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邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2021年版)

私的ゴールデンウィーク恒例企画である「邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする」だが(過去回は「洋書紹介特集」カテゴリから辿れます)、10回目を迎えた昨年、「この企画も今回で終わりである。ちょうど10回、キリが良い」と宣言させてもらった。

が、その後も『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』のプロモーションにかこつけてブログを更新したため、結果、この一年で結構な数を洋書を紹介しており、また今年は緊急事態宣言もあって帰省もキャンセルとなり、ついカッとなってやることにした次第。と、ここですかさず自著の宣伝。

今回は全31冊の洋書を紹介させてもらう。ほとんど毎年書いていることの繰り返しになるが、洋書を紹介してもアフィリエイト収入にはまったくつながらない。それでも、誰かの何かしらの参考になればと思う。

注記:どうもリンクする数が多すぎるせいか正しく書影が表示される本が多いため、今回は Amazon は(紙の本と電子書籍が両方出ている場合)紙の本だけリンクする。Kindle 版は紙の本のリンクから辿っていただきたい。

Mary L. Gray、Siddharth Suri『Ghost Work: How to Stop Silicon Valley from Building a New Global Underclass』

書籍の公式サイト。著者二人はマイクロソフト・リサーチの研究員だが、シリコンバレーが新たな底辺層を作り出すのを止めろという訴えは、非常に現在的なテーマだと思うし、バーバラ・エーレンライクの名著『ニッケル・アンド・ダイムド アメリ下流社会の現実』(asin:4492222731)の現在版とも言えるわけだ。

Safiya Umoja Noble『Algorithms of Oppression: How Search Engines Reinforce Racism』

著者のサイトでの紹介ページGoogle を標的とした、いかに検索エンジンが人種差別を強化しているかという訴えは主に黒人を対象としているが、今年に入って深刻化しているアジア人差別を考えるなら、アジア人についてそのような「抑圧」がないかの研究をまとめた本もいずれ出るのだろうか(既に出ているのかな?)。

マット・アルト『Pure Invention: How Japan's Pop Culture Conquered the World』

著者のサイト。著者は AltJapan において日本文化の米国への紹介者として知られるが、これは邦訳出るんじゃないですかね。

そういえば著者は少し前に New York Times「なぜ QAnon は日本ですべったか」という論説記事を寄稿していたが、清義明の「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」を読んだ後では、すべったのは著者のほうではないかという疑いを持ってしまう。

アイバン・オーキン、Chris Ying『The Gaijin Cookbook: Japanese Recipes from a Chef, Father, Eater, and Lifelong Outsider』

タイトルであえて「ガイジン」と名乗っているのは、日本人の排他性を逆手に取ったもので……と勝手に解説すると怒られるかもしれないが、こういう日本料理本こそ邦訳が出るべきだと思うのですよ。

Carl Bergstrom、Jevin West『Calling Bullshit: The Art of Scepticism in a Data-Driven World』

本の公式サイト。以前にも書いたが、『RANGE』(asin:B0868DR365)を読んでいて、この本の元となった講義が紹介されていてアッとなったものである。「データドリブンな社会において懐疑的にものを見る技術」はとても求められていると思うのですよ。

コリイ・ドクトロウ『How to Destroy Surveillance Capitalism』

さて、これは来月単独でブログで紹介するかもしれないが、遂にようやくやっと出ますよ、ショシャナ・ズボフ『監視資本主義』が! 「人類の未来を賭けた闘い」って、ワオ!

正直、コリイ・ドクトロウがこの本をディスること、特にテック企業のツール(アルゴリズム)が悪用されたことが問題ではなく、独占と腐敗こそが問題だと強調する理由がよく分からなくて、ブルース・シュナイアー先生が「両方問題だろ」と書いていたのにワタシも同意する。

一応まだ OneZero で全文公開されている。著者のサイト内ページも参考まで。

キャス・サンスティーン『Behavioral Science and Public Policy』

ここで紹介している本は薄い本なので邦訳は出ないだろう、まぁ、何しろサンスティーン先生は多作な人なので、彼の本はそのうちどれかの邦訳が出るだろうからいいんじゃないでしょうか。

というか、彼の「ナッジ」というコンセプトは強力なのは間違いないが、それだけに近年ちょっと濫用されているように思うのよね。

Frank Pasquale『New Laws of Robotics: Defending Human Expertise in the Age of AI』

これも AI の危険性を煽る本と思われそうで、そういう本は既にトレンドになって久しい。この本はロボットの軍事方面への利用について突っ込んだ記述があり、国際情勢がきな臭くなってそういう方面に目がいくといった流れにでもならない限り、邦訳は今回も難しいかもなぁ。

Joseph Reagle、Jackie Koerner『Wikipedia @ 20: Stories of an Incomplete Revolution』

今年誕生20周年を迎えた Wikipedia を祝して、ワタシもこの Wikipedia @ 20 の文章を2つほど訳させてもらったが、正直邦訳が書籍として商業ルートで出るのは難しいと思う。せっかく Creative Commons のライセンスで全文公開されているので、誰か翻訳プロジェクトでも立ち上げてほしいと今でも願っている。

Sarah Frier『No Filter: The inside story of how Instagram transformed business, celebrity and our culture』

Instagram という2010年代もっとも成功したスマートフォンアプリのスタートアップの成功物語としてよりも、Facebook に買収された後の軋轢の話、特にマーク・ザッカーバーグのクソ野郎話こそ興味深い。

Whitney Phillips、Ryan M. Milner『You Are Here: A Field Guide for Navigating Polarized Speech, Conspiracy Theories, and Our Polluted Media Landscape』

本の公式サイト。著者二人ともこれまでヘンな研究をしている人なので、そうした人たちが書く現在のインターネットのフィールドガイドは面白いと思うのだが、こういう本はよほど特別何かで話題にならない限り、邦訳出ないんだよなぁ。

アンドレアス・M・アントノプロス(Andreas Antonopoulos)、Olaoluwa Osuntokun、René Pickhardt『Mastering the Lightning Network: A Second Layer Blockchain Protocol for Instant Bitcoin Payments』

本の公式サイト。最近ブロックチェーン絡みの話題というと NFT ばかりだが、安価かつセキュアなマイクロペイメントを実現するプロトコルも重要な話に違いない(これはブロックチェーン外技術だけど)。

アンドレアス・アントノプロスがオライリーから出す本だから、これが Lightning Network 本の決定版になるのだろうが、邦訳が出るかは日本でもその「マイクロペイメント」がどの程度求められるかにかかっているのかな。

ケヴィン・ケリー『Vanishing Asia』

まぁ、何しろ全3巻、1000ページもの分量の本ということで、通常流通もしない本だから邦訳もまず期待できないのは分かっているが、趣味でこれも入れさせてもらう。

さて、ワタシのブログで過去取り上げた洋書はここまで。以下は、ブログで取り上げ損ねた本やこれから刊行予定の本を何冊か取り上げさせてもらう。

ウォルター・アイザックソンWalter Isaacson)『The Code Breaker: Jennifer Doudna, Gene Editing, and the Future of the Human Race

日本ではスティーブ・ジョブズの伝記本で知られるウォルター・アイザックソンだが、彼の新刊が先月出たばかりなのを、少し前に彼の Google での講演動画(というかオンラインインタビュー)をみて初めて知った。

その新刊だが、ゲノム編集技術 CRISPR-cas9 システムの開発者として知られ、昨年ノーベル化学賞を受賞したジェニファー・ダウドナの伝記というタイムリーな本である。これは来年邦訳出るでしょうな!

ミケランジェロ・マトス『Can't Slow Down: How 1984 Became Pop's Blockbuster Year』

今回音楽本をまったく取り上げてないことに気づいたので、VarietyRolling StonePitchfork など2020年最高の音楽本リストに必ず入っていた本を挙げておきましょう。

著者は音楽ライターで、「33 1/3シリーズ」でプリンスのアルバムについて書いた『プリンス サイン・オブ・ザ・タイムズ』(asin:4891769459)の邦訳もある。

本作はそのプリンス、マドンナ、そしてマイケル・ジャクソンという1958年生まれの3人を軸にして、1984年の音楽シーンに焦点を当てたものである(書名はその前年秋にリリースされたライオネル・リッチーのアルバムタイトルからとられたもの)。群像劇なような楽しみのある本とのことなので、これは邦訳出てほしいよな。

ダニエル・J・ソローヴ(Daniel J. Solove)先生の久方ぶりの新刊2冊

ダニエル・J・ソローヴ先生のことは「社会的価値としてのプライバシー(後編)」で取り上げており、そこでも紹介している『Nothing to Hide』は『プライバシーなんていらない!?』(asin:4326451106)として邦訳が出たが、それから10年共著の教科書本を除くと新作がなかった。

彼はジョージ・ワシントン大学ロースクールの教授のまま、プライバシーやデータセキュリティのトレーニングを手がける TeachPrivacy を起業しており、そちらで忙しかったのだろう。

ノースイースタン大学教授のウッドロー・ハーツォグ教授との共著となる『Breached!』はおよそ10年ぶりの新刊になる。

……と思ったら、実はソローヴ先生は、昨年秋にこれまでと毛色の違う本を出していた。

そう、絵本を共著で出していたんですね。史上初(?)の子供向けプライバシー指南の絵本らしい。

サンダー・キャッツ(Sandor Katz)『Sandor Katz's Fermentation Journeys: Recipes, Techniques, and Traditions from Around the World』

サンダー・キャッツというと発酵食品のスペシャリストとして知られており、ワタシも『発酵の技法』asin:4873117631)を恵贈いただいて読み、すごいもんだと思ったものだ。他にも『天然発酵の世界』(asin:4806714909)、『サンダー・キャッツの発酵教室』(asin:4990863712)の邦訳も出ている。

その彼の今年秋に出る新刊の話は大原ケイさん経由で知った。当然のように発酵食品についての本なのだけど、発酵カルチャーをテーマとする世界旅行といった趣である。

Jenny Odell『Inhabiting the Negative Space』

ジェニー・オデルの本は一昨年に「TikTokの時代に我々はスローダウンできるのか? 気鋭のヴィジュアルアーティストが説くアテンションエコノミーへの反逆」で取り上げたが、アテンションエコノミーに抗して「何もしない方法」という本を出した彼女の姿勢は、コロナ禍にかなりマッチしていたと今になって思う。

その彼女の新刊は The Incidents シリーズの1冊となる薄い本だが、やはりコロナ禍という奇妙な時代において、何も活動しない期間を無駄な時間としてではなく豊かなデザインの機会ととらえるものみたい。電子書籍で出すのにちょうどいい本かな。

正直この本をどこで知ったか思い出せないのだが、ワタシが面白いなと思ったのは、「ブロックチェーン」と「養鶏場」という思いつかない組み合わせの面白さ(鶏肉の産地偽装防止なんでしょう)、そして何よりこれが中国の地方におけるテック話をテーマにした本だということ。

中国の発展は目覚ましく、それと引き換え日本は――みたいな話はもはや定番だが、そこで話題となる「中国」は主に大都市なわけである。果たして中国の地方で「ブロックチェーン養鶏場」ってなんだ? と興味をひかれたのだ。どこかスチームパンクっぽくもあるし。

上で新刊を紹介しているジェニー・オデルクライブ・トンプソンといった人たちが本作を賞賛している。

Lee Vinsel、Andrew L. Russell『The Innovation Delusion: How Our Obsession with the New Has Disrupted the Work That Matters Most

共著者の紹介ページ。「イノベーション妄想:我々の新しさへの強迫観念がいかにもっとも重要な業績をぶち壊してきたか」という書名は、日本の経済メディアでも「イノベーション」という単語を目にしない日はなく、なにかと「イノベーション語り」がもてはやされる風潮に冷や水をぶっかけるものだ。

個人的に驚いたのはこの本をティム・オライリーが激賞していること。彼の推薦文は以下の通り。

長年読んできた中で最も重要な本だ。本書はテクノロジー、経済、そして世界のどこに問題があるかを雄弁に語っており、それを正すための簡潔な秘訣も与えてくれる。それは、製品やサービスが長続きするには何が必要か理解するのにフォーカスすることだ。

ティム・オライリーダン・ライオンズの両方が誉める本ってなかなかないよね。

James NestorBreath: The New Science of a Lost Art

著者による紹介ページ。ワタシがこの本を知ったのは、New York Times の記事の翻訳「普段意外とできていない「正しい呼吸」の仕方」経由だが、2020年5月刊行ということは、コロナ禍によって図らずも追い風を受けた本と言えるだろう。

呼吸を「失われた技術」とは言いえて妙で、生きている人間の誰もが大変な数を欠かさずやるものだから、逆に普段はほとんど意識しなくなっている。しかし、「正しい呼吸なくして真の健康はない」と言われてみれば、確かになぁと反論できない。それは我々日本人にとっても当然ながらあてはまるわけで、邦訳が出るべき本だろうね。

Hallie RubenholdThe Five: The Untold Lives of the Women Killed by Jack the Ripper

最後に紹介する本は、先日北村紗衣さんのツイート経由で知ったばかりだったりする。

確かに切り裂きジャックについてはこれまで多くの本が書かれており、その正体についていろいろな説が語られてきたし、『フロム・ヘル』などこれに触発されたフィクションも数限りなくある。が、この本は切り裂きジャックではなく、切り裂きジャックに殺された5人の女性についての本、というのがポイントである。

ワタシも切り裂きジャックの被害者は全員娼婦という話をずっと鵜呑みにしていたのだが、事件から130年後である2018年に本書の著者であるハリー・ルーベンホールドがこれを覆す研究を発表しており、調べてみたらブレイディみかこさんも取り上げていた

「「切り裂きジャックの被害者は売春婦」 レッテルに隠された素顔に迫る一冊」にもあるように、労働者階級の被害者が全員まとめて売春婦扱いされた背景にはメディアのセンセーショナリズムもあったわけだが、ミソジニーもあったろう。そのあたりにこの本の現代性がありそうだ。

著者サイト内の紹介ページも参考まで。

今年は昨年以上にひどいゴールデンウィークになってしまったが、なんとかお互い生き残りましょう。

[追記]

以下、ここで取り上げた本の邦訳が出たのを紹介するエントリをはりつけておく。

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ティム・オライリーが「シリコンバレーの終焉」について長文を書いていたのでまとめておく

www.oreilly.com

ひと月以上前になるが、ティム・オライリー御大が珍しく Radar に長文を書いていた。テーマは「シリコンバレー終焉論」である。タイトルは、コロナ禍のはじまりだったおよそ一年前にチャートインして話題になった R.E.M.It's the End of the World as We Know It (And I Feel Fine) のもじりですね、多分。

ティム・オライリーというと2年前に『WTF経済 絶望または驚異の未来と我々の選択』が出ており、ワタシもオライリーの田村さんから恵贈いただいたが、新しい技術がもたらす驚きを良いものにしていこうという、訳者の山形浩生の言葉を借りるなら「テクノ楽観主義の書」であった。

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択

WTF経済 ―絶望または驚異の未来と我々の選択

  • 作者:Tim O'Reilly
  • 発売日: 2019/02/26
  • メディア: 単行本

ワタシはティム・オライリーをトレンドセッターとして長年ずっとフォローしてきたし、『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来』でも何度も引き合いに出している。『WTF経済』でも巨大プラットフォーム企業に対する警戒は書かれていた覚えがあるが、それらに支配されたように見えるシリコンバレーの今後についてこの人がどう考えているかはやはり気になる。

日本語圏でこの文章はほとんど話題になってないが、やはり長さが原因だろうか。以下、ざっと要約してみたい。

イーロン・マスクやピーター・ティールのような著名人、Oracle や HP Enterprise といった大企業がカリフォルニア州を去りつつある。コロナ禍において、テック労働者もリモートワークの利点に気づいてしまった。これはシリコンバレーの終わりなのか? シリコンバレーの未来を形作る以下の4つのトレンドを理解するのが重要だ。

  1. 消費者向けインターネットの起業家は、ライフサイエンス革命に必要なスキルの多くを持ち合わせていない。
  2. インターネット規制が迫りつつある。
  3. 気候変動に対応するには大きな資本が必要だが、本質的にローカルなものである。
  4. 賭博経済(betting economy)の終焉。

未来を発明する

「未来を予測する最良の方法は、それを発明することだ」とはアラン・ケイの有名な言葉だが、2020年はその正しさと間違いの両方が明らかになった。パンデミック自体はずっと前から予測されてきたが、世界は準備ができてなかった。さらに言えば、気候変動なんて数十年どころか一世紀以上も前から注目されていたし、不平等が国家の運命を左右することも大昔から知られていたが、やはり準備はできていなかった。

パンデミックや気候変動のような危機は、イノベーションの大きな原動力にもなりえる。起業家、投資家、政府が直面する難題の解決に立ち上がれば未来は明るい(新型コロナウイルスへの素早いワクチン開発はその例)。でもそれは、今見苦しいことになっている消費者向けインターネットやソーシャルメディアとはまったく話が違う。

予言:機械学習と医学、生物学、材料科学の結節点は、この数十年のうちに20世紀後半から21世紀初頭におけるシリコンバレーのような存在になる。

その「結節点」となる地の台頭が、シリコンバレーの終焉につながる。というのも機械学習、統計分析、プログラミングは必要だが、求められるスキルが変わり、シリコンバレーの地の利が失われるから(セラノスの挫折もその傍証となるでしょうか)。

「我々自身がデザインした悪魔」を使いこなす

機械学習の可能性は大きいが、人間による理論構築と実験に依存する現在の科学へのアプローチと噛みが悪い(少し前にテッド・チャンも話題にしていたアーサー・C・クラークの「十分に進歩した技術は魔法と区別がつかない」という言葉を思い出そう)。

インターネットのパイオニアたちは、自由群集の英知(wisdom of crowds)を期待したが、気が付けば我々は皆、偽情報の市場から利益を得る巨大企業に支配されてしまい、インターネットは我々の夢ではなく、悪夢になってしまった。シリコンバレーが問題を解決するなんて片腹痛い。お前らはむしろ「問題」の側だろ。

リチャード・ブックスターバーの本のタイトルを借りるなら、テクノロジープラットフォームは自身がデザインした悪魔を手なずけることができるだろうか? ということになる。

欧米の政府の規制当局はいわゆる GAFA に照準を合わせているが、規制当局のプラットフォーム理解が古ければ、満足いく結果にはならないだろう

市場は生態系であり、いたるところに隠れた依存関係がある。シリコンバレーの勝者総取りモデルの弊害は最終的には消費者にも及ぶが、例えば Google が独占的地位を悪用する弊害は、まずは消費者ではなく競合ウェブ企業の利益や資金低下や研究開発投資の減少に現れる。プラットフォーム企業は、新鮮なアイデアを持つスタートアップと競争し、人材を奪い、サービスをパクって市場全体からイノベーションが失われる。政府だって租税回避のテクに長けた大企業に歳入を奪われる。

ソーシャルメディアは、利益のためにユーザを操作し、民主主義や真実の尊重が損なわれているが、テクノロジーだけに罪があるわけではない。搾取に利用されるテクノロジーは、我々の社会の価値観をもっともよく映し出す鏡に過ぎない。オープンソースソフトウェアやワールドワイドウェブの寛大さやアルゴリズムによって増幅された集合知は今も健在だが、それを我々は積極的に選択し、間違った方向のシステムのレールに乗ってはいけない。

予言:プラットフォーム企業は自らを規制できないので、良い方向にも悪い方向にも制限をかけられることになろう。

シリコンバレーにとって悲しい時代になるが、それはシリコンバレーの若々しい理想の死というだけでなく、シリコンバレーがチャンスを逃すことになるからだ。

ここから GoogleAmazon、あと Facebookアルゴリズムの問題について書いてあるが、シリコンバレーは我々の経済や企業統治のどこがおかしいかを示す鏡であって、その原因ではないが、最悪の反面教師とは言える、という結論はかなり辛辣である。AI倫理の面からの規制論もこれから出るだろうが、オライリーは『WTF経済』で肯定的に取り上げたギグエコノミーについても、企業中心ではなく労働者中心のより堅牢な保障体系が必要と強調している。

気候変動とエネルギー経済

イーロン・マスクが世界でもっともリッチな人間になったというニュースは、気候変動の回避が今世紀最大のチャンスであることの前兆であり、電気自動車だけではなくあらゆる分野で改革が必要。何億人もの人間の移住が必要になる(マジかよ)。

予言:今後20年間に生まれる気候変動億万長者は、インターネットブームで生まれた億万長者よりも多いだろう。

電気自動車(のバッテリー)、ソーラーパネル、風力タービン、再生可能発電、培養肉などいろんな分野にチャンスがある。

何より温室効果ガスの排出を減らす必要があるが、Rewiring America では以下の5つが主張の柱になっている(なんで唐突にこの団体の名前が出てくるんだ、とワタシは疑問だったのだが、『WTF経済』を読み直して、これの共同創始者ソール・グリフィスティム・オライリーの娘さんと結婚しているのに気づいた)。

  1. すべてを電化すれば、現行システムの半分のエネルギーしか必要なくなる。
  2. ソーラーパネル、バッテリー、電気自動車、家電を国のエネルギーインフラとして再構築する必要がある。
  3. 第二次世界大戦式の民間企業の動員がなければ、市場は十分な速さで動かない。
  4. アメリカを電化することで多くの雇用が生まれる。
  5. この巨額投資の恩恵を受けるのが、電力会社、太陽光発電事業者、消費者の誰になるかは金利次第。

かなり端折っているのもあるが、ここの議論は正直ワタシにはピンとこなかった。とにかくすべて電化、ってその電力はそうやって賄うの? とも思うわけだが、オライリーは気候変動に対応する規制や税法が、ネットプラットフォーム企業のアルゴリズム規制と同じような重要性を持つものと見ているようだ。

カジノ資本主義の終焉?

オライリーシリコンバレーの終焉を唱える最大の理由は、現在のシリコンバレーを2009年の世界金融危機以降、異常にチンケな資本の産物と見ていることにあるようだ。

ここでオライリーは、企業が製品やサービスを作り売る operating economy と、金持ちが株式市場の美人コンテスト式にどの企業が勝ち/負けるか賭けをする betting economy という二つの言葉を出しているが(この二つに定訳あるのかな?)、前者が人間の問題を解決するかという成功の指標があるのに対し、後者の成功指標は株価だけになってしまう。

シリコンバレーは、その名の通り半導体メーカーの集まりから始まったにもかかわらず、今では非生産的なイノベーションを推奨する betting economy の地になってしまったとオライリーは見ているようだ。

ここでオライリーは、いきなりジョン・メイナード・ケインズの『一般理論』を以下の箇所を引用している(訳文は山形浩生訳から引用)。

事業の安定した流れがあれば、その上のあぶくとして投機家がいても害はありません。でも事業のほうが投機の大渦におけるあぶくになってしまうと、その立場は深刻なものです。ある国の資本発展がカジノ活動の副産物になってしまったら、その仕事はたぶんまずい出来となるでしょう。

betting economy は「カジノ活動の副産物になってしまった」経済を指しているが、ここではその典型として WeWork が挙げられている。ソフトバンクが投資した巨額の金が煙のごとく消え失せたことも書かれており、ソフトバンクも賭博経済、カジノ資本主義の一味と見られているということですね。

予言:バブルが終わっても、より大きなチャンスが残る。

これを読んでいて知ったのだが、オライリーはおよそ一年前に「21世紀にようこそ――ポストコロナの未来の計画の立て方」という文章を書いている(電子書籍版)。こちらについては、シンギュラリティラボ共同代表の草場壽一氏がまとめをやられているので、そちらを参照ください。

堅牢な戦略を条件としているが、それでも未来は明るいとオライリーは考えているのだろう。そして、イノベーション(と多額の資本投資)が期待される二大分野として、生命科学(ライフサイエンス)と気候変動を挙げている。明言はしていないが、それを担うのはシリコンバレーではないということだろうか。

さて、ここまでざっと要約してきたが、もちろん端折ったところは多いので、詳しくは原文を読んでください、と一応書いておきます。

yamdas.hatenablog.com

ティム・オライリーの主張と同じではないが、やはりこれを思い出してしまった。いずれもシリコンバレーが有意義なイノベーションを実現する地ではなくなったという認識は共有されているように思う。

それにしてもオライリーの巨大プラットフォーム企業に対する視線の厳しさには、それがかつて Web 2.0 の旗印のもとで応援した企業でもあっただけにたじろいでしまう。彼はかつてアルゴリズムが信頼に足るかを基準に考えていたが、もうあいつらは信頼できないと見切ってしまったのだろうか。

Twitterでフォローすべきサイバーセキュリティの専門家リストを日本で選ぶなら?

securityboulevard.com

Schneier on Security で知ったページだが、2021年に Twitter でフォロー必須なサイバーセキュリティの専門家を21人選出している。

見てみると、当のブルース・シュナイアー先生をはじめとして、ケビン・ミトニックのような古株、Krebs on Security でおなじみブライアン・クレブス、ユージン・カスペルスキーなどよく知られた人も入っているが、恥ずかしながらワタシが知らない人も何人もいる。

Twitterでフォローすべきサイバーセキュリティの専門家リスト」を日本語圏で選ぶならどういうリストになるだろうか。パッと思い浮かぶのでは以下の感じになる(以下、五十音順、敬称略)。

……す、すいません、13人選んだところで力尽きてしまいました。ワタシが年寄りなためチョイスもキャリアのある方に偏っており、もっと若い方でこういうリストに入るべき人がもっといるはずだし、それに何より、全員男性なのは大きな問題である。

そうした観点で、リストにこの人が入るべきだろ、というのがあれば教えてください。


[追記]:教えを乞うたところ、いろいろな方のお名前を挙げていただいたので、直接コメントいただいた方を列挙しておきます。以下、Twitter ID のアルファベット順。

追記分だけで20人超えなので、とりあえずここまでとさせてください。

あと、アクセス解析で珍しくワタシのブログがはてな匿名ダイアリーで話題になっていたのを知ったで、こちらも参考まで。

anond.hatelabo.jp

発売50周年を迎えるローリング・ストーンズ『スティッキー・フィンガーズ』の有名なカバー写真を巡る話で驚いたこと

www.vanityfair.com

こないだ FTP の RFC 発行日がストーンズの「ブラウン・シュガー」の発売日と同じという小ネタを知ったが、それから間もなく発売された、その「ブラウン・シュガー」も含むアルバム『スティッキー・フィンガーズ』が発売されて今週50周年を迎えるということでもある。

スティッキー・フィンガーズ』は、ワタシもワタシが愛する洋楽アルバム100選に入れている、『Let It Bleed』と並ぶストーンズの最高傑作なのだけど、この Vanity Fair の記事は、『スティッキー・フィンガーズ』の有名なジーンズのジッパーをあしらったアルバムカバー制作を巡る裏話についてのもの。

このアルバムカバーのデザインはアンディ・ウォーホールによるものであることは知られ、実際これはある夜クラブで一緒になったアンディ・ウォーホールミック・ジャガーの会話の中での、「カバーにブルージーンズのジッパーがあったら良くね?」「ああ、そいつはいいアイデアだな」というやり取りに端を発したものだが、実際にデザインを手がけた Craig Braun という人物のインタビューをフィーチャーしている。

何しろアルバムジャケットにジッパーをつけるとレコードに傷をつけかねないわけで、それに関していろいろ苦労した話もあるのだけど、そういう話よりも個人的に驚いたのは、このアルバムジャケットでジーンズを履いて(チンコをモッコリさせて)いる男性は誰かということ。

yamdas.hatenablog.com

ワタシはこれはジョー・ダレッサンドロだと思っていたのだが、この記事ではモデルでウォーホールのマイクアップアーティストだった Corey Grant Tippin の名前があがっている。そうだったんだ?

で、ジッパーを開けると見れる下着姿の股間の男性は Glenn O’Brien という人らしい。そのあたりの記述を訳してみる。

ジャケットの表と裏に写っているのは Corey Tippin で、(中の下着姿は)Glenn O’Brien だと思う。Corey が下着姿の撮影時にいなかったかは知らないが、アンディが Glenn O’Brien に電話して来させ、下着姿を撮影したと確かに聞いた。だから彼だと思うよ。人々は(ウォーホール映画のスターだった)ジョー・ダレッサンドロだと思っている。最初はミック・ジャガーだと思われてた。俺がやったと考える人さえいた。でも、俺としてはそこら辺は曖昧にしておきたくて、「それがミックのチンコだと女の子が思えば、もっとアルバムが売れるだろ」と言ったんだ。

うーん、そうだったんだ。今となっては、アルバムジャケット(そしてジッパーの中)の写真に写っているのが誰だろうとアルバムの評価は何も変わらないのだが、定説だと思っていることが覆されることもあるんだなと感心した次第。

草思社文庫に入ったデジタルテクノロジー関連本を調べてみた

録画しておいた ETV 特集の「パンデミック 揺れる民主主義 ジェニファーは議事堂へ向かった」を見たら、ここでもショシャナ・ズボフが出ていて、『監視資本主義の時代』の邦訳、いったいいつになったら出るんやろうね? と Amazon で「監視資本主義」を検索し、やはりまだ出ないのを確認してしまった。

で、その検索語で必ず上位に出るのがジェイミー・バートレット『操られる民主主義: デジタル・テクノロジーはいかにして社会を破壊するか』なのだが、Amazon の表示でこれが草思社文庫入りしているのを知った。

こうしたコンピュータやインターネット関連のデジタルテクノロジー本は文庫入りが難しいというイメージがずっとあったのだが、最近ではハヤカワ文庫にぼちぼち入っている印象がある。しかし、草思社文庫はノーマークだった。

草思社文庫でもっとも有名なのは『銃・病原菌・鉄』だと勝手に思っているが、良い機会なので調べてみたら、他にもいくつかデジタルテクノロジー関連本が少し入っているのを知ったので、まとめて紹介しておく。

まず最初は、ダニエル・ヒリス『思考する機械 コンピュータ』

10年前(そんななるのか!)に「リチャード・ファインマンのヴィジョンがテーマのTEDxCaltechとダニエル・ヒリスの回想」でも書いたが、この本は山形浩生が紹介している文章で知った。

続いては、クリフォード・ストール『カッコウはコンピュータに卵を産む()』。

この古典が文庫化されているとはな!

そして最後は、エレツ・エイデン、ジャン=バティースト・ミシェル『カルチャロミクス』

この本には個人的な思い出がある。この本が出た2016年の早い時期に仲俣暁生さんから、これについてマガジン航に書いてよ、と依頼を受けた。買って読んでみたら、確かにワタシの文章執筆意欲を刺激する、とても面白い本だった。

が、その年の終わりにワタシは無期限活動停止並びに執筆や翻訳など新規の仕事依頼は受けない宣言をしたため、そういう人間が書いちゃいけないよな、と仲俣さんの依頼に応えることはしなかった。改めて、仲俣さん、すいません。

そういうわけで、これはワタシもおススメします。しかし、この本が文庫入りすると知ると、やはり驚くね。

『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』とAI倫理、顔認識技術の行方

週末に Netflix を含め映画をいくつか観たので、今日はその話を中心に更新したい。

まず一つ目はなかむらかずやさんにお勧めいただいた『AIに潜む偏見: 人工知能における公平とは』

この作品はワタシのアンテナに入ってなかったのだが(みんなどうやって Netflix の新作情報を得ているのだろう?)、観てみるとなるほど、なかむらかずやさんがワタシにレコメンドするのも納得のドキュメンタリーだった(公式サイト)。

Netflix で観れるドキュメンタリー映画としては、『グレート・ハック: SNS史上最悪のスキャンダル』『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』に続く、AI(アルゴリズム)の問題を突くものである。ワタシもかつて「我々は信頼に足るアルゴリズムを見極められるのか?」という文章を書いているが、電子書籍『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来」とも共通する問題意識を扱った作品である(と例によってすかさず宣伝)。

本作では『AIには何ができないか』のメレディス・ブルサード『あなたを支配し、社会を破壊する、AI・ビッグデータの罠』のキャシー・オニール『ツイッターと催涙ガス』のゼイナップ・トゥフェックチー『抑圧のアルゴリズム』の Safiya Umoja Noble『不平等の自動化』の Virginia Eubanks など本ブログでもおなじみの識者が、アルゴリズム支配や顔認識技術の危険性を語る。それらに加え、本作に少しだけ登場する、昨年末 Google を解雇されたことで話題となったティムニット・ゲブル、そして何より本作の狂言回しである MIT メディア・ラボのジョイ・ブオラムウィーニ(Joy Buolamwini)を含め、主要登場人物が全員女性である。識者以外の登場人物もほぼ女性だった。本作の監督も女性だからというわけではないが、このチョイスは絶対意識的なはずだ。果たして同じ問題について日本でドキュメンタリーを作るとして、これを実現できるだろうか?

本作の最初にジョイ・ブオラムウィーニが告発する顔認識技術の人種差別、性差別(白人男性ほど正しく識別される)の話と、その後で展開される顔認識技術の使用による監視社会化の問題は別の話じゃね? と思ったりもするが、上記識者の語りの巧みな編集と本作の最後におけるジョイ・ブオラムウィーニの議会証言でそれらがまとめられ、うまく丸め込まれた印象がある。

……と一見して思ったが、本作鑑賞後にたまたま類似の問題意識のコンテンツをいくつか目にし、そうでもないなと考えを少し改めた。

まず録画しておいたのを見た「町山智浩のアメリカの今を知るTV」で、『監視資本主義の時代』のショシャナ・ズボフが登場して、顔認識技術に法律での規制が必要とかなり強硬な主張をしていてたじろいだ。

それはそうと、番組でもはっきり『監視資本主義の時代』とテロップに表記していたが、邦訳はいったいいつになったら出るんじゃ!

gigazine.net

こちらはビッグデータやAI倫理の問題を訴えてきたケイト・クロフォードの記事を取りあげたもの。犯罪捜査で有用と顔認識技術を使っていると、個人の自由と権利を侵害する恐れがあると、特に感情を読み取る AI の危険性が警告されており、これは前述の番組でも強調されていた。

考えてみればケイト・クロフォードも『AIに潜む偏見』に出ていて不思議ではなかったし、彼女の出たばかりの新刊は邦訳が期待されますな。

news.yahoo.co.jp

タイミングよく平和博さんも顔認識技術、特に「感情認識」テクノロジーを扱う AI の問題を取り上げている。その問題とは、人種によるバイアスや「常時監視」によるプライバシーの侵害の懸念であり、『AIに潜む偏見』での告発につながる話なのだ。この問題については意識しておいたほうがよい。

さて、最後に少し本筋から離れた話を書いておくと、『AIに潜む偏見』で狂言回しを務めるジョイ・ブオラムウィーニの詩心が強調されていたのが印象的だった。クライマックスとなる議会証言の後、本作の登場人物たちとリモート会議をするのだが、そこで彼女は Safiya Umoja Noble やキャシー・オニールの書名を織り込んだ詩を得意満面で披露する――と書くと、なんかバカにしているように誤解されるかもしれない。日本語圏のインターネットには「ポエム」という言葉が侮蔑語として使われる文化圏がはっきりあり、というかワタシ自身それをやった過去があるからだ。

先日観た『ノマドランド』でも主人公を支える詩の力が描かれていたなと思い出したりして、本作における主人公の詩心の意義について、作品の趣旨とは違ったところでちょっと考えてしまった。

『パーム・スプリングス』と『隔たる世界の2人』という二つのタイムループ映画を観た

ようやく近場のシネコンもレイトショーを再開してくれたおかげで、『パーム・スプリングス』を公開初日に観に行けた。

サンダンス映画祭で大変に話題になったタイムループもの、という事前知識だけで観に行ったが、最近タイムループものってちょっと多くない? と個人的な感覚が正直あった。それだけジャンルのご本尊というべき『恋はデジャ・ブ』が秀作だったということか。

イムループするのが一人ではなく複数というのが肝なのだろうが、実はその設定は、昨年 Netflix「ロシアン・ドール: 謎のタイムループ」で見ている。作りとしての巧みさは、本作よりも「ロシアン・ドール」のほうが上だった。

アンディ・サムバーグの余裕たっぷりで気楽なたたずまいは好みだったし、クリスティン・ミリオティはギョロっとした目で自信のなさを表現しているのだけど、こちらはさほど好みではない。のだけど、それぞれが抱える「秘密」が物語のキーになり、物語が進んでいくと二人に対する印象が変わっていく。

イムループを繰り返し続けるうちに、それから逃れたいと思うか? ここに男女の違いが出るわけだが、ワタシなどアンディ・サムバーグ側というか、バカンス地で気楽に歳もとらずに生きられたらそれでいいじゃん、と考えてしまうのだが、そこでJ・K・シモンズがそれとは別の観点をもたらすんですね。

というわけで楽しめたけど、コロナ禍の隔離生活を経たことは、タイムループものの受容を変えてしまったような気がするし、本作がそれから抜け出ようという意思をはっきり示すところはよかったと思うが、やはりタイムループもの、少しクリシェ化してね? とどうしても思ってしまった。

あ、ジョン・ケイルの1974年の傑作『Fear』から2曲劇中で使われていたのはとても良かったです。

『パーム・スプリングス』を観た翌日、深町秋生さんのツイート経由で、『隔たる世界の2人』のことを知る……ってホントみんなどうやって、こんな短編映画の情報まで知るんだ?

そうでなくても「積みNetflix」で未だいっぱいなのだが、30分くらいならいいかと観てみたら、これがすごい作品だった。

『パーム・スプリングス』も90分と最近の映画では短い部類だったが、『隔たる世界の2人』はさらにその3分の1で見事にタイムループを表現している。ラッパーのジョーイ・バッドアスが知的なグラフィックデザイナーの主人公を演じているが、彼が女性の部屋でお泊りした翌朝、何度自宅に帰ろうとしても白人警官に殺されてしまう。

とにかく、このはじめから殺意満々で、容赦なく主人公を殺す白人警官がすごい(ひどい)。言うまでもなく殺しにいたるシチュエーションは、ジョージ・フロイドなど実際の警官による黒人の殺害のそれを模しているのだが、ジョージ・フロイドのときにそうだったように、警官は他の市民のスマホでの撮影など意にも介さない。

何度も殺されるうちに主人公はその白人警官とコミュニケーションを図り、状況を打開しようとする。最終的にその落としどころがどうなるかは本作を観てくださいとなるのだが、戦慄ものだったとだけ書いておく。本作は今年のアカデミー短編映画賞にノミネートされているが、こりゃ取るんじゃないかな。

さて、同じタイムループものである『パーム・スプリングス』と『隔たる世界の2人』をたまたま続けて観て、どちらに強い印象を受けたかというと間違いなく後者なのだけど、ヘンな表現になるが前者の印象も良くなった。やはり、アメリカにおける黒人はこういう理不尽なプレッシャーを生きているというのを説得力を持って何度も繰り返し見せられるよりも、タイムループではロマンティックコメディーを見たいと切に思ったからだ。

『隔たる世界の2人』で印象的に使われていた「The Way It Is」とブルース・ホーンズビーの現在について

上で紹介した『隔たる世界の2人』でうまいと思ったのは、ブルース・ホーンズビー・アンド・ザ・レインジの「The Way It Is」という80年代のヒット曲が使われていたこと。

ブルース・ホーンズビーのピアノによるメロディーが印象的な全米1位のヒット曲で、ワタシもリアルタイムに聞いていたが、当時はその歌詞などまったく気にしてなかった。

正直「そんなもんさ」とのんびり歌っている曲かと思っていたが、実はシビアな曲だったんですね。

曲のはじめは、生活保護を求めて列をなす人たちの描写から始まるが、そこにスーツ姿の男が通りかかり、貧しい老婦人に「仕事探せよ」と半笑いで言い放つ――そういう構図見たことありません?

そして曲の後半で歌われる「1964年に成立した法律」とは言うまでもなく公民権法のことで、それは持たざる者たち(黒人)のために作られたが、それで精いっぱいだった。だって法律は人の心まで変えるものではないから、というくだりを知ると、繰り返し歌われる「そういうものだ」「決して変わらないものもある」というフレーズは一種の呪詛に思えてくるし、それが『隔たる世界の2人』で使われる意義については言うまでもないだろう。

ワタシよりも下の世代なら、この曲のメロディーは 2Pac の「Changes」でなじみがあるかもしれない。これも原曲のシビアさを踏まえつつ、そしてそれをなんとか覆そうとしたもので、2Pac がこの曲をサンプリングした意図はよく分かる。

さて、ブルース・ホーンズビーがヒットチャートを賑わしたのは1980年代までで、それ以降の活動を知らない人も多いだろう。90年代以降もグレートフル・デッドとのライブ活動を挟みながら彼はずっと現役で、しかも一昨年、昨年とたて続けにとても質が高いアルバムを作っている。それらにはジャスティン・ヴァーノン(ボン・イヴェール)、ブレイク・ミルズ、ジャミーラ・ウッズ、ヴァーノン・リードなど多彩なゲストが参加しており、後進からのリスペクトも篤いのが分かる。

この一年、コロナ禍を理由にいろんなライブ音源を無料で聴くことができたが、その中で公開されたブルース・ホーンズビー&ザ・ノイズメーカーズのライブはすごかった。

音源が公開されたのは2019年8月16、17、18日に行われたライブだが、彼くらいの年齢になって3日連続でライブをやるというのもすごいし、彼のキャリアならライブの後半はヒットパレードを求められるところだが、くだんの「The Way It Is」、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースに提供して全米1位のヒットになった「Jacob's Ladder」、ドン・ヘンリーと共作してヒットした「The End of the Innocence」のような有名曲は、一晩につき1曲くらいしかやらない、というか毎日セットリストがほとんど重ならないという異様にスパルタンな選曲で、要はバリバリの現役なのである。

つまり、ブルース・ホーンズビーは音楽家として60代後半になった現在、実は何度目かのピークを迎えているのだが、それをちゃんと評価している人が少なく思えるのが歯がゆい。Wikipedia の英語版の彼のページを見ても、上記の最近の2枚のアルバムの個別ページも作られてない始末。

そういうわけで彼がボン・イヴェールのライブにゲスト参加した「I Can't Make You Love Me」をどうぞ。

この曲はボニー・レイットの代表曲で、近年までいろんな人にカバーされている。ボン・イヴェールはホーンズビーに参加してもらうためにこの曲をチョイスしているが、実はこの曲のソングライティングにホーンズビーはまったくタッチしていない。だが、ボニー・レイットのバージョンで一聴してホーンズビーと分かる鍵盤が印象的で、彼の代表曲にもなってしまったという経緯がある。

せっかくなので、30年前のボニー・レイットブルース・ホーンズビーの共演もどうぞ。

『隔たる世界の2人』での「The Way It Is」の楽曲使用を契機にもう少しブルース・ホーンズビーにスポットライトが当たればいいなと思う。

GREATEST RADIO HITS

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  • アーティスト:HORNSBY, BRUCE
  • 発売日: 2008/03/03
  • メディア: CD

Absolute Zero

Absolute Zero

  • アーティスト:Hornsby, Bruce
  • 発売日: 2019/04/11
  • メディア: CD

Non-Secure Connection

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  • アーティスト:Bruce Hornsby
  • 発売日: 2020/08/14
  • メディア: CD

メッセージングアプリSignalの暗号通貨による送金機能の追加にブルース・シュナイアーが苦言

www.schneier.com

エンドツーエンド暗号化で高度なセキュリティを実現していることが売りのメッセージングアプリ Signal暗号通貨による送金機能のβテストを開始というニュースにブルース・シュナイアー御大がコメントしている。

記事タイトルに WTF をつけていることからも明らかなように、今回の機能追加をまったく肯定的にはとらえていない。ブルース・シュナイアーは以前よりブロックチェーン技術を信頼していないが、それだけで否定的なのではなく、安全なコミュニケーションとセキュアな商取引は別々のアプリでやるべきで(できれば会社も別のところが好ましい)、混ぜるな危険というわけ。

国税庁や証券取引委員会や FBI の介入待ったなしと予測している。

www.stephendiehl.com

シュナイアー先生もリンクしているこのブログは Slashdot でも取り上げられているが、技術者の立場からの Signal への裏切られたという思いを語っている。

逆に言うと、そういう反応はあれどもメッセージングアプリが個人送金や商取引に参入するのは、それだけ旨味が見込める分野だからともいえる。このブログエントリの「Signalよ、お前もか?(Et tu, Signal?)」というタイトルはそのあたりを指している。ここへの参入を図ったのは、Signal が最初ではない。

でも、それは怪しげなオフショア暗号通貨取引所に資金が流れるのを招きかねず、合法だからってやるべきかどうかは考えてほしかったという失望があるわけだ。もっとも今回の機能をアメリカでやると違法だから英国で立ち上げるという事情があるみたいで、こういうのは英国のほうが規制が緩いのだろうか。

Signal は未だ優れたソフトウェアで、反体制派やジャーナリストなどにプライバシーを保証しながら自由にコミュニケーションできる、信頼性のあるプライベートメッセージングのデファクトプラットフォームになれるのに、怪しい送金ビジネスに堕してほしくないという最後の訴えは悲痛である。

最後にブルース・シュナイアー先生に話を戻すと、彼の現時点での新刊が出てもう少しで3年になるが、そろそろ邦訳出ないのかねぇ。

Click Here to Kill Everybody: Security and Survival in a Hyper-Connected World

Click Here to Kill Everybody: Security and Survival in a Hyper-Connected World

  • 作者:Schneier, Bruce
  • 発売日: 2019/10/08
  • メディア: ペーパーバック

アメリカを代表する経済学者の遺作『ロック経済学』の邦訳が出るぞ

yamdas.hatenablog.com

高名な経済学者であるアラン・クルーガーが自殺したのも、その遺作が『ロック経済学』だったのもかなり驚いたものだが、今年の6月に邦訳が出る。

発売日が6月9日なのは「ロックの日」を狙ったものだろうか(そんなわけはない)。関係ないが、この日、渋谷陽一の70歳の誕生日だな。

訳者の望月衛さんは、最近ではナシーム・ニコラス・タレブの本を多く手がけているが、個人的にはスティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー『ヤバい経済学~悪ガキ教授が世の裏側を探検する』の印象が強い。今回も活気のある翻訳を期待したい。

しかし、この本はストリーミング以後の音楽経済を考える上で、榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』と比べることも可能かもしれないが、書き手の年代的な意味で、アラン・クルーガーのほうがオヤジ向けでしょうな(笑)。

邦訳の刊行が期待される洋書を紹介しまくることにする(2020年版)で取り上げた本でまた一冊邦訳が出るわけだ。

【絶景】Windowsスポットライトに近いアングルで十年前に写真を撮っていた【十二使徒】

『もうすぐ絶滅するという開かれたウェブについて 続・情報共有の未来」の宣伝ばかりでも嫌がられそうなので、それから離れたちょっとした話題を。

先日、トイレから戻ってパソコンの画面を見たら、何か見た覚えのある景色が写っている。

調べてみたら、確かに自分は Windows で使われているのと近い構図で写真を撮っていた。

Windows 10 マシンで一定期間操作がないとロック画面にきれいな景色が写し出されるこの機能の名称を、実はワタシは知らなかった。これの正式名称は Windows Spotlight なんですね。

さて、今回ワタシがこの機能に注意を向ける契機となった写真について調べてみたくなったのだが、果たしてこういうのはどうやって調べればよいか分からない。しばらく考えて、この写真に写っている The Twelve Apostles で検索したらビンゴだった。

windows10spotlight.com

Windows Spotlight の写真を集めたサイトもあるんですな。このサイトに掲載されている写真と、ワタシが撮影した以下の写真を比べていただきたい。

結構構図が近くない? しかし、悲しいかな、ワタシが撮影したときは11月の雨が降ったり止んだりな天気だったため、また後述するように古い iPhone で撮影したものなので、フィルターなしでは映えが明らかに欠ける(けど、あえて加工なしでアップロード)。

上でもリンクしているが、これらの写真に写っているのはオーストラリアはビクトリア州にある The Twelve Apostles で、つまりは「十二使徒」ですね。

ワタシがここを訪れたのは2011年11月で、つまりは今年で10年になる。そのときはメルボルン郊外在住の友人を頼った旅だったが、入国審査に提出する用紙の「この国のどこに滞在するか?」の質問に堂々「メルボルン州」と書いて呆れられたのは懐かしい思い出である(バカ)。

さて、ワタシのブログの古参読者ならご存知だろうが(そんな人が実在するかは知らんが)、その友人は以下の人気エントリにも登場する。

yamdas.hatenablog.com

yamdas.hatenablog.com

個人的な話になるが、ここ数年隔年でゴールデンウィークに海外旅行をしており、その流れでいうと今年はその番で、以前は台湾かオーストラリアあたりを考えていたのだが、ご存知の通りの事情でそれは実現しない。果たしてまた観光で海外旅行に行けるようになるのはいつの話か……と思いながら見ると、「十二使徒」がまた違って見えてくる気がする。

テッド・チャンはAIでなく資本主義を恐れる

www.nytimes.com

昨年後半に Vox の編集主幹から New York Times のコラムニストに転身した気鋭のジャーナリストであるエズラ・クラインのポッドキャストに、当代最高の SF 作家のひとりであるテッド・チャンが出演している。

www.newyorker.com

そういえばテッド・チャンというと、少し前には New Yorker に、シンギュラリティなんてこないよと論じる文章(日本語訳)を寄稿しており、これが普通の作家なら、新刊のプロモーションなのかなと思うところだが、寡作で知られるテッド・チャンにそれはない、よね?

エズラ・クラインのポッドキャストに話を戻すと、アーサー・C・クラークの有名な「十分に発達した技術は魔法と区別がつかない」という言葉をテッド・チャンがお気に召さない理由に始まり、錬金術、宗教、スーパーヒーロー、自分が死ぬ日が分かるなら知りたいか?(テッド・チャンは知りたいそうだ)、自由意志、など話題は多岐に渡るが、やはり面白いのは AI と資本主義の関係についての話である。

yamdas.hatenablog.com

テッド・チャンは3年以上前にもこのあたりを論じているが、AI に対する恐れの大半は、資本主義に対する恐れであり、それはテクノロジー全般にもあてはまり、今やテクノロジーと資本主義は非常に密接に絡み合っており、この二つを区別することは難しいと語る。

そして、デンマークなど、国民皆保険があり、育児がしやすく、大学の学費は無料の国と、アメリカのような資本主義の国では、テクノロジーへの恐れの度合いは変わるのではないかと語る。アメリカのような資本主義国では、テクノロジーはコスト削減と企業利益の旗印のもとに人々を失業させ、生活を困難にするものだから。

しかし、コスト削減を求めるのは(テクノロジーではなく)資本主義である。あらゆるテクノロジーが善というわけではないが、社会的セーフティネットが整った世界であれば、コスト削減と企業利益のためだけでなくテクノロジーの長所と短所を評価できるようになるのではないか。

技術革新とともに失業が避けられないという話を議論する際に、この点が検証されないままになっているように感じるとテッド・チャンは述べている。問題は資本主義であり、しかし、我々はその資本主義に疑問を抱くこと、そこから逃れることはできないというのが前提になってしまっている、というわけだ。

テクノロジーの長所と短所の評価を資本主義の枠組みから切り離して考えることができるようになってほしい、とテッド・チャンは願っており、資本主義を内面化してそれに最適化してしまうことに警鐘を鳴らしている、とワタシは解釈した。

ネタ元は kottke.org

そうそう、エズラ・クラインは昨年 Why We're Polarized を刊行して賛否両論を巻き起こしたが、これは邦訳出ないのかねぇ。日本でこの本を少しでも論じた記事は「米国の分断を加速させるサンダースの功罪」くらいしか読んだことがないが。

Why We're Polarized

Why We're Polarized

  • 作者:Klein, Ezra
  • 発売日: 2020/01/28
  • メディア: ハードカバー

息吹

息吹

息吹

息吹

ケヴィン・ケリーの新刊は3巻1000ページもの分量の『消えゆくアジア』とな

『〈インターネット〉の次に来るもの―未来を決める12の法則』に続くケヴィン・ケリーの新刊は、Kickstarterクラウドファンディングで資金調達し、しかもテーマがアジアだという。

一瞬、前作が中国で最初に出版され、かなり売れたことでのアジアシフトかと邪推したが、もちろんそんなものではなく、40年かけて35ものアジアの国々を旅行したケリーの豊富な経験をもとにしたもので、しかも、Vanishing Asia、つまり現在のアジアから失われつつあるものがテーマとのことで、単なるアジア礼賛ではない。

なんで彼がクラウドファンディングを利用するんだろうと思ったら、全3巻、1000ページもの分量になるとのことで、確かに三分冊を普通の商業ベースで出すのは難しかろうと納得である。西アジア中央アジア、東アジアでそれぞれ1冊ずつ、しかも東アジアの表紙が日本の花嫁衣裳の白無垢というのにオリエンタリズムを感じて、神経をとがらせる人がいるかもしれないが、この本の趣旨については本人の説明を読むなり聞くのがよかろう。

kk.org

クラウドファンディング自体は、予定金額を大幅に超えて支援者を無事獲得しており、全3巻の刊行は実現する見込み。

そういえばケヴィン・ケリーというと、今話題のデジタル資産 NFT(Non-Fungible Token:非代替性トークン)に入れ込んでいるクリス・ディクソンが、ケリーのもはや古典的存在である「千人の忠実なファン」を引き合いに出して NFTs and a Thousand True Fans という文章を書いていたっけ(参考:NFTと1,000人の真のファンとは?)。

ネタ元は Boing Boing

柳瀬博一さんのおかげで榎本幹朗『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』が出ているのを知る

www.joinclubhouse.com

もはや Clubhouse アプリを立ち上げることも稀になってしまったが、柳瀬博一さんのこれの告知にピンとくるものがあったので聞いてみたら、榎本幹朗さんの『音楽が未来を連れてくる 時代を創った音楽ビジネス百年の革新者たち』が2月に出ているのを知ることができた。柳瀬さんに感謝である。

榎本幹朗さんのことは、Musicman-NET での連載を読んですごく面白いと思ったし、その電子書籍化の際にもブログで取り上げている(その1その2)。

しかし、そのうち連載が Musicman-NET から消え、電子書籍もパート3は出ず、Yahoo! 個人ブログも2018年11月を最後に新しい文章の公開がなく、正直どうされているのだろうという気持ちがあった。

なので、氏の文章がこうしてまとまった形で本になったのを知り、とても嬉しい。

www.musicman.co.jp

刊行を記念したインタビューで、そのあたりの沈黙の理由も語られているが、なかなか迫力のあるインタビューだな。

「水のような音楽」を謳う訳書『デジタル音楽の行方』が出て15年以上経ち、ここまで来たんだなぁと思ってしまう。

ノマドランド

帰省時に少し時間ができ、映画に出向いたのだが、『花束みたいな恋をした』と『ノマドランド』のどちらを観ようか悩むこととなった。実は前者にしたかったのだが、その日の後の用事に影響が出るのを恐れ、終映時間が早い後者を選んだ。

本作は、2008年のリーマンショック以降に顕著になった、自家用車で寝泊まりし、全米各地を移動しながら働き続けざるをえない高齢者たちの姿を描いたものである。

上の概要を聞いただけだと悲惨で救いのない話に思えるが、そのように描いていないのが興味深い。例えば、本作には主人公たちの働き先としてアマゾンが何度も登場するが、何かしらの告発のトーンはほぼ皆無である。ケン・ローチのような映画を期待すると肩透かしにあう。

「自分はハウスレスだけどホームレスではない」という主人公の台詞もあるが、同じ境遇の人たちとの互助精神とアメリカ人らしい DIY 精神が先に来ていて、見ていて暗くはならない。出演者の多くが、原作にも登場している「ノマド」の人たちなのもその裏付けになっている(その中の一人がタトゥーに書き込んでいるスミス/モリッシーの歌詞が本作によく合っていた)。

そしてやはり、主人公を演じるフランシス・マクドーマンドの演技の力も大きい。ワタシは彼女のことを昔から当代きっての名女優と評価しているが、『スリー・ビルボード』に続いて、本作の演技も見事だった。

もちろん、本作でも彼らの暮らしのしんどさはちゃんと描かれていて、ただ主人公の生き方を肯定するだけではない。前述の通り、主人公は「自分はハウスレスだけどホームレスではない」と言い切るが、ノマドな生き方は昔の開拓者のようでアメリカの伝統だという彼女の妹の気遣いの言葉に、主人公はいら立ちの表情を隠せない。

日本に住むワタシから見れば、高齢者にもなって定住もできず、就寝も排泄にも苦労がある車上暮らしはとてもではないが憧れの対象にはならない。互助精神を発揮して一種の共同体を構成する主人公の仲間たちは意外にも女性が多い。これをホワイトトラッシュの女性版と考えるのは間違っていて、その証拠に本作に登場するノマドたちは主人公をはじめとして貧困層出身でない人も多く、それなりの学歴を感じさせる人が多い。

さらに書けば、主人公の仲間たちは明らかに白人が多い。これは「『ノマドランド』が男女格差を描いた女性映画でもある理由」にもあるように、有色人種(の女性)であれば車上生活すらままならず、警察に睨まれるというアメリカ社会の分断、なによりセーフ―ティーネットの底が抜けた社会の闇を感じずにはいられない。

本作は映し出されるアメリカの自然風景は、マジックアワーを活かした撮影もあり、微妙な美しさを湛えている。しかし、とてもではないがワタシはそれにうっとりとなる心持ちにはなれなかった。

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