシだけだと思うし、確かに脚本のおかしなところをスピード感で押し切っているところは確実にあるのだけど、それにしてもこの低評価は納得いかない。

フランシス・ローレンスコンスタンティン』(2005年)(RT:46%ワタシの感想

ホラーのようでその実バカ、なところがキアヌ・リーブスによく合っている。あと主人公にぶん殴られてもすがすがしい表情のティルダ・スウィントンが良かったですね。

本作は批評的にも商業的にも成功しなかったが、キアヌ・リーブスは続編の出演に前向きで、それを知ったサンドラ・ブロックが、お前は『スピード』の続編断ったのに、なんであんな駄作の続編に出たがる! と突っ込んだという話を読んで笑った覚えがあるが、続編の話はさすがにもうないか。

コンスタンティン [Blu-ray]

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  • 発売日: 2016/02/24
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リチャード・カーティスパイレーツ・ロック』(2009年)(RT:59%ワタシの感想

リチャード・カーティスの美意識には合わないところもあるのだけど、『アバウト・タイム〜愛おしい時間について〜』なんかよりこっちのほうがはっきり好き。

フィリップ・シーモア・ホフマンビル・ナイが共演しているというだけで、ワタシ的にはプラス300点になるわけです。

この映画、本国での The Boat That Rocked という原題がダメだった気がする。

パイレーツ・ロック [Blu-ray]

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  • 発売日: 2018/08/08
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クリント・イーストウッドJ・エドガー』(2011年)(RT:43%ワタシの感想

この映画の不評には、老け時代のメークアップがお粗末という評判が確実にあったと思うのだけど、ワタシがイーストウッドの映画に求めるものはそんなものではないので全然気にならなかった。後に彼は『アメリカン・スナイパー』で赤子役に人形をあてがうという暴挙を当然のようにやっている。

あとこの映画は、トム・クルーズの物まねがもっともうまい役者のマイルズ・フィッシャーが出た一番メジャーな作品ということになろうか。

J・エドガー [Blu-ray]

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ニマ・ヌリザデ『プロジェクトX』(2012年)(RT:28%ワタシの感想

日本での公開当時『クロニクル』と対で語られていた記憶があるが、そちらとは好対照な評価の低さである。それには本作のミソジニーというか政治的な正しくなさが大きいのは間違いない。逆に言うと、本作は政治的には明らかに正しくないが面白い映画はあるという実例、と書くと怒られるだろうか。

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アダム・シャンクマンロック・オブ・エイジズ』(2012年)(RT:43%ワタシの感想

リストに入れておいてなんですが、映画としては全体的に割とどうでもいいのだけど、アレック・ボールドウィンラッセル・ブランドカップルが見れるというその一点だけでプラス200点なので。

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フィッシャー・スティーヴンス 『ミッドナイト・ガイズ』(2012年)(RT:36%ワタシの感想

この映画は『ハングオーバー 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』以降いくつも作られた一夜の大暴れもの、しかもそのジジイのファンタジーバージョンなのだけど、アル・パチーノクリストファー・ウォーケンが、それぞれいかにもらしい役をしっかりやった共演が観れただけでワタシは満足です。

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ピーター・バーグバトルシップ』(2012年)(RT:34%

昔、『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』を巡る論争があり、当事者のお二人のいずれのブログも楽しく読んでいたワタシはなんというか唖然としてしまったのだけど、娯楽映画をネタとして笑いツッコミながら見るというのは十分アリだろう。

本作は主要キャストに浅野忠信さんが出ているおかげもあって、日本人はネタとしてこの映画を楽しむことができて良かったと思います。

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ニール・ブロムカンプ『チャッピー』(2015年)(RT:32%ワタシの感想

冷静に見ると、結局これも『第9地区』と大枠同じ話じゃんと思うし、監督は本作以降あまり話題になってないということを見ると本作の低評価も間違ってはいないのかもしれないが、このニール・ブロムカンプという人の悪趣味さが憎めない。

ここまで書いてから気づいたのだが、一部似た趣旨の本が既にあるんですね。Amazon のページを見る限り、かぶっているのは『ブレイド』だけのようだが。

[2021年05月25日追記]:あさやんさんから教えていただいたが、『いとしの〈ロッテン(腐った)〉映画たち』で紹介されている映画とワタシのリストでかぶるものは、『ブレイド』と『サボテン・ブラザーズ』の二作のようだ。

来月刊行されるショシャナ・ズボフ『監視資本主義』を改めて取り上げておく

str.toyokeizai.net

「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)」で既に触れているのだが、版元である東洋経済新報社のサイトに個別ページができていたので、改めて来月刊行されるショシャナ・ズボフ『監視資本主義』を取り上げておきたい。

ワタシが「監視資本主義(surveillance capitalism)」という言葉をブログで最初に取り上げたのは2018年5月なので、3年前にさかのぼる。その時点で Wikipedia の項目ができており、ショシャナ・ズボフが発明したこのタームのインパクトが分かる。ワタシも2018年秋に執筆し、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』に収録した「付録A インターネット、プラットフォーマー、政府、ネット原住民」において、ショシャナ・ズボフの原書の名前を(刊行前に)挙げているくらいだ。

そして、そのショシャナ・ズボフによる原書が出たのが2019年1月、瞬く間に評判となり、その年の後半にGuardianが選ぶ21世紀最高の本トップ100にロバート・マクファーレン『アンダーランド: 記憶、隠喩、禁忌の地下空間』(asin:4152099798)と並び、2019年刊行の本で選出されるほどである。

この本のビッグテックは個人の自由を弱体化し、民主主義を蝕んでいるという主張は、その後に出る多くの本の通奏低音となったし、Netflix 制作の『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』、ズボフ自身も出演した『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』もこの本なしにはなかったかもしれない。

逆に言うと、少なくとも欧米のインテリ層にはそれだけ人口に膾炙した本なので、そうした論説を追ってきた人であれば、割と当たり前に思えてしまう内容かもしれない。しかも必然的にかなりな値段がついているので、簡単には手が出ないかもしれないが、これはちゃんと読んでおくべき本だと思います。

それで思い出したのは、少し前に『マスターアルゴリズム』邦訳刊行を取り上げたとき、はてなブックマーク「つまり英語読めないと5年も遅れるということですな(´・ω・`)」というコメントがついたこと。

『監視資本主義』の場合、原書刊行からおよそ2年半での邦訳刊行であり、『マスターアルゴリズム』ほどのタイムスパンではないものの、このブログでも何度も邦訳はまだかと書いてきた本である。「英語読めないと×年も遅れる」というのは昨日今日始まった話ではもちろんないが、それがさらに強まるのは困るという気持ちはある。

スティーブン・ジョンソンの新刊は人類の偉大な成果としての「余生」がテーマとな

www.nytimes.com

かのスティーブン・ピンカーが、スティーブン・ジョンソンの新刊 Extra Life の書評を書いている。

Extra Life: A Short History of Living Longer

Extra Life: A Short History of Living Longer

  • 作者:Johnson, Steven
  • 発売日: 2021/05/11
  • メディア: ハードカバー

新刊のテーマはタイトルから分かる通り人類の「余生」がテーマで、「長生きの浅い歴史」という副題も楽しい。

しかし、長生きに浅い歴史しかないというのは本当のことで、ピンカーの書評も、ニューヨーク・タイムズ紙の購読者の平均年齢は約55歳だが(そうなのか!?)、人類史の大半の期間で平均寿命は約30歳だったという先制パンチから始まる。数世紀前までは、生まれてくる子供の4分の1以上が1歳の誕生日を迎える前に、約半分が5歳の誕生日を前に死んでたというのだ!

つまり、長寿はそれ自体が「人類史におけるもっとも偉大な成果の一つ」なんですね。豊かな国の平均寿命は、1880年までに40歳、1900年までに50歳、1930年までに60歳、1960年までに70歳、そして2010年までに80歳に達した。さらに書くと、平均寿命というのは短命の人が数字を押し下げるので、1950年に70歳を迎えた人の余命は9年だったのが、現在では16年まで伸びているそうな。

ジョンソンによると、長寿は十分に評価されておらず、また死因として戦争が過大評価されてきたらしい。そして、その死因に関する無知はこの一年で軽減されただろうとピンカーは書いているが、それがコロナ禍を指しているのは言うまでもない。

ジョンソンによると、最も多くの命を救った8つのイノベーションのうち6つが感染症への防御策らしい。それが何かは本(あるいはピンカーの書評の続き)を読んでいただくとして、それに化学肥料やワクチンをはじめとして、一部の人たちの反発を買うものが含まれるのも面白い話だと思う。

ピンカーは、ジョンソンが地道な成果を強調するあまり反英雄主義が行き過ぎているところもあると少し苦言を呈しているが、ジョンソンが優れたストーリーテラーであり、この新刊が重要な本であると認めている。

www.pbs.org

さて、フレッド・ウィルソンもこの本を取り上げているが、今回の新刊の刊行とほぼ時を同じくして、PBS で同名のドキュメンタリー番組も作られてるんだね。

予告編を探したが、なぜか BBC のチャンネルにしか見つからなかった。

『世界をつくった6つの革命の物語』(asin:4023315303)の原作が出たときもテレビ番組が作られてたっけ。

ティーブン・ジョンソンの新刊が出るとだいたいこのブログで何かしら取り上げているのに今まで気づかなかったのだが、近作の邦訳は「新・人類進化史」シリーズとしてまとめられているんだね(↓のように Kindle 版をまとめるページもできている)。

今回の新作も、内容的におそらくこのシリーズの一つとして邦訳が出ること間違いなしだろう。

ジョン・レノンの最後の日々(とマーク・チャップマン)を描く伝記の邦訳が出る

トランネットのオーディション課題概要に面白そうな本が入っている。一目見て分かるが、ジョン・レノンの伝記本である。

ジョン・レノンの伝記なら既にいくらでもあるが、本書の場合、著者に小説の総売り上げ発行部数が3億部をこえるというベストセラー作家のジェイムズ・パタースンというビッグネームが名前を連ねているのが目を惹く。

しかも、書名から分かるように、この本はジョン・レノンの最後の日々を扱ったものらしい。

さらに、章の合間には丹念に追ったMark David Chapmanの3日間の行動がはさみこまれるという独特の形式だ。John LennonとMark David Chapman、ふたつの流れがひとつの点に向かって進み、遂には出合う、一種スリリングな組立てが絶妙である。

オーディション課題概要

これはかなりスリリングな読み物になりそうだ。

しかし、この書名はちょっとどうかと思うところがあり、実はほぼ同名の本が既にあるんですね。フレデリック・ラインハルト・シーマンの『ジョンレノン 最後の日々』(asin:440170116X)である。

この本の刊行により守秘義務を違反した、またレノンの家族の写真の所有権をめぐって著者のシーマンはヨーコ・オノに訴えられており、ヨーコ・オノが勝訴している

ベストセラー作家を担ぎ出すくらいだから、こちらはその種の遺族とのトラブルはないと思うが、マーク・チャップマンがどう描かれているのかは少し気になるところ。

The Last Days of John Lennon

The Last Days of John Lennon

そうそう、ジョン・レノンと言えば、アルバム Plastic Ono Band(邦題:ジョンの魂)の8枚組ボックスセットというすごいボリュームのものが出ているね。

ロバート・フリップがモヒカン刈り(というかキューピーカット)にする模様の動画公開

昨年、英国がロックダウン入りしてからロバート・フリップ先生は、アンビエントシリーズ Music For Quiet Moments に加え、トーヤさんとの夫婦漫才シリーズ Toyah & Robert's Sunday Lunch において、網タイツ姿で踊ったり被り物をして踊ったり蜂のコスプレ姿で走りまくったり(やはり網タイツ姿……網タイツ好きなんだろうか?)、最近ではトーヤさんとギタリストのシドニー・ジェイクとの三人で天衣無縫なパフォーマンスを披露してフリーダムさを見せつけているが、少し前にロバート・フリップモヒカン刈り(というかキューピーカット?)にしていてまたしても驚かせてくれたわけだが、このヘアカットの模様が動画公開されている(笑)。

実際にヘアカットをやったのはシドニー・ジェイクだったんですね。

さて、ロバート・フリップ翁も今月75歳の誕生日を迎え、日本でいえば後期高齢者の仲間入りをしたわけだが、トーヤさんともどもお元気そうで何よりである。

さすがにお二人をあしらったTシャツは、『クリムゾン・キングの宮殿』Tシャツよりも着るのにハードルが高かったりしますが。

そういえば、今年に入ってキング・クリムゾンのオリジナルアルバムや一部ライブアルバムの YouTube への音源公開も一通りやりきってしまったが、またクリムゾンとしてのライブツアー復帰も来年実現するのだろうか?

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